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第三十一節*サハラウと二匹の猫

 日干し煉瓦(れんが)で出来た白っぽい街並みが、朝日によって輝かしい金色に包まれる。日が街全体を照らす頃、人々は既に起きて水汲みや掃除、家畜の世話などに(いそ)しんでいた。

 中でも水瓶を抱えて井戸と家とを往復するのは、(おんな)()どもの仕事である。小さな子は水瓶を両手で抱え、力のある子は肩に天秤棒を乗せてその両端に瓶を下げ歩いていた。アーデルの家は井戸から比較的近く道中も平らだったが、それでも一日分の水を確保するには何往復かしなければならない。水道が整備されていないサハラウ国で、一家全員分の水を得ると言うのは容易でなかった。

 朝の水汲みが終わらないことには食事の支度もままならないと言われ、カールは二階の窓からその大仕事をただ覗いていた。タラルも万が一見つかっては大変だと手伝いを断られ、大人しく街の様子を見守っている。

 水汲みの往来は途切れる事なく続き、人々がそれに費やす労力と時間が感じられた。

「これが毎日なんて、大変そうですね…」

 砂で煙った道の先を眺めながらカールはぽつりと零した。

 魔国の城には水道が完備されているし、実家も仕事で使うという理由で裏庭に井戸を持っていたため、彼は水汲みで出掛けたことがない。

 昨日アエイシの食べ方を教えてくれた一番年下のユセフでさえ、一抱えの水瓶とともに出掛けていった。彼の足では井戸が一層遠いだろう。それでも一人前に歩いて行くユセフを見送りながら、カールは急に居たたまれない気持ちになった。

 水の確保にこんなにも苦労する人々を見るのは初めてだった。

「本当に、毎日大変だと思います……。宮殿や湖の近くでは水道の整備を進めておりますが、まだ国全体には広がっておりません。特にこのような端の地域では。ドゥンケルタール国では、どの建物にも水道が敷設されていると聞いております。水が豊富であることは勿論ですが、そのように設備が整っていると言うことも大変素晴らしいことです。我が国も、早くそのようになりたいと願うばかりです。そうすれば、水を均等に配分することも叶うでしょう。水量の減少だけが民を苦しめている訳ではないのです。こうして日頃から、水を得やすい人々と得にくい人々がいる……。この状況は貧しい者のうちから変えることは出来ません。だからこそ、我々王家や大臣らが心を一つにして、事に当たるべきなのに、こんな、こんなときに内乱など…」

 道行く人々を見つめる王子の目はとても悲しそうで、申し訳なさそうだった。

 水嵩の減少はこの国が抱える水問題の一端に過ぎない。たとえ湖が潤ったとしても、そこから遠い町では水汲みが重労働としてのしかかり、人々は水瓶を抱えて歩かなければならない。もし病や怪我で水を運べる人がいなくなれば、一家は水を得られなくなる。そうして水源から遠い家ほど貧しく、苦しい生活を強いられるのだ。

「………ピペトさん。水道を作るのって、魔法があっても大変なんですか?」

 カールは窓際をそっと離れてピペトに尋ねた。

 ピペトは手持ちの魔道具を見ながら、宮殿への潜入手段を考えているところだった。

「広範囲魔法は上等技術ですし、それだけで水道を作るようなことは出来ません。地道に石やコンクリートで水路を作るしかありませんよ。それも質が悪ければ水漏れ、蒸発による消失割合などが増えてまともに使えないでしょう。サハラウは特に乾燥、高温の地域ですから。長い水道を作るのは大変なことです」

「そうなんですか…」

 やはり簡単に解決とはいきそうにない答を聞いて、カールはしょんぼりとした。

 それを気に留めるでもなく、ピペトはカールにペンダントを出せと言う。そろそろ魔法石に込められた魔力の残量が減る頃合いだった。うっかりしていたカールは急いで取り出し、補充してもらう。これでまた二日ほどは平気である。

 しばらくすると食事の香りが漂い、ユセフが軽い足取りで運んで来てくれた。



『洗濯屋と魔王様』 第三章



「本当に、お気をつけください」

「はい。お心遣いありがとうございます」

 朝食を終えたピペトは早速、カールを伴って宮殿内の様子を探りに行くことにした。鳥になって飛べば半時足らずで着くらしい。必要な魔道具をいくつか身につけ、残りはタラルに預けた。

