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第二十四節*サハラウと洗濯係

 カールはゆっくりと、前の人に倣って扉をくぐった。どこに出るのだろうとドキドキしながら、しかし足は止めずにくぐり抜けた。するとどうやら抜けた先は森のようで、開けた土地を黒い木々の影がうっそうと取り巻いていた。

「……デイジーさん、サハラウって、砂漠の国なんですよね?」

「そうよ。でもここはまだ途中。チモ第八交差点って言う八又(やまた)ギルドが管理する交差点よ。交差点って言うのは、転送用魔方陣がいっぱいある場所のことね。陸のあちこちにあって、ギルドにお金を払えば自分で魔力を使わずに行きたい交差点へ転送してもらえるの。さっき三回に分けて移動するって説明があったでしょ? 途中の魔方陣は、こういう交差点のものを利用して行くのよ」

「なるほど…、こんな場所があったんですね」

 デイジーに説明を受けながら、カールはそっと辺りを見回した。確かに、自分たちが通ってきた物以外にもいくつもの扉が見える。今は夜なので静かだが、昼間になると行き交う人々で大いに賑わうらしい。

 カールは久しぶりに月を見た。

 最初の魔方陣を全員が通過し終わるのを待ち、一行は次の扉へと進む。カールもまた列に従って門を通った。すると通り抜けた先で今度はゴツゴツとした岩を踏んだ。

「わ、えっ?」

 城の床のようなきれいに整えられた岩ではない。天然の凸凹した岩場である。驚いたカールは躓きそうになり、少しふらついた。体勢を立て直し周りを見回すと、どうやら洞窟のようだ。天井からいくつものランプがぶら下がり、空間を明るく照らしていた。

 最後尾を待つために再び待機を指示されたとき、カールは岩の割れ目に作られた窓から外を覗いてみた。太陽が地平にかかり、空と大地を朱色に染めている。

「デイジーさん、何か外が明るいんですけど…」

 カールは頭を捻りながらそう聞いた。

「そうね。たぶんこっちは夕方ぐらいのはずよ。砂漠に落ちる太陽ってきれいね」

「え? 今は夜ですよね? さっきの交差点で月を見ましたよ?」

「えっ? ああ、そうか。時差が初めてなのね。この辺りはドゥンケルタールより四時間ぐらい遅いのよ。だからまだ夕方なの」

「ジサ……?」

 デイジーの説明にカールはもう一度頭を捻った。初めて耳にする単語で、何を意味するのかさっぱり分からない。詳しい話を聞こうとしたが、再び列が動き出してしまった。

 最終的に彼の靴が踏んだのは、じゃりっとした砂地であった。



『洗濯屋と魔王様』 第三章



 サハラウに向かって夜に出発したはずが、着いた先はまだ日没直後だった。デイジーの言う《時差》が何の事か分からないまま、カールは到着の挨拶を聞くために頭を下げ続けた。式が終わりやっと上げられたかと思えば、今度は軽い食事を出された。

 あれよあれよと部屋を指示され行き着くと、見知らぬ大鼠がスンッとした目つきで立っている。デイジーは女性なので別部屋。カールは彼と同室らしい。

「産業の卿パコ様の第一補佐官、ピペトです。子細は承知しております。どうぞ宜しく」

「…洗濯係のカールです。どうぞ、よろしくお願いします」

 要件を伝えるだけの冷たい物言いに、カールは珍しく怖じ気付いた。どこかピリリとする雰囲気の人物で、彼は挨拶が済むとさっさと支度をしてベッドに入ってしまった。

 なぜ夕食を二度食べたのか、時差とは何なのか。カールの中では疑問が何一つ解決していない。だが聞ける相手がいない以上、彼も大人しく布団に入る他なかった。


「いつまで寝ているつもりですか」

 バサリ。

 あれから一晩が経ち、しっかり寝ていたカールをぶっきらぼうな声が起こした。布団を取り上げられ、驚いた拍子に低いベッドから転がり落ちる。カールは顔を擦りながらぼんやりする頭で一生懸命記憶を辿った。

