脅迫
ユファレートと別れて、三時間は経過した。
おそらく現在時刻は、午前四時頃。
暴動と暴動の合間を縫うようにして、東に進んだ。
「シーパル、俺は寒いのが大っ嫌いだ」
テラントは言った。
元々は、寒い季節は好きだった。
故郷のラグマ王国の夏は厳しく、茹だるような暑さに、毎日滝のように汗をかいた。
それに比べたら、冬は過ごしやすいものである。
だから、夏が嫌いで冬が好きだった。
だが今では、あの夏の暑さが懐かしい。
ホームシックに近い感覚かもしれない。
ホルン王国北部、そしてここドニック王国。
覚悟はしていたが、想像を絶する寒さだった。
毎日毎晩雪が降り続け、鬱になってしまうほどの寒気が吹き荒れる。
「さっさと終わらせたいな。んで、暖炉の前で喉が焼けるような酒を飲みたい」
「お酒は別として、早く終わらせて暖かい所へ行きたいというのは同感です、テラント」
言いながら、シーパルがテラントの後ろに下がる。
「そうかい。じゃあ、手早く事態を鎮静するためにも、ここで確実に仕留めたいもんだな」
行く手を遮られた。
『コミュニティ』の兵士八人に、それを率いる男。
かなりの長身である。
二メートルは確実に超えているだろう。
面長の顔に、やや細身か。
そのためか、大きいというよりも、長いという印象を受ける。
黒い髪は長く、首の後ろで束ねているようだ。
なんとなく鉛筆を思い出させるような体格の男。
なかなかやりそうだ、というのは雰囲気でわかる。
細身の男が、腰の剣を抜いた。
それに合わせるように、兵士たちが左右に展開する。
シーパルが、テラントの真後ろから少し擦れながら、腕を振り上げた。
「フォトン……」
細身の男も、空の手を上げる。
「……ブレイザー!」
光線がぶつかり合い、破裂する。
どちらにも犠牲は出ていない。
(魔法も使うか……!)
それも、簡単にシーパルが押し切れないほどに。
もっとも、街中であるために、シーパルは本気を出してはいないだろうが。
「……シーパル、フォロー無しでも踏ん張れるよな?」
小声で聞いた。
「……踏ん張ってみましょう」
「……よし!」
テラントは、シーパルを残して突っ込んだ。
魔法使いとしてそれなりの実力があるのはわかった。
では、体術や剣術はどうなのか。
接近戦はからきしだという魔法使いは多い。
突出した兵士を、斬り上げる。
そしてテラントはすぐに、横に跳んだ。
「フォトン・ブレイザー!」
跳躍したタイミングを見計らい、テラントがいた場所をシーパルが放った光線が突き進む。
兵士二人を貫き、だが。
「ルーン・シールド!」
細身の男が発生させた魔力障壁に阻まれる。
兵士たちの攻撃をかい潜り、テラントは細身の男に接近した。
右足を前に出し、次の左足は、体を捩るようにして右側に踏み出した。
細身の男の左側に、回り込んだことになる。
並の者ならば、テラントの姿を見失ったはず。
剣を振り上げる。
火花が散った。
「へぇ……」
自然と、笑みが零れる。
細身の男は、テラントの剣を見事に受け止めていた。
この男は、魔法だけではなく接近戦でもなかなかやる。
鍔迫り合いの状態になっていた。
腕力は、こちらが上か。
力任せに払いのける。
たたらを踏む細身の男。
テラントが追撃を掛ける前に、シーパルが放った光線が細身の男を襲う。
魔力障壁で、直撃を避けていた。
視野も広いようだ。
テラントは体を半転させて、背後から向かってきていた兵士二人を斬り伏せた。
接近してきた兵士を電撃で倒したシーパルが、またテラントの背後につく。
細身の男の前には、残った兵士二人。
二人対三人で、対峙した。
兵士たちは問題ない。
細身の男は、やはりなかなかのものだ。
一人でも勝てる自信はあるが、ここはシーパルと二人掛かりになってでも倒しておきたいところだった。
「……商人組合が近いです、テラント」
ぼそぼそと、シーパルが囁く。
細身の男に聞かれないように、ということだろう。
