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好きな人は俺をホモだと思っている


 それは本当に突然のことだった。

 

 授業中、消しゴムを落としてしまったのは俺だった。その時はノートを写すのに必死で、後で拾おうと思っていたんだ。

 まだ二年生に進級してクラスが新しくなったばかりの出席番号順の席で、隣に座っていた彼女は、それを拾って俺の机にぽとん、と置いてくれた。

「はい」

「あ、ありがとう、ごめん」

「どいたまして」

 ぱっと顔をあげて彼女を見ると、笑顔がとてもかわいかった。



 以上が、俺が恋に落ちた瞬間である。

 あの後、クラスが変わったばかりでまだ彼女の名前を知らなかった俺は、授業が終わるや否や座席表を見て名前を確認。

 出席番号十二番の高橋さん。

 高橋さんはあれ以来常にマスクを装備しているマスク少女となっていた。

 多分、あの時マスクを着けていなかったのはたまたまなんだろう。

 けれど、マスクがあったらきっとこんなにときめかなかったし、好きだなんて自覚することもなかったはずだ。

 生まれて十六年、高校二年生の四月にして、そんな偶然のために、俺は初めて人を好きになってしまったのだった。



「はぁ? 高橋のこと好きになったのお前」

「声でけぇよばか」

 同じ部活の森山に相談してみた帰り道。

 森山はあからさまにありえないものを見たみたいな顔を向けてきた。

「だってお前……。いや別にお前の趣味に何を言うつもりもないけどさぁ……。それにしたってお前……」

「うるせえよ。お前高橋さんと中学一緒だったろ。どんな人だったんだよ」

 森山はしかめた眉をそのままに溜息をつくと、ぽつりと話し始めた。

「一言で言えば……まぁ、オタクだな」

「え……アニメオタク?」

「そう、そのオタク。ひいた?」

 森山はちらりと横目で俺の反応を見る。

「そんな風に見えないからびっくりした」

「そうかもな。中学の頃はひどかったけど。三つ編みメガネニキビデブ。典型的なキモオタだったから」

 森山の話を聞いても、そんな姿はちっとも想像できなかった。

 今の高橋さんは、肩に届くぐらいの髪で、毛先の方が少しくるっとしているゆるふわパーマだった。もしかしたら、あの髪型は毎朝努力してセットしているのかもしれない。加えて、デブでもなければニキビもなかった。最近はマスクをしているからニキビは分からないけど。

「高校デビュー?」

「さぁ」

 それこそ本人に聞けよ、と森山はもう興味がなくなったとでも言いたげに欠伸をした。



「見た目わざわざ変えたってことは気にしてたってことだよなぁ……」

 ベッドに寝転がりながら、俺は森山との会話を思い出す。

 何か話しかけるきっかけになるような収穫はなかったものの、高橋さんの過去にちょっと触れられた気がした。

 とは言っても、今年初めて会った女子に「お前中学ではオタク全開だったの?」なんて聞けるわけない。

「隣の席なのに、なんでこんなに話すことないんだよぉ……」

 明日絶対何かしら話しかける、と決意してその日はとりあえず寝ることにした。



 決意はしても実行するとは言ってない。

 業務連絡すら話題がないのに、突然気軽に雑談なんて初対面の女子相手にできる程、俺は器用じゃなかった。

話しかけようとすると、丁度女子同士で絡んでいる最中など、何かとタイミングが悪く、俺は勇気が出ないまま少し遠くにいる友達に話しかけていた。心なしか声が大きくなってしまったりして。

 結局その日はこれといって特に何も話せなかったわけだが、一つ気づいたことがあった。

 友達と喋りながらちらりと高橋さんを見ると、何回か目が合った。

 それだけじゃない。帰りに、部活に行こうとクラスの違う森山が迎えに来てくれて、教室を出ようとした時にも目が合った。

 これって、高橋さんも俺のこと気にしてるって思っていいのかな?

 ちょっぴりだけ、自惚れてもいいのかな?



 それから俺は、話しかけようと決心しては何もできないという日常を繰り返していた。

一日の最後の授業が終わる鐘が鳴ると、いつも今日も話せなかったというやるせない気持ちに襲われる。

 隣の席ってこんな遠かったんだったなぁ……。

 物理的な距離より心の距離の方が遠いとはなんということか……。

 俺が机につっぷしてもだもだしていると、

「石川くんって卓球部だよね?」

 突如耳に入ってきた声。

 ものっそい勢いで顔をあげる。

 隣の席で高橋さんがこっちを見て頬杖をついていた。

「う、うん、そうだけど」

 声が裏返らないように気を付けて返事をする。

「ねぇ、カットとドライブってどう違うの?」

「へ」

 それは卓球の技。

 本当に突然の卓球用語に、得意になりつつも丁寧に教えたつもりだった。

 手を動かしながらの俺の説明に、高橋さんは終始こくこくと頷きながら聞いていた。

 マスクのせいで目しか見えなかった表情は結構真面目そうで、時々目が合う度にどきりとした。

 のは、たぶん、俺だけ。

「わかった? こんな説明でよかったかな?」

 ドギマギとぎこちない動きで確認すると、

「うん」


「ありがとう」


 マスク越しでも分かる笑顔に、俺は二度目の恋に落ちた。



 帰り道、俺は今日の事を何度も頭の中でリピート再生していた。

 口元が緩むのに気を付けながら、うきうきと足が弾む。

 話してしまった……! ついに…!

 しかし不思議なのは、なんで唐突に卓球の話を振られたのかということだった。ウチのクラスに卓球部は俺しかいないから、卓球の話題を振るなら俺、というのはわかるんだけど。

 卓球に興味……?

 まぁ、何かあったんだろ、カットとドライブの違いの知識を必要とする何かが。自分で言ってて思う、なんてレアなことなんだ。神様に感謝。卓球やっててよかった。

 明日は「おはよう」の挨拶をするんだ……!!



 「おはよう」を言うシチュエーションをたくさん考えた。シミュレーションもばっちりだった。どんな状況がきても狼狽えずに爽やかにかつ自然に挨拶を交わせる自信があった。

 だが世の中そう簡単に思う通りにいかない。

 その瞬間は予想もしなかった時間に、予想もしなかった場所で、訪れた。

 学校の最寄駅へ向かう電車に乗り、座席はすべて埋まっていたので、そこそこ混んでる車内の適当なところに身を置いてつり革を握った。

 気づいたのは三駅くらい過ぎた頃だ。

 前座ってるの高橋さんやんけ。

 ビビったどころの話ではない。なんで今まで気づかなかったんだ、むしろなんで今更気づいちゃったんだ。隠れたい。今すぐ全力で車両を変えたい。透明人間になりたい。ここに来てからかなり時間が経ってるから、挨拶するのもどうなのか、いやでも純粋に今気づいたわけだし……。なんて考えている間にも時間は過ぎてどんどん話しかけるタイミングがわからなくなっていく。

 俺は脳内で一人暴れまくっていたが、高橋さんは黙々と読んでいる漫画に夢中だった。

 ブックカバーを付けているから何の漫画か見えないけど、これはもしかして話しかけるチャンスなんじゃないのか?

 ヘタレっている場合じゃない、いくんだ俺!

「た、たっかはしさん」

 声上ずってる!

 高橋さんは呼ばれたことに気付き、ふい、と顔をあげ、俺を確認すると、はっとしたようだった。

「石川くん」

「ぐ、偶然。何読んでるの?」

 大丈夫か? 不自然になってないか俺? などと様々な不安が俺の脳裏を駆け巡ったが、高橋さんはそんな俺からすぐに目線を漫画に戻した。相変わらずマスクを装着しているせいで、目でしか表情が読み取れない。

 多分、知らないよ、と前置きして高橋さんはタイトルを読み上げてくれた。本当に知らなかった。

「どんな漫画?」

「卓球」

 その一言で会話が途切れそうだった。

 俺は頑張って、何とか続けようと試みる。

「……昨日のカットとドライブってそれ?」

「そう、話で出てきたんだけど、私違いわかんないからちょっと気になって」

「へぇー、どういうシーン?」

「試合で……。カットVSドライブみたいな……」

「ほぉー、どっちが勝ったの?」

「……カット」

「どんなとこが好きなの?」

「主人公が、主将と、い…」

 漫画から目を離さないでいた高橋さんは何故か言いよどんだ。

「い?」

「…………いろいろとがんばってるところ」

 …………適当感丸出しの返答でもめげないぞ。

「今はどんな場面なの?」

「……夏合宿」

「合宿かー、いいなぁ。俺の部活は……」

「あのさ」

 高橋さんがぎろりと俺をにらみつける。

「これ読みたいから、黙っててくれないかな」

「ご、ごめん……」

 そうだよな、読書の最中にずっと話しかけられたら嫌にもなるよな……。

 そういえば、オタクなんだったこの人。漫画とか人一倍好きなのに、昨日やっと初めて会話した男子よりもそりゃ漫画優先させるよな……。

 俺が一人反省会を開きつつ落ち込んでいると、急に高橋さんの目が見開いた。

「石川くん、いいところに出会った。これはどういう意味?」

「ほえ」

 高橋さんは漫画をこちらに見せながら、ある台詞を指さす。やっぱり卓球用語だった。

「これは……」

 俺の解説が終わった途端に、学校からの最寄駅に着く。漫画をスクールバックにしまいながら電車を降りる高橋さん。

 学校まで一緒に行きたい……!

 人混みの中から高橋さんを見失わないようについていった。

 高橋さんもさすがに歩きながら漫画を読んだりはしないようだ。

 漫画という会話の邪魔者がいなくなった今、このチャンスを逃す手はない!

「あのさ、さ、さっきのってどういう漫画?」

「あれはねー……」

 高橋さんはマスク越しでもわかるくらい無表情だったけど、声は楽しそうに漫画のストーリーを最初から説明してくれた。

 意外と話がうまくて、聞き入ってしまった。口頭の情報だけでも、なんだか面白そうな漫画だった。

 アニメどころか週刊誌で連載が始まったばかりの漫画で、知名度も低いけど、その分まだ二巻までしか出ていないからすぐ追いつけるし気が向いたら読んでみるといい、と勧めてくれた。

「よかったら私貸すし」

「え、いいの?」

 これ新刊だから今すぐは無理だけど、と彼女は付け足して、

「うん。布教布教。これ好きな人が増えるのは嬉しいから。そして自分で買ってしまえ」

「はは、じゃあ思い出したら持ってきてよ」

 俺がふにゃりと笑うと、高橋さんも笑った。どきっとした。

 おはようの挨拶はできなかったけど、一緒に登校できた。

 その嬉しさだけで、俺はきっと空も飛べるだろう。





 あれから俺は高橋さんと順調に親密度を上げて行っている。

 おはようとばいばいは毎日言えるようになった。休み時間に世間話をすることだってある。俺にしてはなかなかの進歩だ。

 あの日、一緒に登校してから一週間経ったある日。

「はい、これ」

 朝のHR前に、高橋さんが何かが入った青いビニール袋を渡してきた。

「?」

「卓球の」

「あ、貸してくれるの? ありがとう」

 遂に漫画を貸してくれた! これで話題が増える! ちゃんと読んで、語り合えるようになろう……!

