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器に満ちる夢

ドラウは馬車で、東に移動していた。

ユファレートもいる。

ユファレートの仲間たちも。


御者は、テラントとデリフィスが交互に務めてくれていた。


ドニック王国の兵により、道はできあがっている。


それでも、時折車輪が雪に取られた。


雪は止むことなく降り続けているのだ。


そこまで移動に手間取ってはいない。


魔法使いが四人もいる。

馬車を持ち上げられるような、屈強な男たちもいる。


雪の障害を除くくらい、容易いことだった。


空が暗くなってきた。

瘴気が充満する地域に、間近まで迫っていた。


「止めて」


御者台のデリフィスに、短くドラウは言った。


馬車の後方に、転移した人影があったのだ。


遠いが、それが誰かドラウにはすぐわかった。


(クロイツ……)


「テラント、あの人は……!」


視力の良いヨゥロ族のシーパルが声を上げる。


テラントと共に、城で遭遇しているはずだ。


視力が良くもなく悪くもないユファレートには、はっきりと見えないだろう。


それを、ドラウは感謝しそうになった。


「……彼は、僕が引き受けよう。君たちは、先へ」


「……御祖父様だけで?」


聞くユファレートに、ドラウは頷いた。


「その方が、僕も動きやすい。みんなは、ハウザードを止めてくれ」


全員で挑んでも、クロイツには勝てないかもしれない。


勝てたとしても、力を使い果たしてしまうだろう。


それでは、ハウザードを止められる者がいなくなってしまう。


ドラウは、馬車を降りた。


「行きなさい」


御者台にいるデリフィスの眼に迷いが見えたため、ドラウは鋭く言った。


それに押されるように、馬車が走り出す。


(さて、どういうつもりかな……)


遠ざかる馬車を背中で感じながら、ドラウは思考を働かせた。


足止めが目的ならば、前方に現れるべきだろう。


倒すことが目的ならば、先制攻撃を仕掛けてくるはずだ。


深く考え込みそうになり、ドラウは頭から余計な思考を追い払った。


どれだけ推し量ろうとしても、クロイツはその上を行く。


そのため、意味のない行動にも、なにか裏があるのではないかと考えさせられてしまう。


考え過ぎないことだ。

どうせ、クロイツは理解しきれない。


馬車が見えなくなるくらいまで遠ざかってから、クロイツは瞬間移動の魔法を使用してきた。


互いの声が、届く距離。

そして、姿が確認できる距離。


痩せた、学者のような雰囲気。

余りにも懐かしい、その姿。


「久しぶりだね、父さん」


クロイツの台詞に、ドラウは唾を吐き捨てそうになった。


若造ではないのだからと、なんとか思い止まった。


冷静さを捨てるな。

くだらない、そして幼稚な挑発だ。

自分に、ドラウは言い聞かせた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


馬車が走らなくなった。

とにかく、馬が進もうとしないのだ。


瘴気が渦巻いている。

それに怯えているのだろう。


馬車から降りて、ユファレートたちは徒歩で進んだ。


ハウザードの居場所は、エスにより調査済みだった。


これから、何時間か歩かなければならない。


先頭は、地図を手にしたテラントと、彼に並ぶデリフィス。

それに、ルーア、ティア、シーパルの順で続く。

ユファレートは、最後方だった。


ドラウはいない。

現れた男に対するために、先に馬車を降りた。


腐った地面に杖を付きながら歩く。


(お兄ちゃん……)


全部、ドラウから聞いた。


ハウザードが、ある力を収めるための『器』であること。

そのために、おこなってきたこと。


完成してしまえば、どうなるか。


ハウザードは、きっと立場を受け入れようとした。


『コミュニティ』の頂点に立ち、ボスとして組織を統べようと。


アスハレムで魔法を奮い街を破壊したのは、その表れだろう。


だけど、ユファレートのことは殺さなかった。


デリフィスやシーパルが助けにきたからではなく、別の理由があって殺せなかったのだとユファレートは思っている。


一緒に暮らした日々、共に過ごした三人の時間。


ユファレートには忘れることができないように、ハウザードの中にもきっと残っている。


『コミュニティ』のハウザード、そして、ユファレートやドラウの家族としてのハウザード。


相反する立場の狭間で、ハウザードは揺れて迷ったのだろう。


そして、選んだ。


対たる『中身』の破壊を試みた。

それが、どれだけ危ういか承知した上で。


試みが失敗した今、ハウザードはなにを思うか。


力を完成させる訳にはいかない。

『中身』の所在は不明であり、『器』だけが近くにある。


ドラウは、ハウザードを破壊することを決めた。


(わたしは……)