 用意が万端なピペトに対し、カールはまだ決心がつかないでいた。そもそも鳥になって飛ぶと言われても、彼には無理な話である。ここに残って馬小屋の掃除でも手伝った方が良いのでは、と本気で思っていた。

「あの、本当に俺も行くんですか? いや、力になれるなら行きますけど。荷物になるだけなんじゃ…」

「荷物で結構です。勝手な行動さえしないでいただければ」

「えぇぇ……」

「ですからこれを使わせていただきます」

「へっ?」

 ピペトからの言われようにカールは思わず肩を落とす。そこまで言うのなら置いていけば良いのに。そう言い返そうかと思ったところへ腕輪を填められ、魔法だ、と感じた瞬間には掛けられていた。

 一瞬にしてカールの姿が消え、ぽとりと草の上に小さなハツカネズミが着地する。

「チュチューッ?」

 鼠は両手を顔の前にかざして驚きの声を上げた。そこを巨大な手でぐっと掴まれ、顔の高さまで持ち上げられる。ぶわりと浮く感覚に鼠はキュッと硬直した。二本の前足で丸太のような親指にすがりつく。ピペトの顔が城門かと思うほどに大きく見えた。

「今つけた腕輪は、違反者を罰するための物です。これは術者の私が解除しない限り元の姿には戻りません。その姿で私の上に乗ってもらいますから、しっかりと掴まっていてくださいね。空中で掴み直すのはちょっと自信がありませんので」

「チュ、チュチュチューッ?」

「ああ、それと言葉は喉を通すと分からないので、頭から喋ってください」

「チュッ? チュ、チュゥ……?」

『頭から、って何ですか。意味が分からないんですけど…』

「そうそう。その感覚ですよ」

 鼠になったカールは小さな眉間に皺を寄せた。

 脳内へ直接響いてきた文句に、ピペトは上々だと頷く。言葉と一緒に飛んできた抗議の視線と、ぺちぺちと暴れるお手々は無視である。二人の様子を不安げに見守るタラルに声を掛け、ピペトはさっと(わし)の姿に変化(へんげ)した。

 カールは尚も同行を渋ったが、爪で掴まれるか、自ら背中に乗るかを迫られて、大人しく首の上にしがみ付く。鼠にされた時点で最早拒否しようがなかった。

 ヤシの葉をバラバラと鳴らしながら飛び立ったピペトは、一路宮殿へと向かった。


 びゅうびゅうと風が打ち付ける。視界に入るのは限りない空ばかり。カールは落ちないように羽へしがみ付くのがやっとで、周りの景色を見る余裕など微塵もなかった。自分で鳥の姿になって飛んだのなら、きっと素晴らしい眺めだったろうに。風を切る感覚も、恐怖ではなく心地良いものだったかもしれない。

 だが残念なことに今は小さな鼠の姿で、このまま少なくとも三十分は耐えなければならなかった。翼の振動は大きいし、風は強いしでまったく気が抜けない。仕方ないのでぐっと羽に顔を埋め、気休めに昨日の出来事を喋り出した。

『ピペトさん! 俺、昨日、アクラムさんたちにサハラウ流の洗濯を教えてもらったんですよ! この国では、石の板を使って洗うのが一般的だそうです。衣類に直接石けんを塗り付けて、平らな石の上で揉んだり擦ったりするんです。最初は生地が傷むんじゃないかって思ったんですけど、ほとんどが木綿製で丈夫だから、わりと平気なんです。石の上で揉むぐらいどうって事なくて。浅い洗濯槽をみんなで取り囲んで、とても楽しかったです。……でも、全部を洗いきるまで同じ水を使いました。後の方になると結構濁っていたんですけど…。濯ぎ用に一度、取り替えただけで』

『今朝見たとおり、この国では水の入手自体が困難なのです。水の使い道は炊事が最優先ですから、洗濯に使える量は自然と減るでしょう。あの家はまだ裕福な方です。昨日街を見てきた中では、家に洗濯槽などなく、川で洗う人々の方が多かったですよ』

『川? 川の水を汲んできて、じゃなくて川の中で洗濯をしていたんですか?』

『そうです。川の(ほとり)です。そこで手ごろな岩を見つけて、その上で洗っていました』

『水を汲んでくるのも、川の中で洗うのも、どちらも大変そうですね…』

 洗濯はタライや洗濯槽の中でするものだと思っていたカールは、川の中で洗うと聞いて少し驚いた。確かに水があれば石けんは使える。しかし濡れながらの作業は考えるだけでも大変そうだ。それに川では、洗濯物が流されてしまうこともあるかもしれない。きれいな水で濯げているかも分からない。多くの人が川で洗濯をすれば、それだけ川に石けんが流れることになる。その水で行う濯ぎは、本当に石けんを落とせていると言えるのだろうか? カールは水瓶を運ぶ人々の姿を思い出し、また切ない気持ちになった。

