魔王
高鳴る心臓、恐怖を感じて小刻みに震える体を冷や汗が冷たく包み込む。基地に到着した我々は部隊長の指示で車両内で待機することとなった。
そんな中、俺はフロントガラスから辛うじて見える空中戦艦の様子を固唾を呑んで見守っていた。
逃げている最中、硝子が砕け散る音が聞こえたがあれは彼が張った結界が壊れた音だろうか。
我々もあの場所で彼と共に戦えばよかった。
だが、あそこに我々が残ったとしてあの空中戦艦相手に何が出来ただろうか。戦車もヘリも戦闘機も後続で来るはずだったが、亀裂が青龍によって閉じられたので当分の間は現状の戦力で何とかしなければならない。
「青龍君、大丈夫ですかね・・・」
運転席に座っていた赤城が心配そうに空中戦艦の方を見ながら言う。
「大丈夫、彼を信じよう。」
俺は空中戦艦を真っ直ぐ見つめながら言った。
しばらく眺めていると空中戦艦がレーザービーム砲をチャージし始める。
「お、おい、流石にあれはヤバイんじゃないか?」
「嫌だ・・・俺まだ死にたく無い!まだマジカマギカの続き見てないし、来週発売のエロ執事の最新巻とか、全滅の刀とか読んで無いし、実家のベッドの下に隠しっぱなしのムチムチ巨乳娘触手プレイ3時間耐久のAVとか」
赤城が顔を真っ青にしながら早口で死ぬ前にやりたかった事を言い始めた。俺はその横で呆れた顔をしながら言う。
「赤城、お前・・・AVは休暇中に片付けておくんだよ。大体なんでそんなテンプレみたいな隠し場所なんか選ぶんだ。」
俺がそう言うと赤城は今にも泣きそうな表情で祈るように両手を組んで裏返った声で念仏を唱え始めた。
この状況で助かる確率はゼロに近いだろう。戦艦の砲身が完全に我々がいる基地の方に向いているのが分かる。あんな攻撃を喰らったら確実に死ぬだろう。
「あ、あの・・・宮本3尉?」
「どうした赤城?小便か?」
「違います!こんな時に小便なんて・・・いや、聞き間違えかもしれませんが何か聞こえたんですよ。なんか・・・肉食恐竜に近い何かの鳴き声が。」
俺はそう言われ耳を澄ました。
グルルルォォォォォォォォォン!!!!
耳を澄ませた数秒後、その鳴き声が近くで聞こえ俺は咄嗟にフロントガラスから見える空に目をやった。
空気を切り裂く轟音と共にそれは現れ、空中戦艦の方へと飛び去る。
一瞬だけ視界に捉える事ができたのは禍々しい程に黒く輝く鱗を持ち、殺気を感じるような赤い紋様が刻まれたドラゴン。
「ま、まさか・・・」
俺は思わず息を呑んで、ドラゴンが飛んで行った方向をずっと見つめていた。
「宮本3尉・・・?」
「あ、あぁ・・・」
異世界に来た以上、何でもありなのは承知しているが・・・
流石にあんなドラゴンなんて見たら恐怖で固まることしか出来ない。
その恐怖で固まった体を何とか動かし、俺は車内の張り詰めた空気を入れ換えるため車両の窓を全開にした。
が・・・やはり張り詰めた空気に変化は見られなかった。
「赤城、とりあえず深呼吸して冷静になれ・・・漏らしてないな?」
「も、漏らしてませんよ!宮本3尉こそ冷や汗半端無いですよ?」
赤城に言われ、手の甲で額の辺りを拭う。見ると冷や汗が滴る程、手の甲に付着していた。
俺は自分のズボンのポケットに入っているOD色のハンカチで思いっ切り額を拭った。
一瞬で湿り気を帯びたハンカチを再びポケットに入れ、腕時計に目をやる。
時刻は12時24分。ここに来てから約3時間が経過し、空は夕暮れの色が混じり始めていた。
この世界の時刻がどうなっているかは分からないが、元の世界より4~5時間程進んでいるようだ。
空中戦艦の方を見ると、さっきのドラゴンが攻撃を始めていた。
上空に魔法陣が展開され、戦艦に隕石の様な物が降り注ぎ瞬く間に爆炎を上げ、空中戦艦は為す術なく炎上しながら空間の裂け目へと撤退していく。
こんな短時間で決着がつくとは・・・ドラゴンの力、恐るべし。
「ドラゴンすげぇ・・・」
赤城はその様子を口を半開きにして見ていた。
空中戦艦が去った後、ドラゴンは地上へと降りて行ったきり見えなくなってしまった。
数分後、部隊長が降車の指示を出し、隊員達がゾロゾロと車両から降りて本部庁舎の前に集まる。
どうやらこれからの行動を指示するらしい。
部隊長が全員の前に立とうと歩き始めた瞬間、事は起こった。
部隊長の足元が突然光り輝き、勢い良く隊員の並んでいる列に吹っ飛ばされてきたのだ。
全員何が起こっているのか分からず、突然のことで叫び声すら上げる暇もなかった。
「ぐっ・・・な、何なんだ一体・・・!?」
部隊長は自分が立とうとした位置に何が起こったのか焦点の合わない目を凝らして見た。
そこには黒いローブを纏い、羊の様な角を頭から生やした如何にも魔王と言える格好の男が立っていた。彼の赤い瞳は眼鏡越しに我々を一瞬睨み付け、そして両腕に抱えた少年に視線を移した。