どうすればいいのだろうか。


とにかく、ハウザードに会いたかった。

話をしたかった。


そして、ハウザードの望みを叶える。


「……いたぞ」


テラントが、呟いた。

デリフィスやシーパルも気付いていただろう。


まだずっと先だが、ハウザードがいる。


十数分しか歩いていない。

ハウザードから、近付いてきたということだった。


ハウザードは、接触を避けることを望んではいない。


「フライト!」


ユファレートは、飛行の魔法を発動させた。


制止の声が聞こえたが、それは振り切る。


みんなの頭上を飛び越え、ハウザードを目指した。


とにかくもっと近付かなければ、対話もできない。

顔も、見えない。


瘴気が体に纏わり付くが、ユファレートはなんとか制御し魔法を安定させた。


ハウザードが、腕を振り上げる。

放たれる光の奔流。


飛行の魔法を制御し、避ける。


後方で、シーパルやルーアが魔力障壁を展開させて受け止めていた。


ティアたちは、更にその後方である。


ハウザードが、続けて腕を振る。

地震が起きて、地面が割れ、砕けていく。


ユファレートを狙ったものではない。


ティアたちを、近付かせないためのものだろう。


大地にできた亀裂に、みんな立ち往生している。


シーパルやルーアなら越えられるだろうが、飛行の魔法の制御は難しい。


他人を抱えながらでは、瘴気が充満しているこの地を飛べないだろう。


自分たちだけで先に行ってしまえば、ハウザードの魔法からティアたちを守れない。


みんなから切り離され、ユファレートは孤立させられたということだった。


別に構わなかった。

ドラウと話し合ったのだ。


ハウザードと対話するのも戦うのも、家族であるユファレートとドラウだけでする。


みんなには、露払いを頼むつもりだった。


『コミュニティ』で最も重要な存在であるハウザードの周囲に誰もいないのは、予想外のことである。


ドラウはいない。

だから、ユファレートだけでハウザードと向かい合う。


ハウザードの顔が見える、声が届く、それぐらいの距離までユファレートは近付き、飛行の魔法を解除した。


着地するまで、ハウザードからの攻撃はなかった。


ハウザードも、向かい合うことを望んでいるのだ。


「……私に挑むのは、お前か、ユファ」


ハウザードの声が、冷たく響く。

優しい表情の奥に、冷たさが見える。


アスハレムで再会した時と同じ、『コミュニティ』の一員としてのハウザードの声と表情。


敵として向かい合うことを、ハウザードは望んでいる。


敵。だけど、ユファレートのことは殺せなかった。

『中身』を、破壊しようとした。


(わかってるよ、お兄ちゃん……)


ハウザードを創造した者に、見られている。

聞かれている。


だから、敵として向かい合わなければならない。


全部、ドラウから聞いた。


「ユファ、まずはお前を殺す。次に、お前の友人たちを。そして、ドラウを」


(全部、わかってるから……)


世界の敵であるかのように、悪者として振る舞う。


殺すこともできないくせに、ユファレートと敵として対峙することを選んだ。


その意味は、痛いほどわかる。

ハウザードの望みがなにか。


「お前には、私は止められない。誰も守れない。この世界を破壊する。それが、私の存在理由」


(もう、いいよ……)


