三十五話 ダンジョンの探索を始める二人
「セラ!? セラ!! 返事して! 」
シーラは自分を庇って大雀蜂の毒針を受けたセラを抱き起こす。
「シーラ……。大丈夫だった……? あたしはちょっとかすっただけだから……。」
シーラの無事を見たセラは、そう言ってヨロヨロと刺された左腕を庇いながら立ち上がる。
「クソっ。シーラ! セラとノルンを頼んだ! リオン! 近づいてくる奴らを落としてくれ! 」
ジョゼフは向かって来る子供ほどの大きさのハチを次々と屠って行く。ジョゼフが手にしている戦斧が振られる度に、数匹のハチがバラバラになって周りに散らばって行く。
リオンは次々と魔力で出来た矢をつがえると、遠巻きに様子を伺っているハチたちを落として行く。
「ダメだ! 一つ一つ潰して行くには数が多すぎる! 」
リオンの焦りを含んだ声が響く。
目の前を飛び回る大雀蜂たちの姿で、周りが黒く見えてくるほどだった。
「まさか! これだけの数が同時に孵化するなんて! 」
シーラが驚きを含んだ声で叫ぶ。その背後にはまだフラフラと足元のおぼつかないセラと、必死で二人分の加護の障壁を張っているノルンが居た。
シーラも大剣で襲い掛かって来るハチをひたすら潰して行く。
闘っている三人が無事でいるのも、煙を吸ったハチの動きが鈍くなっていたからだった。
シーラたちの背後を固めていた衛兵たちにも大雀蜂は襲い掛かったが、隊長の指揮の下、怪我人を出さないように確実に仕留めて行っていた。
*
「大丈夫か!? 」
ジョゼフたちが新手のハチに襲われている事に気がついたアーシアとフレデリック、そしてライザが、周りを飛んでいるハチを倒しながら駆けて来る。
「セラがやられた! 手当を頼む! アーシアも手伝ってくれ! 」
ジョゼフが戦斧を振るいながら叫ぶ。ジョゼフの前には戦斧で吹き飛ばされたハチたちのかけらが積みあがって来ていたが、空を舞うその数が減ったようには思えなかった。
「あたしは大丈夫だから…!。気にしないで戦って! 」
頭を押えながらよろめくセラが言う。
「あなたを放っておけるわけないでしょ! バカなこと言わないで! 」
自分を置いて行けと言わんばかりのセラの言葉を、シーラは振り返りもせずに叱り飛ばす。
「どれ…見せてみろ…。加護の障壁は張り続けられるか? 」
「はいっ! だいじょうぶです! 」
こんな状況の中、フレデリックが落ち着いた声でセラの手を取る。
ノルンは頷くと、セラに攻撃の手が伸びないように障壁を張る手に力を籠める。
セラが押さえていた傷口から手を離すと、真っ赤な血がしたたり落ちた。
「ぐっ! 」
フレデリックが消毒剤を掛けて血を洗うと、傷口の周りは腫れあがり紫色になってしまっていた。その痛みに耐えかねたのか、セラは膝を付いてしまう。
「こんなになるまで我慢したのか…。痛むぞ。耐えろ。…ジョゼフ、二分持ちこたえてくれ。この娘が回復するまでそれだけ掛かる。」
「任せました! 」
フレデリックは痛みに苦しむセラの腕を取ると、背中に背負った薬箱を下ろし、薬を調合して行く。
「ほら! 自分の守りを疎かにしてるんじゃないよ! 」
アーシアがフレデリックに狙いを定めていたハチを聖槍で落とす。
「大丈夫だ。見えているし君たちが居る。」
シーラを先頭に、右手にはジョゼフ、左手にはアーシア、そしてリオンとライザが中央から遠距離の敵を仕留めて行く。
今回は先ほどとは違って、攻撃しようとすればすぐに落とされるため、ハチたちも簡単には近寄れずぶんぶんと音を立ててジョゼフたちの周りを飛び回る。
ただ、どうにも敵が多すぎた。
――くそっ! このままじゃいずれ魔力切れだ…。
ジョゼフはグラーフでの戦いを思い出して唇を噛む。
「ライザ! さっきのは撃てないのか? 」
「ごめんなさい。地獄の業火が使えるようになるまで、あと半刻は掛かる。それに今撃てても障壁を張らないと、術者以外が黒焦げになっちゃう。」
リオンが焦りを含んだ声でライザに問うが、ライザは首を振る事しか出来なかった。
大雀蜂一匹だけなら、倒すのはさほど難しくは無い。鉄等級冒険者でも油断しなければ軽々と倒せるだろう。
ただ、これだけの数を相手にしながら戦うのは、軍隊でもなければ難しそうだった。
*
シーラの表情が険しくなる。
大雀蜂の討伐はこのメンバーであれば十分可能だろう。
