二十話 強敵に挑む二人
「シーラ。ポーションは? 」
「さっき飲んだので最後。残りの魔力もあとちょっとかな…。」
「俺もこれで最後だ。シーラ、君が飲むんだ。そして、みんなを連れてここから離れろ。」
驚いた顔のシーラに、ジョゼフはポーションの小瓶を渡す。
青く透き通ったその液体は、魔石を砕いて神聖魔法で浄化し、エーテルと呼ばれる液体に溶かしこんだ魔力を補給出来るものだった。
「なに言ってるのジョゼフ! あなただって魔力はもう空っぽじゃない!」
「だからだよ。俺はもうシーラを護り切れない。だからこの場から直ぐに逃げろ。」
「ジョゼフはどうするつもりなのよ! 」
「時間を稼いだら追い付くさ。おい! お前らも早く逃げろ! 」
ジョゼフたちを追って付いてきていた十数人の冒険者たちにも声を掛け、直ぐにこの場から去れと叫ぶ。
ゴブリンキングの姿を見て、固まったままでいた冒険者達が、止まっていた時が動き出したかのように慌て始める。
後は彼らはこの場所から立ち去ってくれるだろうと思い、隣に立っているシーラへと目を戻す。
「シーラ。俺があいつらにやられても死ぬだけだ。女の君が捕まったら、どういう目に遭うか知らない訳じゃないだろう? 」
「知ってる。だからと言って、ジョゼフを置いてなんて行けない。それはあたしの決意を否定する事になっちゃうから。」
シーラは真剣な目で、ゆっくりと迫ってくるゴブリンキングの動きを見ていた。
その周りには、まだ百匹ほどのゴブリンが群れていて、そのゴブリン達が持っている武器は、今まで倒した連中とは比較にならないほど良いものだった。
梃子でも動かないと言った目をしたシーラに、ジョゼフは言葉を重ねるのは無駄だと理解する。
ポーションは飲んでくれたようだった、少なくともこれで少しの間は安心出来る。
後は自分の命が尽きるか、ゴブリンの数が尽きるかの勝負になると、ジョゼフは決意を新たにした。
*
カタカタとジョゼフの少し後ろから音がした。
「……俺たちも戦う。 」
先ほど逃げろと言ったはずの冒険者たちだった。
まだ若く見える冒険者は、前から迫ってくるゴブリンキングを見据えていた。
だが、彼の持つ剣の先が小刻みに震えて、鍔がカタカタと鳴ってしまっている。
「無理せずに逃げろ。ここは俺だけで大丈夫だ。」
「嘘つけ! あんたからはさっきみたいな魔力をちっとも感じない。俺たちはまだやれる! あんたたちだけを残して逃げられる訳ないだろ! 」
諭すように言ったジョゼフに、喧嘩腰とも取れるような言い方で、若い冒険者は叫ぶ。
胸には鉄等級を表すタグが揺れていた。
きっと彼はここでこのゴブリンキングから逃げてしまえば、村からやっと逃げ始めたばかりの人々が襲われてしまうのを解っているのだろう。
「ますます、倒しきる前には死ねなくなったな。」
ジョゼフは一人つぶやく。
ジョゼフは、一人で旅をしていた頃の自分なら、迷わずに死を覚悟していただろうと思う。
やれるだけやって、力が及ばなければ終わり。そんな刹那的な考えをしていたはずだった。
ジョゼフは、護らなければならない。ではなく、護りたい。シーラが言っていた言葉の意味がやっと解った気がしていた。
「来るぞ! 毒矢に気を付けろ! 動けなくなるぞ! 」
ジョゼフの掛け声に呼応するかのように、陣形を整えたゴブリンの後衛から矢が飛んで来る。
シーラもジョゼフも、自分に当たるような矢は剣で弾く。
若い冒険者たちは、盾で防いだり魔法で反らしたりしていたが、二人ほど避けきれずに矢がかすってしまう。
「矢が当たった者は直ぐに下がれ。動けなくなったら運べなくなる! 足手まといになりたくなかったら直ぐに下がるんだ! 」
悔しそうな顔を浮かべた女剣士と、魔術師が連れだって村へと下がって行く。
「前衛が突っ込んで来るぞ! 」
ジョゼフにはもう使える魔力は無かった。体力ももう限界が近く、目には時々チカチカと光がまたたいている。
だが、何故かジョゼフには内なる力が沸いて来ている感じがしていた。
先陣を切って突っ込んでくる二十匹ほどのゴブリンたちに、ジョゼフが斬り込んでいく。
シーラもそれに続いて大剣を構えて走り出す。