全部わかっているから。

だから、もう続けなくていいのに。

そんなこと、言わなくていいのに。


「そんなことさせない。ハウザード、あなたは今ここで、わたしが倒します」


微かに、ハウザードが笑った。

その足下に拡がる魔法陣。


手を振り上げ、破壊の光を生み出す。


見惚れてしまいそうになるほど、優雅な動き。


高きから低きへ水が流れるような、滑らかな魔法の発動。


何万回も見た。

このハウザードとドラウの側で、ユファレートは育った。


視界が、光で満ちる。


ユファレートも、杖を振り上げた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


クロイツが、笑みを浮かべる。

数学上の未解決問題を解決させたのではないかというような笑み。


「そうだよな、ドラウ・パーター。それでこそ、君だ。私の姿を見ても、激昂しない、喚き出さない、泣き出さない、感情に身を任せたりしない。実に冷静だ」


何十年ぶりに再会した旧友を迎え入れるかのように、腕を拡げる。


「それに比べると、私は少し冷静さを失っているな。口早になっている」


「……」


「ハウザードから離れ、君たちを迎え撃つ。愚策だとは思わないか?」


確かに、愚策だった。

ドラウが足止めし、ユファレートたちを先に行かせる。

この結果を、読めないクロイツではないだろう。


「結局のところ私は、君に会って話がしたかったのだろうな。私は君を、誰よりも評価し、警戒しているのだから。エスやストラームよりも、ソフィアやザイアムよりも」


随分な過大評価だったが、ドラウには関係なかった。


ハウザードから離れてくれたのである。


この好機は、引き延ばさなければならない。


「……僕としては、あなたにはロヴの体から出ていってもらいたいんだけどね」


息子がいた。

ユファレートにとっては、当然父親となる。


クロイツと戦い、だが敗れた。

肉体だけは残り、人格は消滅した。


そして、『中身』が『器』を得るように、ルインがハウザードに入り込もうとしたように、ロヴの肉体はクロイツに奪われた。


「すまないがね、ドラウ・パーター。この体は、非常に居心地が良い。私と、とても馴染む。出ていく訳にはいかないな」


エスは、肉体の束縛から解き放たれることで、より高次な存在になろうとした。


クロイツは、肉体に執着し続けている。


それが、長くこの世界にある両者の、最大の違いだろう。


「そうか……」


低く、ドラウは呟いた。


分は弁えている。

ストラームではないのだ。

ここでクロイツを倒し、ロヴの肉体を奪い返し弔うことなど、ドラウにはできない。


余計な感情には流されず、役割に徹する。


できることをできる時に、やれるだけやる。


クロイツは、ここで止める。

ハウザードの所へ、引き返させはしない。


「……君が私とどう戦うか、とても興味深い。じっくりと観察させてもらうよ。そして、学ばせてもらう」


クロイツの背後で、空間が歪み空洞が生まれた。


その奥に、扉のようなものが見えた気がする。


『倉庫』が、開く。

莫大な魔力が蓄えられた『倉庫』が。


力が、解き放たれる。


ドラウは、杖を構えた。


『コミュニティ』と戦い続けた人生だった。


あらゆることを想定して、考え抜いた。


クロイツと戦うことも、想定にある。


ドニック王国の大地にドラウが仕込んできた魔法陣は、七千を超える。


全ての場所と効力を、記憶していた。

当然、この場にもある。


ドラウの足下が、輝いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「ヴァイン・レイ!」


ユファレートが放った光の奔流は、ハウザードが放った同じ魔法により歪まされ、突き破られた。


強力な魔法を使用した直後では、まともに防御魔法を発動できない。


ハウザードの魔法も、ユファレートの魔法とぶつかり、威力を減じて更に進行方向を変えている。


横に駆けたユファレートに掠ることなく、走り抜けていった。


(やっぱり、お兄ちゃんよね……)


凄い。


『世界最高の魔法使い』と呼ばれている祖父ドラウ・パーターを超えた魔法使い。


力の差はある。

それでも、まったく対抗できないほどではない。


今の一撃でユファレートが死ななかったのが、いい証明だった。


屋敷を去った時と同じ、もしかしたらそれ以上のハウザードの力。


でも、ユファレートも成長した。

ハウザードが知らない時間を過ごした。


色々な魔法を新たに覚えた。

もっと強い威力で放てるようになった。

より速く、より正確に。


全部見せる。

全部曝け出す。

成長した姿を。


走りながら、杖を振り回す。

体力には自信がないが、気にしている場合ではなかった。


この戦いに、全力を尽くす。

これが、ユファレートの最後の戦いになるかもしれないのだから。


「フロスト・ブリング!」


猛吹雪が、ハウザードを襲う。


そのハウザードが放つ魔法も、同じものだった。


実力の差を確認するためか、ユファレートのなにかを見極めようとしているのか。


ユファレートの魔法は、ハウザードの発動させた魔法に、呑み込まれ掻き消される。


ユファレートまでは届かない。


「ディグボルト・ストルファー!」


立ち込める冷気と瘴気を裂くように、雷の嵐が荒れ狂う。


ハウザードが生み出した大火球が破裂して、全てを吹き散らす。


少しずつハウザードが近付いていることに、ユファレートは気付いていた。


距離が詰まれば詰まるだけ、素早い判断が必要になる。

実力の差が、如実に現れる。


強力な魔法がぶつかり合う中、ユファレートは思うように動けない。


避けるという目的以外に動く余裕がない。


ハウザードの望みは、ユファレートやドラウを殺すことではないのか。

その考えが、頭を過ぎった。

全ての未練を断ち切るために。


そうだとしても、負けられない。

アスハレムでの凶行を、ハウザードに繰り返させる訳にはいかない。


ここで、止める。


破壊が渦巻く中、ユファレートは次の魔法のために魔力を引き出していった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


