五丁目のマンション、エレベーター内にて
怪談。
それは世にも奇妙で恐ろしい体験を物語にした物だ。
創作のものもあれば、実際に起きたものもある。
その中で、実際に起きたものと言うのは得てして後味が悪いものばかりである。
私――柏田実も、その不思議な体験をした1人だ。
私の住む所は7階建てのよくあるマンションである。都内ではあるが、周りにここ以上に高い建築物は多くない。
しかしここに住む人間はその部屋数に対してかなり少ない。
何故ならここは心理的瑕疵物件、つまり幽霊の出ると言われる物件だからだ。
近所の人は、このマンションに近づくことすらしない。
そのため、ここのマンションは非常に安い。
東京へ上京した私は、その安さに魅力を感じてここに住むことを決めたのだった。
事前にここの物件の事を説明されてはいたが、夢のために突き進む私を止めるには至らなかった。
それに、そのような話は甚だ馬鹿らしいとさえ思っていた。
ここに住む前の私は、幽霊の存在など信じていなかったのだ。
しかしあることをきっかけに、私はその存在を確かな物として認識することになる。
そしてその恐ろしさの片鱗を、味わった。
これ以上迂闊にその世界へと踏み入れる人間がでないように、私はこの物語を記そう。
まずは最初のきっかけから記そう。
私の物語だ。
私は、部屋の隅を見やる。部屋の隅の、さらに向こう側。このマンションのエレベーターのある場所。
そこで私は、このマンションの恐ろしさを知ることになる。
◎
「ここが今日から私の住むところか」
私はキャリーケースを置き、リュックサックを背負い直す。
7階建ての大きなマンションだ。
私の契約した部屋はその6階。601号室だ。
マンションは、縦の長さも結構あるが、横幅もそれなりにあった。外から部屋数を数えると、12程だ。
私はマンションの敷地に足を踏み入れた。
私は視界に入ったエレベーターに入り6階のボタンを押す。
この建物は、そこそこ年季の入ったマンションなのだが、このエレベーターだけは不自然なほど真新しかった。
6階に着いた私はガラゴロとキャリーケースを引く。
エレベーターと床に若干の高低差があったのか、キャリーケースが軽く浮いた。
このエレベーターは後付けで設置されたものなのだろうか。微妙にこの建物とマッチしていない。
「えーっと、601号室。601号室」
私は1番近い部屋の号数を確認する。
そこには612号室の表記がされてあった。
「あー、逆側だったか。めんどくせぇ」
私は再びキャリーケースを引き、反対方向へ歩いた。
ここまで結構な時間をかけてきた。
私は静岡から、上京してきたばかりなのだ。大学を出て何をやるでもなく、唐突に絵の勉強をしたくなって再度東京の専門学校に通うことにした。
親には反対されたが、アルバイトをして社会経験を積むことを条件にある程度の援助を取り付けてある。
大学に加えて専門学校に通うのだから、親には頼りっぱなしで申し訳ないと思っている。
しかし、漸く見つけた夢なのだ。
今までの無気力的な人生から脱せたのだ。私は浮かれてしまっていた。
廊下は長い。柵の向こう側は6階だけあって非常に高い。
落ちたら確実に助からないだろう。
私は表札を見ながら歩いていく。
「結構空き部屋があるな……」
ポストに投函禁止のシールが貼ってある部屋が殆どだ。
これなら、挨拶回りは簡単に済むだろう。
荷降ろしもあるから、そういう疲れる作業は少ないに越したことはない。
「やっと着いた」
私は自身の部屋、601号室の前に到着した。
事前に隣の部屋を確認していたが、そこは空き部屋だった。ちなみに603号室には愛川さんという方が住んでいるらしい。
向こう側のエレベーターからここに来るのはしんどいな。