「そんなに楽しみだった?」

「へっ」

「すごく嬉しそうな顔してる」

「えっ、マジで。何か恥ずかしいな」

 顔に出てた。慌てて右手で顔を押さえる。

「いいよ、隠さなくて。かわいい」

「ほ」

 かわいい……とな。喜ぶべきか?

 俺を見ながらくすりと笑うあなたの方がよっぽどかわいいですよ。

 なーんて言えるわけもない。どういう反応したらいいかもわからないまま黙ってしまった俺を見て高橋さんはさらに微笑んだ。

「石川くんはかわいいよ。……漫画、返すの急がなくていいからね」

「あ、そうなの、ありがと……」

 う、嬉しくねぇ……。

 いや! 嫌われてるよりはいい評価だと思おう!

 ポジティブ!!



 その日の選択芸術の時間。書道と美術を選べるのだが、俺と高橋さんは同じ美術選択だった。高橋さんと同じなら、美術選んでよかったな、なんて思ってしまう俺は単純だろうか。

 有名絵画の模写ということで、みんなで図書室に行って、見本にする絵画を選ぶことになった。

 適当にぱらぱらとめくった本から、お気に入りを早々に決めてしまった俺は、そのレンブラントの画集を持ちながら、低い棚の前でしゃがみこんでいる高橋さんの横に立った。

 高橋さんは目だけでちらりとこちらを見る。

「もう決まったの?」

「うん。高橋さんは?」

「悩み中」

 こんな自然に会話がスタートするくらいには俺だって進歩したんだ。心の中でひっそりとガッツポーズ。

 しみじみと感じていたら口が滑った。

「そういえば、高橋さんって中学の頃オタクだったの?」

「………………」

 軽い話題の一つのつもりだったが、無言を受けて初めて自分の失言に気づいた。

 見た目変えたくらいだからきっと黒歴史だったろうに、ってわかっていたはずなのに、そんな過去を聞けるほど仲良くなっていたと自惚れてしまっていた。

 やばい。

 嫌われる。

「………誰から聞いたの」

 思わず目をつむって身構えていると、高橋さんは小さな声で尋ねてきた。

「も、森山……」

 恐る恐る答える。

 何をされるわけではないのだろうが、友達を売っているような気分だ。

「……ひいた?」

 その声は怒っているものでも邪険にするものでもなかった。

 森山からこのことを聞いた時も同じ質問が返ってきたのを思い出す。

 高橋さんはうつむいていたので、その表情をうかがい知ることはできなかったが、何故か俺には彼女が怯えているように見えた。

「……別に、」

 趣味って人それぞれだと思うよ、と続けると高橋さんはほっとしたような表情を作った。

 …………どうやら嫌われるポイントには入らなかったらしい。

 よかった……。

「あの卓球の漫画」

「はい」

 話し始めた。俺は聞き役に徹することにする。

「主人公が主将とめっちゃ仲いい。とても萌える」

「もえますか」

 漢字は分からないけど、たぶん、草冠の方だろう。

 そうだとしても、萌えポイントが全くわからない。

「そう。ライバルのツンデレも捨てがたいけど、やっぱ王道が好きだな。主将×主人公」

「うん?」

「主人公受けは至上」

 ×……受け……。聞いたことのある単語だ。

 ……よく姉貴がそんなことを言っている。

 すごく嫌な予感が俺を襲う。

「高橋さん……」

「なんだろうか」

 心なしか口調が変わっている。

「聞きますけど……、いやあんまり聞きたくないんだけど……」

 俺は額に指をあてて眉をしかめながら、


「もしかして、腐女子?」

「そうだよ」


 即答。

 趣味は人それぞれと言ったのは確かに俺だ。

 高橋さんが腐っているからと言って、俺の恋が散るわけではないけれども。

 そういうわけではないんだけれども。

 だがしかしはうえばー。

「……あんまりそうは見えないね」

「隠してるからな」

 やっぱり話し方が変わっている。

 秘密を教えてくれた喜びと、知らなくてもよかったんじゃないかという苦しみの板挟み。

「誰かに語りたかったけど、ウチのクラスパンピーばっかりだから」

「ぱんぴ?」

「一般ピープル」

 聞きなれない単語にクエスチョンを浮かべると、親切にも教えてくれた。

 ……教えてくれたが……。

 …………俺もそうなんですけど…………。

「石川くんは……なんか言っても大丈夫な気がした。友達誰もあの漫画知らないし、借りもしてくれないから」

 高橋さんはこっちを見てマスクの向こう側でにこりと笑った。

 その笑顔に、俺は弱い。

「石川くんが読んだら、語れるし。これ言っとけば、そういう話も聞いてくれそうだったからな」

 そりゃ話されたら俺は問答無用で聞くだろう。

 これが惚れた弱みってやつか。

「そういうところ、かわいい」

 高橋さんは再び本棚に向き合って画集を選び始める。

「その、かわいいっていうのは……」

「ああ」

 再び本棚から顔を上げた高橋さんは俺を指さして、


「断言しよう、君は受けだ」


 そして森山と付き合っているだろう、と誇らしげに付け加えた。


 俺の初恋の相手は、腐女子。

 しかも、俺をホモだと思っている。


 なんだろう、仲よくなれたはずなのに、逆に遠ざかっている気がする……。

 こんなマイナススタートってあるのかよ……。



 なんだか、今日は普段より余分に疲れた気がする……。

 いつもは帰宅後真っ先に食べる夕ご飯をスルーして、俺は二階にある自室に直行した。そしてベッドにダイブ。

 鞄を床に置くとドスン、と重そうな音がした。

 何か入ってたっけ……。

 あぁ、そうだ、高橋さんに漫画借りたんだった……。

 高橋さん……。


 君は受けだ。


 あぁぁああ!! やめろやめろ! 思い出すな、俺!!

 ベッドの上で頭を抱えて両足をじたばたさせていると、ガチャリと部屋のドアが開いた。

 姉貴がゴキブリを見るような目でこちらを見ている。

「ちょっと何してんの? ゴキブリのマネ?」

 本当にゴキブリだった。

 俺はむくりと起き上がる。

 思春期の少年の部屋なんだから、ノックくらいしてもらえませんかね?

「そんなことより、ご飯食べないからお母さん心配してるよ。早く降りてきな」

 俺はしぶしぶ食卓へ向かう姉貴の背中についていく。

「なぁ、姉貴……」

「なんだい、弟よ」

「俺、受けっぽい?」

 姉貴は立ち止まって満面の笑みで振り向くと、急に俺の頭をわしゃわしゃとかきまぜて、

「お前に攻めは百年早い!!」

 と、勇者を舐め腐った戦闘前の魔王のように爆笑した。

 それから夕飯の席では始終好きなやつができたのか、どんなやつだ、お前より受けっぽいのか、などなどの散々な質問攻め。もちろん、ここでいう好きなやつの性別は女ではない。

 俺はなるべく軽く流したつもりだったが、姉貴はその反応が殊更に面白いみたいで、テレビの音が聞こえなくなるくらい笑い続け、ついに父さんに叱られていた。



 風呂上りに借りた漫画を読んでみたところ、なるほど普通に面白かった。

 熱いスポコンものだった。一見地味そうな卓球も、こうやって見てみるとやたらとかっこいいスポーツのようだった。

 試合シーンも好きだけど、主人公と部長の掛け合いが面白くて好きな感じだなー。そういえば、高橋さんもそんなこと言ってたっけ。

 そしてこの部長の話し方……。

 確か、腐女子発言をした時の高橋さんと同じ……。

 きっと、高橋さんはこのキャラが好きなんだろうな……。

 つくづく、腐女子とかオタクとかいうものを感じる。身近に姉貴というサンプルがいるからか、耐性はある。うん。大分前、姉貴も好きなキャラが変わる度にころころ喋り方が変わっていた気がする。

 そうだ、俺、姉貴にも攻めは無理って言われて、高橋さんに森山と付き合ってるだろうとか言われて……。

 攻めって、男女でいう彼氏、だよな。確かに森山の方が男らしいしかっこいいけどさ……。

 …………。

 …………。

 受けって、男女でいう彼女で、好きな人にそう思われてる俺って……。

 でも、さすがに受けって言っても、女の子相手にはちゃんと攻めになれてるよな……?

 …………。

 …………。

 …………。


 高橋さんの中で俺はいったいどこにいるんですか……?