巨大な魔法と魔法がぶつかり合う。

幾度も幾度も。


ここまでは、ルーアよりも遥か高みにいる魔法使い同士の戦闘とは思えない程の、稚拙な戦いだった。


高度な虚実の駆け引きなど一切ない、実力さえあれば誰にでもできる、正面からの力押し。


いつまでもは続かない。

いずれ、変化が生まれるはずだ。


地力は、いくらかハウザードが勝るか。


このままぶつかり合えば、ハウザードが押し崩すことになる。


その前に、ユファレートがどう変化を付けるか。


あるいは、ユファレートに先手を打たせないために、ハウザードから変化を加えるか。


迫りくる余波をシーパルと共に魔力障壁で遮りながら、ルーアは二人を交互に見つめた。


極大な力の激突。


「……二大怪獣大決戦みたいな」


「なにをふざけてんのよ!」


背後で、ティアが怒鳴る。


「……いや、本気でそう思うんだが」


余波だけで余人を遠ざける魔法戦闘など、そうあるものではない。


ティアが、ルーアの防寒着を掴んで揺さ振ってくる。


「今更だけど、やっぱりおかしいよ! なんでユファとハウザードさんが争わなくちゃいけないのよ! ねえ、止めてよ!」


「つってもな……」


ユファレートは、明らかにハウザードと一人で戦いたがっていた。


みなの制止を振り切り、一人で向かった。


「みんな、とっくに気付いてるでしょ? ユファは、ずっと昔から、ハウザードさんのことが好きだったんだよ……。なのに、なんで……」


「……だからこそ、だろ」


ユファレートの気持ちは、なんとなくわかる。


一年ほど前、ルーアはランディを殺した。

だから、わかる。


「ユファレートかドラウの爺さん以外の誰かがハウザードを倒すと、多分、二人とも困るぞ」


「……え?」


「俺も、『バーダ』第八部隊以外の誰かがランディを殺してたら、そいつをどうすればいいのか、わからなくなっていたと思う」


「でも……」


「お前の感覚の方が正しいよ。兄妹で殺し合うのは、まともとは言えない。だけど、ユファレート自身が選んだことだ」


「……」


隣のシーパルは、固い表情をしていた。


背後に立つテラントとデリフィスは、無言だった。


みんな、ユファレートの意思を尊重している。


ユファレートにとって大事な家族のことなのだから、やりたいようにやらせる。


その結果、ユファレートが死ぬことになろうとも。


ティアも、理解しているだろう。

それでも止めたいというティアの想いもまた、理解できる。


「……まあそれに、実際問題……」


喋りながらのため集中が途切れたか、魔力障壁に皹が入る。


魔力を注いで、ルーアは修復させた。


「まともに身動きが取れん……」


ルーアかシーパルがここを離れたら、背後の三人はただでは済まない。


ハウザードが発生させた地震の魔法の影響で、大地には亀裂が走っている。

気軽に歩ける状況でもない。


「まあ一応、少しずつ移動しようか……」


地面の亀裂を裂けて、回り込むよう促す。


ユファレートを死なせたい訳ではないのだ。


だから、もしユファレートが追い込まれ、殺される寸前になったその時は、できるだけ割って入る。


ユファレートが敗れることがあれば、次はドラウの番だろう。


ドラウまで敗れる、もしくは、ここまで辿り着けないという事態になったとしたら。


その時は、ユファレートとドラウの代わりに、ルーアがハウザードと戦う。


それは、仇討ちのようなものになるかもしれない。


ハウザードが、わずかに間合いを詰めている。


ユファレートよりも先に、変化を付けてきた。


ユファレートは、どう対処するのか。


破壊の魔力の波動の向こうにいる二人を、ルーアは見比べた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


間合いが狭まった。

二十メートルくらいだろうか。


ハウザードの足下に描かれた魔法陣は、ユファレートの知らないものだった。


炎塊が、ユファレートを包もうとする。


「ルーン・シールド!」


魔力障壁で受け止める。


(速い……! でも、それよりも……)


重い。

即座に放った魔法とは思えない威力だった。


魔法陣に、秘密があるのだろうか。


後退しながら、ユファレートは杖を振った。


「フォトン・スコールド!」


転移する光球。


最近覚えたばかりの魔法である。

ユファレートが使用できることを、ハウザードは知らない。


光球はハウザードの頭上に転移し、破裂した。


ハウザードが、無造作に杖を振る。


「ル・ク・ウィスプ」


降り注ぐ光を、まるで見向きもしない。


それなのに、的確に光弾が光を撃ち抜いていく。


ハウザードは、全方位に光弾を飛ばしていた。


ユファレートの方にも、向かってくる。


全方位へ放った分、一発一発の間隔はある。


そこへ、ユファレートは身を滑り込ませた。


杖を、ハウザードに向ける。

次は、どう攻めるか。

そして、どう防ぐか。


ハウザードは、空を気にしていた。


魔法が降り注いできても、気にも止めなかったくせに。


杖の先を、地面に付ける。


(また、魔法陣……!)