「えっと……? あ、おはようございます。ピペトさん」

「三十分後に食事の時間。その一時後から誕生祭の式典が始まります。サハラウ国国王のご好意により、第三の式は末端の者まで参列することが許されております。粗相のないように、早く支度をして下さい」

「へ? すみません、ちょっと早口すぎて……」

「早く支度を!」

「は、はいっ」

 まどろんでいたカールの頭にピリッとした言葉が突き刺さる。ピペトは既に身形が整っていて、初参加のカールを待ってくれているようであった。優しいような、怖いような。ピペトとの接し方が掴めずに、カールはわたわたしながら準備をした。

 泊まっている部屋は窓がなく、室内に洗面台が一つあった。二組のベッドと小さな机は、その洗面台を挟んで両端にある。壁の空白を埋めるように一枚の絵が飾られていて、その隣にドアがついていた。カールは床に転がしていた鞄から服を取り出し、椅子に掛けてあったジャケットを羽織った。

 首のネックレスと左胸の国章を確認し、ピペトの前に急ぐ。彼はカールが支度をしている間中、直立不動でその様子を眺めていた。

「お、お待たせしましたっ」

「食堂へ向かいます。以降、私はパコ様の補佐に戻りますので、貴方はデイジーさんと合流して行動を共にするように」

「はいっ」

 またもやピリッとした説明を受け、カールはピペトに付いて食堂に向かった。丁度、他の係たちも起きた頃合いで、歩く度にどこかしらの扉が開く。廊下は白い大理石で造られていて、朝日を浴びツヤツヤと光っていた。

 食堂に着くとピペトは「では」と言って離れてしまい、カールは入り口でデイジーを待った。幸い彼女は直ぐにやって来て、それから一緒に朝食を取った。

 カールは同室がピペトだったことを話すと、彼女は苦笑いをしてみせた。

「そっかあ、ピペトさんか。あの人優しいんだけど、打ち解けるまでちょっとあたりがキツイんだよね。でも面倒見の良い人だから大丈夫だと思うわよ」

「早口でキビキビしてて怖かったです…」

「ははは、そうかも! カールさん、背が高いから尚更ね」

「どういうことですか?」

「ピペトさん、小さい物好きでね。背が低いとちょっと対応が優しいの。まあ中テディーぐらいの背丈までだから、レアなんだけどね」

「そうなんですか…。せめてゆっくり喋って欲しいなあ……」

 テディーと聞いてカールは親友のアルを思い出したが、彼は本国に残っていた。

 自分の身長は小さいとは程遠い、ヒト族でも大きい方である。小柄なら多少違ったのかもしれないが、こればっかりは仕方ない。ピペトとはほぼ同じ背丈だった。これから七日間も同室なのだから、出来るだけ早く仲良くなりたい。まずは彼の角張った早口に慣れなければ、とカールは思った。

 食事のプレートには豆のトマトスープとデニッシュが三つ乗っていた。パンだけでも十分甘いのだが、小鉢にはジャムもある。それに黒いソーセージとパプリカの炒め物、スクランブルエッグ、青いブドウ。飲み物のジュースまで揃えられていて、逆を言えばそれ以上食べることは出来なかった。普段パンをお代わりしているカールにとっては、些か物足りない量である。

 それをよく噛むことで腹を満たそうとしていると、途中でふと昨日の話を思い出した。

 夜に出発して夕方に着いた《時差》とは一体何なのか。

「そういえばデイジーさん、昨日言っていたジサって何なのかもう一度話してくれませんか? 俺、やっぱり分からなくて。昨日、俺たち夕食を二回食べましたよね?」

「ん? ああ、時差ね。どう言ったらいいのかな……、サハラウはドゥンケルタールよりも後に夜が来るのよ。だからドゥンケルタールでは夜になってても、サハラウはまだ夕方。今私たちは朝食を食べているけれど、向こうはそろそろお昼じゃないかしら」