「そう、私が好きなのは部長。よく分かったな」

 翌日、朝のHR前に、俺は高橋さんに漫画を返すついでにそれとなく聞いてみた。

 この日、高橋さんは珍しくマスクをしていなかった。

「喋り方で……」

「あっ」

 高橋さんは手を口にやってから、罰が悪そうに目をそらした。

「ごめんね、つい。いつもは隠してるんだけど、なんだろ、気許しちゃうと、どうしても喋りたい方で話しちゃうからさ」

 その口調は女の子そのもの。恐らくこっちが本当の高橋さんの言葉なんだろう。

 高橋さん的には、キャラ口調で喋ることは好きだが痛々しい行為だと思っていて、楽しいんだけど同じ趣味の人間の前でしかできないそうだ。

 というか、気許しちゃうって、それって、

「嫌だったら、直すよ?」

 上目遣いで不安そうに俺を見上げてくる高橋さんに俺は慌てて否定する。

「い、嫌じゃない、よ!」

 俺別にそういうの気にしないし、と付け足すと、高橋さんは安心したようにふわりと笑った。

「そうだよな。言われてみりゃ、腐ってるって知ってまだ仲よくしてくれてるのに、今更話し方云々でごちゃごちゃいうわけないか」

 ありがとう、とその笑顔できっと俺は何をされても許してしまうのだろう。

 あぁ、やっぱりかわいいんだよなぁ……。

 好きなキャラの話し方に戻って、高橋さんは話を続ける。

「それで、石川くんは好きなキャラとかできたのか?」

「あ、やっぱ、主人公が好きかな」

「分かる! ドライブめっちゃかっこいいもんな」

 スマッシュが一番だけど、と彼女はスマッシュを打つふりをする。

「一度見てみたいんだよ、卓球部の男子高校生! あ、いや、目の前にいるんだけどな」

 はは、と高橋さんは男の子のように笑った。そんな笑顔もあるんだ。

「試合見たいなぁ。観客として今度公式戦行ってみようかな」

 卓球の公式戦に想いを馳せて目をキラキラとさせる高橋さん。

 そんな彼女を見て、俺も何か力になれないかなと考えあぐねていると、ふと閃いた。

「じゃあ、見てみる?」

「へ?」

「今日、体育男女合同で卓球じゃん。多分、俺森山と卓球してるから」

 横で見てれば、と言うと、高橋さんはぐわっと距離を詰めてきた。

「ホントか!? いいのか!?」

 目をきらきらさせて、今にも胸倉に掴みかかってきそうな高橋さんをどうどうと手で制しながら、

「ほんとほんと」

 あんな漫画みたいにはいかないけど。

「やった!! 石川君ってすげーいいやつだな!!」

 ぴょんぴょんと跳ねる高橋さん。

 好きな人にこんなに喜んでもらえるなんて、自分が卓球部だったことをこれほどまで感謝したのは初めてだ。



「それで横に高橋がいるわけだな」

 体育。予想通り森山に誘われ、卓球台を挟んで森山が高橋さんをちらりと見て軽く溜息をついた。

「別にいいだろ?」

「邪魔はしないから」

 高橋さんは無表情で森山の方に軽く手を振った。

「なんなら得点板くらいはやるよ」

「いいよ、勝負とかしないから」

 森山は高橋さんに返事をしながらサーブ体勢に入る。俺も腰を落とした。

「とりあえず、本気でやればいいんだろ?」

「あざっす」

 森山はカットマン。対して俺はドライブが得意。

 漫画の中で大きく取り上げられていた対決。

 そこそこでもいいから、楽しんでくれれば嬉しいな。



 公開卓球の効果は絶大だったようで、部活のない本日、かつ森山が下校に誘ってこなかった本日、なんとなんと。

 高橋さんと一緒に帰ることになりました。

 というわけで、ただ今一緒に学校から駅に向かって歩いているわけです。

 最初は会話が途切れないかひやひやしたけど、思った以上に高橋さんが喋るので、あの、その、うん。

 俺今死んでもいいかもしんない。

 嘘うそ。告白もしてないのに死ねない。

 つまり好きな人と一緒に下校しているという状況は、俺にとってそれくらい心臓にくるものだった。

「森山カットマンだったんだな! すごかったよ、長期戦!!」

 しかしいかんせん他の男の話をしているのはいただけない。とはいっても俺は彼氏でもなんでもないので、そんなことを言う権利はないわけで。

「あいつの戦い方ねちっこいから俺はあんま得意じゃないんだ」

「確かに石川くんは三球目攻撃?だったもんな! サーブして返ってきたらドン!みたいな! しかもドライブだし! 超感動したよ!」

 かっこよかった! なんて言われてしまえば、単純な俺はすぐに舞い上がってしまう。

 遂に、かわいいからかっこいいにランクアップ……!

「それにしても……」

 ん……? 高橋さんの声のテンションが急に低く……。

「やっぱ森山×石川って萌えるな」

 さっきとは異なる光を持った瞳で俺に「ね?」と同意を求めてくる高橋さん。

「ナニヲオッシャッテイルノカワカリマセン」

 死んだ魚の目になる俺。そんな俺を気にも留めず高橋さんのマシンガントークは続く。

「あんなこと言った私の前でわざわざ森山チョイスなんて、サービス良すぎて鼻血出るかと思ったぞ。卓球に集中したかったのに、二人がいちゃいちゃしながら打ち合うもんだから、顔がにやけないか必死だったんだからな」

 おこ! とか言いながらぷくぅと頬を膨らましている。かわいい。

 ………………。

 ………かわいいんだけどなぁ。

 言ってることがなぁ。

「いちゃいちゃの意味が分からないデス……」

「そのまんまだけど?」

 高橋さん曰く、女子の前では割とクールな森山が石川くんの前ではあんなに砕けた感じになるなんてやばい、だそうだ。

 正直に言おう。

 聞きたくない。

「高橋さん」

「なんだね」

 仕切り直しのような雰囲気を出す俺に高橋さんも合わせる。

「俺は男です」

「知ってるが?」

「森山も男です」

「そうだな」

 ここまでは大丈夫。


「だから付き合ってません」

「だから付き合ってるんだよな?」

 

 やべー、なんだこの接続詞の使い方の違い。真逆じゃないか。どうなってるんだ、どっちの辞書が正しいんだ。いや俺が正しいはずだ。腐女子の有り余っているおかしな自信に騙されるな。

 俺が反撃の糸口を探していると、高橋さんは突然暗い表情になり、小さい声で、ぽつりと呟いた。

「………やっぱ、控えた方がいいよな、こういうの」

 そりゃできればそうしてほしいですけど、そんな深刻そうな顔で言うことじゃない。

「私さ、中学の頃はオタク全開で今みたいに隠したりしてなくて……って森山に聞いたんだっけか」

 高橋さんは両手を背中で組んだ。

 ぽつり、ぽつり、と重い雰囲気を抱えたまま喋り始める。

「中学時代は、他人にどう見られるかなんてどうでもよかったの」

 高橋さんの素の言葉遣い。趣味はあれだけど、やっぱり普通の女の子だな、と改めて思わされる。

「……でも、好きな人ができて、変わろうと思った。私なりに頑張っている最中に、その人が私のことキモイって悪口言ってるの聞いちゃって。告白なんてしないまま、高校行ったら見返してやろうと思って、いま」

 そして俺の方を見てにひっと笑った。

「でも、石川くんはそんな私を知っても、仲良くしてくれてる。すっごく嬉しい」

 俺は足を止める。

 笑いながら先を歩く高橋さんの小さな背中に少し大きめの声をかけた。

「俺は、たとえ中学生の時に高橋さんに会っていたとしても、性格がそのままなら、きっと友達になっていたと思うよ」

 高橋さんは立ち止まって振り向いた。

「今みたいに」

 まっすぐと高橋さんを見ると、彼女は俺に近づき、ぱすん、と俺の腹を軽くグーでパンチした。

「ばーか」

 その顔を隠すマスクはない。

 照れたような、嬉しそうな顔ではにかむ彼女に、俺は三度目の恋をした。



「結構頑張ったんだけどさ、まだ理想にはなれてないんだよ」

 俺たちは並んでまた駅へと歩き出した。

 高橋さんは漫画の部長のような喋り方。無意識なのか意識的なのか、ころころと口調を変えるのが楽しいようだ。

「して、理想とは?」

 俺は彼女の話題を拾い上げる。

「まず黒髪ストレート」

 肩でゆるふわパーマしておりますね。セットしているのかと思ってたけど。

 俺の目線に気づいた高橋さんが、毛先を指でいじる。

「これ寝癖なんだ。いつも寝坊して直す時間がない」

「まず早起きからだな」

「うっせえ」

 ひひっと笑いながら肘で俺の脇腹を突いてくる高橋さん。俺も笑って受ける。

「で、スカート短くして」

「すりゃいいじゃん」

「足が太いんだよ、察しろ!」

 べしり、と頭をチョップされる。

 理不尽な暴力だ、と不満を漏らしたが無視された。

「あとはCカップあれば完璧だな!」

「あぁー……」

 俺は思わず切ない胸元に目をやってしまった。

「あぁ、じゃねぇよ! どこ見てんだ!」

「自分が話ふってきたくせに!」

 なんて、たくさん笑いながら一緒に帰った。



 これってはたから見たらカップルっぽくね?

 電気を消してベッドに潜ったのはいいものの、今日の下校を思い返していたら興奮して眠れない。

 俺すごくない? これかなり距離縮まってんじゃないの? めっちゃスキンシップしちゃったしさ! やばいやばい!

 きゃーきゃーと布団の中でごろごろと左右に転がる。

 明日も学校あるし! こんなに登校楽しみなのっていつ以来? いや初めてなんじゃねぇの!?

 あぁ! 日曜日が憎いったらない!!





 一緒に下校したことを思い出して、脳内でスキップしているうちに眠ってしまったらしい。

 目を覚ますと学校の屋上。あれー、ここって立ち入り禁止じゃなかったっけ?俺入ったことないんだけどな。

「こんばんは」

 頭をかいていると背後から高橋さんの声がした。

 この青空には相応しくない挨拶だ。

「高橋さん?」

 振り向くと、高橋さんそっくりの顔をした、制服姿の女生徒が立っていた。

 顔はそっくりだけど、真っ直ぐで長い黒髪、短いスカートからのびる細い足、高橋さんより大きな胸。

 ……って、これって……。

「そうだよ、私はあの子の理想の私」

 なるほど、高橋さんの理想はこういう女の子か。

 自分で思い描いている理想だけあって、なかなかかわいい。

 いやそうじゃない、なんで彼女の理想が目の前に立っているんだ。そもそもなんで俺は屋上にいるんだ。

 冷たい風が通って、彼女の髪がなびいた。

「あの子のオモイが激しすぎて、私が作り出されたの。で、君は巻き込まれた」

「巻き込まれた?」

「私と勝負しない?」

 なんでかな、この子、俺の話を聞いてくれない。

「君が私をオトせるかどうか」

 …………いろいろと待ってよ。

 ツッコミどころ多すぎるだろ、俺はこれに全部つっこんでいかなきゃいけないの?

「待って、待って。巻き込まれたって何?」

「君が一週間以内に私と付き合えたら、君の勝ち。できなかったら私の勝ち」

 お願い、話を聞いて。質問に答えて。

「君が勝ったらこの夢の世界から脱出できる。私が勝ったら現実の君は眠ったまま死ぬ」

 え、死ぬの?

 俺死ぬの? 

 何? 

 どゆこと? 

 ここってどこなの?

 夢じゃないの?

「じゃあね」

 明らかな説明不足。

 何もわからない俺を残して彼女は屋上から飛び降りた。

「え!? ちょっ!!?」

 安否を確認するため、彼女が飛び立ったフェンスへ俺は駆け出した。



 はっと気づくと、ベッドの上だった。目覚まし時計が鳴り響き、カーテンの隙間から朝日がこぼれている。

 夢………か。

 眠ったまま死ぬ、とか言われたけど、ちゃんと起きたし、何より生きてるし。

 やっぱあれはただの夢だな。

 大体、高橋さんと付き合うか死ぬかってデッドオアアライブが過ぎるだろ。難易度が高すぎて選択肢もクソもあったもんじゃない。

 …………確かに昨日はいけるとか思ったけどさ。

 俺は目覚ましを止め、朝食を食べに一階へ向かった。



 ………ウソだろ。

 教室に着いた俺の目に真っ先に入ってきたのは、隣の席に座るクラスメイト。

 そこ以外はいつもと変わらない光景。ただ一つの違和感。

 それはいつもなら、昨日までなら、高橋さんのはずだった。

 でも今座っている子も、きっと高橋さんだった。

 その子は俺と目が合うと、俺を三度の恋に落とした笑顔で、言った。


「石川君、おはよう」


 彼女の、黒髪のロングストレートが、さらりと流れる。

 夢に出てきた、高橋さんの理想の高橋さんが、そこにいた。


「なんでお前がここにいる!?」

 声にはならなかった。

 俺は思わず無言で高橋さん(仮)の腕を掴んで走り出した。

 クラスの何人かがそんな俺らを指さしていた。



 人気のない場所といえば屋上だが、やっぱり屋上の扉は鍵がかかっていた。

 仕方がないからその手前の階段で話すことにする。

 高橋さん(仮)は大人しく俺についてきて、今も大人しく俺の目の前に立っている。何か知っているのは間違いないだろう。

 ………何から聞けばいいのか分からないが、一番に口をついた言葉。

「君は誰なの?」

 俺の質問に対して、彼女は不思議そうな顔をした。

「私は高橋だよ」

 そして一言付け加える。

「理想の」

 …………だよね。

 意味深な台詞に、俺の頭はどんどん混乱していく。

「屋上で君と話したのは夢じゃなかったってこと?」

「夢だよ」

 んんんんんん?