 たくさんのお湯や、きれいな水を使って洗濯をすることは、この国では贅沢に当たるのだ。自分がサハラウの宮殿で何気なく使っていた水は、この国の人々にとって、とても貴重な水だったのだ。

『……ドゥンケルタールは、サハラウの助けになれますか?』

 環境的に水が乏しいことはどうしようもない。しかし、せめて生活の水に困らない程度には、何とか工夫出来ないのかとカールは思った。

『確約はできません。しかし、陛下もパコ様も支援をするつもりでいらっしゃいます。我が国はサハラウから様々な農作物を輸入していますから、この国が水問題を克服し、発展することはこちらとしても有益なのです』

『ゆ、にゅう?』

『国家間で行う大きな売買、つまり貿易です。買うのが輸入、売るのが輸出。ドゥンケルタールは渓谷の国ですから、育つ農作物が限られています。城の食堂で出される野菜、果物はほとんどが輸入品です。サハラウには水問題がありますが、それさえ確保できれば、うちよりもずっと農耕に適した土地です。収穫量が上がれば我々は今より安く良い品が輸入できるようになるでしょう。そういう国益を念頭におきながら、諸外国とやり取りをするのが、産業の卿のお役目です。ヒトの国では珍しいことですか?』

『隣の国から行商に来る人はいましたけど…』

『……ああ、ヒトの輸送手段だと遠距離は無理ですね』

 より速度を求めて翼が(くう)を切った。

 魔国間の物流には交差点が使えるので、移動距離に関係なく、どこへでも一日あれば十分だった。そのためサハラウで育った作物が、ドゥンケルタールで調理されると言うことも可能である。また交差点を使わずとも、専用の魔方陣を設置すれば事足りた。

 一方の王国は、荷馬車か船の二択だった。これでは輸送に時間が掛かるので、カールが言う通り、物の行き来はせいぜい隣国までである。例外的に遠方から来る行商人もいるが、輸入と言うほど大規模で頻繁なものはなかった。

 とある国で作られた作物が、その国を遠く離れて別の国で食べられる。カールにはそれが不思議なことのように思えた。けれどもそれが切欠で、サハラウの支援に繋がるのであれば、貿易とは国同士の大切な交流なのだろう。

 相変わらず風圧は激しく景色を見る余裕はなかったが、カールは中の方の羽が柔らかでふわふわなことに気が付いた。飛ばされないように一層体を埋め、ふんわりとした心地を密かに楽しむ。

『ヴフトさんたち、直ぐに見つかるでしょうか…』

『絶対に見つけます。だから私の言う事をちゃんと聞いていてくださいよ』

『はーい』

 もふっ、と羽毛に顔を突っ込みながらカールは返事をした。最初は変な感じがした頭で喋る感覚も、ピペトからの小言も、慣れてしまえばどうと言うことでもない。

 それからはふかふかと羽にしがみ付いて、宮殿に着くのをじっと待った。


   ***


 サハラウの建物は基本的に屋根が平たい。雨が少ないため傾斜が必要ないのだ。だから屋根の上に天幕を張り、屋上としている家も多かった。この造りは宮殿にも共通し、一部の丸かったり模様があったりする部分を除き、ほとんどが平らだった。ただし宮殿ではここに(しよう)(へい)が立っている。

 ピペトは上空から注意深く様子を探り、兵士のいない屋根へと降りた。

 やっと風圧から解放されたカールも喜んで屋根へ飛び降りた。初めての四つ足によたよたしながら、少し動いてみる。体の感覚を掴むと素早く走れるようになり、ピペトの足下をちょろちょろと回ってみた。そのまま勢い良くどこかへ転げていきそうなカールを、太い脚が上からむぎゅっと取り押さえた。

