三十二話 決戦に向けて宿を出る二人
「君たちは、いつもこんな事をしてるのかい? かなり本気の立ち会いに見えたが。」
「いや、今回はたまたまですよ。普段は手合わせもしませんし。ただ、俺が負ける訳には行かなかっただけです。」
まだ目を丸くしているフレデリックに、ジョゼフは答えるとシーラへと微笑み掛けた。
あの台詞を言ったからには、シーラの為にも負ける訳には行かなかった。
お互いにそれを解っていたからこそ、手を抜く事無く本気でぶつかり合ったのだった。
「そのうちジョゼフに勝ってやるんだから。」
「楽しみにしてる。俺も負けないように努力しないとな。」
「頼むから、せめて練習試合は防具をつけて、刃を落とした剣でやってくれないか。見ている方の心臓に悪いよ。」
首を落としに行ったシーラの一撃は、見ていたアーシアたちには本気で首を取りに行ったように見えたらしい。
本気で防がなければ、間違い無く首と胴は泣き別れる事になっていただろうとジョゼフは思うが、それは黙っている事にした。
「程よい重さといい、バランスといい、魔力の通しやすさといい、この剣は凄いかも。」
シーラは声を弾ませながら喜ぶ。色々な型を試しては、顔をほころばせている。
「やあ。ジョゼフたちも終わったかい? 」
声のした方を見ると、リオンたちがちょうど戻って来るところだった。
「そっちはどうだったんだ? 」
「ちょっと凄いよ。これ。見てみるかい? 」
「ああ、射的場に行けば良いのか? 」
壁に囲まれた広い演習場の反対側に、数個の的が置いてあるのが見える。
目測で200mくらいはあるだろうか。的は小さな点にしか見えなかった。
ジョゼフは、通常弓が狙える距離とされる50mほどの距離まで近づけば良いのかと聞いたのだった。
「いや…。多分ここからでも大丈夫。一番右のを狙うから見ててくれ。」
「あれにか? 狙って当たるもんじゃ無いだろう。」
「それは見てのお楽しみってね。」
リオンはその身長ほどもある弓を構えて、弦を引き絞る。魔力が高まるのを感じると、その引き絞った弓と弦の間に魔力で作られた矢が見えて来る。
ひゅんと弦が鳴ると、山なりに撃たれた矢が一直線に的へと向かって行き、矢は吸い込まれるように一番右に置かれていた的へ向かって行く。
その離れた的は、矢が当たると同時にはじけ飛んび、数舜の後にボンと言う大きな音が響く。
「ざっとこんなもん。どうだい? ジョゼフ。」
「いや、凄いな。」
得意げに腰に手を当てるリオンに、ジョゼフは驚くほか無かったのだった。
*
「ねえ。みんな凄かったね…。」
「ああ。あれほどとは思わなかった。俺たちもうかうかしてられないな。」
宿に戻ったジョゼフたちは、明日の準備を整えに各自の部屋へと戻っていた。
出発は明朝の夜明け。大聖堂前に集合と言う事になっている。
あの後戻って来たライザは、ライトニングの魔法を使って見せたが、そのあまりの轟音と威力に、城の衛兵隊が飛んでくるという事件はあったものの、フレデリックのとりなしにて事なきを得ていた。
演習場は、結界によって音や魔法を遮断できるようになっていたが、そのあまりの威力に王宮と大聖堂が揺れてしまったのだった。
それを驚いた顔で見ていたアーシアとフレデリックもまた凄かった。
まさか素手の男が槍を持ったアーシアにあれほど迫るとは思ってもみなかった。
「ジョゼフ。フレデリックさんのあれって…。」
「バレたか。あの人がグラーフで使ったのを見て、自分にも出来ないかなと思って練習してたんだよ。」
シーラは、ジョゼフと初めて対戦した時の事を言っていた。あの時はジョゼフがシーラの大剣を拳に魔力を集める事によって硬度を上げ、剣を弾き上げる事によって勝利したのだった。
「あたしの剣、はここぞって時に大振りになっちゃうんだよね。だから読まれちゃうんだろうな…。」
「そうだな。ただ、あれを受けられる人間はそうは居ないと思うぞ。」
ジョゼフは少しだけ落ち込んだように見えるシーラに慰めの言葉を掛ける。だが、それは強さを求めなくてはならない勇者に取って、良くない事だと言う事もまた解っていた。
「あたしもそう思ってたんだ。でも、ここにだって一人居るし、リオンだってフレデリックさんだって受けられそうだよ? 」
「あいつらはちょっとおかしいから…。でも、そうやって色々と戦術を考えておく事は大事だからな。」
「そうね。今まで勝てないなって思ってたお父さまにも、皆に揉まれてたらいつかはって気になって来たし。」