魔法陣は、太陽や月や星の位置、空の状態の影響を受ける。


ハウザードが描いた魔法陣は、先程と同じものだった。


眼を皿のようにして、それを観察する。


魔法だけに没頭して生きてきたようなものだった。


未知の魔法陣だろうと、時間と機会を与えられれば解析できる自信があった。


見るのは、これで二度目。

ユファレートには、それで充分だった。


「ヴァイン・レイ」


向かってくる、光の奔流。

魔力障壁で受け止めるのは危険な威力。


瞬間移動を発動させて回避した。


発動までの予備時間が短ければ短いほど、転移できる距離は縮まる。


直撃は避けたが、体の側を光が通る。


服を掴まれ振り回されるような感覚があり、ユファレートは地面を転がった。


瘴気で腐った土が口に入るのを感じながらも、頭はハウザードの魔法陣の解析のために働いていた。


(魔法陣に、制御を委ねている……?)


おそらくあの魔法陣は、魔法の放たれる方向と距離を、限定的に固定させるもの。


制御の大部分を、魔法陣が担っている。


ハウザード自身は、無制御で魔法を発動させているに近い。


術者に最も負担の掛かる制御を放棄することにより、威力の増大や発動速度の短縮だけに集中できる。


欠点は、はっきりしていた。

同一方向にしか、魔法を放てない。


「ヴァル・エクスプロード」


次にハウザードが放ったのは、大火球の魔法。

やはり、発動までが速い。


ある一点で破裂し、炎と破壊を撒き散らす魔法。


咄嗟の瞬間移動では、効果範囲外まで逃れられない。


ユファレートは、魔力障壁を広く厚く展開させた。


炎と光と熱と衝撃が、容赦なく魔力障壁越しにユファレートを叩く。


歯が砕けるほどに強く噛み、耐える。


(ここは、まずい……!)


移動することだ。


場所を変えることで、ハウザードはあの魔法陣の恩恵を受けられなくなる。


走り出そうとした。


「……え?」


すぐに、転んでしまった。

足下が崩れたような感覚があったのだ。


四つん這いの状態で自分の足を見て、ユファレートはぞっとした。


両の足首、そして両の太股に、穴が空いている。


(……光弾で……撃ち抜かれた……?)


痛みが、遅れてやってくる。

必死で、声を噛み殺した。

痛みに喘いでは、魔法は使えない。


光弾を放たれたことに、気付けなかった。

それくらい、速かった。

だけど、それだけではない。


これまでに、強力な魔法が連発された。


破壊の魔力と瘴気が、周囲一帯を覆い、渦巻いていた。


魔力を読む感覚は、目茶苦茶に掻き回されている。


竜巻の中にいるような感じなのだ。


そんな状況で、小さな魔法を感知することはできない。


だがそれは、ハウザードにも当て嵌まるはず。


光弾は、おそらく魔法陣ではなくハウザードの制御により軌道を定められた。


破壊の魔力が荒れ狂う状態で、小さい魔法を細かく制御してユファレートの体を射抜く。


それは、竜巻の中で真っ直ぐに紙飛行機を飛ばすようなものだろう。


そんなことは、ドラウにもできない。


(移動を……早く逃げなきゃ……)


飛行か瞬間移動の魔法を発動させて、ここから動かなくては。


周囲に、大火球の魔法が叩き込まれた。


更に濃くなる、破壊の魔力の渦。


飛行も瞬間移動も、制御が困難な魔法である。


こんなにも破壊の魔力と瘴気がない混ぜになった状態では、まともに使用できない。


全ての逃げ道を、完全に潰された。


(逃げられない……)


ハウザードがいる。

杖を振り上げて。


(逃げられない……なら……)