私の部屋は端っこだ。
隣の空間にはにエレベーターが設置されているだろう。
私はそのエレベーターの位置を確認した。
すると、そこには奇妙な張り紙がされてあった。
「22時~6時の間はこのエレベーターを利用しないでください」
何故そのような時間指定がされているのだろう。定期メンテナンスでもあるのだろうか。
しかしそれにしてはかなり長い時間だ。
8時間も使えない。一日の3分の1がメンテナンスだとでもいうのだろうか。
奇妙な違和感はあったが、私はそこから考えるのをやめた。
事前に渡されていた鍵を取り出し、扉を解錠する。ガチャリと音を立てたあと、扉は開いた。
「なかなか広いな」
ここに来る前に見取り図に目を通してはいるが、実際に見るとやはり広い。
都内で2DKと言うのは、贅沢な方ではないだろうか。
玄関口は小さい。しかし、すぐ目の前にあるキッチンは広々としていた。
そこから二つの扉が隣同士に設置されていて、それぞれが洋室と和室になっていた。
和室の方を寝室にしよう。
私は洋室に入り、キャリーケースとリュックサックを下ろした。
「ふぅ……」
天井を見上げ、一息つく。
荷物は明日届く。それまで簡易的な荷解きをしておこう。
私は1度伸びをしたあと、キャリーケースを開けた。
荷解きが終わった頃には、夕方近くになっていた。ここに着いたのが14時くらいだったので、3時間近く荷物を整理していたのだろう。
まあ持ってきていたのはキャリーケースに入る分の物しかないので、実際には荷解きはそんなに時間が掛かっていない。
途中で持ってきていた本を読み始めたのがいけなかった。
それはさておき、私は挨拶回りをしようと決めた。
とりあえず手土産は三つ。
隣の分と、上階、下階の3つ分だ。
角部屋のため、ひとつ分手土産が減るのは嬉しい。
しかし生憎と私の隣は空き部屋だ。ひとつ余る計算だが、そういえば603号室に誰か住んでいるのを思い出し、そちらに手渡すことに決めた。
一先ず土産を持って、603号室――愛川さんの部屋のインターホンを押した。
暫くして、部屋の主が扉をガチャリと開けた。
「あの……どちら様でしょうか」
「こんばんは。私は601号室に本日引っ越してきた柏田と申します。以後よろしくお願いします。つまらない物ですが、良ければこちらをどうぞ」
私は彼女に手土産を渡す。
「あ……はい。ありがとうございます。私は愛川と言います。よろしくお願いします。……601号室ですか」
彼女は手土産を受け取ったあと、訝しげな目を私に向けた。
「何か、ありました?」
「いえ、どうしてあの部屋を選んだんですか。事前に何も知らされなかったとか……?」
私は直ぐにそれが、事故物件の話をしているのだと悟った。あぁ、この人は心配性の人なんだな。彼女――愛川さんは、茶色の長髪で、ゆったりとした服を着ていた。目元は若干隈が見える。徹夜でもしたのだろう。
「もしかして事故物件の事ですか? それなら大丈夫ですよ。私、そういうの信じてないので」
「はぁ……、まあ気をつけてくださいね。これは忠告なんですが、絶対に隣のエレベーターには乗らないでくださいね」
彼女はそれだけ言うと、扉を閉めてしまった。なんだか不思議な人だったなぁ。
顔は可愛かったけど、いちいち言葉に含みがあるように聞こえた。
私がその場を去ろうと足を動かすと、先程の扉が再び開いた。
「言い忘れましたが、これから上の階や下の階に挨拶に行くんですか?」
「えぇ、そうですが」
「それなら行く必要は無いですよ。どの階も1号室には誰も住んでいませんので」
パタンと再び扉が閉まった。
何故、1号室には人が住まないのだろう。私はその言葉を素直に受け取り、自身の部屋へと戻った。
その夜私は寝袋で眠った。
