第三十節*サハラウと水
ピペトが合流したという知らせを受けて、タラルは急ぎ部屋に戻った。馬の世話を手伝っていたため作業着のままである。家人と変わらぬその姿に、ピペトは初め王子だと分からず、声を聞いて初めて膝をついた。
「タラル王子っ? ご無事で何よりです。……なぜその様なお姿を?」
「じっとしていると気ばかり急いて仕方がなかったもので…。こんなに早くドゥンケルタールの方と再会できるとは思っていませんでした。ピペトさんお一人ですか?」
「私はタラル様がそこのカールを連れて行かれたので、何かあったのだと思い、追ってきた次第です。私一人です。他の者は皆、国へ……そうです、ラムジ大将軍の計により護衛隊まで帰国してしまいました。パコ様がついておりますので、直ぐに戻っては来ると思いますが、予定よりも時間がかかるかと…」
味方が増えたことを喜んだのも束の間、ピペトの話を聞いてタラルは肩を落とした。当てにしていた戦力が遠のいてしまったのだ。王たちの救出にも遅れが出るだろう。
そしてタラルからも、ピペトへ伝えなければならない事があった。
「その護衛隊の方々と合流する件ですが、何とお詫びすれば良いか……。こちらの方でも状況が変わりまして。私が先走ってしまったばっかりに、ヴフト様とフリーレン様がラムジに捕まってしまいました…。私がカールさんのところへ向かったのは、私だけがヴフト様のお力で逃げ延びたからです。誠に申し訳ありませんッ。必ずや、ヴフト様たちもお救い致します! だから、どうか私にお力をお貸しください!」
「陛下とフリーレン様がッ? ………分かりました。タラル王子、まずは状況を整理いたしましょう。お時間をいただけますか?」
「はい、もちろん」
ピペトの提案にタラルが頷く。直ぐに服を着替え、改めて二階の一角で話し合いをすることになった。庭に出ていたカールも、当事者の一人ということで会話に加えられた。
『洗濯屋と魔王様』 第三章
太陽は既に少しずつ沈み始めていた。建物も、地面も、人々も、白っぽい街並み全体が赤く染まっていく。今日と言う日が終わり、明日が来る。
けれどもサハラウの明日は、場合によっては、今日までとは全く違う明日になるかもしれなかった。
軍の謀反によって国王が幽閉された。王妃や近衛隊も同様と思われ、宮殿内はすっかり掌握されてしまっている。唯一難を逃れた王子タラルは、王都から遠く離れた海辺の街に隠れることになった。一刻も早く事態を収拾したいという気持ちはあるものの、首謀者のラムジと彼が従える軍を相手に現状為す術がなかった。
またサラーフ国王と共にケペリアのハビブ王も捕らえられており、タラルは気が気でなかった。ケペリアは元々長く争ってきた国であり、和解したとは言え、今また地下水が原因で不和が生じている相手だった。もしラムジがハビブ王を軟禁したという情報が相手国に伝われば、直ぐさま戦争になりかねない。
同じ失敗を繰り返さないためにタラルは我慢していたが、今すぐ宮殿へ引き返したい思いは変わっていなかった。
「まずはこちらの状況からご説明いたします。ピペトさんたちと別れた後、私はヴフト様と共に部屋で身を隠しておりました。しかしそこへ母からの通信が入り、母も軍に囚われたと知ったのです。…そこで気が焦った私は兵士が集まっていた部屋へ押しかけ、ラムジに会いました。部屋の中には父も母も、ケペリアの方々もいたと思います。策もなく飛び込んだ私はラムジの手に掛かり、そのまま捕まるか、亡き者にされるところでした。それをヴフト様とフリーレン様がお救いくださったのです。ヴフト様はこの場は引き受けると、仲間を得て、策を持ってやり直せと、私に言ってくださいました……。それでドゥンケルタールへ直接行き、事の次第をお伝えしようと、カールさんの衣服に忍び込んだのです。ただ、それも結局バレてしまい、後はご存じの通りです。宮殿内にはいくつか緊急用の魔方陣があるので、それを使ってここまで移動してきました。護衛隊の方と合流でき次第、作戦を練ろうと思い身を隠していましたが………」