商人組合の支部は、今の位置から見える。
「おい、お前! 名前を聞いておこうか!」
わざと声を張り上げて、細身の男に聞いた。
強風であり更に逆風のため、シーパルの囁きが細身の男に届くことはないだろうが、念のためである。
「……ジャミン、と呼ばれている。テラント・エセンツ、シーパル・ヨゥロよ」
細身の男、ジャミンが名乗っている間も、シーパルは囁いていた。
「……ルーアがまだ近くにいるなら、僕の魔法に気付けたはずです」
(なるほど……)
魔法使いは、他人の魔力を感知したり視たりできるらしい。
ルーアがシーパルの魔法に気付いたならば、駆け付けてきてくれるだろう。
デリフィスやティアも、まだ一緒にいるかもしれない。
五人ならば、このジャミンをほぼ確実に倒せる。
敢えて、こちらからは仕掛けなかった。
ジャミンも、戦力で劣ると感じたか動こうとはしない。
しばらく膠着する。
数分後、それを破ったのはジャミンだった。
身を翻す。
そのジャミンを狙う声。
「フォトン・ブレイザー!」
路地から飛び出したのは、ルーアとティアだった。
光線が、ジャミンへ突き進む。
ジャミンも、事前に魔力を感知していたのだろう。
なんなく魔力障壁で防ぐ。
撤退を始めた。
「よしっ!」
テラントは駆け出した。
こちらには、シーパルとルーアがいるのだ。
背中を向けながら、どこまで二人の魔法を捌けるか。
足止めに、兵士の一人が残る。
シーパルの撃った光球が兵士の胸の辺りで弾けるのと、テラントの剣が首を撥ね飛ばすのは、ほぼ同時だった。
逃亡するジャミンと兵士を遮り、通りに剣を抜いたデリフィスが現れる。
兵士がデリフィスに突進した。
なかなかのものである。
敢え無くデリフィスに斬り飛ばされるが、ジャミンが脇を走り抜ける時間は稼いでいた。
ともあれ、ジャミンは一人になった。
こちらは五人。
いつまでも逃がすものか。
ジャミンが、通りの真ん中で立ち止まった。
向こうからは、荷馬車が走ってきている。
乗っているのは、ただの市民であるようだ。
人質にするつもりか。
そう思ったが、違った。
ジャミンの足下に、魔法陣が拡がる。
逃亡用か、それともテラントたちをここにおびき寄せるつもりだったのか、予め準備していたものだろう。
「……威力の強化……と、範囲拡大……!」
魔法陣の効果を読んだらしく、シーパルが声を上げる。
ジャミンは手を、通り沿いに建つ住居の方へ向けた。
少し裕福な家族が暮らす三階建ての家、というところか。
「バルムス・ウィンド!」
それは、暴風を発生させる魔法だとテラントは知っている。
だが、家屋は吹き飛ばずに、こちら側に倒壊してきた。
「なっ!?」
つまり、暴風を家屋の向こう側から、自分たちの方へ向かって放ったのだろう。
なんらかのアレンジなのかもしれない。
ぐずぐずしていたら、生き埋めになる。
テラントは、踵を返した。
シーパルやルーアには、魔法がある。
ルーアの近くにいるティアも、大丈夫だろう。
デリフィスも、なんとか逃げきれそうだ。
しかし、悲鳴が響いた。
こちらへ向かってきていた、通りすがりの荷馬車からである。
このままだと、家屋の下敷きになる。
「フレン・フィールド!」
シーパルとルーアが同時に叫び、空間を歪ませる力場が、倒壊する家屋を受け止め瓦礫を逸らす。
濛々と土煙が巻き起こった。
テラントたちには、おそらく怪我人はいない。
だが、市民たちはどうなのか。
赤子の泣き声がする。
崩れた家屋の方からか。
衝撃のためだろう、荷馬車は横倒しになっていた。
ジャミンの姿はすでにない。
「くそったれめ!」
荷馬車にいるのは四人だった。
家族だろう。
父親に母親、十歳くらいの息子二人。
積み荷からして、荷物を纏めてミムスローパから脱出しようとしていた、というところか。
父親は、右腕を骨折しているようだった。
子供の一人は、破片で切ったのか膝から血が滲んでいたが、かすり傷だろう。
