二十一話 仲直りする二人
ジョゼフは、シーラの姿をあわただしく行き交う人の波の間に探していた。
無事だった冒険者たちが、ジョゼフたちが倒したゴブリンたちから、魔石や装備を剥ぎ取ってくれている。
「なんだかすげぇ数だな…。」
腕を三角巾で吊った少年冒険者のリヒテルが、山のように積まれている装備と、小さな砂山にも見える赤い魔石を眺めながら呟く。
「リヒテル…。だったか。今回は君にも助けられてしまったな。本当にありがとう。」
「よしてくれよ! ジョゼフさん。俺こそあんたの事をずっと勘違いしてた。汚い手を使って生き残って来た最低野郎だってね。本当に申し訳ない……。」
少年は、心の底から悔いるような顔をして、ジョゼフに頭を下げる。
「いや、気にしないでくれ。俺がやってきた事は、無謀な事でしかなかったんだ。今回の件で、それに気がつかされたよ。また何かあった時にも頼りにさせてもらう。だから、礼だけは言わせてくれないか。 」
「あんたみたいな人に頼まれて、嫌なはずが無いよ……。」
少年の瞳に涙が浮かんで来ていた。
鉄等級から銀等級に上がる頃が、冒険者には一番厳しい時期となる。
冒険者になりたての頃とは違い、自分の能力の向上がすぐに実感出来る訳でもなく、銀等級冒険者の上位者による、隔絶したような力を見せつけられ、折れそうになる心をひたすら鼓舞していかなくてはならないからだった。
そんな日々がやっと報われたような気がした少年は、込み上げて来るものを抑えられなかったのだった。
「……あ、あと母ちゃんが話を聞いたみたいで、ジョゼフさんたちにメシを食ってもらいたいって言ってんだ。良かったら……。」
「もちろん伺わせてもらうさ。」
そう言って、ジョゼフはリヒテル少年に微笑み掛けるのだった。
*
シーラを探し続けるジョゼフは、村はずれにある丘の上に三つの影が見える事に気が付いた。
傾いて来た陽が落とす長い影を地面に描いたシーラは、ライザの話を聞いているようだった。
「どう話したらいいもんか…。」
ジョゼフは頭を掻きながら、シーラにどうやって声を掛けようかと悩む。
前に大百足と闘って、シーラに心配を掛け、自分の命を粗末にする事は絶対に赦さないと言われていた事が頭に浮かぶ。
今回はシーラの皆を助けたいと言う願いを叶える為に、戦力も整わないまま直接ゴブリンの大集団に立ち向かうと言う、無謀な行為に自ら向かって行ってしまった。
ジョゼフは、そもそも、そこが間違っていたのだと思う。
アーシアの言う通り、仲間を信頼さえしていれば、一旦ゴブリンを村の外に誘導するなり、村の人々の避難を優先させて、軍勢を村に留めておく事だって出来た。
だが、そう言う手段を取らず、立ち向かう事を選んでしまったのだ。
「一人で居たのが長すぎたのかもな…。」
悩むジョゼフは、今までの旅を思い出していく。
ユーリアたちが魔物の犠牲になってからと言うもの、ジョゼフはパーティを組む事は無かった。
失う事が怖いのなら、最初から仲間を作らなければいいと思っていた。
だからずっと一人きりで旅を続けていた。
だが、今のジョゼフにはシーラが居る、リオンとライザが居る、そしてアーシアやノルンだっている。
自分が死んで、その後は何とかなるだろうと言うのはあまりにも無責任だと思い至った。
冒険者として生き残って行くには、常に考えうる最悪の事態を想定して動かなくてはならない。それでも現実は予想を上回る最悪さを持って襲ってくる。
冒険者をある程度続けていれば、嫌でも身につく考え方だ。
だから彼ら全てを護るには、どんな事だってしなくてはならない。
たとえ泥にまみれ、誇りが地に落ちることになっても、彼らの存在には代えられない。
――だが、なぜそこまで彼らの事を大切に思うのか。
「それは、みんなの居るところが俺の帰る場所になっているからだ。」
ジョゼフは少しだけ答えに近づけた気がしていた。
*
「どうしたんだい? 珍しく悩んでるじゃないか。」
「…リオン。珍しいとは失礼だな。」
ジョゼフは顎に手を当てたまま振り返ると、声を掛けて来たリオンに不機嫌そうな顔を向けた。
「実際そうだろう? 考えなしに突っ込めば何とかなるって。」
「それを言われると返す言葉も無いな…。」
真剣な顔で言うリオンに、ジョゼフは何も言い返す事が出来なかった。
