ープロローグー
日はすでに沈み、世界は夜の帳に抱かれ、小さき子供はすでに夢の中にいるであろう刻。
現在では希少である光の魔法を付与された魔石を利用した光源が淡く辺りを照らしていた長く広い廊下。絢爛豪華な扉へと繋がる幅広い大理石で創られた床。
カツン……カツン…。
黒いローブにその身を包み、目深にかぶったフードからはその口元のみが覗く。口元から推察するに線は細く整った顔であると予想される。
その魔術師はまるで無人の野を行くが如く、手に持つ長い杖の尾の部分で回廊の石畳を叩きなが、無防備にその歩みを進めていく。その通りすぎた後に目を覆いたくなるような凄惨な光景を残しながら……である。
所々、飛び散った血痕は赤い染料を好きにぶちまけた様に壁に残酷な絵画を描いていた。床の上には、原型を留めず形状を言い難い元『人間』だったモノがほの暗い光に照らされていた。
そこへ、
ガチャガチャガチャガチャと金属の擦れるような音を立て金属鎧を身に纏った集団が現れた。
「貴様っ、ここがファルシネア王国の王城と知っての蛮行か!」
銀色の甲冑で全身を包んだ十数名の中で兜に羽根飾りを付けた隊長格らしき騎士は、手に持つ剣の切っ先を魔術師に突き付けて、威嚇するように声を発した。この城の王の近衛騎士団である。その包囲している騎士団の一人一人が隙のない構えをし、端から見れば明らかに見た目が優男風の魔術師がその騎士達に太刀打ちできるとは到底思えなかった。
いくら魔術の力が強力だろうと、扱う人間の肉体は只の人のそれである。
かつて魔法全盛期に存在していたとされる無詠唱で魔術を使用できたと言われる古代国家の化け物じみた魔術師達ならいざ知らず、古代国家滅亡後から世界的に超魔法は禁忌として扱われ、封印され弱体化している。
今でははるかに劣化し、現在の常識とされるレベルの呪文を発動させるのにかかる詠唱時間など与える気など騎士達には微塵もない。魔術師を円状に囲み、槍を突き付け警戒している。
その状況下で騎士団長の男が一歩前に出ての発語。その言葉を涼しげに魔術師は聞いていた。口元には笑みさえ浮かべている。
「ははは、ファルシネアの騎士ねぇ。かつては『魔王』さえも使い魔として使役した魔術の技、その全てを知らぬ愚か者達よ。僕は慈悲深いから、祈りの時間だけは与えてあげるよ」
その魔術師は唇の端を少し吊り上げ、見下すように騎士団へとゆっくり歩を踏み出した。傍若無人とした魔術師の行動に騎士団長の剣が騎士団の槍を動かす合図となる。
一斉に突き出される槍にまるでハリネズミのように四方八方より槍に串刺しにされる魔術師。
「?」
しかし、槍を持った騎士達は不思議とその切っ先に伝わる感触に疑問を持ってしまった。余り慣れるものではない、いつも感じる肉を貫く感触ではなく、突き刺さる抵抗も摩擦もない槍の刃先が貫くのは例えるなら、まるで中身の空っぽな人形の様な……。
無数の槍に貫かれカラカランと乾いた音を立て石畳の上に転がる魔術師の杖。そのフードは衝撃によりハラリ……と落ち、その顔が露になる。
しかし、貫かれたローブに包まれたまま床より少し高い所に突き上げられて、四肢をダラリと下ろしている魔術師の顔は、苦痛もなさそうで、また顔を持ち上げて微笑した。
胸元に突き刺さった槍を右手で掴み顔をゆっくりと周りの騎士を確認する様に動かす。均整の取れた美しく均整のとれた魔術師の顔。肩まで伸びたやや癖のある金色の髪。社交界なら貴婦人の注目を集めるであろう顔立ちだが、釘付けになるのはその冷たい緋色をした瞳だろう。
「フフ……無粋だね。せっかく時間をあげたのに……。さて、祈りは済んだのかな?」
刹那、辺りに魔力を集める呪文の詠唱が美少年の魔術師の口から低い声で滑らかに流れる。
「っ!!!」
騎士団長は魔術師の詠唱から、それがいかに強力な魔法か知っていた。封印された理不尽な炎の暴力。禁呪とされたソレの危険性を知識として有し、肌で鋭敏に感じ取った。長年、騎士団を率いていた経験が、皆に危険を知らせる為に声を発する。
「いかん、皆逃げろ。これは禁忌の!!」
自らも魔術師から距離を取るように後退する。だが、まだ理解できていない刺さった槍を持った騎士達はその場で愕然としているままである。
「さあ、良く燃えるといいね」