デリフィスと二人で、馬車を起こした。
シーパルとルーアは、魔法で瓦礫をどかし、生き埋めになった住民たちを引っ張り出していた。
中年の夫婦に、赤子の三人か。
幸運にも、たいした怪我はしていないようだ。
治療を、二人は始めた。
怪我人たちの気を紛らわすためか、適当に会話を交えている。
馬車の者たちはやはり家族で、ミムスローパから脱出するところだったという。
住居を破壊された家族は、騒動が気になり寝付けず、三階から街の様子を眺めていた、ということだった。
一階や二階にいたら、瓦礫に押し潰され圧死していたかもしれない。
治療はシーパルとルーアに任せて、テラントはデリフィスとティアを呼んだ。
現状の確認をしなければ。
「あの長い奴、ジャミンというが、あいつはここに魔法陣を仕込んでいた。俺やシーパルがここを通ると、わかってたってことだ」
「……待ち伏せか」
デリフィスが、腕を組む。
「そうだな。多分、魔術師組合からマークされてた。で、先回りされた」
「……魔術師組合は、敵だということか」
「断言するのは早いが、可能性は高い」
「そう言えば、魔術師組合の方はどうなったの? ユファは?」
ティアが口を挟む。
ユファレートがいないことには当然気付いていただろうが、混乱した状況のため、今まで聞けなかったのだろう。
「俺とシーパルは、門前払いされた。魔術師組合との交渉のために、ユファレートは残った」
「それって、危険じゃない! 魔術師組合は、敵なんでしょ!?」
「危険だが……まあユファレートには、魔法があるからな」
長距離転移などの魔法で、その場を離れることができる。
それに、元々国家と関わりがある組織の、全部が全部黒く染まっているとは思えない。
ドラウ・パーターの孫娘であるユファレートに、味方をする魔法使いもいるはずだ。
そういうことを説明するが、ティアは不安を拭いきれないようだ。
「それはわかったけど、今のユファは危ないのよ……」
「……危ない?」
「故郷がこんなことになって、ハウザードさんのこともあるし……。今のユファは、どんな無茶だってやっちゃうと思う」
「……」
ティアが言うのならば、その可能性は高い。
もしかしたらティアは、ユファレートの祖父であるドラウよりも、ユファレートのことを理解しているかもしれない。
「そうは言っても、今更引き返す訳にもいかねえぞ……」
「それはそうだけど……」
心配で堪らないのだろう。
「……この暴動と反乱を止める。それが、一番の援護になる」
「……うん」
デリフィスの言葉に頷く。
応急処置を終えたか、シーパルとルーアが立ち上がった。
「商人組合の方は、どうだった?」
聞くと、ルーアは首を振った。
「辿り着いてもいねえよ。あっちこっちで足止めされて、鬱陶しいったらありゃしねえ」
「そうか、急がないとな。大分時間をロスした。傭兵組合にも行かねえとだし」
「だったら、俺は先に傭兵組合に行こう。お前たちは、商人組合へ行け」
デリフィスだった。
「……危険だぞ」
「構わん。時間をロスしたのだろう?」
「そうだが……一人でか?」
「むしろ、俺一人の方がいいだろう」
「ふむ……」
傭兵には、貴族や騎士、軍人や魔法使いを嫌う者が多い。
戦争のために雇われ味方となっても、たかが傭兵と軽んじられる傾向にあるのだ。
荒くれ者が多く、その溜まり場といえる傭兵組合に女であるティアを連れていくと、余計な面倒事が起こるかもしれない。
「……よし。じゃあ傭兵組合の方は頼む」
「ああ」
荷馬車に乗っていた方の家族は、また街の外を目指して出発しようとしていた。
家を破壊された方の家族には、警察にでも頼ってもらうしかないだろう。
巻き込むような形になり非常に申し訳ないが、現在のテラントたちにはどうしようもない。
謝罪したところで、納得できるものでもないかもしれない。
そして、時間もない。
この騒動を鎮め、それからゆっくりと謝る。