 ますます意味がわからない。

「言ったでしょ? これは勝負。一週間以内に君が私と付き合えたら君の勝ち。できなければ私の勝ち。君は負けたら死ぬ。眠ったまま目を覚まさない」

「ここはどこなんだ」

「だから夢だって。現実の君は寝たままで、勝負に負けたらここから出られない、つまり夢から永遠に目覚めないってこと」

 そんなファンタジーみたいなことが、

「あるんだよ。だから現に私がここにいるんでしょ」

 確かにそう言われてしまえばぐうの音も出ない。実際問題、ここに俺の知る高橋さんはいないのだから。

「君はあの子の願望に巻き込まれた可哀相な人だから、こうして親切に脱出方法を教えてあげてるんじゃない。私をオトしたら目が覚めるって」

 事の張本人から「私を貴方に惚れさせて」と言われるとはなかなか複雑な気分だ。

 俺が高橋さんのことを好きなのを知っててそういうことを言っているのだろうか、この高橋さん(仮)は。

「私は、君のことをここに閉じ込めたいとも助けてあげたいとも思ってない。純粋に私が君を好きになったって思ったら、君は目を覚ますはずだよ」

「俺はどうすればいいんだ……?」

「だから、今日から一週間以内に、私にアタックして、私をオトして」

 無理! 無理無理無理!! 絶対無理!!!

 不可能に自信を持つ俺の反応を見て、高橋さん(仮)はふいと目をそらした。

「そんなに嫌がらないでよ。別に両思いになる必要はないからさ」

 …………?

 俺は高橋さん(仮)のこの台詞に違和感を覚えた。

 もしかして、高橋さん(仮)は俺がすでに高橋さんに惚れていることを知らない……?

 そんな疑問が顔に出ていたのか、何か質問ある? と高橋さん(仮)が不思議そうに聞いてきた。

 とはいえ俺が高橋さんのこと好きって知ってる? なんて聞けるわけない。

「高橋さんの願望ってなんなの?」

「理想の自分になることだよ」

 実現不可能な、ね。と彼女は悲しそうに笑った。



 日付を確認すると、なんとめちゃくちゃなことか、高橋さんの腐女子発覚の前日だった。ということは、明日も同じことが起こるのだろうか? だって高橋さん以外は現実と何一つ変わらないんだ。

 とにかく、この世界の高橋さん(仮)のことを知らなければいけない。

 なにしろ彼女の理想については見た目しか情報がないのだ。内面的な理想も含まれているかもしれない。外見を変えてしまう程だ、性格とか、他の部分にコンプレックスがあってもおかしくはない。

 そういう意味で、中学時代や趣味を話す時の彼女の暗い雰囲気はとても引っかかっていた。

 というわけで、昼休み、俺は隣のクラスの森山とわざわざ飯を食うことにした。

 同じクラスの奴にも聞こうと考えたが、まだ四月半ばで彼女をよく知る人がいるとも思えないし、彼女の元クラがいるかもしれないが、正直誰が元クラか分からない。

 どちらの教室でもなく、購買の前にあるラウンジで野郎二人、弁当を突き合わせていた。

 お互いが弁当箱を開くのと同時に俺は話し始めた。

「森山ってさ、高橋さんと中学一緒だったんだろ?」

「なんだよ、それ前も聞いただろ」

 そうだ、この質問前もしたわ。こんな夢(?)の中に入る前だった。そこの記憶は引き継がれるんだな。

 ということは、こいつは俺が高橋さんを好きなことを知っているのか。

「そうだっけ、ごめん、もう一回教えて」

「別にいいけどさ……」

 好きな人の情報をそう簡単に忘れるわけないだろ。

 森山もそう思ったのか不思議そうに俺を見てくるが、出てきたのは予想と全く違う言葉だった。


「なに? お前高橋のこと好きなの?」


 あれ?

 俺、カミングアウトしたよな?

「う、うん、隣の席になって気になっててさ……」

 思わず曖昧に誤魔化してしまった。のは、森山が顔を少ししかめていたからだ。俺が高橋さんを好きだと何か不都合なことでもあるのだろうか。

「ふーん、まぁ別にいいけど」

 少し思いを巡らせている俺に森山は興味をなくしたようだった。

 俺がおにぎりを口いっぱいに頬張ると、リスみたいだ、と森山は笑った。

「中学ん頃の高橋はー……」

 話題を戻した森山は、記憶を呼び起こすように視線を上にやる。

 森山の考えがまとまるのを待ちながら以前と同じ返事を予想する。

 やっぱりオタクだったのだろうか。漫研とかに入っているような。

 しかし森山の回答は俺の想像とは全く異なるものだった。


「スクールカースト上位だったな」


 なんだと。

 お前、前も聞いてきただろとか言いながら、前と言ってること全然違うじゃないか。

 驚きを隠せなかったが、森山は弁当を食べながら話を続ける。

「うまく言えないけど、わかるだろ? イケイケっていうかさ。俺もそんなクラスの隅っこにいるような感じでもなかったけど、高橋と同じグループってわけでもなかったからあんま絡みはなかった。学校行事では仲良くしてたくらい」

 言いたいことはわかる。

 何なら小学校からカーストがあることをなんとなく理解していた。気の強い女子がいつも一番上にいる。

 卵焼きをつまみながら、森山はちらりと俺を見た。

「今だって、クラスのカースト高い女子が結構いるソフテニに入ってるだろ」

 ソフトテニス部? 嘘だろ?

 バリバリの帰宅部だったじゃないか。毎日帰りのHRが終わると誰よりも早く教室を出て行ってるのを見ていたし、何より俺の部活が無い日に一緒に帰ったことを忘れるわけがない。

「ってか、高橋好きになるとか大変だぞお前。あいつモテるからな、競争率高いんじゃねーの?」

 嘘だろ。

「それは嘘だろ」

 二回言ってしまった。

「なんでそこ疑うんだよ。普通に可愛いじゃん、高橋」

 と、森山は笑って俺の後ろを箸で指した。

 振り返ると遠くの方に数人の女子に囲まれて笑顔で昼食中の高橋さん(仮)。

「可愛いな」

「だろ?」

 やはり興味なさそうに、森山は白米を口にかっこんだ。



 “普通に可愛い”ですって。

 そんなことは知ってますよ。

 彼女に恋した俺が誰よりも知ってますよ。

 顔は現実と何一つ変わってないのに、こんなにも周りの評価が激変するものなのか。俺からしてみれば、高橋さん(仮)は、高橋さんが夏休み後にイメチェンした姿みたいだった。

 変わったことと言えば、クラス内での立ち位置、部活。

 そして趣味。

 高橋さん(仮)はやはり趣味まで変わってしまったのだろうか。

 それとも中学時代は表に出していなかったことになっているだけなのか。

 午後の授業は全く頭に入ってこなかった。何回も高橋さん(仮)をチラチラと見てしまった。まぁ、これはこんな世界に入る前もやっていたことだけど。しょうがない、片思いしてるんだから。

 あと考えなきゃいけないのは今日の日付だ。

 明日は高橋さんが俺に漫画を持ってきてくれて、選択芸術の時間に高橋さんが腐女子だと発覚した日だ。

 時間割は一緒だから、選択芸術の時間は絶対やってくるが、この世界で不確定要素は高橋さん(仮)だ。森山との会話も高橋さん(仮)関連のことだけ食い違った。

 現実世界で過ぎ去った日だとしても、同じことがここでも起こるとは限らないし、おそらく漫画は貸してくれないだろう。そんな約束をここの高橋さん(仮)としているとは思えない。

 そもそも高橋さん(仮)と俺の関係がつかめない。仲がいいのか、現実世界ほど良くはないのか、高橋さん(仮)は俺のことをどこまで知ってて、俺にどこまで気を許しているのか全く分からない。

 現実世界とリンクしているのなら、日付的に高橋さん(仮)と俺は一緒に登校した経験があるということになるが、森山の反応を見る限り、高橋さん(仮)に関わることは俺の知識と食い違うことが多いようだから、恐らく、現実であったことを前提に行動するのは危険だろう。

 あまり喋らないクラスメイトとしてから接して、だんだん仲良くなっていくのが一番無難なのかな。

 そう言葉で表現できても、頭では理解できていても、結局具体的にどう行動すればいいかはわからない。

 なんにしても最終的には残り一週間で高橋さん(仮)に告白してオーケーを貰わなければいけないのだ。

 右も左もわからない初恋なのに、短すぎるタイムリミット。

 やらなきゃ死ぬらしいのだから、やるしかないのだけれど。

 ため息だらけの帰りのホームルームが終わって、とりあえず一言くらい話しかけないと、とありったけの勇気を振り絞って近づこうとしたものの、高橋さん(仮)はあっという間に女子に囲まれて部活へと行ってしまった。

 虚しさが立ち込める俺を、森山が部活に行こうと迎えに来てくれた。



 卓球場がある校舎とテニスコートはなかなか近い。

 部活が終わった帰り道、夕日が沈みかけている中、校門で高橋さん(仮)とばったり出会った。

「あ……」

 何か言おうと思った。バイバイ、くらい。

 しかし、高橋さん(仮)も部活帰りのようで、同じ部活であろう女子三人と一緒に歩いていて、とても声をかけられるような距離ではなかった。高橋さん(仮)も俺に気づかない。

 上げかけた手を下げると、隣にいた森山にどつかれた。

 タイムリミットまであと六日。




 なかなか眠れないまま次の日になってしまった。

 朝のHR前、高橋さん(仮)は俺に話しかけてこなかったし、卓球の漫画を貸してくれなかった。漫画の内容は覚えているんだけどなぁ。

 そのまま選択美術の時間になってしまった。やっぱり内容は同じで、有名絵画の模写だった。図書室にみんなで模写する絵画を探しにいく。俺は現実でもそうしたように、レンブラントの画集を選んで、本棚の前にしゃがみ込んでいる高橋さん(仮)の横に並んだ。

 高橋さん(仮)は俺をちらりと見る。

「もう決まったの?」

「うん。高橋さん(仮)は?」

「悩み中」

 前と同じ会話。確かここで俺はうっかり高橋さんの中学時代に触れちゃったんだよなぁ。

でも、この高橋さん(仮)の中学時代はオタクじゃない。

「高橋さん(仮)ってさ、漫画とか読む?」

 もとは同じ高橋さんなわけだし、森山が知らないだけで、趣味は同じなのかもしれない。

「んー、そうね、少年漫画とか、読むかな」

「そうなんだ」

 ん? 少年漫画?

 これはもしかすると、もしかするのか?