荷物がまだ届いていないため、愛用の布団で眠ることができないのだ。
まだカーテンすらない状態だったので、部屋はどことなく寒気がした。
私は妙に寝付けなかったので、スマホを使って近くのお店などを調べ始めた。
「あ、近くにスーパーがあるじゃん。ラーメン屋さんもある。ふんふん、ケーキ屋はまああまり行かないかな。画材屋や本屋は隣駅まで行かないと無いみたいだ」
生活に必要なものはある程度近くで揃えられるだろう。食品もスーパーがあるから困ることもない。
時間は既に1時。私は急にお腹が空いた感覚を覚えた。
「確か、近くにコンビニがあったな」
このマンションを出てすぐ前の交差点に、大手チェーン店のコンビニエンスストアがあったはずだ。あそこで小腹を満たすものを買うとしようか。
私は寝袋を出て、ガウンを羽織る。あとは財布とスマホだ。
扉を開錠して私は外へ出た。そこで鍵を忘れたことに気付き、慌てて部屋に戻る。確か、鞄の近くに放り投げていたはずだ。
鞄がおいてある洋室まで入る。すると、背後から視線のようなものを感じた。
振り向くと、そこには開いたままの玄関扉。
「誰かいたのか?」
私は何となく背筋がピンとしたが、そのまま鍵を拾い部屋を出た。
今度こそ施錠した私は、隣のエレベーターの方まで足を運んだ。
「あ、そういえばこっちのエレベーターは使っちゃいけないんだっけ」
確か、22時から朝6時まで使えないはずだ。
今の時刻は1時。使えない時間である。
だが、エレベーターを見ると、明かりがついていた。
「なんだ、使えそうじゃんか」
私は、エレベーターの前まで進もうとする。
チカッ……チカッ……
蛍光灯が切れているのか、エレベーター前の蛍光灯が点滅している。少し不気味が悪い。
「うーん、やっぱり階段で行くか」
なんとなく怖くなった私は、606号室と607号室の間にある階段を使うことにした。
一番奥にあるエレベーターを使うのもありだったが、この時だけはエレベーターに乗りたくない気分だった。
階段を降り切った私は、前の交差点をわたり、コンビニに入る。
店内ラジオを聴いていると、さっきまでのなんとなく怖かった感じが薄れた。
ドリンクは何を買おうか、小腹が空いたからカップラーメンでも買おうか。
しかし、カップラーメンはお湯を必要とする。今の私の部屋にはお湯を沸かす器具がない。
なんだったら、まだガスすら通っていないのだ。かろうじて水道と電気は通っているので、寝る分にはまだ困らない。
「いらっしゃいませー」
さっきまで店の奥に隠れていたのか、店員がレジまで出てくる。今私以外の他の客はいない。
ピンポンピンポーン
誰かが店内に入るチャイムが鳴った。それに反応し、店員は声を上げる。
しかし、不思議なことに自動扉が開いた音はしなかった。虫が飛んでいたのか、風邪か何かが反応したのだろうか。
店員はそれに気づいてるらしかったが、気にするふうでもなかった。
おそらくこの店ではよくあることなのだろう。
私は、コーラとパン、デザートのフィナンシェとブレンドのコーヒーを購入した。
店の外にでた私は、さっそく暖かいコーヒーをすする。そして購入したばかりのフィナンシェを一口頬張る。
「んー! これがうまいんだよな」
私は脳汁がドバドバ流れるような感覚を味わう。この甘味とコーヒーの味がマッチしていて非常においしい。舌で感じる味じゃなく脳で直接味わうような、そんなうまさがこれにはあるのだ。
私は直ぐにフィナンシェを完食し、コーヒーも飲みきった。
すると、そのタイミングでまた入店音が聞こえた。
誰かが入ったのだろうかとも思ったが、やはり誰も入っていく様子はなかった。
風も吹いていなかったので、おそらく虫が飛んでいたのだろう。しかしこんな寒い中飛ぶ虫もいるもんだな。