『ぐえっ』

『大人しくしてください。これから内部を透視します。透視の間は手前の風景が見えなくなるので、貴方は周囲の確認をお願いします』

『…はい……って、あれ? ピペトさんいつの間に猫の姿に』

『貴方も今から猫ですよ。さ、行きましょう』

『えっ? うわっ』

 鷲だったピペトの姿はいつの間にか栗色の猫に変わっていた。その前足がカールの腕輪に触れ、こちらも猫に変化(へんげ)する。視界が突然高くなり、驚いた拍子に自分の尻尾を踏みつけカールは尻餅をついた。ぎにゃあ、と潰れた声と同時に灰色のブチ猫が転がる。

 やれやれ、と言った表情を見せてからピペトは歩き出した。

 新しい四つ足に戸惑いつつカールも後を追う。

 ピペトは所々で立ち止まり、その度にじっと下を見つめた。おそらくさっき言っていた透視なのだろう。傍からは屋根を熱心に見つめる猫にしか見えない。カールはピペトが下を向ている間、言われた通りにあたりを警戒した。しかし宮殿は至って平和で、兵士以外は状況を知らないのか、騒ぎがあるようには思えない。

 内情を知っているカールたちからすれば、それは不気味な静けさだった。


 宿泊区域や客間などを透視しながら、二人は敷地の奥へ奥へと進んで行った。今は会議室のあたりで、塀の向こうに王家の居住区域も見えてきた。散々歩き回ってへろへろになりながらも、カールは黙って警戒役を務めていた。疲れているのはきっとピペトも同じだろうし、こうしている間もヴフトたちは捕らえられているのだ。

 ここで弱音は吐くまい。

 カールはそう思って踏ん張っていた。

 だが気持ちだけではどうにもならない事もある。午前から正午を跨いで動き続けた結果、カールの猫っ腹からきゅるると薄情な音が響いたのだ。咄嗟に丸くなって誤魔化しても、聞こえてしまった音は戻らない。

 ピペトが床から目を離し、スンッとした表情でカールを見やった。

『貴方、緊張感ってものがないのですか?』

『いやこれは……その…すみません…』

 管理しようのない現象だとは思いつつ、カールは恥ずかしさで頭を腹へ埋めた。そこへ蓋をするように尻尾が寄り添い巻き猫になる。にゃうにゃうと呻く間にも、またきゅるりと腹が鳴く。

 ピペトは小さくため息をつき、すっと屋根を降りてどこかへ行ってしまった。それからしばらくして、丸くなったカールの前に赤いリンゴが一つ置かれた。

『とりあえずこれでも食べて、その音をなんとかしてください』

『あ、ありがとうございます…』

 予想外に優しい対応が返ってきて、カールはほっとした。それならばとまずは控え目に一口かぶりつき、それから前足でリンゴを挟んでシャクシャクと食べ始める。ピペトもしっかりと自分の分を調達し、同じように食べ始めた。

 甘酸っぱい果汁で喉を潤しながら、カールはピペトに尋ねた。

『あの、これ、どこにあったんですか?』

『礼拝堂です』

『えっ! それって、お供え物……食べちゃっていいんですか?』

『猫が一つ二つ持って行ったところで誰も咎めませんよ』

『そ、それはそうかもしれませんが…』

 それは本物の猫以外でも良いのだろうか?

 生真面目そうなピペトが当たり前のように供物を食べるのを見て、カールは物事の基準が分からなくなった。

 魔国に来てからたくさんの魔物と交流してきた。生活様式や食べる物、楽しいと感じる事や仲間を思う気持ちなど、基本的なところはヒト族とそう変わらない。だから一緒に仕事をしたり、遊んだりすることが出来た。けれどもこうして、時々感覚の違いが突然表れたりもする。それが種族としての違いなのか、文化による違いなのかは分からない。ただおもしろいと思うこともあれば、今のように疑問に感じることもしばしあった。

 そう言えば、先日の自己紹介のときも、タラルたちの反応は少し変わっていた。

『あの…、ピペトさん。俺の名前って、何か変なふうに聞こえたりしますか?』

『何ですか藪から棒に』

 唐突な質問に、ピペトは口周りについた汁をぺろりと舐め取って食べるのを止めた。

『昨日、アーデルさんたちに俺の名前を教えたら、何か妙に恐縮されちゃって…』

『恐縮?』

『そうなんです。カール・ベーアって、何か違う意味に取れたりするんですか?』

『ああ…』

 カールが話す内容を聞いてピペトは直ぐに合点がいった。

 これもまた、ヒトと魔物との文化の違いだった。

『今度から名乗るときは名前だけにした方が良いですよ。我々は基本的に姓を持ちません。姓があるのは里長とか、族長とか、国の王や大臣と言った高位の者だけです。種や土地の代表が誰であるかを示すために姓があるのです。ヒト族のように誰も彼もが姓を名乗ったら、誰が代表なのか分からないじゃないですか』