「じゃあ、あの漫画知ってる?」

 と、俺は高橋さんから借りた漫画のタイトルを読み上げる。

「えっ」

 高橋さん(仮)が急に俺の方へぐるんと顔を向け、目を輝かせ始めた。

「知ってるの? あれまだ単行本二巻しか出てないし、本誌で少し人気あるだけなのに!」

 それを教えてくれたのは高橋さんなんですけどね。

 高橋さん(仮)は俺と高橋さんの関係をよく知らないんだな。

 いちいち現実の高橋さんの話をするのも野暮だろうと、俺はそのまま話を進めることにする。

「うん、単行本二巻読んだよ」

「そうなんだ、誰好き?」

「主人公かな。高橋さん(仮)は?」

「主人公か! わかる、かっこいいもんね! 私は部長が好き!」

 高橋さん(仮)の目は輝きっぱなしだ。

 うーん、この高橋さん(仮)も、腐女子だったりするのかな。

 ちょっとかまかけてみるか。

「部長と主人公って仲良いよね」

「…………っ」

 高橋さん(仮)の動きが止まった。

 嘘だろ。腐ってるのか? そうなのか?

「石川君も、そう思う……?」

 石川君「も」。怪しいぞ。

 とりあえず同意して反応をみよう。

「思うかな~」

「そっか~、そうなんだ~、もしかして石川君ってさ~……」

「ん?」


「腐男子なの?」


 んんんんんんんん!!!

 そうなるかぁ! そうくるかぁ!!

 ホモの次は腐男子かなぁ!?!?

 高橋さんの中で俺の立ち位置はいったいどこなの!?

 荒ぶる感情という感情を抑え込んで、

「……違うよ……」

 なんとか声を絞り出す。

「あ、そうなんだ」

 途端に寂しそうな表情になる高橋さん(仮)。

「…………逆に、高橋さん(仮)は腐女子なの?」

 恐る恐る聞いてみると、

「……………………」

 高橋さん(仮)は動かない。

 無言は肯定と受け取れそうな状況で、これは確定だ。

「…………俺、姉ちゃんが、腐女子なんだよね」

「えっ」

 だから大丈夫だよ、と警戒心の強い野生動物に優しく話しかける気持ちで笑いかけると、高橋さん(仮)はゆっくりと頷いた。

「うん、そう、腐ってるんだよね、私……。引いた………?」

 おそるおそるこちらを様子見る高橋さん(仮)。

「別に、趣味って人それぞれだと思うよ」

 前と同じセリフを言う。その時と同じように、高橋さん(仮)もほっとした表情になった。

 こういうところで共通点を見つけると、やっぱり高橋さんなんだなぁとしみじみ思う。

「ふふ、ありがとう。ね、今日のお昼一緒に食べない?」

 漫画の話とかしたい!と高橋さん(仮)は眩しすぎる笑顔を俺に向けてきた。

 よっしゃあああああああああ!!!

「うん、いいよ」

 心の中でかますやかましいガッツポーズを悟られないように、穏やかに返事をした。

「やったぁ」

 ふわりと笑う高橋さん(仮)は本当にかわいい。

 同じクラスだが、みんなの前で二人弁当を突き合わせるのは恥ずかしいということで、ラウンジで食べる約束をして、俺はその場を去った。



 そういうわけで、昼休みまでの授業は全然頭に入ってこなかった。

 なんてったって、好きな人と二人っきりでお昼ご飯だ。もうこんなのデートだよ、デート。

 そして今、高橋さん(仮)と俺は向かい合って弁当を広げている。

 高橋さん(仮)はカラフルな弁当をつつきながら、好きな漫画について一生懸命語り始めた。

 ……もちろん、腐った話もこみこみで。

 俺がこの前に教えてもらった卓球漫画だけではなく、他にもおすすめの漫画がたくさんあるらしい。勧めてくるだけあって、俺みたいな男子高校生が読みそうなジャンルの漫画のストーリーを話す。高橋さん(仮)は話すのも上手だし、何より彼女の楽しそうな顔を見ていると、俺も人並みに漫画は読む方なので、中古で買ってみようかなと思ったりする。

 高橋さん(仮)が一通り話尽くし、昼飯もそろそろ無くなってきた頃に、高橋さん(仮)はふぅ、と一呼吸おいた。

「石川君って聞き上手だね」

「そんなこと初めて言われたよ」

「ううん、ほんとに話してて楽しいもん。今まで学校の誰にも腐ってるなんて言えなかったし、こんなに趣味の話できなかったから、今すごく嬉しい」

 ふにゃり、と笑う高橋さん(仮)は本当にかわいい。森山曰く、この高橋さん(仮)はモテるらしいから、こういうさりげない一瞬一瞬で、これまで多くの男子を恋に落としてきたんだろう。