魔術師が涼やかな笑みを携えた表情からカッと目を見開き、残忍そうな笑みを浮かべたまま、その手を持ち上げ無造作に真下に振り下ろした。
瞬間、光と熱が走り同時に激しい轟音と爆発がその場に肉の焼け焦げた臭いと騎士達の無惨な屍を晒した。その魔法の爆心地より放射線状に被害は少なくなっていく。が騎士達の誰一人としてその衝撃から逃れられた者は存在していなかった。
一瞬にして騎士達の包囲範囲をなめ尽くした魔術師の炎の魔法はたった一撃で精鋭と呼ばれる騎士達を制圧し、その場に死屍累々の惨状を作り出す。
「んー、出来はまぁまぁかな。」
魔術師は床に足がつくと、自らに刺さっていた槍の燃え残っていた柄を無造作に引き抜いていく。手でローブの煤を払い、作り出した状況に満足するように周辺を見回す。
そして先ほど呪文の危険性に気付き、退避しろと言葉を発した騎士団長が最も被害の少ない距離で一部を酷い火傷を負って転がっている姿を発見する。
「へぇー、意識が有るんだ君。危険の察知能力と正しい知識。うん、ダテに大国と言われるファルシネアの近衛騎士団の団長をやっている訳じゃないんだね」
魔術師は生き残り、ましてはまだかろうじて戦闘出来る可能性を見せていた騎士団長に素直に称賛して見せた。
その危険極まりない魔法で近衛騎士団の約半数の命をいとも簡単に摘み取り、残り半数に戦闘不能の傷を負わせた魔術師の周囲を見れば、魔術師を中心に廊下の焼け焦げた大理石の床は炎の爆発により放線状にえぐり取られている。良く生きていたと称賛するのも納得である。
「ん、及第点だね。普通なら君の名前を聞くところかな?でも興味ないし、聞いてもすぐ忘れちゃうと思うし……。」
少し顎に手を当てて考え込む魔術師。無邪気な悪意をその身に纏っていた。
「ご褒美に僕の名前を教えてあげるよ。僕は魔法王国ガーディンの魔術師だったイデリアル。まぁ、魔法王国ガーディンでも異端児だったけどね」
騎士団長が俯せに倒れている所まで歩を進めると、焦げてくすんだ兜を頭ごと蹴り飛ばした。兜は音をたてながら転がり外れる。
そして、イデリアルは兜の外れた騎士団長の前に無造作にしゃがみこみ、その髪をわしづかみにして顔を自分に向けさせる様に持ち上げて自己紹介をする。笑いながらさらに続ける。
「ご褒美その二、君は生かしておいてあげるよ。世界への僕達からの宣戦布告を伝える伝言役をやってもらう。君以外は不甲斐ないね……不合格。いらない」
そう言うと爆発の衝撃から運良く死を逃れ、かろうじて息をしている騎士達をイデリアルは見て回り、一人一人確実に息の根を止めていった。
これは夢か?
先ほどの衝撃で吹き飛んだ廊下とこの部屋を仕切る扉はすでに無くなっていた。玉座では初老の男性が息を飲み、その行為を見つめていた。まだ若いものには負けないとばかりに鍛え上げられた体躯を持つ覇気を纏うこのファルシネアの象徴、ファルシネアの現王ファルバードⅣ世である。
今までにも多くの戦場、魔物の討伐等で肝を冷やす場面に出会ったことが無いわけでないが、この僅かに百メートルも離れていない謁見の間の入口付近で起きている惨事には思考が追いつかない様で、呆然としてしまいまともに動くことも、ましてや逃げる事も出来なかった。
いや、動けたとしても逃走など自分の王としてのプライドが許すまいと、傍にある剣の柄を握りしめる。
ファルシネアでは建国時の特殊な背景もあるが、武人国家の色の強い歴史を持つ。その歴史の中において敵前から無条件に逃げる王など過去一人として存在していなかったのだ。まして相手は古代国家の魔術師を彷彿とさせる。
この国の成り立ちを省みても撤退はない。滲み出る恐怖を握りつぶし、覇気により停止していた思考を無理矢理動かす中で、今や完全に無力と化した近衛騎士団の騎士達は確実に全滅への道を辿っている。
「っ……化け物め!!」
近況で最も大きな戦であった二年前の双璧戦役で『最強』と言う何の捻りもない二つ名を持って名を馳せた勇者レオン程ではないにしろ、この北の地アリシアでファルシネアの近衛騎士達と言ったら自他共に認める一流の武人達である。
個々の能力ではわずかに及ばないものの集団戦ならばあの『最強』とも互角以上に戦える戦力であるのだ。
それが、いとも簡単に突き崩され今、シャボン玉を割るように消し去られていく。しかも相手は騎士でも一流の戦士でもなく魔術師たった一人にである。