「そうでしたか…。私の方では、ラムジ将軍の計画によって護衛隊の半数が先に帰されておりました。そして残りの半数も、こじつけをされて帰国することに。今、こちらに残っているのは捕らわれた陛下とフリーレン様、そしてカールさんと私だけです。護衛隊が帰国してしまったことは、パコ様が通信で伝えていたので陛下はご存じのはず…。しかしパコ様は陛下が捕らえられたことをご存じではありません。この事実が伝わっていれば、本国も軍を動かしてくれたかもしれませんが、私たちが残っただけとなればどうご判断なさるか…。あくまで穏便に事を運ぼうと考えるはずです」
「それは仕方のないことだと思います。他国の争いになど、首を突っ込まないのが当然ですから。本当に、このような形で貴国を巻き込んでしまい、申し訳ありません…」
今日一日でタラルは数え切れないほど頭を下げた。
だがいくら謝罪しようとも状況は変わらない。動ける者の数は少なく、救援もすぐには望めない。だからと言って再び乗り込んだとしても、捕まるのは目に見えていた。
砂漠では日が沈むと気温がぐっと下がる。
ひやりとした風が夜を運んできた。
「明日、宮殿内の様子を見に行きましょう。中の状況が分かれば、我々だけでも出来ることがあるかもしれません。将軍もこれだけでは終わらないでしょう。きっと次の行動があるはずです。タラル様はここに残ってください。私とカールで行って参ります」
「えっ」
「え、俺ですかッ?」
しばらくの沈黙を挟み、ピペトはこれしかない、と言ったふうに意見を述べた。その突然の指名に、カールは思わず自分を指さし驚きの声を上げる。タラルも偵察には賛成だったが人選に疑問を抱いた。
「あの、中を見に行くのであれば、私が行った方が良いのでは?」
「いいえ、万が一タラル様が捕まってしまえばそこで終わりです。ここは私たちに任せて、どうかタラル様はご辛抱ください」
「それはそうですが……、でもなぜカールさんも一緒に?」
ピペトの意見に半分納得しつつも、タラルは訳を聞いた。
それに合わせてカールも無言で頷く。例え手伝いだとしても、自分が偵察の役に立つとは少しも思えなかった。
そんな彼に対し、ピペトは眉間に皺を寄せて深くため息をついた。
「…本来なら貴方を連れて行くべきではないと分かっています。しかし今は、貴方が私の目の届かないところで、余計な動きをされることの方が心配なのです! そもそも、この非常時に呑気に屋外で洗濯をするなんて、一体何を考えているんですかッ? ここへ来る前、貴方の後ろをサハラウの兵士が追いかけていたのですよ? タラル様が追われていることも分かっていたでしょう? それを姿を変えもせずに………あっ、いや、それはともかく。ちょっとは隠れていようと思わなかったのですか? ついさっきまで追われていたくせに。屋外に出ることを危ないとは思わなかったのですかっ?」
「え、ええッ? いや、でも、タラル様がここは安全だって…。庭を見たら丁度、洗濯が始まったところで……。初めて見る洗い方だったし…。それにほら、俺が外にいたからピペトさんとも合流できました! だから、その、結果的にオッケーってことで!」
「貴方が無類の洗濯好き、と言うことしか手掛かりがなかったので、宮殿から川沿いに洗濯をする人たちを見て来たのですよッ! ……会えたのは確かに運が良かったですが、私より先に兵士に見つかったらどうするつもりだったんですか!」
「うっ…、すみません……」
先日を想起させるピペトのまくし立てに、カールは思わずたじろいだ。
長身な体と、スンッとした表情が相まってどうにも迫力が凄まじい。その上、正論で畳みかけてくるので、カールはちっとも言い返せなかった。