「自分の好きなことの話ってこんなに楽しいんだねぇ。初めて知ったよ。聞いてくれる人がいるってこんなに幸せなんだねぇ」

 ほんとにありがとう、と高橋さん(仮)は、ふかぶかと頭を下げた。

「いやいや、話聞いただけでそんな頭なんて下げないでよ」

 あはは、と俺が笑うと、高橋さん(仮)も一緒に笑ってくれた。

 好きな人と一緒に食べるご飯がこんなにおいしいなんて、俺こそ初めて知ったよ、ありがとう。と、本人に言えるわけもないので、心の中で小さくお礼を言う。

 いつか、夢とか理想なんかじゃなくて、現実のそのままの高橋さんと、そういう仲になれたらいいな、なんて願いながら。



「お前、今日高橋と昼飯食ったの?」

 部活が終わり、いつものように森山と二人で帰っていると、ふいに森山が口をついた。

「ん、んんんっ、そうだけど」

 突然のことで少し動揺してしまったが、森山には俺が高橋さん(仮)を気になってることを言ってあるし、多少のことはばれても大丈夫なはずだ。

「なんで知ってるの?」

「昼にラウンジ行ったらお前らが飯食ってるの見えたんだよ」

 なるほど。

「やったじゃん。高橋って中学じゃ高嶺の花みたいな存在だったし」

「そうなんだ……」

「なんの話したの?」

「うーん…………」

 なんの話か……。男同士の恋愛の話と、オススメの漫画の話だけど、後者はともかく前者は高橋さん(仮)絶対誰にも知られたくないだろうしな……。なんて言えばいいんだろ。

「別に、普通に世間話だよ」

 困ってしまったので、適当に濁して答えてしまった。

「ふーん……。なんで飯食うことになったの?」

 やべぇ、ぐいぐいくるなこいつ。

 他人の恋バナは確かにいじりたくなるかもしれんが、森山ってそいういうの興味ないタイプだと思ってたんだけどな……。

「いや、たまたま趣味が合うことが発覚して……」

「趣味? 高橋って何が好きなの?」

 んんんんんんん。

 まずい、喋れば喋る程墓穴を掘っている気がする。

 それにしても、高橋さんに対しても高橋さん(仮)に対しても常にどうでもよさそうだったくせに、なんなんだこいつ。

「さ、最近卓球に興味があるらしくて……」

 嘘は言ってない。はずだ。

「へー、なんか意外だな」

「だ、だよなー……」

 あはは、とひきつった笑いをしてしまう。もうこの話題はやめてしまいたい。どうにかして、話を逸らせないものだろうか。

 悩む俺を後目に、森山はそういえば、と再び喋り出した。

「明日の体育って男女合同で卓球じゃん、高橋に卓球見せてあげれば?」

「えっ」

「興味あるんなら俺とお前でガチな卓球して見せたら喜ぶんじゃねぇ?」

 それは、現実世界で俺がお前に付き合わせたことだ。

 まさか、森山からそんな提案が出てくるなんて。

「天才かお前」

「凡人かお前」

 ははは、と棒読みな高笑いを響かせる森山。

「っていうかお前、そんなのに付き合ってくれるのか?」

「いいぜ別に、お前と卓球するだけだろ、体育が卓球のときはいつもそうじゃんか」

「言われてみればそうだな」

 そう。俺もそう思って、高橋さんに卓球を見せたんだ。

 恩に着るよ、と手を合わせると、森山様はくるしゅうないと手をひらひらと振った。

「明日体育始まる前に高橋誘ってみろよ。ダメだったらダメだったで、やること変わんねーしな」

 なんてことないように話しながら隣を歩く森山に思わず柏手を打って祈りそうになる。

「森山って本当にイケメンだよな」

「よく言われる」

 タイムリミットまであと五日。





 次の日の朝のHR前に俺は高橋さん(仮)に体育について誘ってみたところ、

「え!? いいの!?」

 すんごいキラキラした。

「期待に添えるかわかんないけどね」

「ううん! リアルな卓球部の男子高校生の卓球が見れるわけでしょ! 十分だよ!」

 苦笑いの俺を押しのけるようにぶんぶんと首を振る高橋さん(仮)。

 あぁ、この日は確か一緒に帰ったんだよな、それで、寝て目が覚めたら高橋さんはいなくて、代わりに高橋さん(仮)がいたんだよな。

 思い返すと切なくなってくるが、目の前の高橋さん(仮)もやっぱり高橋さんなのだ。同一人物なんだ。

 感慨に浸る俺の隣で高橋さん(仮)はぴょんぴょんと飛び跳ねている。

「男子高校生っていうのに加えてさらにさぁ……石川君と森山でしょ?」

「ん?」

「ホモかよ!?」

 小さな声できゃーと叫びながら俺の胸をどんどんとグーで殴る高橋さん(仮)。見た目は色々変わってるけど、隠してるだけで中身は全然変わってないなこの人……。

「ホモデハナイデス」

 死んだ魚の目で顔を横にぶんぶんと振って、手でノーを示しながら言い返しても何の効果もない。

「大丈夫、安心して、付き合ってることは誰にも言わない」

 付き合ってねーし。俺が付き合いたいのはアンタだし。

 人の気も知らないで人差し指を唇に当てながら上目遣いでウインクを飛ばしてくる高橋さん(仮)。

 くっそ、かわいい。

 そんなかわいさも次の台詞で粉々にぶち壊された。

「石川君が受けってこともね!」

 あなたの中でやっぱり俺は受けなんですね……。



「高橋久しぶり。話は聞いてるよ」

 森山と二人で卓球台を確保していると、遅れて高橋さん(仮)が登場した。

 同じ中学だった二人は手を振りあう。

「久しぶり~。ごめんね、二人でいるとこに押しかけちゃって」

 社交儀礼の挨拶のようだけど、これ意味違う。分からないようにホモネタでからかってきている。

「そんな謝ることじゃないわ」

 はは、と軽く笑って流す。しか方法が思いつかない。

「得点板くらいならやるよ!」

 元気よく挙手をする高橋さん(仮)。

 それを見ながら森山はラケットをくるくると手の中で回す。

「じゃあお願いするか」

「えっ、試合すんの?」

「そっちの方がよくないか?」

「まぁなんでもいいけど……」

 少しびっくりした。現実で高橋さんに見せた時は勝負なんてしないから、と高橋さんに得点板を断っていたはずだ。

 ただの気まぐれかもしれないが、森山の行動がちょいちょい現実と食い違っていることが、この時俺はなんとなく恐かった。

「じゃあ、高橋さん(仮)、得点お願いします」

「はい!」

 びしっと敬礼する高橋さん(仮)。テンション高いな、さっきから。

「本気でやるから、本気でこいよ、石川」

「分かってるって」

 にやりとする森山に、同じ表情で返す。

 お互い腰を落として、たまたまボールを持っていた森山からのサーブで試合が始まった。



「すごかった! ほんとにすごかった! ありがとう!」

 目をキラキラと輝かせてありがとうを連呼する高橋さん(仮)。

 体育が終わった途端に、高橋さん(仮)は試合の終わった俺たちを捕まえてお昼を誘ってきたのだ。

 俺にはもちろん断る理由もないし、森山も特に用事もなかったみたいで、昼休みにラウンジで三人、弁当を広げていた。

「森山ってカットマンだったのね?」

「そうだよ、詳しいじゃん」

「へへ、ちょっとね」

 照れながら俺にちらりと視線をよこす高橋さん(仮)。そうですね、ちょっと漫画を読んだくらいですもんね、分かってます、秘密にしておきますよ。

「すごかったよ、長期戦! ほんとに興奮した!」

「森山のやり方はねちっこいからあんまり好きじゃないんだよな」

 と、俺が呟くと森山がじろりとこちらを見てきた。

「お前が一発屋なだけだろ」

「お笑い芸人みたいに言わないでくれる!?」

 俺と森山のやり取りを見て高橋さん(仮)がふふふ、と笑う。

 ……彼女の持つ特殊なフィルターのかかった笑い方だ。

「確かに、石川君はすぐスマッシュ打ってたね。三球目攻撃っていうの? ドライブが沢山見れて楽しかった!」

「ドライブ好きなんだよね」

「そっかそっか~、ドライブってどうやって打ってるの?」

「こうやって手首を……」

 卓球の話を俺に振っては、終始ニコニコしながら弁当を頬張る高橋さん(仮)。

 森山がいるものの、俺にとってはすごく幸せな時間だった。

 そんな中突然、

「………………そういえばさ」

 あまり言葉を発しなかった森山が喋り出した。

「沢村って、今沖縄にいるらしいよ」

「えっ!? そうなの!? 初耳!! っていうかなんで知ってるの!?」

 森山の一言に高橋さん(仮)が過剰に反応する。

 つか、え、誰、沢村って。

 不思議そうな俺に、高橋さん(仮)が説明してくれる。

「あ、沢村さんっていうのは、中学の時の友達。私と森山がクラス一緒だった時に、同じクラスだった女の子なの。もともとよく引っ越してる子だったんだけど、中二の途中で引っ越しちゃって、それからどこにいるのか分からずじまいだったんだよね」

 そうなんだ。

「この前、竹下に会ったときに聞いた」

 森山は俺を無視して話を進める。

「竹下君に会ったんだ!? へぇ、いついつ?」

「この前の金曜日、駅でたまたま」

「高校どこだっけ?」

「あいつ確か都立だよ」

「あ~」

 高橋さん(仮)と森山は俺の分からない話を進める。俺は話に入ることも相槌をうつこともできずに、黙々と弁当を食べる。

 恐らく「竹下君」とやらも中学校時代の同級生だろう。

 中学の同期に久しぶりに会えば、そういう話で盛り上がるのは分かる。

 でも、別に今じゃなくてもよくないか?

 そんな風に思ってしまうのは俺の性格が悪いからなんだろうか。

 森山だってわざとじゃないだろうし。

 ちらりと森山の方を見ると、高橋さん(仮)と楽しそうに談笑している。ちょっと恨めしい。

 それから俺はほそぼそと箸をくわえ、二人の会話にはほとんど参加することができなかった。



 昼休みが終わって森山と別れると、高橋さん(仮)は俺の目を覗き込んで、悲しそうな表情をした。

「なんか機嫌悪い?」

 やば、顔に出てたか。

「別にそんなことないよ」

「嘘、絶対機嫌悪いよ、私何かしたかな?」

 なにかしたというか、森山とばかり喋ってたから少し嫉妬してるだけ、なんて恥ずかしくて言えるわけない。

 どう答えたものかと考えていたら、やっぱりこの人は腐女子だった。

「やっぱ森山取っちゃったから怒ってるの?」

「断じて違います」

 恋愛モードで熱を持っていた頭が一気に冷えていく。

「私としてはもうちょっと二人がいちゃいちゃしてるところが見たかったんだけどね?」

「何の話をしているんですか?」

「中学の話振られたから答えるしかないよね、無理に石川君に話振って変に思われるわけにいかないし」

「俺の話を聞いて?」

 俺が森山に恋している前提で話を進めてくる上に人の話を聞かないから、このしょーもない話を止める手段がない。

 それでも、心底楽しそうに笑う高橋さん(仮)を見てると、なんでも許してしまう俺は、きっと色々と甘いんだろうな。

「…………現実の私が理想の私を望んだ理由、教えてあげよっか」

 俺がしみじみと考えていると、突然高橋さん(仮)の声のトーンが下がった。

「え?」

 思わず聞き返すと、高橋さん(仮)はふと遠い目をして、呟く。


「中学の頃、あの子は森山が好きだったの」


 途端に足元が崩れるような錯覚に襲われた。

 その話は前に現実の高橋さんから聞いたことがある。イメチェンのきっかけだって自分でも言ってた。中学時代、好きな人のためにかわいくなる努力をしていたら、そいつに陰口叩かれているのを聞いたっていう……。

 その好きな人っていうのが、

「森山…………」

「そう、意外だった?」

「うん…………」

 それだけ言うのが精一杯だった。

 俺の頭は衝撃の事実を知らされて、色んなことが一気に駆け巡っていた。

 もしかして、まだ中学の片思いを引きずっているんじゃないか? そういえば高校に入ったら見返すとか言ってたし、まだ高橋さんの中には森山がいるんじゃないか?

 なによりなにより、


 森山のこと、今でも好きなんじゃないか?


 自分以外の男に片思いしている相手をどうやったら振り向かせることができるんだよ。

「石川君……? どうしたの……?」

 呆然自失になっている俺に、心配そうに高橋さん(仮)が話しかけてくれるが、まともに返事が返せない。

「あっ、でも別に今も好きなわけじゃないから!」

 俺がショックを受けている原因に気づいたのか、高橋さん(仮)は慌てて否定してくれたけど、信用はできない。人の心なんて移ろいやすいもんだ。今は好きじゃなくても好きだった過去がある、ひょんなことで簡単にまた好きになってしまうかもしれない。

 動けなくなっている俺の背中に昼休み終了のチャイムが降り注いだ。



 今日は部活が休みの日だったが、森山は一緒に帰ろうとクラスまで俺を迎えに来てくれた。

 正直なところ、こいつの顔はしばらく見たくなかったが、うまい言い訳も思いつかず、結局今下校を共にしている。

「昼、高橋が誘ってきたのは驚いたな」

 俺の心情を知ってか知らずか、森山は早々に高橋さん(仮)の話題を口にした。

 俺は高橋さんの想い人が他にいた衝撃から立ち直れないまま、上の空で返事をする。

「そうだな……」

「さすがスクールカースト上位だわ」

「そうだな……」

「石川ってさ、高橋にコクるの?」

「そうだな……え?」

 全く同じ軽い調子のままでデリケートな話題をぶっこんでくるもんだから反応が少し遅れた。

 俺が高橋さん(仮)にコクるのかって聞いたのか、こいつ。

「そうだよ、お前気になるとは言ってたけど、好きとははっきり言わなかったじゃねぇか」

 そうだっけか……。

「まぁ、ゆくゆくは……」

 告白しなければ死ぬらしいですし……。

「じゃあ、まだコクらないわけだな」

「そうだけど、何が言いたいんだよ」

 回りくどい言い方にイライラしてると、急に真面目な顔をして、森山は俺を見据えた。


「俺、明日高橋にコクるから」


 え。

 マジかよ。

 頭が真っ白になった。

「もともと中学の頃から気になってはいたんだけど」

 森山の声がうまく聞き取れない。

「今日昼一緒に食って、改めて自覚したわ」

 やめてくれ。

「俺、高橋のことが好きだ」

 高橋さんは中学の時森山が好きだったんだ。

「俺の結果がどっちになっても、恨みっこなしな」

 真面目な表情から一転、鼻の下をこすりながら苦笑いをする森山に、結局俺は何も言えなかった。



「終わった…………」

 家に着くと、夕飯も食わずにベッドへ直行した。

 俺の人生、初恋と共にこんな終わり方をするのか。

 なんて短い十六年間。

 死ぬなんて実感全然沸かない。ほんとは全部嘘だったんじゃないかとすら思ってる。

 仮に、本当に俺の人生が幕を閉じるとしても、俺には森山を止めることはできないし、二人が付き合ってから一週間たらずで俺が高橋さん(仮)を略奪するなんて高難易度なこともできない。

 高橋さんの中学からの恋が叶うというのに、それを邪魔するなんて。

 自分の命がかかっているというのに、随分のんきなことだと、我ながらバカだと思う。

 好きな人が幸せならそれでいいなんて、高尚な考えが出来る程大人ではないけれど、なりふり構わず二人の恋路を邪魔する勇気も俺にはなかった。

 死ぬなんて怖い。高橋さんに彼氏ができるのも嫌だ。

 でも、これから何をすればいいのかも分からないし、分かったとしてもそれを実行する行動力も俺にはなかった。

「死にたくない……」

 高橋さんに好きだとも伝えてないのに。

 溢れ出た涙が頰を伝い、枕を小さく濡らした。

 タイムリミットまであと四日。





 次の日の朝、目が覚めると俺は昨日の服のままだった。どうやら昨日泣きながらそのまま寝てしまったみたいだ。

 なんとか重い体を起こして学校に向かうと、教室に入った途端に高橋さん(仮)と目が合った。

 高橋さん(仮)はにこっとかわいらしい笑顔を向けておはようと挨拶をしてくれたが、俺にそのかわいらしい笑顔に応える気力もなく、虫の鳴くような音量でおはよ、と呟いてほとんど無言で席に着いた。

