第3話 僕は僕
「僕の今年の目標…いえ、僕の人生の目標は『平』という一漢字です」
小学六年生、最後の授業参観。私は後ろに親がいないにも関わらず、父親への怒りを声の大きさに変えて教室を白けさせたことを覚えている。
もう死んだ私の父親はどうしようもない屑だった。
安酒を右手に、左手には私の学費になるはずだった金をという最低な持ち物で昼間から近所のパチ屋に向かう。家を出るときはいつも母親の泣き声を背にドアノブを回していた。私が殺意を覚えた人間は人生の中で此奴ただ一人だ。
私の人生の目標は『平』
何の起伏もいない平穏無事な人生、周りからはつまらないと言われてもいい。毎晩やせ細った母の胸に抱かれて、私はいつしか願うようになった。
「やはり『平』が一番…か。」
しかし所詮、私は彼奴の息子だった。平らな人生をいくら願っていても欲に抗うことが出来なかった。東京の夜空を見上げながら「ははっ」と呆れ笑いをする。
騙された、とだけ言っておこう。
誰にどう騙されたかは割愛させてもらう。これ以上惨めな気持ちになるのは勘弁だからな。
そして今は怖い大人たちに追い掛け回されて、いよいよ…というところだ。
「母さん…俺も今からそっちに行くよ……」
ひと月前、地元にある小さな小さな病院の一室で母親は誰にも見届けられず息を引き取った。私はその時、自分を騙した人間を探して都内を駆けずり回っていたよ。とんだ親不孝者だ。
「…ほんっと…間抜けだなぁ…」
眼を閉じれば短くも濃く辛いここまでの道が脳裏を過る。あれだけ努力して安定した社会的地位を手に入れたというのに、ほんの些細な油断が全てを壊していった私の人生。
平穏、安定、起伏のない人生を謳っていた男の末路がこれか。
浮遊感が全身を包み込んだ―――。
◇◇◇
長い、長い夢を見ていた。
それはある一人の男の人生だった。平穏を願い、安定を願い、起伏のない人生を願った、どこまでも安定志向な男の記憶だ。
今年一幸せだった六歳の誕生日の翌朝。
僕は奇妙な体験と共に目を覚ました。昨日まではなかった自分の知らない誰かの記憶が頭の中にあるという信じ難い体験だ。
普通ならそんなことは起こり得ないし、自分の身に起きることを想像しただけで気味が悪くなってしまうだろう。
でも、僕は不思議とその記憶に親しみを覚えたんだ。
ただその記憶のどこのどういうところが親しみやすいだとかを説明することはできない。父さんと母さんに僕は親しみを覚えて一緒にいて安心するなと思うけど、それをなんで?どうして?と聞かれても答えられないのと同じだ。
それこそ生まれてきた頃から一緒にいたみたいな、そんな感じ。思い出したのはつい先ほどだというのにね。
「いっちにーさんっしっ、ごーろっくしっちはち」
(でもさぁ…どうして今になって思い出したんだろ)
男の記憶にあった彼の毎朝の習慣。ラジオ体操を見様見真似ならぬ、記憶様記憶真似(…そんな言葉はありません)しながら思う。生まれた時からずっと僕の中にあったのなら何故、今になって突如記憶の水底から浮かび上がってきたのだろうか、と。
物事には必ず理由がある。男の記憶がそう囁いてくる。そして僕はその通りだと思った。
だから考える。不可解な記憶の思い出しにもあるはずなんだ。なにかの理由が、きっかけが、と。
「…あっ」
うんうんと悩むこと少し。ラジオ体操も終わりが見えてきた頃、ふと昨夜の晩のことが脳裏を過ぎる。
そう言えばちょうど昨日、おかしなことがあった。朝起きたら顔も名前も知らない男の記憶が頭の中にありました、よりかはおかしくないけど十分におかしなことが。
「えっと……確か…≪条件:六歳の誕生日≫を満たしたことにより【底辺神の加護】を授かりました。【底辺神の加護】により恩恵――【天の声】【熟練度】【ステータス】を獲得しました。なお恩恵には熟練度が存在しません……だっけ。…うん、そうだ。確かにあの変な声は言ってた。シリみたいな声だったな」
首を斜めに目は天井に。傍から見れば阿呆にしか見えない態勢のまま記憶を探り、昨夜聞こえて来た言葉をそのまま口に出す。
頭に直接語り掛けられるというのはなかなかに奇妙な体験だ。その体験の始まりを思い出した後は芋づる式に次々と記憶が蘇ってくる。
一度目は六歳になった時に聞こえて来た。
寝物語に母さんはよく僕が生まれた日のことを聞かせてくれる。僕はとても大人しかったようで、昼に産気づき夕方にはするりと生まれたそうな。
そう、夕方だ。男が暮らしていた世界では文明の利器が夜空を照らし人々の活動時間を延ばしていた。けれども僕の生きる世界にはそんなもの存在しない。農民は朝、日の出とともに目を覚まし、夜は日の入りと共に床に就く。
夕飯はその名の通り日が沈む前の夕方に行う食事のこと。その不思議な声が響いた時が丁度六歳になった時ということなんだろう。
二度目はホール型のアップルパイを三等分した時に聞こえて来た。
《条件:円の問題を解く》…だっけ?その後に前世の経験によりうんちゃらかんちゃらと言っていた。ということはこの見知らぬ男の記憶というのは僕の前世ということなのだろう。名前も顔も思い出せないし、所々記憶が抜け落ちているから赤の他人としか思えないけどね。死に際も知らない。
三度目は父さんがアップルパイを泣きそうになりながらも僕に分けてくれた時に聞こえて来た。