「後に夜が来る? 向こうはもう昼? ……太陽が昇るのはどこも同じじゃないんですか」

「ん~、私も初めて魔方陣で移動したときは驚いたわ。でもそう言う事らしいの」

 時差という感覚が分からないカールに対して、デイジーは頭を悩ませた。なぜならこれは徒歩や馬などで移動する限りは、顕著に感じることがない現象だからである。彼女自身、魔方陣を使うようになるまではピンと来なかった。普段の生活で、遠く離れた二地点の時間差を考えることなどないからだ。

 デイジーはフォークの先にブドウを一粒突き刺して、それをカールに見せた。

「いい? 私たちがいる世界は、全部繋げるとこのブドウみたいな球になるらしいの。そこを太陽が順番に照らしていくから、遠く離れた土地を比較すると、片方は朝で片方はまだ夜ってことになるの。これが時差よ」

「太陽が順番に………、ああッ! 街でも東の家の屋根から順に朝日が当たりますね!それが凄く遠い場所で起きてるってことですか?」

「うんうん、大体そんな感じ!」

「へえ。じゃあ、サハラウはドゥンケルタールとすっごく離れた国なんですね」

 瑞々しいブドウの表面がつるりと光る。

 カールは何となく時差を理解し、安心して朝食を口に運んだ。デイジーも何とか説明を果たしほっと一息つく。けれどもパンやおかずを食べ終え、カールもブドウを突き刺したとき、彼はまた声を上げた。

「あれ? でも水平線って平らに見えますけど。世界って本当に丸いんですか?」

「……太陽や月が丸いんだもの。きっと世界も同じ形なのよ…」

 デイジーは目を逸らしながらそう言い切って、食器を片付けに席を立った。


   ***


 食事を終えたカールたちは身形を整え大広間に向かった。式典にはドゥンケルタール以外にも多数の国が参列し、それぞれが大勢の従者を連れていた。そのため広いはずの室内は満杯で、カールは指定された位置に辿り着くと、もうそれっきり動くことが出来なかった。余所の国の衣服や初めて見る魔物など、気になることは幾らでもあったのだが、せいぜい首を回してみる程度だった。

 大広間には床一面、模様の入った絨毯が敷かれていた。部屋の中程に柱はなく、周囲を太い円柱が囲っている。その柱には鮮やかな布が何枚も垂れ下がり、いかにも祝い事と言った雰囲気を出していた。また廊下はずっと平らな石造りの屋根が続いていたが、ここの天井だけは木で造られたアーチ型だった。高いところにある天窓からは白い光が差し込んでくる。目映い日差しが室内を余すところなく照らしていた。

 カールは初めて体験する他国の行事をそわそわしながら待った。

 人がどんどん増えては所定の位置に収まっていく。とても沢山の魔物を見ながら、その姿が意外にもヒト族とそう変わりないことにカールは気が付いた。ヒトから見て明らかに獲物でないと分かる種族は少数派である。獲物にも鱗肌や巨体な種族がいるので、偽られると見分けがつかないだろう。

 獲物か魔物かの違いはやはり見た目ではなく魔力の有無なのだと、カールは改めて感じた。どれだけ見た目が近くても、それが決定的に種族を分けている。カールは自分の体が変わっているようには思えなかったが、きっと胸の石が手元を離れると、その変化を広間中の魔物は感じるのだ。

 部屋がいっぱいになっていく様子を見ながら、カールはぎゅっと魔法石を握った。

 しばらくして高い笛の音が鳴り響いた。すると大広間にいた従者たちは一斉に姿勢を正し、ピタリと静まりかえった。いよいよ式典が始まる。

 前方に設けられた椅子へ来賓たちが座っていく。それから立派な鎧を纏った兵士たちが玉座の両脇を守り、杖をついた国王が厳かに歩み出てきた。その後に続いて出てきたのはきっと妃や王子だろう。カールの位置から玉座は遠すぎてよく見えなかった。

 また笛の音が響き、今度はそれに美しい弦楽器の音が続けられた。短い一曲が終わると形式張った口調で開会が宣言され、来賓からの祝辞が述べられた。その様子は豆粒ほどにしか見えなかったが、声だけは空間によく響きしっかりと伝わってきた。途中、ヴフトの改まった声も聞こえた。多くの言祝ぎに対して礼を述べるサハラウ国王の声は、とても柔和で温かみのある声だった。

