十八話 過去を語る二人
「本物を見たことがあるって、どういうことなの? 」
ベッドの上で身体を起こしたまま、シーラが聞く。
「言葉通りの意味さ。勇者の聖刻をそれこそ絵に描けるくらいには見てた。」
「先代の勇者って……。」
「ああ。魔族には伝わってるか解らないが、勇者ジェイコブ・ローゼンハイム。それが俺の父親なんだ。」
「もちろん知ってる。でも……。」
シーラが言いよどむのを見て、ジョゼフは続けた。
「そうだ。父さんと母さんは、言い伝えの通りに旅に出る事になった。それからどんな事が起こったのかは解らない。あの人たちは帰って来なかったから。」
「そう…なんだ……。でも、良かった……。もし、ジョゼフがそんな重い運命は受け入れられないって言ったらどうしようって思って……。」
胸の支えが取れたようにシーラは言う。
「どんな存在だろうと、シーラはシーラだよ。前にも言ったろ? 」
「うん。そうだった……。ありがとうジョゼフ。」
そうして二人の唇は重なりあい、お互いの体温を確かめあい、そして一つになって行った。
*
「でも…。まさか。まさかこんな事があるなんてね……。」
ジョゼフの腕の中でまどろみながら、シーラがつぶやく。
「どうした? シーラ。」
「自分で選びとったはずのものが、全て仕組まれたものかも知れないって、そんな事を考えちゃった……。」
「どうしてそんな事を思う? 」
「だって、偶然にしては出来すぎなんだもの。」
「確かにそうだな。家出してたまたま拾われたのが俺な訳だし。」
「あたしは勇者で居ることに耐えられなかった。だから、家を飛び出して来たの。ひたすら強くなる事を求められて、他には何も出来なかった。…いや、させてもらえなかったのよ。ある時に、ふと思ったの。自分の身を守れないほどの『弱きもの』を護るためになんでこんな思いをしなくちゃならない。自分の力は、自分の為に使うのが当たり前だろうって……。」
「それが家出の本当の理由だったのか。」
「そう。でも、お婿さん探しも嘘じゃない。結婚してしまえば、この運命から逃れられるんじゃないかって、そう思ったの。そしてあなたに助けられて、新しい事を教えてもらって、どんどん好きになっていった。」
「……。」
「でもね、そうしてあなたを好きになって、色々な人と出会って、それぞれの幸せの形を見て、自分も幸せな気持ちになって……。そんな世界を護ろうとしてるジョゼフの姿を見てるうちに、そんな世界を護るのも悪くないんじゃないかって思い始めたの。これもジョゼフのおかげね。」
「それは買いかぶりだよ。俺だってシーラと会わなければ、ああやって人から逃げたまま、一人で旅を続けてた。それに、俺は誰かを助けようなんて思って生きて来た訳じゃない。空っぽな俺は戦うことしか出来なかっただけなんだ…。」
「ジョゼフがどう思っていようと、あたしから見たジョゼフはそう言う人だもの。」
「そうか。それならシーラの理想に近づくように頑張らなくちゃな。」
「頑張ってもらう必要なんか無いの。ジョゼフはジョゼフのままでいてくれたら、それだけで良いのよ。愛してるわ。ジョゼフ。」
「俺もだよ。君が居てくれたからこうしてまた人と関われるようになれた。愛してるよ。シーラ。ありがとう。」
そうして二人は再び唇を合わせると、枕へと頭を沈めた。
ほどなくしてジョゼフから静かな寝息が聞こえて来た。
「でもね、あたしにはまだ言えてないことがあるの…。…ごめんなさい…。ごめんなさい…。ジョゼフ。」
その言葉は寝ているジョゼフにはとどかず、シーラは彼を起こしてしまわぬように、静かに涙を流し続けるのだった。
*
ジョゼフは夜明けと共に目を覚ました。腕にはシーラの頭が乗っていたが、起こさないようにそっと腕を抜くと、シーラの頭を枕へと移す。
室内にも洗面所は付いていたが、かなり水の音が響く作りだった。
シーラを起こしてしまいそうだったので、ジョゼフは廊下の端にある洗面所に向かう事にした。
「おはようございますジョゼフさん。昨日はよく眠れましたか? 」
「お、おはよう。ライザ。よく眠れたよ。やっぱりベッドは寝やすいね。リオンは? 」
「あの人はまだ寝てますよ。ちょっと疲れてるみたいだったので、もう少し寝かせてあげようと思って。」