そして四度目はそんな父さんからアップルパイ全部を巻き上げるのは可哀そうだと思って分け合いっこした時に聞こえて来た。とても簡単なものではあるけど、引算と足算を使ったからだろうね。三度目の時は足算だ。
そして何よりも重要なのは、一度目から四度目までの全ての声に【底辺神の加護】という単語が入っていたということ。
加護――それはこの世界にあって男の世界にはなかったシステム。六歳を迎える年の第九の月に教会で神官様から伝えられるもの。
それは創成神様を信仰している人間なら誰しもが例外なく授かっていて、人によっては一つとは言わず、二つも三つも持っているのだとか。
(まるでゲームのファンタジー世界みたいだ)
僕の記憶と男の記憶。その二つが力を合わせて一つの答えを導き出す。ゲーム、ファンタジーな世界は僕ではない男が知っている分野だ。
安定を求め、日々勉強に勤しむ男にも人付き合いはあったから、人と話を合わせられるようにゲームやファンタジー小説には手を出している。男は読書が好きだったから殊ファンタジー小説に至っては得意分野と言ってもいい。
異世界への転生を果たして何かの拍子に前世の記憶を思い出す―――。
今の僕の身に起きているのはそのファンタジー小説における定番な展開そのものじゃないだろうか。
前世で死んだ記憶もなければ、記憶を思い出したところで人格の入れ替わりは起きていないけど、異世界ファンタジーの定番展開の枠の中には収まっていると思う。
(ってことは…)
僕はその定番展開の流れに沿ってあの言葉を口にする。
「ステータス、オープン……」
言ってすぐにどうしてか恥ずかしくなってしまった。前にスッと文字が浮かび上がってくる。
--------------------
<ステータス>
名前:ロイク(6歳)
能力値:
筋力 35 (31+4+0)×1.0
敏捷 32 (30+2+0)×1.0
体力 37 (33+4+0)×1.0
知力 91 (35+10+20)×1.4
魔力 5 (5+0+0)×1.0
精神力 34 (34+0+0)×1.0
器用さ 34 (32+2+0)×1.0
運 100 (100+0)×1.0
加護:【底辺神の加護】
恩恵:【天の声】【熟練度】【ステータス】
技能:【足算博士】【引算博士】
【割算博士】【円博士】
--------------------
「お~本当にゲームみたいでファンタジーだな~」
世界が違っても男の子はみんなステータスを見るのが大好きだ。僕も例に漏れず数分間じ~っと無言のまま、眼の前に浮かび上がったそれを見つめ続ける。でも頭は回っていた。
(あ~やけに今日は冴えているなぁと思ってたけどそういうことか)
初めに僕の目に留まったのはもちろんひと際存在感を放っている能力値の数々だ。筋力・敏捷・体力・知力・魔力・精神力・器用さ・運の合計八つ。人の能力を簡単に分けたらこうなるんだろうなぁといった顔ぶれだ。
で、そんな能力値の中でもさらに存在感を放っているのが『知力』の数値。生まれてから大人になるまでほとんど変わらないであろう『運』を除くと、断トツで数字が大きい。三番目に数値が大きい『体力』とダブルスコア以上だ。
「今日は起きてからやけに冴えてるなぁ」では片付けることが出来ないくらいに頭が回っていたけど、納得納得なるほどなるほど。そりゃ頭が冴えているに決まってる。
「信じ難い」とか「親しみ」とか「芋づる式」とかの言葉がスラスラと出てくる六歳児は嫌だ。
(あ~よかった。僕は僕のままだ)
分かってはいたけど僕は僕のままだ。前世の記憶を取り戻しても僕は僕なんだ。
さっきまでどうして自分はこんなにも頭が回っているのだろうか。前世の記憶を含め他でもない自分の身に何が起きているか分からない気味の悪さが、数値として目に見えたからかなくなったような気がする。
ただ、突如頭が良くなった理由は依然として不明なまま。でもそれはおそらく各数値の右側に出ている簡単な数式が教えてくれているのだろう。
(母さんと父さんの前では六歳児らしい言動をするように意識しよう)
六歳児ならぬ考えをしてから数式の意味を理解しようと―――
「ロイ~ご飯よ~」
―――した時。扉の向こう側、階下から母さんの僕を呼ぶ声がした。
「はーい!」
元気いっぱい夢いっぱいな六歳児相応の返事をしてドタドタと階段を下る。
「おはよう母さん!父さん!」
「おはよう、ロイ。今日は朝から一段と元気だな」
「僕はもう六歳だからね!」
「ははっ、それ関係あるか?」
「あるよ!」
「ロイ~。ご飯運ぶの手伝ってくれる~?」
「は~い」
一足先に席について温かいエールを啜る父さん。台所ではここまで良い匂いを漂わせるスープを混ぜる母さんが。
前世の記憶だとかステータスだとか朝から変なことが起こりっぱなし。けれども家族はいつも通り。
「山に感謝を、実りに感謝を、命に感謝を、創成神ジーグアート様に感謝を、豊穣の女神シロカ様に感謝を」
目を瞑りながら父さんの声に耳を傾け手を組み祈る。
「よしっ、食べようか」
(ステータスのことは後で考えよ~っと)
「いただきますっ!」
僕は勢いよくスプーンをスープの皿に突っ込んだ。
面白かったな、続きを読んでやってもいいぞ、と思う方はブックマーク・★★★★★で応援して下さるとうれしいです。執筆の励みになります。