 カールは眩しい思いで異国の式典を聞いていた。響く音も、漂ってくる香りも、全てが目新しい。故郷で見た祭事の様子と思い比べながら、興味深く耳を傾けていた。しかし各国の要人たちは代わる代わる国王を祝い、王はその度に礼を返し、言葉は尽きない。来賓からの祝辞が終わると、今度は手紙による祝いの言葉が紹介された。延々と続く遣り取りをカールはただじっと聞いていたが、そのうちに脚は痺れ首は疲れ始めた。

 けれども前にいるデイジーは勿論、周りの従者たちも微動だにせず祝賀会の様子を見守っている。ここで自分一人が動くわけにはいかない。少しでも物音を立てれば、折角の式典が台無しになってしまう。ゆったりと語られる国王の言葉を有り難く聞きながら、カールは気が遠くなる思いで唇を結んだ。


 本当にたくさんの祝辞を聞いて、カールは自分でも祝いの言葉を述べられるようになった気がした。今誰かの誕生日に招かれたら、それはもう立派なスピーチが口を突いて出るだろう。カールはそれほど多くの会話を実に辛抱強く聞き続けた。それが軽やかな笛の音で締めくくられ、祝賀会はやっと終わったのだ。

 国王や来賓たちが退席した後、従者も順に外へ出された。カールが事前に聞いていた話では、次に集まる晩餐会までそれぞれの仕事をすることになっている。彼にとって仕事と言えば勿論、洗濯だ。そこでカールは早速デイジーと一緒に庭へ移動した。

 庭に着くとサハラウの係が洗濯場へ案内してくれた。長期滞在する国がいくつかあるので、専用の物干し台が割り当てられていた。井戸は庭の隅にあり共用だ。堅く踏み固められた地面はドゥンケルタールの裏庭に少し似ている。細かい砂と、大きめの砂利が混ざった土だった。

 デイジーがタライや薪などを借りてきて、作業をする準備は整った。

「でも、今日は来たばかりだから特に洗う物ないのよねぇ」

「仕上がりがお城と違うって聞きましたよ。試しに俺たちの服を洗ってみませんか?」

「そうね。ここでお湯を使って洗うのも初めてだし。試してみましょ」

 本格的な作業は明日の朝集められる洗濯物から。初日は何も回収がなく、基本的に洗う物がない。仕方がないので、二人は部屋から一晩着ただけの寝間着と朝使ったタオルを持ってきて、それを試し洗いすることにした。慣れない手つきで焚き火を作り、そこに鍋を据える。他に庭で火を使っている所はなく、二人はややドキドキしていた。

「……火の中に、直接置いていいんですよね? これ…」

「ええ。直接置いて大丈夫だって言ってたわ。でもお湯を使うって言ったら変な顔されたし、(かまど)も調理場にしかないみたいで……」

「ずっと沸かしていないと、明日からは間に合わない気がしますね…」

 心許ない水量が鍋の中で煮えていく。ひとまず、いつも通りに粉石けんをお湯に溶かし、シャツとタオルを洗った。洗濯物は特に変わった様子もなく、すすぎまで終えると丸めて絞り、竿に吊した。仕上がりは乾いてからでないと分からない。

 火の始末をして、暇になったデイジーはカールを部屋に誘った。彼女は三人一部屋で湯浴み係の二人が同室らしい。部屋の中なら気楽にくつろいでも良いという事だった。一人で部屋に戻ってもやる事がないので、カールはデイジーの提案に従った。


 デイジーたちの部屋は三つ離れた先の逆側だった。彼女が先に中へ入り、仲間の了承を得るとカールを招き入れてくれた。部屋の造りはほとんど同じだが、三人ということでやや大きいようだ。湯浴み係は夜まで仕事がないので、最初から部屋でのんびりしていた。カールが入ったときには既にお茶やお菓子が用意され、雑談に花が咲いていた。