この様子には流石のタラルも苦笑し、まあまあと優しく仲裁に入る。
「とにかく、彼をここに置いて行くのも心配なので、二人で行ってきたいと思います。どうか我々を信じて、お待ちいただけませんか?」
「ふふっ、分かりました。それではお願いいたします。でも必ず、お二人でお戻りくださいね。必ずですよ」
「はい」
険しい表情をしていたタラルに笑顔が戻る。
王子たっての願いに、ピペトは固く帰還を誓った。
***
三ヵ国会談の議場となるはずだった一室は、三人の王を軟禁する部屋となっていた。
一人はサハラウ国の王、サラーフ。もう一人はサハラウとの間で水問題を抱えているケペリア国の王、ハビブ。そしてこの二国が抱える問題の仲裁役として招かれていた、ドゥンケルタール国の王、ヴフトだ。
王たちは部屋の中央に集められ、それぞれ魔力を吸収する罪人用の手枷を嵌められていた。また同じ部屋の隅には王妃や使用人らも捕まっており、同様に兵士たちの監視を受けていた。
その物々しい部屋の中で、兵に指示を出しているのは大将軍ラムジである。
彼はドゥンケルタールの一行が帰国し終えたという報告と、王子が街へ逃れたという報告を同時に受け、やや苛立ったように床を踏み鳴らした。
「王子に逃げられただと? チッ、面倒な。直ぐに捜索を開始しろ! ただし、王子を探していることはまだ伏せておけ。もし夜まで探しても見つからんようなら、切り上げて構わん。宮殿内にある魔法陣と、国内の交差点はすべて通行止めだ。入国も出国も一切禁止だ! ギルドが騒ぐようであれば力で黙らせろ!」
「はっ! 直ちに極秘で王子の捜索を行います! 宮殿内にある魔法陣、及び国内にある交差点をすべて通行止めにいたします! 騒ぐ者がいればこれを取り押さえます!」
「よし。行け!」
兵士は命令を復唱すると、直ぐに部屋を出ていった。扉が大きく開かれても、捕らえられた人々は監視が厳しく身じろぎさえままならない。床の上に放置されたサラーフ王とハビブ王は、軟禁から既に半日が経ち疲れの色が出ていた。
ラムジはそんな王たちを向き直り、一人ずつ忌ま忌ましそうに眺めていった。取り分けタラルを助けたヴフトのことは長く睨みつけ、吐き捨てるように言葉を投げつけた。
「まったく余計な事をしてくれたな、渓谷の王よ。他国の問題に首を突っ込むとは愚かな判断だ。貴国の者たちは皆帰った。軍を引き連れて戻ろうにも道はない。仮に砂漠の果てからやって来ようとも、我々は決して容赦しないぞ」
「愚か者とはどちらの事か。事の原因は水であろう? 今日は正に、それを解決するための話し合いを為そうという日であった。それを貴様が台無しにしたのだ。国を思うサラーフ王のお心を、歩み寄ろうとするハビブ王のお心を、貴様が蔑ろにしたのだ!」
「黙れっ! 水に恵まれた国の者に何が分かるッ!」
太く鋭い鋏が眼前まで迫り、ヴフトを脅す。
しかし翡翠の瞳は怯えることなく、真っ直ぐにラムジを見返した。衣服が汚れ、髪が乱れても、王としての気高さは美しいままだった。
その屈しない様子にラムジは腹を立てた。綺麗事を並べるなとがなり立てた。頭頂の目玉がぐわりと開き、爛々と光る。大きな拳がわなわなと震え、鋏が床を抉った。
将軍の怒りに王妃たちは怯え、部屋を守る兵たちすらびくりと飛び跳ねた。
ラムジはまた強く床を踏み鳴らすと、ヴフトの考えがいかに甘く、サラーフ王の対応がいかに緩慢であったかを非難した。