シーラはそう言うと、またいつものような笑顔へと戻る。
ちょうど準備を終えたジョゼフも、背嚢の口をしっかりと締めた。
「よし。これで明日の準備は完了だ。三日間くらいならこれで全員分なんとかなる。」
明日戦いになったとしたら、一日で決着を付けないと、穢れはさらに大きな力を集めてしまう。だから、穢れが発生したらその場で始末を付けなくてはならない。アーシアからはそう聞いていた。
――だが、準備を怠れば後で悔いても悔やみきれない事が起きる。
ジョゼフはそう思って、余分に荷物を準備したのだった。
「今日はいっぱい動いたから、汗をかいちゃった。お風呂入れて来るね。」
「ああ、先に入ってていいぞ? 」
「何言ってるの? 一緒に入るに決まってるじゃない。もう隠さなきゃいけない事も無いし。」
そう言ってシーラはぷいと横を向く。
「ああ、悪かった。だって君は俺のお嫁さんだからね。」
そう言ってジョゼフは真っ赤に頬を染めたままのシーラを抱きしめるのだった。
*
「前にこうやって入ったのって、ルデルの街だったっけ。」
「そうだな。初めてシーラと宿を取った時だ。ほんの数日前なはずなのに、随分昔の事だったような気もするな。」
ジョゼフの前には、バスタオルを巻いたシーラが一緒に浴槽に浸かっていた。明るい所で全てを見られると思っていたジョゼフは、少しだけ残念に思う。
ああは言ったものの、明るい所だとまだ恥ずかしいと言ったシーラは、大きめのタオルを巻いて入って来ていた。
「そうね。あの時はもういっぱいいっぱいで…。夫婦みたいな事しなくちゃって。きっと全てを忘れちゃいたかったんだ…って今は思うの。」
「勇者になるための訓練の事か? 」
「そうね。あたしはそればっかりやって来たから、なんでこんな事をしなくちゃいけないんだろうってずっと思ってたの。お父さまの命令だったしね。周りの人も話す事はそればっかりで…。あ、セラだけは違ったの。街で見た事とか、本とか持ってきてくれて。」
「セラは…シーラの何なんだい? 」
「前に言わなかったっけ。従妹なの。あたしたち。小さな頃からずっと一緒で、従者みたいな事をさせられたりもしてたよ。」
「それじゃあ、魔王の兄弟の娘…? それともお義母さんの方? 」
「セラの母親がお父さまの妹なの。でね、セラは元々才能があったらしくって、大きくなってからはずっと人間の社会に溶け込んで内情を探るって事をしてた。あたしはその話を聞くのが好きで、いつか行ってやるって思ってたのよ。」
「勇者なら、そのうち来れたんじゃないか? 」
「いや、そう言うのじゃダメなのよ。きっと最初から勇者だって言ったら、きっとみんなは違った目で見るって思ってた。そんな事無かったのにね。」
「いつもはお姫様だったんだ。仕方ないよ。ただ、今の仲間が特別なのは間違いないな。俺に恨みを持っていたはずのリオンだって、俺と言う人間を見ようとしてくれていた。だからこうやって一緒にやって行けてるんだよ。」
「そうかも。じゃあ、あたしはいい人たちに出会えたんだね。最初は全ての出会いも誰かに仕組まれたものじゃないかって思ってた。でも、そんな事どうでもいい。だってあたしがこんなにみんなの事を大切だと思ってるんだもの。」
「……。そうだな。俺はシーラが大切に思うものを護りたい。俺も無欲で居る事が大切な事だとずっと思って来た。だから、こうしてシーラの傍でずっと君が笑っていられるようにするんだ。」
「ふふっ。ね、そっちに行ってもいい? 」
そう言うと、シーラはジョゼフ足の間にすっぽりと納まると、そのまま背中を広い胸に預ける。
「ここがね、あたしの帰る場所なの。」
そう言って振り返るシーラに、ジョゼフは口づけで返事を返すのだった。
*
「さあ。そろそろ準備しなくちゃ。シーラ。起きてくれ。」
ジョゼフは裸でシーツの中に居るシーラを揺すって起こす。
「ん。ジョゼフ。……おはよ。」
「眠り姫さまは目覚めの口づけをご所望かな? 」
「ふふっ。眠り姫じゃないけど、口づけはして? 」
宿には今朝は早く出る事と、余分な荷物を預かって欲しいと昨日のうちに伝えてあった。
まだ暗い部屋にランプを灯し、出発の準備を整える。
いつものように服を着て、鎧を纏う。
部屋はそのまま取っておく事にしていた。絶対に帰って来ると決めていたからだった。
二人で部屋のドアを締めて、一階にあるロビーへと降りて行く。
一日中明かりが灯されているロビーには三つの人影があった。