「やっだ、本当にアナタも来たのね! 根性あるわぁ」

「初めての祝賀会はどうだった? あの体勢けっこうキツいのよねぇ」

「こんにちは、カールです。お邪魔します」

 招かれるままにジャケットを脱いで敷布に上がらせてもらい、カールも茶話会の一員となった。ティーカップを手渡され、クッキーやチョコレートを勧められる。カールが紅茶を飲み始めると、湯浴み係の二人は興味津々に話しかけてきた。

「ね、ドゥンケルタールやサハラウに来てどう? あなたの故郷と違うところって何?」

「お湯で洗濯するのって、あなたの所だと普通なの?」

「うーん、街に出ていないからよく分からないですけど、似てると思いますよ。違うところって言われても、魔法の有無ぐらいしか…」

「アーアー! ……こほん。何言ってるの、どこにでも魔法はあるでしょ?」

「あ、そっか…」

 喋っていると何気なく出てしまう失言に時折口を止めながら、カールはのんびりとお茶を楽しんだ。流行りの装飾品や化粧の話では聞く専門だったが、お菓子の話になると会話に混ざり、洗濯の話題では大いに盛り上がった。カールが洗濯のコツや、簡単なシミ抜きの方法などを説明すると、彼女たちはとても喜んだ。

 お茶とお菓子がすっかり尽きても、女性陣の会話は延々と続いた。故郷でもよく見かけた光景である。女性が話の種をたくさん持っているのはどこも同じらしい。楽しそうに喋る彼女たちを眺めていると、時間はあっという間に過ぎていった。そろそろ晩餐会に向けて身なりを整えなければならない。

 部屋を手分けをして片付け、再びジャケットを着、魔法石と国章を確認する。

「午前中に祝賀会で、夜は晩餐会。王様の誕生日って一日がかりなんですね」

 カールが手を動かしながら誰に言うでもなくそう口にすると、デイジーが答えた。

「そりゃあ、国の一大行事だもの。私たちはほんの一部にしか出席してないけど、陛下は昼食会や会談にもご出席されてるのよ」

「え? 式ってあれだけじゃなかったんですか?」

「王様の誕生祭は大変よ~! 祝賀会が三回、民衆参賀が二回。それに昼食会、会談、晩餐会が各一回ずつあるの。お誕生日会って言うか完全に仕事よね」

「そうそう。丸一日ご政務だから、私たち庶民のものとは全然違うわよね~」

「じゃあ俺たちがここでのんびりしていた間も?」

「勿論。サハラウ国王様は街に出て、国民からの祝賀を受けていたはずよ。途中、休憩でお城に戻ったときに来賓と会談をするの」

「ひええ……」

 予想だにしなかった多忙な誕生祭の工程を聞いて、カールは驚いた。

「大変と言えば、サハラウ国王様はもうお年だから譲位の噂もあったけど、まだ現役続行って感じだったわね」

「そんな話もあったわね。今回が八十七歳のお誕生日でしょ? 優蠍族の寿命って百歳ちょっとが平均だっけ?」

「皇太子様がまだお若いせいかしら。ご立派だけど、杖をついてのご公務は大変そうね」

 昼間の式典で見たサハラウ国王の姿がぱっと浮かぶ。遠くからでも、杖が飾りでないことは伝わってきた。自分の誕生日とは言え、この行事詰めの日程を一老人が務めているのだ。カールはデイジーたちの噂話を聞きながら、少し王様が可哀想に思えた。


   ***


 晩餐会は朝食を取った食堂から衝立が外され、広い立食会場となっていた。一列に並んだ警備の奥には国王や来賓のスペースも見える。向こうも立食の形式で、料理が並ぶテーブルと休憩用の席が用意されていた。会場は既に食欲をそそる香りで満たされ、開始が待ち遠しい。カールは乾杯用のグラスを片手に開会の言葉を待っていた。