足が痛くて、立ち上がれない。

座ったまま、ユファレートは視線をハウザードに向けた。


逃げられないなら、このまま戦う。


逃げるために、ハウザードと向かい合ったのではない。

止めるために、ここにいる。


ユファレートは、地面に威力強化の魔法陣を描いた。


ハウザードの足下には、あの魔法の射出方向を固定する魔法陣。


二人の杖の先で輝く光。

同じ魔法を、放とうとしている。


「ティルト・ヴ・レイド!」


同時に、叫んだ。

そして、同時に光芒を撃ち放った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


クロイツが発動させる極大の魔法。


それらを、ドラウは可能な限り魔力の消耗を押さえ、回避し、捌き、受け流していった。


全てを防がれ、だがクロイツに焦りは見えない。


冷静な眼差しで、ドラウを観察している。


反撃はしなかった。

どうせ、なにも通用しない。

ひたすらに、防御に徹した。


「やはり素晴らしいな、君は」


攻撃の手を止め、クロイツが言った。


「この戦い、私は既に三つの『倉庫』を空にした。対する君は、私の約三百分の一ほどの魔力しか消費していない」


「……」


クロイツが喋りだしたからといって、気を緩める訳にはいかなかった。


クロイツが使用する魔法は、掠るだけで消し飛んでしまいそうなものばかりである。


「巨大な力を、ただ奮う。そんなものを、私は魔法の真理だとは思わない。認めたくはない」


息を整えながら、クロイツを見つめる。観察する。


口の動き、瞬き、ちょっとした身振り。


全てに、なんらかの意味があってもおかしくない。


「圧倒的な力の差がありながら、君は私に劣らない。私の攻撃は、全て空回りしている。君こそ、魔法使いの理想形だ。まさに、真の魔法使いと呼ぶに相応しい」


「……どうにも、そこまで褒められ過ぎると、調子が狂うね」


「褒め過ぎてなどいない。私は、君を尊敬さえしている」


ふっと、クロイツが眼を細めた。


「君に、ハウザードを預けて良かった」


「……」


「予想通り、予想以上、ハウザードは成長して戻ってきた。私の下にいるだけでは、望めないことだった」


「……よく、僕に預ける気になったものだ」


「君ならば、あれを破壊することはないと確信していた。あれの才能に、必ず惹かれると」


「才能、ね……」


そんなものではない、とドラウは思った。


ハウザードは、独りだった。

その孤独を、消し去りたいと思った。

だから、ハウザードを迎え入れた。


「だが、ドラウ・パーター。君は一つだけ、余計なことをしてくれたな」


「……なにかな? 心当たりはないけど」


「あれは、『器』だ。中身など必要ない。だが君は、あれの中身に愛情を注いだ。お陰で、あれは余計な思考をするようになった」


「……」


「君は、とても上手く魔法使いを育てる。それには、愛情が欠かせないのか? なにか特別な秘密でもあって、愛情を持って接するのか?」


「……特別な、秘密?」


クロイツはやはり、エスと似通う部分がある。


少なくとも、他の者よりはずっとエスに近い。


なにも特別なことではない。


師が弟子に、愛情を持って接する。

それは、親が子に愛情を持つことと、なんら違いはない。


「僕の思考くらい、読めているだろう、クロイツ? そういうことだよ」


「……ふむ。やはり難しいな、人は。完全に理解することなどできない」


クロイツは、空に手を翳した。


ドラウは、防御強化の魔法陣を展開させた。


クロイツの影が、揺れる。


「イ・グラン・イーツァ」


影が、闇に変化する。

喰らい尽くす、無明の闇に。


闇が、拡がっていく。

これは、いくら防御魔法を強化しても、呑み込まれる。


ドラウは、クロイツの背後に転移していた。


クロイツの闇の魔法が、誰もいない空間を無駄に侵食している。


「……どういうことかな?」


クロイツが、のんびりと表現してもいい動作で振り向く。


「君が発動させた魔法陣は、防御強化。だが、実際に働いたのは、制御力強化」


ぶつぶつ呟きながら、わざとらしく手を叩く。


「ああ……これは。地中に隠してある制御力強化の魔法陣が働いているのか。……ふむ? なぜ触れてもいないのに、魔法陣の恩恵を受けられるのかな?」


「……さあね」


「君は素晴らしい。そして、面白い。私が知らない技術も持ち合わせている。今度、じっくりと研究させてもらうよ」


完全にこちらへと体の向きを変え、クロイツは続ける。


「さて、このまま戦闘を続行すると、どうなるかな。客観的に見て、私が敗れるとは思えない。確実に、君が先に力尽きる。だがそれは、単に私の思い込みかもしれない。君は、特別な作戦を仕込んでいるのかもしれない。それを警戒しなければならないほど、君は恐ろしく頭が回る」


クロイツは、視線を動かした。

ユファレートたちが去った先、ハウザードがいる方を見る。


「君と戦闘を続けると、万が一が起こり得る。万が一を避ける方法が、わかるかね?」


「……」


「簡単だ。これ以上、君と戦わなければいい。そろそろ、ハウザードの元へ帰らねばならないしな」


「……行かせると思うかい?」


「行くさ。宣言しよう。私はこれから、長距離転移の魔法を使用し、ハウザードの元へ帰還する。そして予言しよう。君には、それを阻めない」


「……」


杖を、クロイツに向ける。


なんのつもりか。

はったりだろうか。


如何にクロイツといえども、長距離転移を使用する前後は無防備になるはずだった。


そこを狙い撃つのは、難しくない。


宣言通りの行動をするのならば、あるいはクロイツを倒せるかもしれない。


クロイツの足下に、長距離転移の魔法陣が浮かび上がる。


本当に、宣言通り使用するつもりか。


反射的に、破壊のための魔法を発動させかける。


だが、感知した。

背後からの一撃。


咄嗟に魔法を切り替える。


「ルーン・シールド!」


背中の方に魔力障壁を発生させ、光線を受け止める。


体が砕かれるのではないかというような衝撃。


(この威力は……!)