過去の古代国家カシャーリーン支配時代の異常な発達を遂げた魔法の例外はある。
だがしかし、現在の認識下では魔術師とは多少の遠距離攻撃と戦闘補佐の役割を持つも肉体は一般人のそれである者が普通であり、戦闘に置いて前線に出られる者などは希有、殆ど存在しないのが一般的な見解である。その力は騎士や戦士が前線で身を呈して戦ってくれてこそ、活きてくるのが魔法への認識なのだ。
無数の槍に突き刺されても死なない体。さらにはあの殲滅能力に突出した爆炎の魔法を使用した魔術師。
魔法王の時代の超魔法ならまだしも、あれは魔術の原理を根元から否定している。魔法の理論が崩れてしまっている。
解放期、『魔王』を解き放つ原因となった魔法と言う力は、この時代では禁忌の色合いがかなり強い。
間違った方向に発達し、その魔法文明からの脱却の際にも様々な痛みを世界に齎した魔法に対して人々は忌避感を強く持つ。
だが確かな利便性もあり、一度発達した魔法の全てを無にした事で再度その道を歩み、同じ過ちを繰り返してはならないとの理由もあり魔法王国ガーディンの学園都市等で管理しているのである。確かな素性と道徳を持たないと覚えられず、さらに強力な魔法はさらに上位魔術師の許可がなければその術式すら閲覧を許されない代物のはずである。禁忌とされた魔法は閲覧はもっての他。習得など不可能な封印を施されている筈だ。
ガーディンの者と言ったが、奴は何者なのか?そもそも禁忌指定された魔法は誰も習得出来ない様に封印されている筈だ。
ファルバードⅣ世は息を飲み、騎士団を全滅させた魔術師イデリアルに立ち向かうべく、手に持つ剣を抜きかまえた。
考えてる暇はない。
そして奴を待っている猶予すら今はない。
狙うはローブに隠れている不可思議な胴体ではなく、見た目には耽美な貴族風な少年の様な魔術師の出ている頭だ。
ファルバードⅣ世は剣を上段右にかまえたまま、今出せる全力で疾走した。
「王よ!」
玉座の左右に立ち並び王同様、理解できない現況に沈黙していた宰相達文官の一人が王の行動に驚き声を発し制止しようとするも、時はすでに遅し。文官達には一人として比類な身体能力を持つ王を制止できる者は一人としていない。
「この化け物がぁ!」
イデリアルとの距離が縮まり、さらに加速しながら剣をその血塗れの美少年の顔目掛けて振り下ろした。
「……ニヤリ」
ファルバードとイデリアル距離は一気に詰まる。
横一線にその剣先は閃光の早さでイデリアルの顔を凪ぐ。視線が交錯する中でファルバードはイデリアルの不敵な笑みに寒気を覚える。
その一閃した剣は衝撃も感触もないまま、空を切るような手応え。必殺の一撃が不可思議に回避され、バランスを取れず勢いがあまり床を転がる。
目の前には信頼してきた、親友のような近衛騎士団の団長が火傷の残る顔で息を荒げて苦しんでいる。必死に這ってここまで来た様子だ。
「王、奴は只の魔術師ではありません。ここは退いてください。私が退路を作ります。に、逃げてください……」
虫の息の掠れた声で、多分、肺まで火傷しているであろう団長から王への忠告。かろうじて動く満身創痍の体を剣を杖にヨロヨロと立ち上がる。
「うるさいなぁ。別に君じゃなくても世界に対する伝言役は良いんだからね、喋らずおとなしくしててね。じゃないと……君もサヨナラだよ」
イデリアルは王の剣撃を受けた場所から全く動いていない。
そこから歩いて二・三歩離れた所に這う這うの体で駆けつけ、立ち上がり剣を構える騎士団長に対し、全く危機感もなく悠然と後ろ向きに立っているイデリアルは、そのまま団長の言葉に少し腹を立てた様に声を発した。
そして次に振り返り、床に膝を立て剣を構え直した王に対して笑みを浮かべ声のトーンを下げ忌々しげに言い放った。
「でもお前は生贄だ。絶対に逃がさないよ」
ファルバードは騎士団長の傍に立ち並び剣を構える。
構えながら必殺の一撃さえも当たらないこのイデリアルと言う魔術師に戦慄を覚えた。
おそらく生き残ることも、逃げる事は不可能だろう。
背を向け逃げ出したい気持ちを抑え、剣を構え直して、戦いの女神に短く祈りを捧げた。
「軍神ヴァルシアよ。我に勇気を、そして奇跡を……」
それはファルバードⅣ世の最後の言葉であった。