 昼間と同じ笛の音がぷああっと響く。会場にいる人々の視線がさっと一つのドアに集中する。サハラウ国王が杖をつきながらゆっくりと現れ、和やかに言葉を述べた。

 国王の挨拶を聞き、その健康と繁栄を祝いながらグラスを掲げると、いよいよ晩餐会が始まった。カールは異国の料理と、好きなだけ食べられることを喜び、あちこちを見て回った。もちろん一人ではなくデイジーと一緒にだ。行く先々でたくさんの料理を平らげるカールを見て、デイジーはやや呆れていた。

「あなたって本当によく食べるわね…。ちょっと前まで一緒にお茶してたわよね?」

「まだ全然大丈夫です! 朝も昼もお代わりが出来なかったから腹ぺこで。それに初めての料理がたくさんで、食べずにはいられませんよ!」

「うーん、分かったからもうちょっと落ち着いて食べてくれるかしら……」

 本当によく食べるカールを見張りながら、デイジーは少し気恥ずかしそうにグラスを傾けた。彼が順に皿を巡って行くので、給仕たちに注目されていたのだ。

 最初に行ったテーブルには様々な肉と魚の料理があった。牛肉と野菜の煮込み、揚げ魚のトマトソースがけ、ラクダの串焼き。丸くぱんぱんに膨らんだ肉の塊は、ハトに米を詰めて焼いた物。見知った料理があれば、そうでない料理も多かった。

 カールの故郷ではハトを食べる習慣はなかったし、煮込みにキュウリを入れることもない。だがどちらもハーブで上手に味付けされていて、カールは一口で気に入った。揚げ魚も皮の表面がパリッとして食感ごと美味しい。

 またラクダと言うのは、サハラウ周辺でお馴染みの家畜らしい。牛よりも大きく、背中に山のようなコブがあるという話だった。

 カールは一口一口を楽しみながらテーブルを移っていった。

 スープとサラダの机では、最初にコンソメのスープを飲んだ。細かく刻まれた野菜と、小さな粒状のパスタがもちもちして美味しい。別のスープにはエビの身と旨味がたっぷり入っていた。緑一色の見た目に驚いたモロヘイヤと言う野菜のスープは、少しとろみのあるさっぱりとした味だった。サラダはキュウリ、トマト、タマネギを角切りにして和えた物。パセリとトマトを刻んでレモン汁をかけた物。ガルギールと言う香草に、他の野菜とチーズを混ぜた物などがあった。

 順繰りに食べ歩いていくと、カールは壺型の鍋を見つけた。蓋は開いているが、何の匂いもしないので中身の見当が付かない。とりあえず一杯取ってもらうと、出てきたのはくたくたに煮えたそら豆だった。豆はただの水煮で全く味がない。カールが一口食べて微妙な顔をしていると、給仕が鍋の周りに用意した香辛料や具材を指さした。どうやら好きに組み合わせて食べる料理らしい。オススメを聞いてレモン汁とゆで卵、タマネギ、オリーブ油を加えると美味しい和え物になった。

 デイジーはカールがパンに挟む具材を一つずつ試食し始めたあたりで、その暴食阻止を完全に諦めた。代わりに自分も開き直り、甘いパンやお菓子を好きなだけ摘まんだ。料理は置いてあるテーブルに行けば係が取り分けてくれるし、飲み物もグラスに入った状態で配り歩いてくれている。普段なら出来ない贅沢がここでは可能だった。

「晩餐会って楽しいですね!」

「………そうね。滅多にない事だから楽しむといいわ」

 にこにこと自分の倍以上食べるカールを見て、デイジーは呆れつつ笑った。


 カールが最後に立ち寄ったのはデザートのあるテーブルだった。そこには可愛く盛られた果物やケーキ、ミルクプリンなどが用意されていて、一緒に珈琲や紅茶もあった。どれも一口サイズなのが惜しい反面、お陰で難なく全種類を堪能できる。二人はお菓子のお供に珈琲ももらい、壁際の小さな丸テーブルへ落ち着いた。