 そして昼休み、高橋さん(仮)は教室にいなかった。

 クラスの友達に誘われて、ついて行った購買の帰り、窓から中庭にいる森山と高橋さん(仮)が見えた。きっと告白しているのだろう。

 俺はその光景を見ていたくなくて、すぐにその場を離れた。

 その放課後、珍しく、部活に森山は来なかった。

 タイムリミットまであと三日。





 高橋さん(仮)に呼び出されたのは次の日の放課後だった。

「ばかなの!?」

 授業は終わり、みんながそれぞれ部活へと足を運ぶ中、俺と高橋さん(仮)はラウンジで顔を突き合わせていた。

 高橋さん(仮)は開口一番に叫ぶと、深呼吸をして自分を落ち着かせてから改めて俺に質問してきた。

「森山がコクるって知ってたの?」

「まぁ……」

 俺の控えめな頷きに高橋さん(仮)はだん!とテーブルを叩いた。

「なんで止めなかった!? 私がオーケーしたらどうするつもりだったの!? やる気ないの!? 君死ぬんだよ!? わかってんの!?」

 一度取り戻した落ち着きはどこへやら、高橋さん(仮)は悪目立ちしない程度の大声でまくしたてた。

 俺は高橋さん(仮)の迫力にビビりつつも、一つの言葉に引っかかっていた。

「え………、森山の告白、オーケーしてないの……?」

 おそるおそる聞くと、高橋さん(仮)は髪をいじりながらなんてことないように答えた。

「してないわよ、振りました」

「なんで…………」

「理由がいる?」

 彼と一緒にいても楽しくないからよ、と彼女は吐き捨てるように言った。

 好きな人に彼氏ができていないことを嬉しく思う反面、友達が振られていたことに少なからず罪悪感も覚えていた。

複雑な感情が俺の中でうずまいていたせいで、変な顔をしてしまっていたのか、高橋さん(仮)は怪訝そうに俺を覗き込んできた。

「ところで、明後日でリミットだけど、何もしなくていいわけ?」

「あっ」

 と、言われてもお互いこの後はすぐに部活に向かわなければならないし、明日は日曜日だ。

「あ……じゃあ、連絡先交換してください……」

「今更ぁ!?」

 高橋さん(仮)は爆笑しながら二つ返事で了承してくれた。



 部活に行くと昨日はいなかった森山が今日は出席していた。フラれていることを知っている俺は、森山を直視できず、つい避けてしまった。

 しかし、部活が終わり着替えていると、森山の方から話しかけてきた。周りの部員には聞こえないように小さな声で。

「俺、高橋にコクった」

「うん」

「フラれた」

「…………そっか」

「お前は、頑張れよ」

 やっぱり森山はいいやつだ。俺はてっきり怒られるかと思ってたぞ。

「怒るもなにもないだろ。お前何も悪いことしてないのに」

 苦笑いしながら、森山は俺の肩をぽんと叩いた。



 部室の鍵当番だった俺は、みんなが部室から出て行くのを見届けた後、部室の鍵を閉めてから職員室に一人鍵を届けに行った。

 職員室からの帰り、なんとなくスマートフォンを見るとメッセージアプリの通知。

 高橋さん(仮)からだった。

「え? え? なんで?」

 慌ててアプリを開くと、短い文章とスタンプ。


「やっほー今日一緒に帰ろー校門で待ってるよー」


 嘘だろ!?

 待ってくれ!!

 これ三十分前に来てる!!

 着替えてる時かぁ!!

 うわああああああああああ!!!!


 返信もせずに、スマホをポケットに入れて、俺は走り出した。

 普段滅多に走ることのない廊下を全速力で駆け抜け、階段を一段飛ばしで下っていく。


 待ってるわけない! 待ってるわけない!

 そんなの分かってる!

 三十分も既読が付かなかったんだ! 諦めて帰るに決まってる!

 待ってるわけない!!


 校門が近づくと、一つの人影が見えた。

 人違いだ、期待するな、人違いに決まってる!

 短い距離しか走っていないのに、疲労する足に鞭を入れて、さらに加速する。

 あの長くてさらさらした黒髪は、きっと。

 期待と期待するなという気持ちが入り混じったまま、全力疾走していた俺は急ブレーキで校門に到着した。


 そんな俺を、茜色の夕日に照らされた高橋さん(仮)がびっくりしたような嬉しそうな表情で見つめていた。


「よかった、もう帰っちゃったのかと思ったー!」

 既読もつかないしさーと、心底ホッとしたように微笑む高橋さん(仮)。

「ごめ、部室の、鍵、とうば、で」

 俺は膝に手をついて、必死に息を整えようとした。

「息切れしすぎて何言ってるか分かんないよー」

 落ち着きなよ、と高橋さん(仮)は俺を見て、けたけたと笑った。

 あぁ、やっぱり好きだなぁ。



「部活だったの? 森山と気まずくなったりしなかった?」

 夕焼けの中に、横に並んだ二人分の影が伸びる。

 私が振ったからだけど、と高橋さん(仮)は少しばつの悪そうな顔をした。

「まぁ多少は気まずかったけど、報告だけされたよ」

「報告してくれるんだ」

 男の子の友情って不思議だね、と高橋さん(仮)は眩しそうに夕日を眺めた。

 そんな彼女を見ながら俺はふと気になったことを聞いた。

「そういえば、なんで今日一緒に帰ろうなんて思ったの?」

「なによ、理由がなくちゃ誘っちゃいけないの?」

「いや、そういうわけでは!」

 ぷくりとむくれる高橋さんに俺は焦って両手を顔の前でブンブンと振る。

 ちょっと不思議に思っただけで。

 タイムリミットが迫ってる俺のことを気にして本気で怒ってくれるし、高橋さん(仮)の中で俺の存在が少し大きくなっている気がしたから。

 それでも、高橋さん(仮)が俺のことを好きになってくれているかどうかの確証は全くない。友達として親しくなっているだけかもしれない。

 告白の日は明後日、月曜日には絶対に告白しなくちゃいけない。

 俺は立ち止まる。

「高橋さん(仮)」

「なーに?」

 高橋さん(仮)はそんな俺を気にせずに先に進む。

「あ、明日も俺と会ってくれませんか?」

 俺の言葉に高橋さん(仮)の足が止まる。

「…………」

 長い沈黙。断りの理由を考えているのだろうか。

 彼女の小さな背中を見つめながら、何も言えずに俺は返事を待ち続けた。

「…………いいけど」

 やっと聞こえた返事はとても小さな声だった。

「マジで!? ありがとう!」

 断られなかったことに浮かれていたら、振り返った彼女はとても真面目な顔をして近づいてきた。

 真剣なまなざしに圧されて、俺は思わず息を止める。

 そんな俺にぐぐっとさらに顔を近づけ、ただし、条件がある、と彼女は口を開いた。

「私の買い物に付き合ってくれるならね」

「…………はい?」





 日曜日、俺は太陽よりも早く起き、使ったこともない時間帯の電車に乗り、彼女と約束した集合場所へと向かった。

 朝の七時、待ち合わせの駅で彼女は俺を待っていた。

「あ、ほんとに来てくれた! ありがとう!」

 そりゃ来ますよ、会いたいって言ったのは俺の方なんだし。

 じゃあ行こっか、と高橋さん(仮)が機敏に歩き出したので俺は慌ててついていく。心なしかいつもより歩く速度が速い気がする。

 朝の早い時間だというのに駅には沢山の人がいた。そしてそのほとんどが女性。この駅の近くで何かあるのだろうか、それとも普段からこの駅はこんなに混んでいるのだろうか。

 疑問に思いつつも俺は高橋さん(仮)の隣を歩いた。

 それにしても、と俺はちらちらと高橋さん(仮)を盗み見てしまう。

 今日の高橋さん(仮)は正直かなりかわいい。見慣れない私服姿だったっていうのも、もちろんあるだろうけど、それを抜きにしてもすごくかわいい。

 もしかして、俺とのデートに少し気を遣って貰えているんだろうか。ついつい自惚れたくなる。

「なんだか、今日すごく気合い入れてない?」

 思わず聞いてしまい、期待丸見えで恥ずかしくなる。

 しかし高橋さん(仮)は嬉々と答えた。

「そうよ! なんてたって今日は乙女の舞踏会みたいなものだからね!」

 舞踏会?と俺は心の中で首をかしげる。デートのことを言ってるわけじゃなさそうだな。

 これから行く「買い物」のことだろうか。

「そんなことより言ったものは持ってきてる?」

「あ、うん。朝ごはんと動きやすい恰好だっけ。言われた通りにしてきたよ」

「なら大丈夫! ありがとね!」

 終始笑顔と元気が絶えない高橋さん(仮)に駅から人並みに乗って連れてこられた場所は、とても長い行列だった。

「じゃあ並びますか!」

「え?」

 良い笑顔の高橋さん(仮)に連れられて、車の止まっていないだだっぴろい駐車場に入り、あれよあれよという内に動く行列の最後尾に横四列くらいで並んだ。行列が止まったと思ったら前の人から順にその場のコンクリートに座り始める。

「待ってね、今レジャーシート敷くから」

 人と人が密集する狭い空間の中、高橋さん(仮)は慣れた手つきでレジャーシートを敷くと、ここに座ってと手でぽんぽんと隣を叩いた。

 何が何やら分からない俺は言われるがままに従うと、高橋さん(仮)はバッグからペットボトルのお茶を取り出し、それをぐいっと飲んで一息つくと、

「じゃあ、説明するね」

 ハンターの目が俺を見据えていた。



「おっ、時間通り! お疲れー」

 会場内の、待ち合わせと指定された場所で、彼女は優雅に俺を待っていた。

「どう? 買えた?」

「言われたものは全部買えたよ……」

「でかした!」

 すごくいい笑顔で高橋さん(仮)は俺の背中をばんばん叩いた。

 一から説明すると、まず俺が連れて行かれた場所というのは、イベント会場だった。ここで今日行われるイベントに参加する高橋さん(仮)の買い物に付き合わされたわけである。

 で、そのイベントというのが、

 同人誌即売会。

 入場前に高橋さん(仮)からお金の入った財布と印の付いた地図と買い物リストとエコバッグを手渡され、入場と同時に各自別行動。地図にはお目当てのサークルとそれに伴う買う順番も指定されていた。買い物リストにはサークルごとにご丁寧に薄い本のタイトルとその表紙の写真が印刷されていた。肌色の多い美少年二人がこちらを見つめてくるような、なかなかエグい表紙もあり、これくださいと指差して買うのが恥ずかしかったが、周りの女性たちは飄々と買っては俊敏な動きで次の獲物へと向かうものだから、入場して一時間経つ頃には羞恥心の感覚は麻痺してしまった。

 羞恥心もそうだが、こんな薄いものにこんなにお金を払うのかとびっくりした。自分のお金ではないものの、たっか、と思わず声に出しそうになるのを必死に堪えた。そんな驚きも、やはり気づいたらそういうものなのだと慣れてしまった。

「重かったでしょ? ありがとねー」

 高橋さん(仮)はニコニコと俺から大量の薄い本が詰まっているエコバッグを受け取った。中身を自分のリュックに詰め替え、エコバッグを慣れた手つきで小さく丸めてしまう。

「じゃあ帰ろっか!」

「え、も、もう?」

 まだお昼になったばかりだ。

「うん、これ以上ここにいても仕方ないからね。お昼過ぎるとほとんど売り切れちゃうし、目当ての本は買えたし。何より軍資金が尽きたし! お昼ご飯食べに行こ!」

「そ、そっか……」

 入場前に長時間一緒に並んだり、これからご飯食べたり、二人きりの時間は割とあったはずなのだが、俺は別行動の時間が思いの外長く感じていて、もうお別れなのかと少しがっかりした。



「ハンバーガーでよかった? ごめんね、私が勝手に選んじゃって」

「いや、全然大丈夫」

 俺たちは会場を出てすぐにあるファストフード店に入り、カウンター席に並んでハンバーガーを食べていた。

「いやー楽しかったー。本当に付き合ってくれてありがとね、おかげで欲しいものが全部買えたよ。一人だと時間内に周りきれなくて売り切れちゃうんだよねー」

 ハンバーガーをほおばりながら、高橋さん(仮)は独り言のようにつらつらと今日の感想を並べた。俺も自分の飯を食いながら、いやそんな全然などと彼女の言葉に相槌を打っていた。