振り返る前に、長距離転移の魔法陣の上にいるクロイツの声が聞こえてきた。


「私の方が一枚上手などと、勝ち誇るつもりはない。これはただ、私の方が手駒に恵まれているだけ、ということに過ぎない」


死角からの一撃だった。

クロイツの攻撃ではない。


(……僕以上……ハウザードとも同等の魔法使いが、この場にいる……)


姿を見せることなく、死角からドラウを狙っている。


いつから。


「君は私を足止めしたつもりだろうが、逆だよ。我々が、君を足止めした。さようなら、ドラウ・パーター。君が殺されることなど期待しないが、どのみち君には時間がない。もう、会うこともないだろう」


長距離転移の魔法が発動された。

クロイツの姿が消える。


妨害することはできなかった。

誰かが、死角にいる。


振り返っても、誰の影も確認できなかった。


クロイツが何度も放った魔法により、地形が目茶苦茶になっている。

どこかに、身を潜めているのか。


(ハウザードと同等の魔法使いだって……?)


『コミュニティ』には、まだそんな者がいたのか。


そんな情報は、これまでになかった。


エスのデータにもない者なのか。


狙われている。

動けない。


自分以上の魔法使いが、足止めだけに徹しているのだ。


(ユファ……ハウザード……)


二人の元へ、クロイツは向かった。

最悪の予感が、頭を過ぎる。

だが、動けない。


視線を感じる。

その視線がどこから向けられているのか、ドラウにはわからなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


光芒と光芒が衝突し、破裂した。

空間を捩曲げるように、光が膨張していく。


ユファレートは、弾き飛ばされた。

地面に叩き付けられ、転がる。


弾き飛ばされたのは、体だけだった。

魔法は、弾き飛ばされていない。


ハウザードの魔法と、互角に押し合った。


背中と腰をしたたかに打ち、ユファレートは地面でもがいた。


頭部もぶつけたか、血が流れ出ている。

呼吸が苦しい。


(負けてない……)


身を起こし、視線を前に向ける。

無事なハウザードの姿。


魔法の衝突により生じた衝撃波に、ハウザードも巻き込まれたはずだ。


無事なのは、肉体の頑強さが違うからだろう。


身体的には劣っても、魔法の威力としては劣っていなかった。


ハウザードが、更に間合いを詰めてくる。


きっとそれは、ハウザードにとっても危険な距離。


(わたしは、もっと強く魔法を放ったことがある……)


それを、ハウザードに見せないと。


ハウザードがいなくなってからも、修練を怠ったことはなかった。


全部見せないと。

知ってもらわないと。

これが、最後なのだから。


あの時の感覚を、思い出して。

アスハレムで、軍事基地にある古代兵器に放った一撃を。


魔力も体力も、生命力も込める。

命も、寿命も、投げ捨てるような感覚を。


ハウザードの足下で輝く魔法陣。

魔法の射出方向を固定する魔法陣。


妙にこだわる。


確かに威力は上げやすいが、使い勝手が良いとはとても言えない。


ハウザードならば、他の選択肢もあるはずだ。


疑問に感じたが、ハウザードに集中するうちにそれも消えた。


力を、引き出していく。

光が、膨れ上がっていく。

ハウザードの、杖の先でも。


さっきよりも、ハウザードとの距離が近い。


また衝撃波に巻き込まれたら、もう体が耐えきれないような気がする。


(……死ぬのかな……?)


怖くはなかった。


この距離なら、ハウザードもただでは済まないはず。


ハウザードと一緒に死ねるなら、悪くない。


光が、輝きを増していく。

ユファレートの生涯最高潮の威力を具現化させるために。


それはきっと、ハウザードの全力を超える。


今まで積み重ねてきたものが、間違いであるはずがない。


ユファレートが口を動かすと同時に、ハウザードの口も開かれた。


同じタイミングで、同じ魔法を放つはずだ。


同じ師の元で、ずっと一緒に学んできたのだから。


「ティルト・ヴ・レイド!」


叫ぶ。


光芒が、微塵の屈曲も許さず直進する。

二人の中央で、衝突した。

押し合い、混ざり合い、膨張していく。


すぐに、ユファレートのいる場所まで呑み込むはずだ。


死ぬことになる。


(お兄ちゃん……)