『え? じゃあ、俺は姓を持ってる偉い人、って思われたんですか?』

『そうです。貴方、他には何を? やたら話して正体がバレたらどうするんです』

『ほ、他は……』

 猫になっても威圧感のある口調で迫られ、カールはしどろもどろ答えた。

 名前にそんな違いがあるとは夢にも思わなかったのだ。

 だが言われてみれば確かに皆、姓を名乗らない。聞いたことがあるのはヴフトや丞相、卿クラスの人たちだけである。家政婦のメアリーですら、メアリーとしか名乗らないと言うことは姓は持っていないのだろう。

『種族を聞かれたので、リヴドールって答えました…』

『リヴドール…、まあ見た目からすれば妥当ですか。でも彼らは動物的構造を持たないので、貴方や私のような種族よりも低体温です。直に触れたりしない方が良いでしょう。それと怪我に気を付けてください。リヴドールは血を流しませんから、傷口を見られると怪しまれる原因になります』

『はい…』

 尻尾でビタビタと屋根を叩きながらピペトは注意点を述べた。

 魔物と獲物の決定的な違い、魔力の有無はヴフトからもらったペンダントで誤魔化せている。だがそれは外見だけのことで、種族の特徴や身体能力まではどうにもならない。もし正体を疑われてしまったら、詮索の目を逃れるのは難しい。

 カールはピペトからの忠告をもごもごと反芻しながら、残りのリンゴを齧った。


   ***


 腹ごなしを終えた二人はまた歩き出した。

 ピペトが建物の中を透視し、その間カールが周囲を警戒する。どこか怪しい所はないかと辺りを見回す。まだ陽は高いが、陰り出す前に居場所を特定したい。そんな焦りがじわじわと二人を包み始めていた。

 宮殿の敷地内には家屋の他に東屋(あずまや)や礼拝堂なども建てられている。これらは独立して建っているので分かりやすい。屋根の上を歩き始めてから、カールは既に礼拝堂を二つ目にしていた。そして今もまた、移動した先で新たな礼拝堂を見つけた。

 堂の屋根は緩やかな傾斜で、その周りに猫一匹が歩ける程度の縁がついている。屋根は密閉されておらず、縁との隙間から香の煙が上がっていた。

 カールは何が祀られているのだろうと思いながら、何気なく堂の入り口を見ていた。入り口付近には神官らしき人たちがいる。場所によっては礼拝に訪れる人もいた。けれどもこのときカールが目にした礼拝堂には、神官でなく槍を持った兵士が立っていた。

 その異様な雰囲気に、カールはつんとピペトの肩を叩いた。

『ピペトさん、あのお堂何か変じゃないですか? あんなに兵士がいますよ』

『ん? 礼拝堂? ……確かに。あそこだけヤケに物々しいですね』

 カールの指摘で屋根から目を離し、ピペトも怪しげな雰囲気に頷く。

 是非とも中を確かめたい。しかし生憎、礼拝堂全体を透視するには距離がありすぎた。向こうの屋根に移らなければ半分も覗けそうにない。だが家屋と堂は繋がっておらず、大木の枝を伝うぐらいしか道がなかった。

『一旦ここを下りて、あの木から礼拝堂の屋根へ飛び移りましょう。私の後に……いや、貴方は残っていても良いですよ。確認したら戻ります』

『む。大丈夫ですよ。もう飛んだり跳ねたりするのも慣れてきました』

『そうですか? 落ちても助けられませんよ』

 ピペトのやや下に見た言い方にカールは頬を膨らませる。しかしピペトは特に意見を変えることなく、屋根から塀、樹木を辿ってするりと地面へ下りて行った。カールも何のこれしきと後を追う。大木は所々出っ張っている瘤や枝、樹皮のちょっとした割れ目に爪を掛けながら一気に駆け登った。ちょうど礼拝堂の屋根にかかる枝を選んで、その先から下へ跳び降りる。