顔を洗い終って部屋に戻り掛けていたジョゼフに、そう声を掛けて来たのはライザだった。
昨日の声と、この大人しそうな女性がどうにも結び付かずに、ジョゼフは少しだけ戸惑ってしまう。
「どうしました? 何か顔色が悪いですよ? 」
「い、いや、何でもない。今日は出発はのんびりなんだったよな。」
「はい。出発の一刻前に知らせてくれるみたいですよ。どうも羽目を外しすぎてしまう方がいるみたいですね。」
「旅暮らしだと、そういう時もあるさ。」
「そう…かも知れません。あ、シーラさんは? 」
「今日は珍しくお寝坊さんだよ。うちもギリギリまで寝せてやろうと思ってね。」
「それなら、ちょっと庭の散歩に付き合ってもらえませんか? 」
真剣な表情でそう言うライザに、ジョゼフは首を縦に振ることしか出来なかった。
*
「なんだかこうしてると逢い引きみたいですね。」
「冗談でもそういう事は言うもんじゃ無いぞ? 」
「確かに。軽率でした……。」
いつも思慮深い話し方をするライザが、こんな冗談を言うとは思わず、ジョゼフはたしなめるように苦言を呈してしまった。
ジョゼフとライザは、中庭に繋がっている小路を歩いていた。両側には腰の高さほどの生け垣が続いており、所々に植えられている小さな花が目を楽しませてくれる。
「それで、何か話があるんだろう? 本当に散歩に付き合って欲しいだけならそうするが。」
「さすがに解りますよね…。ええと……。ジョゼフさん。ユーリアさんって人のこと、教えてくれませんか? 」
ジョゼフは驚いた顔でライザを見返してしまう。まさかその名前を聞く事になるとは、思ってもみなかったからだった。
「なぜ、その名を知っている。」
「わたしが知っている訳ではないんです。リオンが…。寝言で…。」
ライザがポロポロと涙をこぼし出す。
「ちょうどあそこに東屋がある。よかったら話を聞いてくれ。」
「わたし、不安で。彼が居なくなってしまうんじゃ無いかって。」
ジョゼフはライザを掛けさせると、向かい合わせになるように椅子へと座った。
「もう大丈夫か? 」
やっと涙が止まったらしいライザが頷くのを見て、ジョゼフは聞き取れるようにゆっくりと話し出す。
*
ユーリアに初めて会ったのは、俺が活動の拠点をルデルに動かしてすぐの頃だった。冒険者に登録して一年が経ち、等級は鉄まで上がっていた。
ただ、もうその辺りになると一人では厳しい。パーティーを組んで挑まないと討伐出来ないような魔物を倒さないと、鉄から銀へは上がれないからな。
冒険者のクラスって言うのは、その辺りの協調性とかも見るものなんだろう?。
当時の俺は早く強くならなくてはと思って焦っていた。
今でもそうだが、俺は口下手でな。それでよくケンカになってはパーティーを抜けていた。
爺さんとずっと二人で旅をしてたから、甘えすぎてたんだろうな。話をしなくても相手は解ってくれる。そう思ってたんだ。
終いにはパーティーを組んでくれる奴も見つからなくなって、一人で無謀な依頼を受けてはボロボロになって帰ってくるって事を繰り返してた。
それでも命があったのは、爺さんに鍛えられていたからなんだと思う。
だが、そんな運だけの綱渡りには、いつか無理が来る。俺はオーガ二匹の討伐依頼を請けて森の中の遺跡へと行っていた。
最初は順調に進んでたが、いざ倒そうと挑みかかった時に、片方がサイクロプスだった事に気がついた。
あっと言うまにズタボロにされた俺は、殴り飛ばされたまま、動く事も出来ずに死を覚悟するしか無かった。
そんな時に助けに入ってくれたのが、リカルドのパーティーだった。四人とも俺よりも二つ年上の十八歳で、銀等級になったばかりだったが、俺には凄い大人に見えた。
あっと言う間にサイクロプスとオーガを片付けた四人の中に、ユーリアが居たんだ。
何故か俺は彼女に気に入られてな。パーティーに入れてもらえる事になった。
放っておけない弟分なんてよく言われてたな。
俺は当時は無口で、みんなとほとんど喋ることはあまり無かった。
口を開いても『ああ。』とか『わかった。』みたいな言葉ばかりで、年中陽気なライアンには、辛気くさい顔すんなと背中を叩かれながら言われたもんだった。
ユーリアは、そんな俺に色々と良くしてくれてな。俺も姉のように思うようになってた。