先ほどのように、一刀では倒せないものの、二~三合剣が交われば、ゴブリンは致命傷を負って倒れて行く。
前衛の一団をあっと言う間に屠ると、ジョゼフは弓を捨て、剣に持ち変えた後衛のゴブリンたちへと剣を突き入れて行く。
「横に回り込んできた奴を頼む! 」
ジョゼフの叫びに冒険者達が応える。
これなら何とかなる。そう思った時だった。
ジョゼフは硬い大きなものに、自分の身体が吹き飛ばされるのを感じていた。
*
ジョゼフは頭を振って立ち上がる。魔力の強化の無い身体は、ひどく脆弱だった。
―― 一秒、いや、数秒か。
ジョゼフは自分が気を失っていた時間を考える。
それ以上に長ければ、既に討ち取られているはずだったからだ。
まだくらくらとする頭に自分で活を入れて、シーラの姿を探す。
「お前……。人の女房に何をしてやがる……。」
ジョゼフを倒した手応えがあったのか、ゴブリンキングはシーラを押し倒し、その身体にのし掛かろうとしていた。
どうやら、俺たちが弱るのを待っていたらしいとジョゼフは思う。
ジョゼフの中で、怒りが爆発しそうになる。どす黒い感情が身体中を駆け巡り、身体を強化して行く。
「なんだ……。魔力が無くても平気じゃないか……。」
奇妙な爽快感を得ながら、ジョゼフは一瞬でゴブリンキングへと近寄ると、その腹を蹴りあげた。
吹き飛ばされたゴブリンキングは、周りでおこぼれに与ろうと、下婢た笑いをあげていたゴブリンごと、太い木の幹に叩きつけられる。
ジョゼフの左手の薬指が妙に痛んでいた。遠くで名前を呼ぶ声がしていた気がしたが、気にせずにゴブリンキングへと向かう事にした。
身体には黒いもやのような魔力が纏わりついているのが見えた。
「人の女を辱しめようとしやがって……。」
――そうだ。こいつは俺のシーラを……。
「ジョゼフ! ダメ! その力を使っちゃ! 」
ジョゼフの灰色に染まっていた視界に色が戻り、シーラが呼ぶ声が聞こえて来た。
「シーラ! 大丈夫か! 」
「良かった……。戻ってくれた……。」
肩を掴んで無事を確かめるジョゼフを見て、シーラは安堵の涙を流した。
何が起こったのか解らずにジョゼフは戸惑うが、シーラが何か取り返しのつかなくなるような事から自分を救ってくれた事だけは解った。
「あいつまだ起きて来やがる! 」
冒険者の声に、ジョゼフは我に帰る。
木に叩きつけられて、倒れていたゴブリンキングが、ゆっくりと身体を起こすのが見えた。
「お前たち! 頼む! 彼女を連れて逃げてくれ! 」
無茶な力を使ったせいか、ジョゼフの身体には、まるで絶叫のような苦痛が襲って来ていた。
数人の冒険者達が、もう動けなくなってしまっていたシーラに肩を貸し、村へと連れて行こうとする。
「ダメ! ダメだってば! あたしもここに残るんだって! 離して! 」
「頼んだ。」
暴れようとするシーラを抑えながら、ゴブリンキングから目を離さずにいるジョゼフの言葉に、冒険者たちは頷いて足を早めた。
*
「お前もここに居たら死ぬぞ? 」
「あいつらが逃げる時間は稼がなくちゃならないだろ? あんた一人だけじゃ足りないよ。」
その最初に残るとジョゼフに言った若い冒険者は、既に震えてはおらず、覚悟の決まった静かな声でジョゼフに言葉を返す。
「すまんな……。」
「あんたみたいな人に感謝されたって言ったら、父さんにも自慢出来るな。」
頭から血を流し、憤怒の形相となったゴブリンキングがゆっくりと迫ってくる。
まだ息のあった十匹ほどのゴブリンも、落ちていた武器を拾いながらジョゼフたちの回りを囲んで行く。
自分たちに徹底的な腹いせをしている間に、何とかシーラたちは村へと戻れるだろう。そうなれば周りにいる冒険者達が何とかしてくれるはず。ジョゼフはそう思っていた。
突然、大量の拳大の石が、恐ろしい速さでゴブリンたちに降り注ぐ。
勝利を確信し、どう恨みを晴らすかを考えていたゴブリンたちは、あっと言う間に岩礫の餌食となった。
目の前まで来ていたゴブリンキングにも、かなりの量の岩が当たっており、身体中から血を吹き出している。