「青龍君・・・?」
俺は思わず彼らの側に駆け寄った。彼は微かに目を開けて俺の方を見る。彼の腹部は黒いタンクトップの上からでも分かる程、大きな血の染みが出来ていた。
「皆、無事だったみたいだな・・・」
「ああ、君が頑張ってくれたお陰だよ。それと、一緒に戦ってあげられなくてごめん・・・」
「仕方無いさ・・・あいつらに普通の重火器は効かないからな。降ろしてくれ、アルシエル。」
アルシエルと呼ばれた男は背を少し屈めて彼を両腕から降ろした。
「青龍君、怪我してるんじゃ・・・」
「もう治ったから大丈夫!ちょっと貧血気味なだけさ!」
彼はそう言いながら服を少し捲り上げ、傷があった部分を見せる。
肌に付いた血の跡以外、傷一つすら見当たらない。
「あ、そうだ・・・」
青龍がアルシエルの方に向き直り、一歩下がる。
「改めて紹介するけど、異世界から来たお客さん達だ!よろしく頼むぜ!」
彼がそう紹介すると、アルシエルは隊員達に抱えられて起こされた部隊長の前に歩いて行き、掛けていた銀縁の眼鏡をクイッと上げつつ、冷たい視線で彼を見降ろした。部隊長はアルシエルのその視線に威圧され、固まっている・・・
「初めまして。私は闇の国ヴァーデンヘイム6代目魔王アルシエル・ニア・レーヴァテインです。」
初めて聞いたアルシエルの声は低く冷たく、聴く者を魅了するような声をしていた。
部隊長は冷静さを取り戻し、姿勢を正し敬礼をして自己紹介をした。
「異世界調査部隊長の神城岳明1等陸尉であります!よろしくお願いします!」
「それで・・・貴方達はどのようにしてこの世界に?目的は何ですか?」
「我々の任務は異世界の調査であります!こちらには元の世界に出現した空間の亀裂を通って来ました!」
「ほう・・・それでその亀裂はどちらに?」
アルシエルは目を細め、部隊長に聞いた。
「そ、それは・・・」
部隊長が答えに詰まるとアルシエルは更に彼を睨み付ける。
俺は咄嗟に青龍から預かっていた本をアルシエルに差し出した。
「これを・・・」
部隊長に向けられた視線が俺に移り、そして俺が差し出した本に注がれる。
アルシエルは不思議そうな顔でそれを受け取り、本を開いて数枚程ページを捲った。
「このスペルの組み合わせ・・・まさかこの本に亀裂を封印したのですか?」
「そうだよ。」
青龍がそう答えると、アルシエルは驚いた表情でまた2ページ程捲り、そして深く溜息を吐いた。
「封印できた事は称賛しましょう。しかし、このスペルの組み合わせはあまりにも複雑すぎて封印を解くのに数百年は掛かりますね・・・」
「数百年!?それじゃあ、我々は死ぬまで元の世界に帰れないと言うことですか!?」
それを聞いた部隊長はとても不安そうな表情でアルシエルに言った。
周囲の隊員達も口々に不安の声を上げる。
「亀裂が封印されていなければ直ぐに元の世界に送り返しているところですが、これでは貴方達をこの世界に滞在させるしかありませんね。」
「他に帰れる方法は無いのですか?」
焦った表情で部隊長が聞くと、アルシエルは静かに首を横に振った。
「現在、フィルディノ軍による異世界への侵攻を阻止する為、異世界管理局がゲートを封鎖しているので帰還はほぼ不可能です。フィルディノ軍を壊滅させることが出来れば、ゲートが再び開かれるでしょうが・・・現時点で宇宙連合軍が壊滅に手古摺っている以上は元の世界への帰還は大分先になりますね。」
「そんな・・・」
まさかこの世界に留まることになるとは・・・
青龍は申し訳なさそうに俺達を見ている。
「さて、どうしますか?選択肢は2つありますよ。宇宙連合軍がフィルディノ軍を壊滅させるまでここでずっと待つか、貴方達がフィルディノ軍を壊滅させてゲートの開放を早めるか。後者を選べば私が貴方達に力を貸しましょう。ですが、仲間から犠牲が出るかもしれません。前者を選んでも私が力を貸します。食料や生活物資の支援等は致しますよ。」
「あの、少し時間を頂けないでしょうか。」
「いいでしょう。今、結論を出さなくても結構です。もし、皆で話し合って結論が出たのなら直接私に伝えるか、もしくは青龍に伝えて頂ければ大丈夫です。私はしばらくこの基地に滞在するので。それでは私達はこれで失礼します。」
アルシエルはそう言うと青龍と共に本部庁舎の中へ入って行った。
残された我々は部隊長の指示で各班で話し合い、結果を部隊長に報告することになった。
辺りがすっかり暗くなった頃、結論が出た。
結果はアルシエルが言った後者の「フィルディノ軍を壊滅させてゲートの開放を早める」だった。隊員の半数以上がその答えを出したのだ。
しかし、仲間から犠牲が出るというのは絶対にあって欲しくない。出来れば全員無事に元の世界に帰還したい。
神城1等陸尉は早速、その結果をアルシエルに伝えに行った。