「……でも、いいんですか?」
出発しようとしたところで、シーパルが発言した。
「ユファレートを、一人にしたままで……」
ユファレートのことも心配なのだろうが、ティアに気を遣っているようだった。
ティアは、落ち着きなくそわそわしている。
テラントは、溜息をついた。
「ティア、戻りたいか?」
「……」
ティアは、返答に迷っているようだった。
商人組合へ行かなければならない、だが、ユファレートのことも気になる、というところか。
ややあって、ぽつりと呟いた。
「……戻りたい、かも」
「俺たちは、商人組合に行く。だから戻るとしたら、君の単独行動になる。そして、下手をしたらユファレートの足手纏いになるかもしれない」
ティアがいたら、魔法での逃亡が難しくなる。
「……」
沈黙するティア。
このまま商人組合へ行くのは、危険かもしれない。
ユファレートのことが気になり、集中力を欠如させてしまうだろう。
やりたいようにやらせる方が、いいのかもしれない。
「……ルーア。ティアだけ引き返させる。それでいいか?」
「……なんで俺に振る?」
「なんとなくだが」
「……好きにさせろよ。どうせ、こうと決めたら梃でも動かねえんだ、そいつは」
「……まあ、そうだな」
そのお陰で苦労したこともあるが、良い方向に転がったこともある。
いつの頃からかわからないが、緊急時に、ティアやユファレートのことをまだ十代の少女たちとは考えずに、戦力として数えるようになった。
デリフィスやシーパル、ルーアもそうだろう。
女の子一人だから危ない、と言うつもりはなかった。
「じゃあ、ティア、いいぞ。君は、ユファレートの所へ」
「うん」
頷くと、ティアは荷馬車へ向かった。
途中まで乗せてもらえないかと、交渉しているようだ。
ミムスローパを脱出しようとしていた。
ここからなら、西門を目指すのだろう。
魔術師組合の近くを通ることになる。
命を救われたばかりのところである。
快く了承してくれたようだ。
「ティア、わかってると思うが」
「うん。気をつける」
この家族を、これ以上巻き込む訳にはいかない。
それは、ティアもわかっているようだ。
もし狙われたら、自分だけ荷馬車を降りて敵を引き付けなければならない。
その覚悟は、必要だった。
「この後どうなるかわからんが、最終目的地は城だ」
そして、グリア・モートを倒すこと。
テラントが言うと、みんな頷いた。
「よし。じゃあ行くぞ」
デリフィスは傭兵組合を、ティアは魔術師組合を、テラントとシーパルとルーアは商人組合を目指して。
地鳴りのように響く暴動の声を聞きながら、散った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
男は長弓を引き、遠いユファレートの背中に狙いを定めていた。
風が吹き荒れているが、それでも狙撃を試みようということは、腕に相当の自信があるのだろう。
そしてこの強風は、矢が空気を裂く音を紛らわすことになる。
ユファレートは、射られるまで気付けないかもしれない。
背後から忍び寄ったドラウは、片手で男の口を塞ぎ、片手で男の脇下にあるホルダーから大振りのナイフを抜き取ると、長弓の弦を斬った。
驚く男が行動を起こすよりも前に、ナイフを返した。
男の脇腹に突き立て、刃の向きを変えて空気を入れる。
呻きは、風に掻き消された。
男から離れ、様子を見る。
男は、使い物にならなくなった長弓を構えようとするが、白眼を剥き倒れた。
『君は、暗殺者としても一流だね』
(そんなことないさ。真似事の域を出ていない)
囁くエスに、思考の中で返す。
ほとんど音を起てず、そして魔法を使わずに倒した。
ユファレートは、気付くことなく歩を進めている。
ユファレートを囮に、これで四人倒したか。
万が一の危険を考えると心臓が縮むような重圧があったが、今のところは上手くいっている。
(エス。あと何人だ?)