「いいか、水に恵まれた者よ! 水とは生命を維持する上で、最も重要な要素の一つである! この広い砂漠を見てみろ。これだけの土地があるにも関わらず、水の少なさ故に動物も植物も、僅かにしか生息していない。水が、淡水がなければ、魔力を持つ我々ですら干上がってしまうのだ。だからこそ我らの祖先は水を求めて戦った。一族の存亡をかけて戦い、勝利の末にこの地を得た! サハラウ湖とそこから流れ出る川がこの国の全てである! 水があったからこそ、我らは安心して暮らすことが、発展することが出来た! 今、それが脅かされているのだ! 湖の水量が減り、井戸が枯れる事は、この国の死を意味する。国が死ねばそこに生きる者たちの命も危うい。国民の命が危険に曝された状態で、なぜ悠長に話し合いなどと言っていられるのだッ! 水量の減少が確認されてから原因の解明までにも時間が掛かった。この上、ケペリアの合意を待っていれば本当に枯れる井戸が出るやもしれん。我らから水を奪い潤っている国の者が、我らと真摯に向き合い、交渉に応じると本気で思っているのかッ? 半年もの間、何も進展がなかったのだぞッ? いい加減に目を覚ませ! 第三国が入ったところで何になるッ! 今日の会談内容など予め知っておったわ! だからこそ行動を起こし、サラーフ共々、ハビブ王も捕らえたのだ! 我々はケペリアを滅ぼし水を取り戻す! 兵士たちも、大臣の多くも、それを望んでいる! かつての争いでは転陽の国を残したが、二度はない!サハラウの水を脅かしたことを、今度はその身を以て償わせるのだ!」
将軍の覚悟が部屋に轟く。これを聞いていた兵士たちの顔にぐっと力が入る。彼らは決して軽い気持ちで行動を起こした訳ではなかった。ラムジ将軍はただ一人の思い上がりで軍を先導した訳でもなかった。彼らは本当にこの国を、サハラウの明日を案じて、今日という日に至ったのだ。
水が豊富に蓄えられている宮殿に比べて、兵士たちの暮らしは市井に近い。彼らの家屋には水道が引かれておらず、生活に必要な水は共用の井戸まで汲みに行く。それでも井戸が近くにあればまだマシな方で、より貧しい者たちは川の水を頼りに生きていた。
川は細かい砂漠の砂と上流からの汚れを蓄えて、海に近づくほど濁っている。農業用として使うのはともかく、生活用や飲用に向いたものではなかった。
宮殿と街中を行き来する兵士たちは、この国の様子をよく見ていた。きれいな水がたくさんある場所と、汚い水でも掻き集めて使わなければならない場所がある事を、よく知っていた。そしてこのまま水嵩が減り続けた場合、貧しい者から順に干上がるであろう事を身近に感じていた。
ラムジが起こした行動は、そんな兵士たちの危機感を受けてのものだった。
彼は兵士たちを指導し束ねる者として、部下の意を酌んだのだ。
サラーフ王は部屋にいる兵士たちの顔を見ることが出来なかった。ハビブ王も沈痛な面持ちで下を向いたまま黙っている。先ほどは将軍の行動を批難したヴフトでさえ、彼らの覚悟を前に言葉を失った。
水がなくなれば国も暮らしも破綻する。
この耐え難い恐怖を最も理解していたのは、持つ者ではなく、持たざる者たちだった。
***
サハラウの宮殿からチモ第八交差点へ一気に移動したパコたちは、そこから本国城内へ魔法陣を接続し、何とか無事に帰国した。突然の連絡に城側が慌てたのは言うまでもない。急ぎ転送用の扉を組み立て、魔力人員を確保し、都合のついた左丞相ジェフだけが出迎えに来た。帰国者はそのまま庭で待機となり、直ぐに報告会議が開かれる。
会議室に入ると、パコはまず最初にヴフトとフリーレンの人形を元の木型に戻した。
最も重要な人物の姿が消え、普段は穏やかな左丞相の顔が険しくなる。シュピッツもこれについては知らなかったため、思わず驚きの声を上げた。
ただ一人、真相を知る産業の卿に説明を求めて視線が集まる。
「サハラウ訪問お疲れ様でした、の一言で終わらせたかったところですが。予定よりも早い帰国に、直前の連絡。それに、それは何ですか? なぜ陛下と執事殿の木型など。ご本人はどちらにおられるのです? 事の軽重はこちらで判断いたします。とにかく、起こった事をすべて報告してください」