だが、魔力の気配に『穢れ』を感じはするものの、ハチたちは『穢れ』の本体では無かった。
そのため、本来の目的である『穢れ』を倒すには、ここを無傷で通り抜ける必要があり、ここで魔力を消費してしまえば、いざ『穢れ』と対峙した時に何も出来なくなる。
皆もそれを解っているようだったが、誰も口にする事は無かった。
「終わったぞ。起きてくれ。」
「あれ…? 痛みが消えてる…。傷も…。」
治療の終わったフレデリックが、セラに声を掛けて傷口を叩く。
強い痛みが来るものだと思ったセラは身構えるが、衝撃は来ず、恐る恐る覗いた腕にはもう傷一つ残っていなかった。
「これで私も戦える。指示を! 」
「あたしも…もう大丈夫! 」
「セラさんとフレデリックさんは、リオンと私の後ろで。ファイアウォールの魔法を使いますので詠唱している間の守りをお願いします。ノルンちゃんは合図をしたらシーラの前に加護の障壁を張ってくれる? それでもまだだいぶん残っちゃうけど…。」
ライザが手早く次善の作戦を提案する。しかし、それはここで魔力を使い切ってしまう事を意味していた。
「仕方ない…。穢れの討伐はまた考えるしか無いね! 」
アーシアは気持ちを切り替えたようだった。出来るだけ抑えて使っていた魔力を聖槍に籠め始める。
「ああ、まずはこいつらを倒しきってしまわないとな。」
ジョゼフ達も、まずはこの大雀蜂の討伐を済ませてからだと意識を切り替える。
どちらにしろ、この魔物を引き連れたままで退却は出来ない。後退したところで、この大雀蜂たちは何時までも追って来る。
方法が無い事はなかった。他の人間に押し付けてしまえばジョゼフたちは助かる。だが、その方法を選ぶ気は最初から無かった。
ライザの魔力が高まって行き、それを狙ってハチたちが襲い掛かって来る。
「そろそろ行きます! ノルンちゃん、障壁を! 」
「はいっ! 」
ノルンがシーラの前に障壁を張ろうと魔力を前方に集中しだした。
*
「おい! 待たせたな! 」
「エルヴィン! 無事か! 」
ジョゼフのその声に答えたのは、ウウォオオオと叫ぶ大歓声だった。
「どうして…。騎士たちが…。」
国の守りに付いている騎士たちが、エルヴィンの後ろから次々と姿を現すと、大雀蜂へと斬りかかって行く。
通常は騎士たちは冒険者の領分を犯さないように、魔物の討伐に参加をする事は無い。ただ国難と呼べるような戦いの場合には、率先してその力を振るう。
もし、この群れが王都へと向かっていたらと思うと、どれだけの被害が出たか解らない。
その意味では戦争にも匹敵するような戦いだった。
「間に合ったか…。」
フレデリックがぽつりと漏らす。ジョゼフはフレデリックが託した手紙を、伝令兵が無事に届けたのだなと確信する。
突然現れた新手に、ハチたちは混乱しつつも襲い掛かって行くが、騎士たちの統率の取れたその動きに、なすすべもなく倒されて行く。
*
「みんな無事だった!? 助太刀させてもらうよ! 」
「リヒテル! どうしたの!? 」
バーグ村の若い冒険者であるリヒテルが走って来る姿を認めて、シーラが驚きの声を漏らす。
冒険者の集団は、東側のバーグ村から現れると、早速大雀蜂へと向かって行く。
「くわしい話はあと! さあ、勇者さまたちは行ってくれ! こいつらは俺たちがやる! 」
「解った! 助かる! 」
ジョゼフはリヒテルの肩を叩く。
「シーラ、さあ行こう。ライザ、指示を! 」
「陣形はこのまま! 大雀蜂を出来るだけ蹴散らしながらダンジョンの入り口まで一気に向かいます! 中に入ったら先頭でセラさんが斥候で。もし、敵を見つけたら直ぐに後ろに下がってください。」
「よし。それじゃ行くかね。ノルンは大丈夫かい? 」
「わたしはいつでも! 」
ジョゼフは仲間たちの姿を見渡す。その視線にリオンとフレデリックが頷いて答える。
「シーラ。号令を。」
「…みんな。あたしに力を貸して! 行きます! 」
そう叫ぶと、シーラは人間の数に押されて前方で固まって来ていたハチの群れに飛び込んで行く。
大剣が、聖槍が、そして戦斧が大きく振られ、ハチの群れの中に大穴が開いて行く。
そして、魔法が光り、矢が炸裂して行く。
「…なんだよ…あれ…。」
戦いの手を休めないまま、騎士の一人が呆然とつぶやく。
「あいつらはやっぱりすげえな…。リッタ! この光景をしっかり覚えとけよ。」
「当たり前じゃない! アリサが大きくなったら絶対に自慢するんだから。」