『今は、この者で最後だ』
(……少ないね)
もっと大勢が潜んでいると思ったが。
ドラウの予想よりも、魔術師組合の腰は重いのか。
それとも、『コミュニティ』に染まっている者が少ないのか。
『そうではない。魔術師組合に潜り込んでいる者たちがいるが、指揮系統が違うのだよ。君が倒したのは、ジャミンという者の部下だ。君の屋敷から、君の孫たちを尾行していた』
(そのジャミンという者は、今どこに?)
『ルーアたちを狙っている』
(ふむ)
先程聞いた話では、ルーアたちは商人組合へ向かったということだったから、近くにはいないということになる。
(指揮系統が違うと言ったね?)
『魔術師組合に関わる『コミュニティ』の構成員を指揮している者は、ヨーゼフという。大半が反乱を更に煽りに向かったが、まだ手駒が二十人、組合本部内にいるね。君の孫を追跡する準備をしているところだ』
(追跡か……)
魔術師組合本部からある程度離れるまでは、襲撃を掛けられないのだろう。
他の組合員たちが、ユファレートにつく可能性があるからだ。
それならば、しばらくユファレートは安全だろう。
そして、一人で街を歩くユファレートを追跡することは、非常に困難だった。
どこに行くのか、予想がつかないのである。
当然のように、目的地の逆に向かったりする。
尾行や追跡を撒ける技能を、天然でユファレートは備えていた。
(今のうちかな)
ユファレートが魔術師組合を去った今ならば、組合長の警備も薄くなっているだろう。
(エス)
要望を出さなくても、魔術師組合本部の見取り図が頭の中に拡がる。
(組合長はどこに?)
『寝室だよ』
(一人かい?)
『夫人もいるが、就寝中だ』
(わかった)
魔術師組合本部の裏手に周り、魔力の波動を読んでいく。
組合長の寝室等は防護フィールドに守られているため、容易く侵入はできない。
といっても、城や王宮のように鉄壁ではない。
防護フィールドに欠陥があるのだ。
一組織の財力では、完璧な防護フィールドを維持し続けるだけの魔法道具を設置することなどできない。
欠陥といっても、微小なものだった。
普通ならば、衝けるものではない。
普通の魔法使いならば。
神経を尖らせ、防護フィールドの構成を解析していく。
魔術師組合が王を裏切る可能性を知った時から、訪れるたびにこういう場面を想定していた。
見つけた。極めて小さい欠陥。
そこに魔力を流し込み拡げ、ドラウは瞬間移動を発動させた。
転移に成功し、組合長の寝室の厚い絨毯を踏む。
眠れなかったのだろう。
寝台に腰掛けていた組合長が、慌てて立ち上がる。
その襟首を掴んで締め上げつつ、ドラウは壁に組合長の顔を押し付けた。
魔術師組合組合長、カイロ・ゲレム。
この男の性根を、ドラウは承知していた。
下の立場の者には高慢で、強い者には媚びへつらう。
そして臆病だった。
街から離れずにいるのは、防護フィールドと部下により守られている本部の方が、安全だと思ったからだろう。
「……こんばんは、組合長殿」
脂肪がついたカイロの首に、寝巻きの襟を呼吸ができる程度に喰い込ませ、ドラウは囁いた。
「……ド、ドラ……!?」
カイロが、眼を見開く。
扉がノックされた。
「どうなされました、組合長?」
物音を聞き付けてやってきたのではない。
ドラウが瞬間移動を発動させた時の、魔力の波動を感知したのだろう。
並の術者ならば、使用した魔法や魔力の特徴まで把握されてしまうところである。
だが、魔力の波動を最小限にして、発動時間を短時間に留めれば、誰かが魔法を使ったという程度までしか悟られずにすむ。
「助け……助けてくれ! 侵入者だ!」
カイロが叫ぶ。
「ああ、すまんな。寝惚けて魔法を暴発させてしまったようだ」