リオンたちという頼りになる戦力が居てくれていたのに、彼らに手を貸してもらうと言う選択肢すら、助けてもらう直前まで頭からすっぽりと抜け落ちていたからだった。
「またそうやって一人で考え込む。そういうとこだよ? ジョゼフ。」
「…そう…だよな…。どうしたら良いと思う? リオン。」
ジョゼフが顔を上げると、リオンがにこやかに笑い掛けていた。
「ジョゼフはどうしたいんだ? 」
「俺は…。シーラと離れたくない。怖いんだよ、もうついて行けないって言われそうでな。」
首を振りながら答えるジョゼフを、リオンはジッと見ていた。
こんな度胸の塊のような大男が、怖いなんて言う台詞を口にするのを見て、思わず笑ってしまいそうになる。
「ははっ…。まずは何も考えずに謝っちまうんだ。」
リオンは、何の前置きも無く、そうジョゼフに告げる。
「それじゃ今までの考えなしに突っ込んで行くのと変わらないだろ? 」
「違うな。そうしてそれから『これからの事を一緒に考えて欲しい。』って言うんだよ。」
そう言われてジョゼフは、今までもお互いに話をして来たが、共に悩む事はしたことが無い事に気が付く。
お互いの希望をお互いが聞き合って、すり合わせを行って来ただけだった。
「それは…。今まではしたことが無かったな。どちらかと言うと、俺が勝手に決めてただけな気がする。」
「そりゃダメだね。僕は何でもライザに話す。どんな悩みでも、情けなく思えることでも。だから彼女は僕の事を信頼してくれるんだ。うちはこれで上手く行ってる。」
「男ってのは弱音を吐いちゃダメなんじゃないか? 」
「そのね、こうじゃなくてはならないって自分を縛る癖は止めておいた方がいい。人間なんだから時と場合によって変わるもんさ。」
ジョゼフは飄々としたリオンの姿が、その言葉に重なるような気がした。
「俺は…。どうしたらいいんだ…。」
「それだよ。ジョゼフ。君は自分自身をどうしたいんだい? 」
「………。」
その質問には、ジョゼフは直ぐに答える事が出来なかった。
「まあ、いいさ。それは宿題だね。まずは彼女に謝って来るといい。」
リオンはそう言うと、ジョゼフの肩をシーラたちへと向けると、その背中を押した。
ジョゼフは、少しだけ前に倒れそうになりながらも、シーラの下へと歩き始めるのだった。
*
陽もだいぶん傾いて来て、辺りは夕焼けの赤い色に染まって来ていた。
話をしている三人の女性の影が長く伸びて、少し離れたジョゼフの足元まで伸びている。
「シーラ…。俺は君の気持ちにまったく気を配れていなかった。本当にすまない…。」
ライザと話をしていたシーラの背中に、ジョゼフは思い切って声を掛けた。
ジョゼフの声に気が付いたシーラが、ジョゼフの方へと振り返る。だが、その表情は影になってしまっていて、伺う事が出来なかった。
「俺はシーラを絶対に失いたく無いんだ。リオンに言われて気が付いたんだが、俺は君に悩みを話す事が出来ていなかった。これからは出来るだけ…いや、必ず話そうと思う。だから、一緒に悩んで…考えてくれないか? …この通りだ。」
シーラの影がゆらりと揺れて、一歩づつ頭を下げるジョゼフの下へと近づいて来る。
ここで別れを告げられても、諦める事など出来そうに無かった。
どれだけみっともなかろうが、シーラに話を聞いてもらいたい。そう思っていた。
ふっとジョゼフの頭が柔らかく暖かいものに包まれた。
「ジョゼフ…。謝らなくちゃならないのは、あたしの方。あなたはあたしのみんなを救いたいって望みを叶えようとしただけだわ。…本当にごめんなさい。ジョゼフ。」
ジョゼフの頭を包んでいたのは、シーラの両手とその身体だった。
「赦して…くれるのか? 」
「赦すもなにも…。間違っていたのはあたしたち二人ともなんだもの…。あたしだってジョゼフが向かって行った時、止めたりもしなかったし、一緒に戦おうとしか思って無かった。頼りになる仲間の事なんてすっかり抜け落ちてた。だから、ジョゼフだけが悪いんじゃないの。」
「じゃあ、これから俺が悩んだ時や道を見失いそうになった時に、助けてくれるか? 」
「あたしはずっとそのつもり。あなたが望むのなら何だって叶えたいし、あなたが悩むなら一緒に悩みたい。だから、あたしがジョゼフに頼るように、あたしにも頼って。」