俺は彼女たちが眩しかった。頼まれもしていない人助けを喜んで引き受け、それに成功したとしても驕る事が無かった。
そんな彼らの仲間で居られる事を、俺は誇りに思ってたんだ。
ある時に、なんでそんな実績にも金にもならない事をするんだって聞いた事があってな。ユーリアは『みんなが少しでも幸せだと思えるようにしたい、それが私たちが冒険者になった理由だから。』って言ってた。
仲間を得て討伐が楽になると、 俺の等級はあっと言う間に銀になった。
その時もみんなは喜んでくれた。ユーリアはお守りを縫い付けた籠手を贈ってくれた。
俺はやっと少しだけ人との付き合い方が解ってきていて、何とかお礼を言う事が出来た。
リカルドも俺の頭をがしがしと撫でてくれてな。
だから、俺はそんな皆に恩返しをしようとますます必死になった。
ワイバーンの討伐の時だって、たまたま俺が前衛を務めていたから、金等級になったってだけだ。
みんなの助けが無ければ、奴の棲んでた洞窟さえもたどり着けなかったろうさ。
そして、あのグラーフでの戦いの時、俺たちは致命的な間違いを犯したんだ。
街に入ってすぐ、俺たちはそのおかしさに気がついた。直ぐにギルドに向かったけれど、そこには誰も居なかった。
その足ですぐに領主の館に向かって、恐怖でおかしくなり掛けてた衛兵の一人から、なんとか話を聞き出す事が出来た。
魔物に人を喰わせてるって話を聞いて、俺たちは直ぐに止めさせようと領主を探したんだ。
館は広かったが人の姿は無く、やっと見つけた領主の部屋に入ると、書棚の隠し扉が開け放してあって、俺たちはそこから地下へと足を踏み入れた。
今から思えば、どんな魔物を飼っているのかさえ聞かずに飛び込んで行ってしまったのが、そもそもの間違いだった。
俺も龍種のワイバーンすら倒せたと思って天狗になってたし、何の疑問も持っていなかったんだ。
それからは聞いた通りさ。全てが露見したと思った領主のカイエスは、魔物を処分しようと釣り天井を落とした。
普通は人間くらいの大きさの土蜘蛛が、小山ほどありそうな位に育ってた。
多分俺たちごと処分しようと思ったんだろうな。
結界術が使えたユーリアが、一瞬早く落ちてくる天井と床の間に箱形の結界を張ってくれなきゃ、それで俺たちは終ってたと思う。
潰れた土蜘蛛から、黒い染みのようなものが回りに広がったのは、俺たちが助かったと胸を撫で下ろしていた時だった。
そいつらは出口を求めて結界の中に居た俺たちの脇を通って階段へと殺到していった。
あわててユーリアが入り口を結界で塞いだけれども、かなりの数が外に出て行ってしまってた。
それからはもう必死だった。とにかく全てを倒さないと、俺たちも外には出られない。
いつものようにリカルドの指示で俺が前衛に立ち、脇をリカルドとライアンが固めて、後ろにはユーリアと魔法使いのアンヌマリーが付くいつもの陣形だった。
俺は押し寄せてくる土蜘蛛の幼生を斬って斬って……。
辺りには魔法が炸裂して、矢が飛び、槍がつき出されていた。一体何時間そうしていたか解らない。何度もくじけそうになった。
だけど、後ろから伝わって来るユーリアの気配に、俺は決して倒れる訳には行かないと立ち続けた。
やっと最後の一匹を倒して、後ろを振り返ったが、そこには誰もいなかった。
ただ、ユーリアの気配だけは相変わらず後ろに感じる事が出来た。
俺は訳が解らなくなって、鎧を脱いだ。そしたら……。
……俺の鎧の背中には、ユーリアが自分の血で書いた血印が残ってた。それを基点に俺の背後を護るかのように結界が張ってあったんだ。
リカルドとユーリアは、やっと思いが通じて、結婚することが決まったばかりだった。
周りから見てたらもうじれったいばっかりでな。俺も兄と姉のように慕っていたから、本当に嬉しかった。
俺はそんな人たちを護る事すら出来ずに、一人だけ生き残ってしまった。
それからはみんなが果たせなかった思いを何とか叶えようとひたすら魔物を狩った。
人々が魔物に脅かされず、幸せを享受出来るような世の中にしたいって言うのがユーリアの想いだったからだ。
ユーリアは、そんな人だったよ。
*
「その話は、ほんとうなのかい? 」
ジョゼフは、音もなく近寄って来ていたリオンへと振り向くのだった。