 そして食が進むにつれて、というか、時間が経つにつれて、お互い口数が少なくなっていった。というのも、あれ、単純に、

 めっちゃ眠い。

 当然だ。慣れない時間に起きた上に、デートという三文字に興奮してなかなか寝付けなかったのだから。

 高橋さん(仮)がくぁ、と可愛らしいあくびをしたのを合図に、俺たちは席を立ち、その駅を後にした。



「あんなんでよかったのかなぁ……」

 家に着くと早々に俺はベッドにダイブした。まだ夕方にもなってないのにドッと襲い来る疲れと睡魔。

 これデートっていうのかなぁ……。割と個別行動あったぞ……。集合場所と時間決めて一時解散なんて、まるで修学旅行だ。

 なんかこう、デートってさ、映画見て、カラオケして、飯食って、別れ際にちょっと名残惜しい、ドキドキする雰囲気になったりしてさ……。

 なんて、人生でデート一回もしたことないから知らねーけど……。

 まぁ、俺としては、

「高橋さん(仮)が楽しかったなら何でもいいや……」

 どちらにせよ、俺は明日告白するしかないんだから。



 ピロピロピロリン♪ ピロピロピロリン♪

「ウァッ!?」

 あ……寝てたのか、俺……。

 明るかった空もいつの間にか暗くなっている。時計を確認すると夕飯前くらいだった。

 スマホの着信音に起こされた俺は、放りっぱなしにしていたそれを手に取る。画面を見ると、高橋さん(仮)からの着信だった。

「あっ、もしもし!?」

『もしもし石川君? 帰り大丈夫だった? 大分疲れてたみたいだったからさー』

 慌てて電話に出ると、高橋さん(仮)の明るい声が聞こえてきた。

 電話越しだと若干声が違くて、なんとなくドキドキしてしまう。

「うん、大丈夫だよ、さっきまで寝てたけど」

『やだ、起こしちゃった? ごめんね』

「いや、ちょうどいい時間だから、むしろありがとうって感じ」

『なら良かったー』

 しばらく俺たちは他愛のない話をした。今日のイベントの感想や、どれか気になった本はあったのかなど。

 気になる本があったら貸すよ、などと俺をからかいながら、楽しそうに笑う高橋さん(仮)と話すのは本当に面白くて、俺は時間が経つのも忘れていた。

 一階から母さんの声が響き渡るまでは。

「ご飯よー!」

『あ、夕ご飯?』

「うん、ちょっと待って」

 母さんの呼び声は電話越しでも聞こえたようで、少し申し訳なさそうな声色の高橋さん(仮)に一言断ってから、俺は母さんに先に食べててくれと返事をした。

 再びスマホを耳に当て、高橋さん(仮)に声をかける。

「いいよ、ごめんね」

『ううん、こっちこそごめんね、もう切らなきゃね、楽しくなっちゃって』

「いや、俺も楽しかったし」

 そんなことを言ってもらえるとまた自惚れたくなってしまう。

『あのね、電話したのはね、ちゃんとお礼が言いたくて』

 高橋さん(仮)はそう言うと一呼吸おいて、改まったように話し始めた。

『今日はイベントに付き合ってくれて本当にありがとう。お陰で欲しい本も買えたし、待ち時間も楽しかったし、ほんっとうにすっごく感謝してる。石川君こういうの、別に好きなわけじゃないの知ってるのに、付き合わせてごめんね。でも、本当にありがたかった。改めて、ありがとう』

 スマホの向こうで頭を下げているようにも感じる言葉。高橋さん(仮)の本心ということがわかる。

「いや、そんな、大したことしてないよ……」

 そんな真剣なお礼にしどろもどろになる俺の返事を聞いて、高橋さん(仮)はクスリと笑った。

『ううん、大したことだよ。少なくとも私にとっては。じゃあまた明日、学校でね』

「あ、待って!」

 スムーズに電話を切ろうとする高橋さん(仮)を慌てて呼び止めた。

「明日学校、早く来てもらっていい? 七時くらいに……」

 もちろん、これは告白のため。

 しばらくの沈黙の後、

『……うん、わかった。明日朝七時に教室ね。じゃあ、本当にバイバイ、また明日ね』

 ポロロン、と陽気な音がして通話が切れた。

 ……察してくれてたのかな。

 タイムリミットまであと一日。



10


 次の日の朝、不思議と、心は穏やかで落ち着いたまま登校した。

 早朝の学校、自分のクラスの扉は開いており、中に入ると、入り口に背を向け、教室の中心にある机に腰を掛けているストレートのロングヘアー。

 俺の足音に気づくと、ゆっくりと振り向いて、俺を何度も恋に落とした笑顔をふわりと向けてくれた。

「おはよう」

「おはよう」

 なんでもない朝の挨拶を交わして、俺は荷物も置かずに彼女の正面に立った。

 彼女も自分の机から降りて、まっすぐに俺と目を合わす。

「高橋さん(仮)」

「はい」

 目を閉じて、頭を下げる。


「好きです。俺と、付き合ってください」


 昨日、何回も練習したセリフ。噛まずに言えたことにとりあえずホッとした。

 返答のこない沈黙に怯えながら、ゆっくりと顔をあげて、目を開くと、

 笑顔で、静かに涙を溢れさせる高橋さん(仮)がいた。


「はい。喜んで」


 途端に空間が割れた。壊れた。崩れた。

 さっきまで教室だったものはすべて粉々になり、青い空と白い雲。一瞬にして屋上に変化してしまった。

 俺と高橋さん(仮)が初めて出会った場所。

「おめでとう。君の勝ちだよ」

 周囲の激変に気を取られていたら、涙を拭いた高橋さん(仮)が俺に拍手を送っていた。

「その思いが本物なら、現実に戻って必ずあの子に思いを伝えてあげて。君は本当にすごい人だから」

 止まらない涙を気にもとめずに高橋さん(仮)はにこりと笑った。

 その笑顔のためならきっとなんだって頑張れるよ、俺は。

 そう思っていると、強い風が吹いて、高橋さん(仮)のスカートが舞い上がった。

「きゃ……っ!」

「白……」

 慌ててスカートを押さえる高橋さん(仮)をしっかり見つめながら、無意識に呟いてしまい、真っ赤になった彼女に殴られたところで俺は意識を失った。




11


 ぴぴぴぴ! ぴぴぴぴ!!

「うおぁっ!!」

 目覚まし時計の音に飛び起きると、自分のベッドの上。教室でも屋上でもない。着ている服も部屋着だ。

 慌てて携帯をつけて日付を確認した。

「戻ってる……」

 高橋さん(仮)に告白した日にちから、きっちり一週間戻っていた。

 こっちでは、えーと、そうだ、高橋さんと一緒に帰った次の日だ。

「やったああああ!!!」

 ガッツポーズをかまいしていると、姉貴がノックもせずにドアをぶち開けてきた。

「うるさい!! 早く学校行けや!! 寝坊したやつが騒いでんじゃねえ!!」

 ばたん!と乱暴に扉が閉められる。

 時計を確認すると、確かにやばい時間だ。

「うわあああああ!!!」

 慌てて制服に着替えて、寝癖も直さず、朝飯も口にいれないまま、母さんから弁当だけ受け取って俺は家を後にした。



「間に合った……」

 チャイムが鳴ると同時に教室に駆け込み、机にへばってぜーはーと息切れしている俺を見て、隣の席のマスクをつけた高橋さんがくすりと笑った。

「チャイムと同時とかすごいじゃん、寝坊したの?」

「うん……」

 駅から学校までノンストップで走ったせいで、息が上がってろくな返事ができない。

「マスク貸そうか?」

「殺す気ですか……」

 にやにやしながらからかってくる高橋さん。

 マスクはあるけれど、その顔を見てると、高橋さん(仮)を思い出す。

 長いストレートの黒髪をなびかせていた彼女。

「高橋さんは寝癖直してこないの?」

「天パは直らないんだよ。人のこと言えない髪型のくせに」

「えっ、マジで」

 ほら、と高橋さんが小さな手鏡を貸してくれた。確かに面白いところに立派なアホ毛が立っている。

「うわ、後でトイレ行って直すか……」

「そうしなそうしな」

 高橋さんは笑って返事をしながら手鏡をしまった。

 その姿を見て、なぜか心の奥からこみあげてくるものがあった。

「ねぇ、高橋さん」

「なあに?」

「今日って、放課後、なんか予定ある?」

「え……まぁ、暇だけど」

「俺の部活が終わるまで教室で待っててもらってもいいかな」

「え…………」

 俺の突然の頼みに明らかに戸惑っているようだった。

 それでも俺は続ける。

「大事な話があるんだ」

 用事があったり、面倒だったら、全然いいんだけど、と最後に付け足して彼女の返事を待つと、困惑した顔でこくりとうなずいた。

「わかった。待ってる。何時ごろ?」

「六時ぐらいかな……」

「二時間くらいか……。終わったらダッシュで来いよ」

「それはもう!」

 俺は力強く頷いた。



 着替え終わると同時に俺は部室を後にした。

 人に迷惑がかからない程度のスピードで廊下を駆け抜けていると、高橋さん(仮)のメッセージに気づかず、校門まで全力ダッシュしたことを思い出す。今日は鍵当番じゃなくて本当によかった。

 無事、教室の前に到着。時計を見れば五時五十分。

 夢の中の時と一緒で、心はやっぱり穏やかだった。

 部室からここまで走ったせいで上がった息を整えてから扉を開ける。

 誰もいない教室の中心にある高橋さんの机に、入り口を背にして座っていた彼女は、俺に気づくとつけていたマスクを外してふわりと笑った。

「部活、お疲れ様」

 そう言って高橋さんは机から降りた。

 俺はその正面まで歩いていく。

「ありがとう、待っててくれて」

「ううん、全然」

 大丈夫だけど、と控えめに俺の話がなんなのか聞きたそうな彼女に、愛しさが溢れてくる。

 あぁ、好きだなぁ。

 俺は自然と笑顔になった。


「好きです。俺と、付き合ってください」


 同じセリフを、今度はまっすぐ彼女の目を見て言った。

 高橋さんは一瞬驚いた表情をした。

 そして、にこりと優しく笑って、


「初めてだよ。私が一緒にいたいと思った男子は、君が初めてだ。すごいやつだよ、本当」


 どこかで聞いたような内容の返事と共に、彼女は俺の胸に体を預けてきた。



 そのまま、手をつないで歩いた帰り道。

 ふと思い出してつい聞いてしまった。

「もしかして今日のパンツの色って、白?」

 高橋さんははぁ?という顔をして、少し考え込んだ後、真っ赤になって殴ってきた。

「おまえなんか森山に付き合っちゃえ!!」

「あはは」


 俺の恋人は腐女子。

 しかも、俺をホモだと思っている。


「今度の日曜日、イベント行く?」

 突然の俺の質問に、高橋さんは心底驚いたような顔をした。

「え……行くけど……なんで知ってるの?」

「さーなんででしょーねー」

 適当にはぐらかす俺に、高橋さんは不思議そうに首を傾げた。

 そして、

「……付き合ってくれるの……?」

 と、不安と期待の入り混じった瞳で聞いてくる。

 俺は繋いだ手に力を込めて、にっこりと笑って答えた。

「そりゃあ、彼氏ですから」




終わり

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