ゴミをコンビニのごみ箱へ入れた私は再び交差点を渡った。
そしてなんとなくエレベーター前に行った。
今は先ほどまでと違い、恐怖感はない。おそらく使えるだろうこのエレベーターで、六回まで昇ってしまおうか。
正直階段で行くのも面倒だし、反対側の真新しいエレベーターにわざわざ乗りに行くのもどうかと思った。
私は、エレベーターのスイッチを押す。
直前まで4階にあったエレベーターは下降の表示を示しながら、数字を減らしていった。
ポーン
エレベーターが到着し、その扉が開かれた。
なんだ、やっぱり動くじゃないか。私はそのエレベーターに乗り込んだ。
私の住んでいる階は6階だ。6階のボタンを探す。ボタンはかなり使い込まれているらしく、ほとんどが掠れていて読めない。
辛うじて読み取れる数字から、6階らしいボタンを押す。
このマンションは7階建てだからな。上から二番目がおそらく6階だろう。
ボタンを押すと、エレベーターはゆっくりとしまり、上へと上がっていった。
ゆっくりと上がっていったエレベーターは、6階に着く前に4階で止まった。
私以外にもエレベーターを使う人間がいるんだな、と私は安心した。
ポーンと扉が開く。
「……誰もいないじゃないか」
しかし、開いた扉の近くには誰もいなかった。
当然誰かが入ってくる気配もない。
私は、少し体を乗り出し辺りを見回すが、誰かが隠れている様子もなかったので、エレベーターに戻った。
誰かがきっと押したのを忘れてどこかへ行ってしまったのだろう。私はそう考えた。
しかし、ふとそこに不自然な違和感を覚えた。
誰かが4階でボタンを押して、私の乗るエレベーターが止まった。ということは、その誰かは上に行こう_として上行きのボタンを押したという事だ。
こんな時間に4階からさらに上に行く事などあるのだろうか。階を分けた知り合いの住民がいたのなら、それもあるだろう。しかし私にはそんなふうには思えなかった。
ポーン
そんなことを思っているうちに私の部屋のある6階へと着いた。
私はエレベーターから出る。
ヒタ……
直後、私の左肩に誰かの手が添えられた。
「ヒッ!」
私は驚いて前のめりになり、しりもちをついて後ろを振り返った。
そこには誰もいないエレベーター。
私は左肩をさする。そこには先ほどまでの異様な冷たさの手はなかった。
しかし、確かにそこには誰かの手が載せられていたという感触だけが残っていた。
目の前で閉まる扉。
「ッ!!!」
閉まりきった扉のガラスには、先ほどまでいなかったはずの女性が映りこんでいた。
こちらをじっとりと見つめるその目は怨嗟の思いが込められていた。ふっと彼女の姿が消える。
エレベーターが急に動き出す。しばらく下がって、4階に到着したのが見えた。
私はその場から全く動けなかった。
◎
後で聞いた話だが、このマンションの四階にはとある女性が住んでいたという。ちょうど401号室だそうだ。
彼女はこのマンションのエレベーター内で殺害されたとのことだった。犯人は同棲していた男。喧嘩をしてその拍子で殺してしまったとのことだった。
彼女は翌日、エレベーター内で背中に包丁が刺さって血を流している状態で発見されたそうだ。僕が思うに、喧嘩して殺害してしまったわけではないように思えた。
もし喧嘩したなら、401号室で殺されていただろうし、刺さる場所も正面からになるのではないか?
おそらくだが、男は明確な殺意を持って彼女を殺害した。エレベーターに乗る彼女にうしろから刺したのだ。
素人の考えではあるが、彼女のあの怨嗟の瞳を見た私は、そう考えざるを得なかった。
こちらはアルファポリスにて掲載していた短編小説です。
ホラーは初めての試みですので荒い部分が目立つと思います。もし評価が良ければ、続編を執筆するかもしれません。