「ありがとう…。ありがとう、シーラ。」
そう言ってジョゼフはシーラの細い身体をしっかりと抱きしめるのだった。
*
「あのっ…。歓迎会の準備が出来たみたい…なんですけど…。」
遠慮がちに話しかけて来たのは、少年冒険者のリヒテルだった。
ジョゼフとシーラが抱き合って見つめ合っているのを直視してしまったらしく、その顔は真っ赤に染まっていた。
一緒に丘を上がって来たリオンがそれに気が付き、リヒテルの小脇を肘で突いてからかう。
「? 歓迎会って何? ジョゼフ。」
「ああ。このリヒテルのお母さんが、お礼をしたいって言ってたらしくてな。食事をご馳走してくれるらしい。」
「それは良いわね! もうお腹がぺこぺこなの…。」
「そういや昼も食べてなかったな…。悪い、リヒテル。案内を頼めるか? 」
「いや、あの…。母さんが歓迎会を開くって言ったら、村の皆が総出でお礼をしなくちゃって事になっちゃって、どうせならみんなでって、冒険者のみんなにも教会に集まってもらってるんだ。」
「冒険者のみんなって、少なくても百人は居たはずだぞ? 」
「ああ、それなら大丈夫。この村の教会はちょっと特別だから。」
そう言ってリヒテルは先に立つと、ジョゼフたちを案内し始めた。
*
教会は、丘のすぐ近くにぽつんと立っていた。
古ぼけたその建物は、村の規模に合わせてこぢんまりとしており、数十人が入ればすぐに一杯になってしまいそうなものだった。
集まっているという冒険者の姿も、近くには見えない。
「なあ、リヒテル。本当にここで合ってるのか? 」
「この村の人間の俺が言ってるんだ。大丈夫だよ。ジョゼフさん。」
教会の扉を開けると、壁に掛けられたランプが既に灯されていた。暗くなるのを見越して、誰かが点けていてくれたようだった。
どこかから、人の笑い声が響いて聞こえてくる。
ふと奥を見ると教壇が横にずらされて、大きな穴が開いているのが見えた。
「さあ。こっちこっち。」
リヒテルは勝手知った教会の奥へと入って行き、その穴の中に足を踏み入れる。
どうやら階段になっているようで、その姿はゆっくりと下へと降りていった。
ジョゼフたちも顔を見合わせると、リヒテルの後を追ってその中へと降りて行く。
「やっと来たのかい! もう始まっちまってるよ! 」
アーシアの声が大きく響いた。
階段を降りた先には途方もなく広い空間が広がっていた。天井や壁が明るく光り、昼間の様な明るさになっている。
「ここは…なんだ…。」
「ああ、ここは大昔の遺跡らしいんだ。この村はこの遺跡の上に建ってる。天井や壁も魔道のからくりが仕込んであって、人が来ると明るくなるようになってる。だから、何かあったらここに逃げ込む事になってるんだ。元々はそのために作られたものらしいし。」
驚くジョゼフに、リヒテルが説明する。
古王国の遺跡というものは、世界各地にあるが、こうしていまだに動いているものは数が少ない。ジョゼフも古代の技術を直接見るのは初めてだった。
「この度は、リヒテルがお世話になったそうで…。本当にありがとうございます。」
「いえいえ。こちらこそ彼のおかげで命を助けられました。感謝しなくてはならないのはこちらの方です。」
声を掛けて来た女性をリヒテルの母だと思ったジョゼフは、その女性にお礼を述べる。
「本当に…。ありがとうございます。この子まで居なくなってしまっては、私はこれからどうしたらいいか…。」
ジョセフは自分がリヒテルすら犠牲にしかねなかった事を話していいものかどうか悩んだ。
「リヒテル君は凄かったみたいですよ。今回の一番の大物に止めを刺したのはリヒテル君なんですから。村の英雄って言っても良いと思います! 」
すかさずシーラが助け舟を出してくる。あまり心配させる事は言わない方が良いと思ったらしかった。
「そう…なんですね。でも、私たちは間もなくこの村を離れなくてはならないんです。」
「どうしてなんです? 」
「じつは、以前に不作が続いた年がありまして、その時に借りた借金が膨らんでしまって…。夫が冒険者として稼いでいた頃はまだ何とかなっていたんですが、とうとう村のものは他の村へと追い出される事になってしまったのです。」
「その話…詳しく聞かせてもらえませんか? 」
シーラは真剣な顔をしながら、リヒテルの母に問いかけるのだった。