「…はい。すべてお話いたします」
パコは疲れの色を見せながら、把握している全状況を述べた。続いて、シュピッツの口からも事態の経緯が語られる。その両方を聞いたジェフは椅子に座ったまま、徐々に眉間の皺を深くしていった。
一通りの報告が終わったところに、別件で遅れていた右丞相ゾンネが合流した。右丞相は日頃、険しい強面の表情で知られている。その彼が、このときは珍しい左丞相の渋顔に驚いてパッと目を丸くした。
「どうした? 貴殿がそのような顔をするとは唯事ではないな。予定が一日早まった件、何か重大な問題でもあったのか? 陛下はどこにおられる?」
「ええ、だいぶ問題です。まず、陛下はお戻りではありません。本日未明にサハラウ国で軍による謀反が起こり、その鎮圧支援をタラル皇太子殿下から直接ご依頼され、お引き受けになったそうです」
「なにっ? ではなぜ護衛隊長がここにいる? 他が現地に残っているのか?」
「いいえ。護衛隊は全員、向こうの思惑でこちらに帰されました。今サハラウに残っているのは陛下と執事殿。それに私たちの把握していない事が起きたようで、特別洗濯長のカールと、彼を追った産業の卿の第一補佐官ピペトが」
「は? カール? あの男がッ? おい、あの者は……いや、誰であろうと問題か。しかし選りに選って…。軍の謀反……。ええい、厄介な事をしてくれたものだ。それなら国防の卿を探してくる。戻ったら儂と奴にまとめて詳細を聞かせてくれ」
「承知しました」
事のあらましを聞き、右丞相もさっと顔色を変えた。いつもの眉間に一層、皺が寄り上がる。他国の騒動に自国の者が巻き込まれるとは。黙って見ている訳にはいかない。王は勿論、取り残された者たちを早急に救出する必要があった。ゾンネは席につかないまま踵を返し、軍事を司る国防の卿を探しに出て行った。
それを見送ってから、左丞相は産業の卿に帰国者の点呼と荷物の点検を命じた。パコは先に救出の方針を固めるべきでは、と進言したがこれは却下された。
「まずは正確な状況を把握し、私に報告してください。他に帰国できていない者はいないか、渡された荷物に不審な点はないか。残留者の救出方法は、国防の卿が合流してから考えます。貴方はまず、護衛隊と協力して確認作業を終えてください」
「………承知致しました…」
有事に関して己が専門外であるとは分かっていても、パコは無力感を覚えずにはいられなかった。王を置いてきてしまった事も、護衛隊を残せなかった事も、自分の補佐官を危険な目に遭わせている事も、悔やまずにはいられなかった。だがどれだけ歯痒くとも、自分に出来ることは限られている。
パコは護衛隊長を連れて庭に戻り、点呼と点検に尽力した。
夜、軽く腹に物を入れてから緊急の会議が開かれた。
左右の丞相に産業の卿、護衛隊長、そして国防の卿が加わっていた。
パコは着替えたり食事をしたりすることで多少の落ち着きを取り戻しつつあったが、まだ内心は焦りと不安が多かった。
「では、改めて帰国報告と陛下の現状についてお話を。産業の卿から」
「…はい」
普段の明るい様子ではなく、暗く強張った表情でパコが話し出す。
サハラウでの出来事が再び報告され、一同は顔を顰めた。王を含め、四人もの同胞が危険な場所に取り残されたのだ。事の重大さに塞ぎ込むのも無理はない。
何よりも厄介なのは二国間の距離だった。東の大陸にあるドゥンケルタールから、西の大陸にあるサハラウまでは、馬で走ると数ヶ月が掛かる。急を要する今、それではとても間に合わない。交差点を利用すれば一瞬で移動することも出来るが、武装した兵士は事前申請が必要で、しかも一度に十名までという制限があった。これはギルドが戦争に利用されないための仕組みで、つまり軍の移動には使えないのである。サハラウの国軍すべてが寝返った状態に、数で太刀打ちしようとすることは不可能であった。