「ん? 誰だ? 」
「ああ、やっと来たんですね。おはようシーラ。」
「え? セラ? なんで…。」
「アンタならきっとこうするだろうと思ってね。あたしの役目は本日中にお屋形さまの前にシーラルヴァ殿下をお連れする事。その前に何をしようがあたしの勝手。」
冒険者の衣服と鎧を纏ったセラは、そう言ってシーラにニヤリと笑いかける。
「お父さまの前には行かなくちゃならないか…。でも大丈夫。あたしには今頼れる人達が居るから。」
「そっか…。良かったね…シーラ。」
「なに寂しそうな顔してるの! セラも入ってるに決まってるじゃない! 」
シーラはセラに抱きつく。
「セラもずっとあたしと一緒に居るの! あたしがそう決めたから! 」
そう言って姉妹のようにも見える二人は笑いあうのだった。
*
「あれ? なんだか多くない? 」
「ほんとだ。誰だろう…。」
ライザの声にリオンが答えるのを聞いて、シーラとセラの会話を優し気な目で眺めていたジョゼフが大聖堂に目をやると、そこには七つの人影が見えた。
「よし。全員揃ったね。」
「アーシアか? そこに居るのは? 」
ジョゼフが先頭で、人影に近づいて行く。
「よう。また会ったなジョゼフ。」
「なっ…。エルヴィンじゃないか! どうして…? 」
「なに、くたばったと思ってた仲間と久しぶりに会っちまってな。そいつらが今から命がけの戦いに向かうってんだ。行かねえって訳には行かねえだろ? 」
「またそうやって恰好つけて、自分の顔を鏡で見てみなさいな。」
「うるせえよ。リッタ。お前だって付いて来るって聞かねえじゃねえか。」
「アンタは一人だと絶対に無理するからダメ。常にあたしを護ってなさい。アリサに自慢するんでしょ? お前の洗礼の日に俺たちは勇者と闘ったんだってね。」
月明かりに照らされて、エルヴィンの顔が見えて来る。
誰かに殴られでもしたのか、いたるところが腫れていた。
「なんだ? 誰かにやられたのか? 」
「俺が付いて行くって言ったらよ。仲間だった奴がへそを曲げてな。腕の落ちたお前なんぞ連れて行けるかって言いやがったからよ。何なら試してみろって言ってこうなった。なあ、アンリエット。」
「どうしてこうあたしの周りはこういうバカばっかりなんだろうね。ほら、ルドルフ、治療は終わったよ。立ちな!」
「もうちょっと労りってものをだな。いってて! 引っ張るなって…。」
治療術師の治療を受けていたルドルフが立ち上がる。
「ほら、次は君だ。これから戦いに向かうってのに、わたしに余計な魔力を使わせて…。」
「本当にすみません! このバカには後でよーく言って聞かせますので! 」
エルヴィンを呼んだフレデリックに、アンリエットがひたすら謝る。
「良いさ。こいつの魔力は底なしだよ。バーグ村に着くころには回復してるさ。普段あんたたちが掛けられている迷惑を考えたら安いもんだよ。」
申し訳なさそうにしているアンリエットに、アーシアが笑いかける。
治療術師の顔になったフレデリックは、相当集中しているようで、アーシアの軽口すら耳に入っていないように見えた。
「ねえ。シーラ。あそこの治療術師がそうなの? 」
「うん。そう言ってたよ。」
「元はと言えばあんたが悪いんだけどね。殿下。お風呂場のカギを壊して作っておくって意味が解らないんだけど…。」
「だから言ってるじゃない! そういう事件が起こった方が、二人の仲は燃え上がるよねって思ってたらそうなっちゃったの! 」
「確かにあの本ではそうなってたけどね…。今まで誰にも見せたこと無かったのに…。」
「さっきから謝ってるでしょ…。ゴメンってばセラ…。」
聞くつもりは無かったが、ジョゼフの後ろではそんな会話がずっと繰り広げられていた。
「ぶふっ! 」
ふと隣を見ると、シーラが謝る度にリオンが堪えきれずに引き絞った口から笑いを漏らしていた。
そのたびにライザが腕をつねっているようで、笑った後には痛そうに顔をしかめる。
リオンのそんな百面相にジョゼフも笑いそうになるが、必死で耐えた。
「よし。終わった。後は頼む。アーシア。」
エルヴィンの治療を終えたフレデリックが、アーシアへと向き直る。
「さて、武器を取りに行ったら出発だ。街中ではくれぐれも武器を見せないように。被せる布は渡すから、それに包んで持ち歩くこと。街の外までは僧兵の護衛がつく。これは決まりだからしっかりと守るように。」
そう言ってアーシアは大聖堂にジョゼフたちを案内するのだった。