同時に、落ち着いたカイロの声が響いた。
「ははっ。お気をつけください、組合長」
扉から離れていく足音。
カイロは、眼を白黒させている。
エスの能力だった。
ドラウやカイロの声や起てた物音を、周囲には無音になるよう変換。
更に、カイロの音声と同じ音を発生させ、あたかも喋っているかのように外の者に聞かせた。
カイロは、ドラウの特別な魔法だと思うだろう。
勘違いされても良かった。
これで、カイロはますますドラウを恐れてくれる。
臆病な性格のお陰で、戸締まりはきっちりとされていた。
邪魔は入らない。
カイロは呻きながら、視線を隣の寝台にいる妻に向けているが、エスの能力により音は届かない。
熟睡している様子の夫人は、目覚めることはないだろう。
「さて、組合長殿」
「待っ……! 許して……」
喚くカイロに、ドラウは顔を近付けた。
首筋に噛み付けるほどの距離まで。
「あなたが排除するように命じたユファレート・パーターは、誰の孫が御存じか?」
「待っ……違っ……待ってくれ! 仕方なかったんだ!」
襟を掴む力を強める。
「『コミュニティ』だ! 『コミュニティ』には逆らえなくて! 私は……」
「後ほど『コミュニティ』に殺されるか、今すぐ私に殺されるか、どちらがよろしいですか?」
「や、やめ……」
ドラウは、カイロから手を放した。
太った体を壁に擦りつけるようにしながら、カイロが座り込む。
「組合に入り込んでいる『コミュニティ』の者たちを纏めているのは、ヨーゼフという男ですね」
震えながら何度もカイロが頷く。
「間もなくその者は、本部から出ていきます。その後でいい、暴動から手を引くように、組合員たちに通達してください」
「だ、だがそれだと、私はヨーゼフに……」
「ヨーゼフや彼に従う者は、こちらで始末します」
カイロを冷たく見下ろす。
「もし、組合員たちが暴動から引かなかった時は……わかりますね?」
「あ、ああ。わかった……わかった……」
頷くカイロの肩に手を置き、ドラウは微笑んだ。
カイロの顔は、真っ青だった。
これだけ脅しておけば、もう暴動に拍車を掛けるような真似はしないだろう。
ドラウは、瞬間移動を使い外へ出た。
『なかなか板についた脅迫だったね』
(それほどでもないさ)
カイロという男が、とても臆病だった、というだけである。
(さて、あとは……)
ユファレートと、そのあとをつける集団を見つけた。
それを、更に尾行していく。
いくらか魔術師組合から離れた所で、ドラウは集団の前に回り込んだ。
眼が細く肌が白い中年の男が、呻いた。
「ドラウ・パーターか……」
『彼が、ヨーゼフだよ』
エスの言葉に、ドラウは胸中で頷いた。
「……お前たち、始末しておけ」
言って、集団の後方に下がるヨーゼフ。
部下たちを捨て駒にして、自分だけ逃亡するつもりか。
これだけの人数をここで切り捨てられるのは、すでに他の多くの部下たちが暴動に加わっているからだろう。
『兵士が十二人、魔法使いが八人』
(それくらいなら、問題ないね)
ただし、ヨーゼフには逃げられてしまうかもしれない。
構わないだろう。
そのまま、暴動に加わった『コミュニティ』の者たちの指揮を執るために、東へ向かうはずだ。
そこから再び魔術師組合本部へ戻り、カイロを脅す暇はない。
魔術師組合は、暴動から撤退させられる。
「さて、『コミュニティ』には所属していない魔術師組合の者よ」
ドラウを前に動揺する者たちに、告げた。
「陛下への恩義を忘れ『コミュニティ』に味方するというのなら、僕は容赦しない。だが、暴動から手を引くと言うならば、罪を許していただくよう僕からも陛下にお願いする」
何人かがたじろぐ。
「さあ、どうする?」
ドラウは、水が流れる路面を杖で突いた。