これに加え、ヴフトの状況が不明瞭で、国としてどう出るべきかも問題だった。
「情報が少なすぎるな。陛下はタラル王子と共に部屋で護衛隊を待つ手筈であったのだろう? それなのにタラル王子はカールを連れて逃げた…。その後、陛下と合流できているのかが分からん。別行動になった可能性の方が高い」
「然れど、陛下が未だ部屋におられる、と言うことはないでしょう。産業の卿から護衛隊が帰国してしまった旨は伝えられております。部屋にいれば見つかるのは時間の問題。どこか別の場所に移られたはず」
「しかし、その行き先が全く分かりませんね。西の大陸まで行けば通信機を使えるかもしれませんが、ここからでは……。そうだ、ピペトさんは通信機を持っていますか?」
丞相らとハルがそれぞれ思ったことを挙げていく。
それをどこか遠くで聞いていたパコは、話を振られてハッとした。国益をかけた話し合いや、腹の探り合いには慣れている。だがこのような有事の対処には慣れていない。不安が頭の中を埋め尽くし、会話についていけなかった。
「あ、……えと、持っとります。サハラウに入れば通じると思います」
「それなら少人数で行って、まずはピペトさんとカールさんを回収。それから陛下とフリーレン様をお迎えに上がるのが妥当かと」
表情が暗いパコの心中を察し、ハルは具体的な案を示した。右丞相と左丞相はそれに概ね賛成を示し、細かい部分を詰めていく。残留者と合流した後の帰国方法、装備していく魔道具、到着してからの行動。万が一の戦闘にも備え、シュピッツからサハラウ軍の様子が伝えられる。早急な解決を目指す彼らの対応は早かった。
最後に救出隊は五名と言うことで話がまとまり、人選が国防の卿に一任される。ハルは適任者を探すためにさっそく立ち上がった。
そのときである。それまで自ら発言をすることのなかった産業の郷が、ガバリと身を乗り出して声を上げた。
自分を、救出隊に入れて欲しいと言うのだ。
「私が戦闘に不慣れなのは分かっとります! でも、私の命でうちの補佐官が残ってるんです。上役として、迎えに行かせてください! どうかお願いしますッ!」
「産業の卿……しかし、もし戦闘になった場合、お守りできませんが」
「承知しております!」
「うーん…」
五人という限られた人員を選ぶに当たって、ハルは難しい顔をした。気持ちは分かるが、それとこれとは別なのだ。少数で迅速に方を付けるには、精鋭揃いの国防隊から連れて行くのが一番だと考えていた。それを部下ならともかく、同じ卿であるパコ相手にどう伝えたものかと視線を泳がせる。適当な言葉が見当たらず、しばし沈黙する。だがそのうちに、自分を見つめる視線がもう一つあることに気が付いた。
護衛隊長のシュピッツだ。
彼は場を弁えて口にこそ出さなかったが、その目には確かな闘志を宿していた。護衛隊の本分は平時の警固であって、非常時には国防隊の支援に回る。なので所属だけを考慮すれば、彼も候補外の人物だった。
ハルは二人の視線を改めて観察し、人員を考え直した。
「……産業の卿、隊に加わると言うのであれば、本当に特別扱いは出来ません。御身を危険に身をさらす事となりますが、それでも宜しいですか?」
「はい!」
「護衛隊長の方はどうしますか? ついて来れると言うのであれば加えます」
「行きますッ!」
国防の郷からの提案に二人は即答した。どちらも、果たしきれなかった務めがサハラウに残っている。それを今度こそ全うしようと、高い士気を放っていた。ハルはその意を汲んで最善を尽くそうと思った。
出発は明日の正午、西大陸が朝になる頃合いを狙う。交差点通過後は、サハラウまで鳥になって飛んでいく。軽装であることを逆手に取った強行軍だった。
それぞれの場所で夜が更けていく。
明くる日も、太陽は東から順に大地を照らしていった。