 テーブルの上には砂糖とミルク、それにもう一つ白い粉の入った瓶があった。

「何の瓶ですかね?」

「たぶん塩よ。珈琲に少し入れると酸味が和らぐらしいわ」

「へえ、そんな飲み方が。初めて聞きました」

 二人がいる丸テーブルはちょうど要人たちとの境目近くで、警備の奥を覗くと優雅な食事風景が見えた。立派な衣裳を着た人々が、それぞれお付きを従えながら自由に歓談している。それは絵画に見る富豪のイメージとぴったりだった。

 その煌びやかな集まりの中を、一ヵ所一ヵ所丁寧に回って歩く老人がいた。この誕生祭の主役、サハラウ国王本人である。昼真の式典では遠すぎて分からなかったが、国王は本当に高齢のようだった。腰がやや曲がっていて歩幅は小さい。口の上に生えた髭は白く、腰の辺りから出ている尻尾も垂れ気味だ。それでも王は各国の要人たちに出席の礼を述べているのか、休むことなく渡り歩いていた。

 国王の隣には優しく付き添う青年の姿もあった。こちらはだいぶ若く、まだ幼いようにも思える。デイジーに聞くと彼が一人息子の皇太子だった。

 サハラウに住む魔物、優蠍(ゆうけつ)族は硬い殻のような皮膚に三角形の頭をした種族である。細まった頭頂部付近に目が付いていて、口の上には呼吸用の穴が空いている。腰のあたりから平たい尻尾が伸び、その先は針になっていた。また背中に一対の鋏角(きようかく)が生えていて、体を鍛えている兵士などは大層厳つい。国王たちはそこへ布を垂らして着飾り、給仕係たちは手のように操っていた。

 カールは一通りの食事を堪能し、改めて会場を見渡した。優蠍族の人数が最も多いのは当たり前だが、それ以外の要人や従者も皆魔物である。本当ならば獲物種族である彼が入り込める場ではなかった。今はヴフトが用意してくれた魔道具のお陰で一員となれていたが、何だか寂しい気もしてきた。ここに来て受けた丁寧な対応も、優しさも、ペンダントを外しただけで泡のように消えかねない。

 こうして楽しい一時を共に過ごしても、やはり魔力の有無が重要なのだろうか。

 カールはそれを問いたい気持ちになったが、黙って赤い果実を口に含んだ。

 そのときである。

 きゃあっ、と言う高い声と何かが割れる音がして、警備の向こう側が騒然とした。何事かと思い振り向くと、給仕が慌てて床を拭いているところだった。その内の一人は皇太子の前で身を小さく屈め、床に頭をつけている。別の係がタオルを持って駆けつけ、濡れた腕の飾り布を拭こうとしていた。

「やだ……、あの子ぶつかってワインを掛けちゃったんだわ。しかも赤!」

 床に残る赤いシミを見てデイジーはそう言った。下は拭けばきれいになるだろうが、服にかかったワインはそうもいかない。皇太子の衣裳を汚してしまい、給仕係の一人は許しを請うように蹲っていたのだ。

 祝いの席の予期せぬ事故に、会場全体がざわめき立った。それは思わず警備兵たちも固唾を吞んで、視線を集中させてしまう程だった。給仕たちが急いで片付け、場の収拾に努める。けれどもこの騒ぎはすぐに収まるどころか、更なる不測の事態で一層会場を驚かせることになった。

「白ワインを持ってきてくださいっ!」

 突如、一人の男が要人のスペースへ飛び込んだのだ。

 しかも彼は皇太子の衣裳を拭く給仕の手を止め、白ワインを持ってくるように指示を出した。そうして周りが呆気にとられている間に汚れた飾り布を直接外し、手渡された白ワインをその上へ振りかけた。床の上で皇太子の袖飾りがびしゃびしゃに濡れ、周囲からは先程よりも大きな悲鳴が上がった。

 だが男はそんな声も気にせずに、その濡れた袖に今度は粉を振りかけた。瓶は調味料入れのようだが、何を持って来たのか分からない。中にある匙を使わず、彼は思い切り容器を傾けて振り撒いた。