次の瞬間、ひゅん!とジョゼフの頭の上を何かが通り抜け、ゴブリンキングの脇腹に大穴を開けて、後ろの地面に突き刺さった。
金属で出来たその矢には、紫色の魔力が籠められており、地面に突き刺さってからもゆらゆらと魔力を漂わせていた。
「今だ! 」
ジョゼフの剣は、ゴブリンキングの首へと吸い込まれて行く。
だが、既にジョゼフには力がほとんど残っておらず、その剣は皮一枚分食い込んだところで止まってしまった。
ニヤリとゴブリンキングが笑い、その大きな拳を振り上げて、ジョゼフに止めを刺そうとした。
「まだだ! 」
ジョゼフの背中を誰かが駆け上がり、そのまま肩で踏み切ると、空高く飛び上がる。
ちょうど太陽を背にした状態となったその影は、光る剣を頭にある岩礫が当たった跡へと突き込んだ。
頭に剣が深々と刺さったゴブリンキングは、一瞬硬直すると、そのまま倒れ、やっと動かなくなった。
「なあ。俺が残ってて良かったろ? 」
そう言って、鉄等級のタグを揺らしながら、少年はジョゼフに笑い掛けるのだった。
後ろを振り返ったジョゼフには、弓を抱えたリオンとライザが駆けてくる姿が見えていた。
『いざって言うときに頼りになる可愛い子よ? 』
ジョゼフはそんな懐かしい人のセリフを思いだし、そこでとうとう気を失うのだった。
*
「バカバカバカ! ジョゼフのばか! 」
手加減なしにジョゼフの胸を泣きながら叩いているのはシーラだった。
気を失ってしまったジョゼフを、リオンと若い冒険者、名をリヒテルという彼が二人掛かりで村まで運んでくれていた。
シーラは先に村に着いて治療を受けていたが、動けるようになった瞬間にジョゼフの下へと戻ろうとして、アーシアによって催眠魔法を掛けられていた。
そして、ジョゼフの治療が一段落ついた頃、ちょうど目を覚ましたシーラは、ジョゼフの胸に飛び込むと泣きながら叩き始めたのだった。
「済まない。シーラ。」
「ジョゼフは全然済まないなんて思ってくれてないじゃない! どうしてあたしをまた一人にしちゃおうとするの? ねえ。なんで……。」
泣き続けるシーラの言葉が、ジョゼフの胸に刺さる。
「ね。シーラさん。今回は完全なわたしのミスなの。まずは外に出て風に当たりましょ? 」
ライザがしゃくりあげるシーラを、救護所となっているテントから連れ出して行った。
そんな二人をじっと見ていたセラも、ジョゼフを一瞥すると、シーラの後を追って外に出ていく。
「またあんた命を粗末にしようとしたのかい? 」
アーシアがジョゼフに問いかけて来る。
「いや、俺としては最善を選んだつもりだった。その結果がこうなっただけさ。」
「あんたはね、何かしようとする時、自分の命を勘定に入れてないんだよ。そんなの女にとっちゃ不安になるに決まってるだろ? 」
「それは……。」
ジョゼフは違うと言いかけて、その言葉を飲み込んだ。実際に否定しようが無かったからだった。
「ほら、やっぱりそうじゃないか。そうやって一人で抱え込んじまうから、黒い魔力に飲まれそうになるんだよ。」
「あの力を知ってるのか? 誰から聞いた? 」
「あたしを誰だと思ってんだい。それくらい知ってなきゃ聖女の護衛になんざ選ばれないよ。それにね、あんたの魔力経路がひどく穢れてた。さっきまでノルンが浄化してくれてたんだから、あの子にもちゃんと感謝しな? 」
「そうか。俺は助けられてばっかりだな。」
「それの何が悪いのさ。」
情けないと首を振るジョゼフに、何を言っているんだと言わんばかりの口調でアーシアが続ける。
「あんたの一番ダメなところは、仲間を信用しない事さ。今回だって無理だと思ったなら一旦引いて、体勢を整えてから向かうべきだった。そう思わないかい?」
「そんな事をしたら、アーシアたちにも危険が及ぶだろ? 」
「そんなの当たり前だろ? 仲間なんだから。あんたと同じように、あたしらもあんたを危険な目には遇わせたくない。違うかい? 」
「そうだな。言われてみれば返す言葉もない。ありがとうアーシア。次からは頼らせてもらう。」
「解ったなら、シーラに謝って来な。」
そう言ってアーシアはジョゼフの背中を叩き、テントから追い出すのだった。