そして、その騎士は隣で楽しそうに戦う冒険者風の夫婦を見て、自分でもこの信じられないような戦いに参加出来たことを誇りに思おうと心に決めるのだった。
*
ダンジョンの入り口に入ると、もう出て来るハチの姿は見えなかった。
一時期はもくもくと入り口から噴き出して来ていた煙も、だいぶん収まって来ている。
不思議とハチたちはダンジョンの中には戻ってこず、警戒をしていたジョゼフはホッとする。
ダンジョンの入り口は石造りの神殿のような構造をしていた。祭壇だったと思われる場所の後ろは壁が崩れて暗い洞窟がぽっかりと口を開けていた。
「ちょっと煙たいけど、大丈夫っぽいわね。みんな付いて来て。」
セラが先頭に立ち、ジョゼフたちはその後ろを陣形を保ったままついて行く。罠や隠れた敵を発見するのはジョゼフも得意だったが、本職の斥候の能力には敵わない。
「みんな…。危ない目に合わせちゃってごめんなさい…。」
洞窟に入ると、その壁面には等間隔で魔道灯が付けられており、薄暗いながらも、明かりを持たなくても十分に歩く事が出来た。
「そこ、木の根のところの白い石は踏まないでね。」
「これ踏んだらどうなるの? 」
注意を促すセラにシーラが尋ねる。
「シーラは…ダンジョンの経験はなかったね。ダンジョンって大昔の人が作った遺跡なの。魔法で色々な仕掛けがしてあって、無断で入って来た人間を排除するようになってる。この石を踏むと、多分横の穴から矢か槍が飛んでくるよ。」
「話だけは聞いた事があったけど…。気を付ける。」
セラの説明に、シーラはぶるりと震える。
「いかにもゴブリンが好みそうなところだね。暗いし、隠れる所も多い。」
リオンの声が洞窟に響く。
「そうだな…。あいつらの身体ならこう言った岩の陰に潜める。そして背後から突然襲うんだ。」
ジョゼフたちは、そう言った場所を見つける度に必ず調べてから進んで行く。脇道などがあった場合にも必ず覗いてから罠を仕掛けておく。
*
「ここで敵と会ったら…振り回すんじゃなくて突きかな…? 」
シーラは敵が出て来た場合の事を考えながら歩いているようだった。狭い場所で戦うのは大型の武器を使う者にとってはなかなかに難しい。
何も考えずに大きく振り回してしまうと、岩や天井に武器が引っかかり、格下の敵に簡単にやられてしまう場合があるからだった。
いくら強くても、ダンジョンでの戦闘経験のない者と一緒に潜る時には気を使うものだったが、その心配も無さそうだとジョゼフは安心する。
途中に何個か隠し部屋のようになっている部屋もあったが、その扉は開け放してあり、中には古びた武器が何点かと、ゴブリンが作る木を組み合わせた祭壇が残されていただけだった。
「やっぱり、あのゴブリンたちはここに居た連中だったみたいだね。」
「多分な…。こういう部屋に隠れて入って来たものをやり過ごし、前後から挟み撃ちにするタイプの連中だったんだろう。」
リオンが部屋のつくりを見て漏らす言葉に、ジョゼフが答えた。
「ねえ。こういう所に住んでる魔物ってどこから来るの? 」
薄暗く不潔な部屋を見て、シーラが顔をしかめながらジョゼフに訊く。
「外に居るゴブリンは、女を攫って来て子供を作って増えるが、こういったダンジョンの中に住んでるやつはちょっと違う。」
「違うって? 」
「こうしたダンジョンでは、あいつらは勝手に沸いて出て来るんだよ。」
「何も無いところから? 」
「そうだな。ただ、さっきみたいな部屋で沸く事が多い。だから、全ての部屋をしらみつぶしに調べて行ったとしても、後ろの警戒は絶対に怠れない。」
「たしかにこんなところで挟み撃ちにされたら、逃げ場所なんて無いもんね。」
ジョゼフはシーラにダンジョンで注意が必要なところを教えて行く。
天井に張り付いて岩に擬態しているスライムや、宝箱に擬態をしているミミック、そして隠し扉の見つけ方や、罠の対策など。
そうやって説明をしているジョゼフに時折セラが振り返るが、特に問題は無かったようで、彼女は再び前を注意して進みだす。
「ちょっと止まって。」
そんなセラが立ち停まる。
遠くから何か大きなものが唸るような音が聞こえて来た。
「どうしたの? セラ…。」
シーラが小声でセラに尋ねる。
「…しっ。静かに。女王の間がどうやら近いみたい。」
セラはそう言うと、一層真剣な表情をその瞳に浮かべるのだった。




