令和の浦島太郎
三年と六ヶ月。ずいぶん長い単身赴任となった。
成田空港に降り立って新聞を買うとまず驚いたのが、平成から令和へと元号が変わったいたという事。
まるで浦島太郎にでもなったような錯覚に陥った。
赴任先のボタニア国で政変があり、前政権と繋がりの深かった外国人・外国企業は監視の対象となって日本になかなか帰れなかったのだ。
前政権の頃から、我社ではボタニア国との間で、ガス田の採掘権獲得に向け、交渉していたのだが、第三世界でのこうした交渉事には賄賂が付きまとう。
我が社も例外ではなく、旧政権のオサンニ・元国務大臣に多額の政治資金を献金していた事実があったので新政権側から目を付けられたようだ。
連絡事務所長をしていた俺は、踏み込んできた警察によって突然拉致され、90日間もの長きに渡って政治資金法違反及び背任罪容疑で勾留された。
勿論、会社も日本政府も手を尽くしてくれ、さらに新政権への働きかけ(賄賂)もあって三年間のボタニア国内留置ではあるものの、なんとか釈放される事になった。
日本にいる会社の上司は、それならば『良い機会だから現政権との間で懸案のガス田採掘権を交渉してくれ』となり、俺も手を尽くして新しい国務大臣・ハメネイに取り入った。会社との連絡まで制限される中、なんとかハメネイと親交を結ぶ事ができた。交渉も軌道に乗り出した。
だがその間、日本にいる妻や両親との連絡には会社との連絡以上に苦労した。
ボタニア国における監視対象・外国人は、携帯電話やパソコンの使用が制限され、日本との連絡も家を見張る警察官を呼んでいちいち許可を取り、英語でのみ可能となるのだ。
当初、俺を心配してくれた妻は拙い英語で「Please take care of your health!」と言ってくれていたのだが、数ヶ月も経つと「good luck」と口数も少なくなった。
俺の方でも、電話の許可が面倒くさいので、しだいに連絡回数も減り、ここ一年程は連絡もできていなかった。
そんな苦労の甲斐もあって、この程ようやくガス田採掘権を獲得でき、またハメネイ氏のはからいもあり三年半ぶりの帰国が実現した。
だが乗り継ぎのロサンゼルス空港でその事を報告すると、担当の上司はすでに退社していないというではないか。
どうやら電撃合併があって、我が社はライバル社に吸収されたようだ。
そういえばここ二ヶ月くらい、上司とも連絡とりにくい状態が続いていたのだった。
これでは俺が苦労して進めて来たガス田開発プロジェクトも新会社に承認されるかどうかも分からない。
新会社のオペレーターは、「担当部署に連絡しますので、一週間後に、以前ライバル会社の本社であったビルに来て下さい」と言った。
俺はかなり落胆しながらも、「では一週間後、必ずそちらに伺います」と言って電話を切った。疲れがどっと出たが、まあいい。ともかくこれで日本に帰れるのだ。
家では妻と二匹の猫が首を長くして待っている事だろう。
俺は、成田空港から『新しい元号は令和』という新聞を読みながら直接我が家へと向かった。
長く外国にいると、日本の風景がとても懐かしい。
俺はようやく帰れたという喜びを胸にロサンゼルス空港・免税店で買った土産を持って、少し緊張しながら我が家のドアを開けた。
その瞬間・・・、
シマトラとチャッキーから、思いもよらぬ歓迎(?)を受けた。
「シャー!」
二匹の猫達から目いっぱい威嚇されたのだ。
「まあ猫だからな。三年半は長かったし、しばらくすれば思いだしてくれるだろう」
ズボンに噛みついた猫をズルズルと引きずりながら、俺は居間でくつろぐ妻に「ただ今」と言った。
「ハハハ、あきれたもんだね。こいつら、すっかり俺の顔を忘れてるんだよ」
だが振り向いた妻は笑ってもくれず、ポテトチップの袋に手を突っ込んだまま、不機嫌な顔で「あんた誰?」と言ったのだ。
三年半も帰れず、一年間、連絡もしなかったことを怒っているらしい。
「そりゃあ、ないだろうハハハ。ほらロスの免税店でバッグも買って来たぞ」
俺は妻のゴキゲンを取ったが、簡単に機嫌は治らなかった。
「知らない人は、出てってちょうだい!」
妻は俺の言い訳も聞かず、俺を家を追い出した。なんという非道!
「連絡しようにもできなかったんだからしようがないだろうが」
俺はブツブツ言いながら、実家に電話をかけた。
こんな時、実家が近いのはありがたかった。
今夜はとりあえず実家に帰ろう。
しかし・・・、
「あ、母さんオレオレ。ちょっと今、困ってるんだけどさ・・・」
と言いかけた俺を制して母は、
「どなたか存じませんが、ウチにオレオレさんという息子はいません!」
と言ってピシャリと電話を切った。
どうやら日本には誰一人、俺を知っている者はいないようだ。
( おしまい )