 赤ワインのシミが粉でこんもりと隠れた頃には、会場はシンと静まりかえっていた。

 男はそれでもまだ周囲を顧みず、ワインと粉に塗れた袖をきれいなタオルで押さえた。その後で袖を拾い上げ、軽く粉を払う。そして図々しくも近くにいた従者に真水とボウルを要求すると、その中で服を濯いでみせた。

 人々は男が何をしていたのかさっぱり分からず、ただただその非礼を驚いていたが、給仕の一人がびしょ濡れになった袖を見て「あっ」と叫んだ。掛かってしまったはずの赤ワインのシミが、どこにも見当たらなかったのだ。

 男は軽く袖布を絞ると、彼女にそれを手渡して言った。

「これで大丈夫ですよ。後はいつも通りに洗ってください」

「あ、ありがとうございます……!」

 服を受け取った給仕は礼を述べ、急いで会場を出ていった。

 後に残ったのは濡れた床と、人々の驚きと、要人席へ割り込んだカールである。彼は事なきを得た衣裳を見送り、呑気にもほっと息をついた。そしてそこに至ってやっと、場の注目を集めていたことに気が付いた。

 目の前に片袖をなくした優蠍の青年が立っている。

 カールはその青年に声を掛けようとして、上からぐっと頭を押さえつけられた。

 ごつりっ、と床に額がめり込む。

「いッ!」

「突然のご無礼、誠に申し訳ありません。この者は我が主、ヴフト国王に仕える洗濯係の一人にございます。腕は確かでありますが、まだ新人のため少々礼儀に疎く…。混乱に乗じて皇太子殿下にお触れになるなど、重ね重ね申し訳ございませんでした」

「………っ?」

 カールは前のめりに土下座をした状態でびくりと体を震わせた。一体誰が自分を取り押さえ、喋っているのかは分からない。様子を窺おうにも、あまりの圧力に首を回すことすら叶わない。ただ流石に《皇太子殿下》という言葉は知っていたし、その存在がとても高位であるという事も分かっていた。赤ワインへの対応で一杯になっていた頭が、急激に冷えていく。

 そうしてカールが言葉を失っていると、また別の誰かが近くで話した。

「タラル皇太子殿下、我が従者の非礼、心よりお詫び申し上げます。産業の卿が申しました通り、この者は我が国の洗濯係にございます。殿下のお衣裳についた汚れを案じ、無礼にも御前に飛び出してしまったものと存じます。幸い、汚れは貴国の係にもご確認いただきました通り、無事に落ちた様子。無礼を働いたことは誠に申し訳ございません。ですがどうか、(わたくし)と産業の卿に免じて、この者をお許しいただけないでしょうか?」

 今度はそれがヴフトの声だとすぐに分かった。

 そして彼もまた、カール同様に頭を下げたことが雰囲気で感じられた。

 カールは床に額を擦りつけたまま、とんでもない失態をしでかしたのだと実感した。自分の行動一つでこんな事になるなど思ってもみなかった。だが実際に王は頭を下げ、皇太子に許しを請い願っていた。カールは自分の突発的な行動を悔やんだが、時間が巻戻ることはなかった。ただ穏便な処置が下るよう必死に祈る他なかった。

 いくらかの沈黙を挟んで若く優しい声が聞こえた。

「お顔をお上げください、ヴフト国王。彼のおかげで、大切な衣裳にシミを残さずに済みました。誠に感謝致します。無学の私には彼が何をしていたのか分かり兼ねますが、大層腕の立つ職人をお抱えのようで羨ましい限りです。宜しければ後日、我が国の者にもその技法をご教授願えますでしょうか?」

「御寛大な処置、心より御礼申し上げます。ご説明は後日、必ず」

 美しい響きがすうっと途切れ、カールは再度頭を押さえ込まれた。そのまま深く謝罪をしていると、周囲から人々が離れていくのが分かった。

 一時はどうなる事かと冷や汗をかいたが、何とか場が収まったらしい。長らく押さえ付けられていた頭がやっと解放される。カールが辺りの様子を窺うようにゆっくり立ち上がると、目の前にニコリとした産業の卿の顔があった。

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