 しゅたりと軽やかに移ったピペトに続き、カールもなかなか上手く飛べた。

 意外そうな顔をする猫の隣に、得意気な顔の猫が並ぶ。

『屋根の隙間から中が覗けそうですね』

『……落ちないように気を付けてください』

「にゃー」

 ブチ猫は一鳴きして腹這いになりながら、そっと中を覗いた。

 礼拝堂の中には大きな石造、たくさんの花と供物、そして武装した兵士が数名いた。その兵士たちの間で誰かが熱心に祈りを捧げている。下を向いているので顔は見えないが、身につけている物からして国王のようだった。会話をする声はまったくなく、香の煙がゆらゆらと立ち上るばかりである。

 室内にいるのは彼らだけで、ヴフトや他の人たちは見当たらない。

 二人は顔を引っ込めると髭が触れあう距離で会話した。

『どうやら、サラーフ国王だけここにいらっしゃるようですね』

『ヴフトさんたちはどこなんでしょう?』

『兵が交代するのを待って、彼らを追いかければ分かるかもしれません』

『なるほど! じゃあ向こうの屋根に戻って……って、あ、ああっ!』

『あれは……』

 サラーフ国王は見つかった。他の人々の姿はなかったが、それもここにいる兵士を追えば分かるかもしれない。やっと希望が持てたことに安堵し、二匹は元いた屋根に戻ろうとした。だがそこへ新しい兵士がやって来て、今まさに交代してしまったのだ。

 礼拝堂から家屋の屋根まで、同じ道を走ったのでは兵を見失ってしまう。けれどもこの機を逃せば、次の交代がいつあるのか分からない。ピペトがどうするべきか迷っている間に、役目を終えた兵士は建物の中に消えていった。

『行きましょうっ!』

『えっ? あ、ちょっと、カールさんっ!』

 言葉と行動はほぼ同時だった。

 カールはとと、とんっと木を伝って地面へ降り、一直線に兵士を追った。

 その大胆な侵入にピペトが青ざめる。

 当然、堂々と飛び込んできた野良猫は兵士の目に留まっていた。

「何だありゃ。迷い猫か? おーい、猫がそっちに行ったぞ! 外に出してくれ!」

「え? おお、分かった! こっちで捕まえるよ!」

 外からの掛け声に廊下を歩いていた兵士たちが振り返る。彼らは真っ直ぐ走ってくるブチ猫に気が付き、捕まえようと両手を構えた。

 猫の視界から見上げる優蠍族はとてつもなく大きい。時計塔の真下に立って、その屋根を見上げるようなものだ。追うことしか頭になかったカールは、ずしんと巨体が立ち塞がり驚いた。予想外の展開に走る勢いが弱まり、足が迷う。

 だがそれを叱責する声が後ろから飛んだ。

『走って!』

 ギニャアッ、という大喝とともにピペトが兵士の顔を踏み台にする。そしてそのまま廊下の奥へと駆け抜けた。

 怒号にはっとしたカールも全速力を取り戻し、兵士の股下を潜り抜けた。

 走った先の十字路で、左手に監視が立つ部屋を見つけてピペトはきゅっと止まった。直ぐに引き返し、後ろから来たカールを乱暴に引っ張り怪しい方へと曲がる。

 二人の後ろからは先程の兵士が追ってきていた。

『カールさん、突き当りの窓から外に飛んで! 止まらずに駆け抜けてッ!』

『は、はいっ!』

 部屋の前に立つ兵士たちも、廊下を走ってくる不審な野良猫に気が付いた。またもや大きな手が向かってくる。ピペトもカールもそれを全力で振り切り、窓の隙間から外の茂みに飛び込んだ。

 植木の間をしばらく走り、捜索の声が聞こえなくなった所で立ち止まる。

 ピペトは疲れと息切れで無言だったが、尻尾がビタビタと地面を打ち付けていた。

『あ、ありがとうございました…』

 こちらもぜえぜえと息を切らしつつ、何とか礼を言う。

 ピペトはカールの顔を一度睨むと、それから大きくため息をついて鷲に変化(へんげ)した。

『はあ……。とりあえず居場所は把握できました。帰ります』

『えっ? わ、わあっ、あ、あーッ!』

 鋭い爪がブチ猫の胴体を鷲掴む。ピペトはそのまま問答無用で飛び立った。

 今度はふわふわの羽に埋もれることも出来ず、死を覚悟する高さで運ばれる。カールは尻尾を後ろ足の間に挟み込み、肉球で両目を覆った。

『すみませんでした……』

 念じて喋っているにも関わらず、心なしか言葉が震える。

 カールは猛禽に狩られた猫の気持ちになりながら、タラルの所へ持ち帰られた。

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