容易ではないのです
果てしない感じがした。昼休みに外に出てちょっと遠方を見つめていただけなのだが、すっきりしない天候も相俟ってどうも今日は捗っていない気分になる。
何が「捗っていない」のか。冷静に考えてみると仕事は普段通り上手くいっている部分もあれば練り直しが必要なところがあるような具合だし、プライベートではちょっとした出会いもあって悪くないと感じ始めている。一つ一つを振り返ればどうにでもなりそうだと思えている。なのに、全体として今感じているこの「果てしない感じ」は何なのだろう。
夏の生命力に比べるとだいぶ褪せた色をしている山の方は光が射し込めば映えるけれど、曇りがちの空ではどうも停滞を感じさせる。人間も含めた生命が漠然と感じる厳しい季節の予感。避けがたいものであるからこそ、少し憂鬱で。
<そうか、また巡ってくるまでの果てしなさか…>
直感的にそれだと思った。再び動き出すようなその季節が来るまでに忍ばなければならないその時間はこの気持ちでは果てしないと感じるのだろう。もしいままでのような気分のまま冬を乗り切ろうと思ったのなら、それは眩暈にも似た耐えられなさがある。かと言って何も期待しないで坦々と過ごすのはどうにも分が悪いとでも言うのか。
「どうしたんですか?加藤さん」
色々考え始めていたのが表情に出ていたのか、同僚の遊佐さんにやや心配そうな様子で声を掛けられた。慌てて我に返ってこう取り繕う。
「いや、ちょっと天気がすっきりしないなぁって考えてただけですよ」
最近気になっている女性の同僚に心配してもらえるというのは嬉しい事でもあるけれど、尚のことしっかりしたところを見せたい気持ちも当然ある。遊佐さんは「あ、そうですね…」と頷いてから、
「なんかうちのばーちゃん…祖母がですね、『今日は何だか変な天気だねぇ』って言ってたんです」
「昨日は暖かかったからね。どうもどういうテンションで過ごしたらいいのか分らないよ」
「私もそうですね。なんか仕事はいつも通りなのに、いつもと違うというか…」
自分だけがそう感じているわけではないと知って何となく安堵する。自分より2、3歳年下の女性だけれど色んな事によく気が付く人で、その穏やかな…時代が時代だったら癒し系と呼ばれていた雰囲気の人の表情を見ているだけでも安心するのだと最近気づいた。その感情は恋なのか、それとも親愛なのか自分でもよく分かっていない。秘めたものはなるべく感じさせないように普通を意識してこんな話を振ってみる。
「おばあさんとは仲が良いんですか?」
「ばーちゃんですか。うん、私おばあちゃんと居ると安心して、何だか自分も優しくなれるんです
」
「ああ、それはいい人なんでしょうね。家は早くに亡くなっちゃってるからあんまり記憶はないんですけど、確かにそういうイメージですね」
「でもですね、そこには落とし穴がありまして…」
「落とし穴?」
思わぬ表現がでてきたので私は訊き返した。
「そう。すっごい古臭い言葉を自然に使っちゃうんです。高校時代から「さすけねえ」とか「容易でねえ」とか、顔が幼い方なのに言葉にギャップがあって、時々笑われてました」
「へぇ~。俺全然気づかなかったよ。っていうか遊佐さん言葉遣い綺麗だよね」
「流石に会社では言葉には気をつけようと思って、なるべく本とか読んで標準語に近づけようとか努力してました」
「おお…」
こういうエピソードを聞くたびに彼女の知らない一面を知ることが出来て面白い。表面的に観ていただけでは顕れる事のない内面を知る事はできないんだなと思うと、自分はやっぱりこの人をもっと知りたいという気持ちが湧きあがってくる。
「じゃあ俺の方もちょっと意外な話を…」
「え…?なんですか?」
若々しくというか、キラキラした眼差しを送ってくる遊佐さん。実は私は一年ほど前からネットでブログを始めていて自分で撮った写真をそこに公開していたりするのだ。始めて以降、なるべく外に出て景色を見つめていたりするのだが、最近敏感に変化を感じ取れるようになった。だからこそ、今日の景色にも感じるものがあったのである。
「うん…でもどうしようかなぁ…別に教えても良いとは思うんだけど興味ないかもしれないしなぁ…」
正直言ってそれを知人に教えるのはどうなのかなと思う部分もあった。完全に知られていない状況だからこそやり易かった部分もあるし、あんまり広まってしまうと恥ずかしい気持ちもある。でも遊佐さんにだったら…
「えぇ、そこまで言ったら教えてくださいよ!」
そう彼女が言った時、他の同僚の女の子が傍に寄ってきた。ここで話するのはどうも得策ではないように思える。
「あ、うん…でもちょっとここでは言い難いかな…」
そう小声で言うと遊佐さんは振り返って同僚の女性と二言三言交わした。するとその人が気を遣ってくれたのか通り過ぎてまた二人っきりになった。
「今だったら大丈夫ですよ。教えてください」
「分かりました…」
結局私は諦めて、彼女にブログの事とアドレスを教えた。「へぇ~」と言った彼女は、
「じゃあ、あとでじっくり見ておきますね」
と心なしか嬉しそうに言ってから先ほどの女性を追い掛けた。やっぱり恥ずかしいのは仕方ないのだろう。
夕刻。定時で帰れそうだったので会社を出てまたいつものように遠くを見つめる。
「今は悪くないかな」
と声が出てくるくらいには良い情景だった。その時背後から、
「写真撮るんですか?」
と不意に女性の声が聞こえた。それは悪戯っぽく笑っている遊佐さんだった。
「ちょっといい感じですもんね。ブログに載せてる写真もこういう感じですもんね」
どうやらしっかり見てくれたようである。確かに彼女が言うように情景を映そうかなと思ったけれどそれ以上に今の私には気になるものがあった。『その表情』である。夕陽のオレンジにほんのりと照らし出された遊佐さんの愛らしい表情。
「その表情、なんかいい感じだね」
自然に声が漏れた。遊佐さんはキョトンとしていたが、すぐ理解したのか
「そう言われるとなんかこっぱずかしいですね…」
と照れ始めた。私は半ばふざけるように、
「写真撮ったりしたらダメかな?」
と微笑みかける。遊佐さんは勿論、
「それは容易でねぇ…かな」
と笑いかけるのだった。