ハウザードは、どうなるのだろう。


死ぬだろうか。耐えきれるだろうか。


耐えきったとしたら、なにを思うのか。


ユファレートの死で、立ち止まってくれるだろうか。


なにか、違和感があった。


自分の魔法からではない。

それは変わらず、ユファレートの最高威力で突き進もうとしている。


「……え?」


ハウザードの魔法。

変化があった。

まるで、一から零へ叩き落とされるように。


進む力を失って、その場に停滞している。


ハウザードの描く魔法陣。


はっとして、ユファレートは空を仰いだ。


魔法陣は、太陽や月、星の位置の影響を受ける。


それによっては、効果の増減や反転、消失などが起こる。


魔法の射出方向を定めるあの魔法陣を開発したのは、ユファレートではない。


だから、確かなことはわからないが。


もしかしたら、ハウザードは知っていたのではないか。


アスハレムでユファレートが、防御強化から攻撃強化に魔法陣の効果が変化した時に、反撃に転じたことを。


同じようなことを考え、そして、全く違うことをしようとしているのではないか。


ハウザードが放った光芒。


それはもう、光芒ではなくただの光の塊だった。


進む力を無くし、尾を引くことがなくなったのだから。


時間の経過、空の変化と共に、魔法陣の効果は失われていた。


ハウザードが、制御の大部分を委ねた魔法陣が。


方向も速度も加速度も失った光の塊を、ユファレートが放った光芒が押していく。


ユファレートから、遠ざかっていく。

ハウザードへ、向かっていく。


まるで、ユファレートの受ける傷も痛みも死も、ハウザードだけに押し付けるように。


光は一体となり、ハウザードを貫いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ただ、信じていた。


ユファレートとドラウ、この世で唯二人だけは、ハウザードの全力さえも撥ね返してくれると。


アスハレムで、ユファレートが『ジグリード・ハウル』に放った魔法を見た時から、漠然と考えていたことだった。


ハウザードの全力、それにユファレートの全力が加われば、『器』でさえも砕けると。


普通に自分を攻撃しても、成功するはずがない。


常に、クロイツに見張られている。

必ず妨害されるはずだ。


だから、このためだけに新たな魔法陣を考え出した。


クロイツでもすぐには全ての解析はできない、複雑な構成の魔法陣を。


あとは、ハウザードの全力にユファレートが全力で応えてくれるか。

そして、撥ね返してくれるか。


信じた。


誰よりも知っている。


側で見てきた。


ユファレート・パーターという、魔法に愛されているのではないかと思ってしまうほどの、魔法使いとしての才覚を。


他のものが見えないのではないかというくらい、魔法にのめり込む姿を。


この才能と努力は、必ずハウザードのこともドラウのことも超える。


動きを止めたハウザードの全力を、ユファレートの全力が押す。


ユファレートは、ハウザードを上回った。


一つの光に、ハウザードは微笑した。


これで、『器』は破壊できる。

ドラウやユファレートの、未来を守れる。


光が迫る。

その向こうから、ユファレートの声が聞こえたような気がした。


一つの光が、ハウザードの体を包み、貫いていった。


『器』に亀裂が走るのを、ハウザードは感じた。


破壊、痛み。

砕き、崩していく。


光芒の魔法の放出が終わり、光が払われた。


ゆっくりと、ハウザードは瞼を開いた。

そして、見開いた。


「馬鹿な……」


呆然と呻く。


熱と光を浴び、だが肌は焼け爛れていない。


乾いた大地のように、全身に無数の皹割れができている。

そして、血が溢れ出している。


だが、死んでいない。


ハウザードの全力にユファレートの全力が加わった魔法を浴び、尚『器』は原形を保っている。


「あと……少しではないか……」


あと一撃。

それできっと、再生不能なまでに木っ端微塵となる。


魔法を使おうとした。

しかし、魔力を引き出せない。


全力を振り絞った。

余力など、一切ない。


(ユファレートは……?)


少し先で、呆けたように座り込んでいる。


あと一撃。放てないか。


皹割れた『器』を引きずり、近付いていく。


早く。時間がない。


近付くたびに、ユファレートの瞳が揺れる。


唇が微かに震えていた。

なにを口にしようとしているのか。


すぐ側、ユファレートの眼前で、ハウザードは立ち止まった。


「ユファ……、私を……破壊しろ……」


「……お、兄……ちゃ……」


虚ろな眼差しで、ハウザードのことを見上げている。


「……急げ……! 私を……早く……」


早く。

さもなければ。


「急げ……彼が……戻ってくる前に……」


「もう、遅い」


声は近く、心を砕くかのように冷たかった。


ドラウは、止められなくなったのか。


隣、言葉よりも冷たい眼差しで、クロイツがハウザードを見つめていた。


「……お父様?」


悪い夢にうなされているかのように、ユファレートが呟く。


クロイツは反応せず、静かに佇んだままだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


現れた男を、ユファレートは見上げた。


学者や、大学の教授でもやっていそうな雰囲気の中年。


どことなく、祖父であるドラウと似ている。


そして、ユファレートが物心つく前に他界した、写真でしか知らない父親と、余りにそっくりだった。


「……お父様?」


(……違う)


呟くと同時に、否定する。


この男は、父親ではない。

父親に似ているだけで、中身は全く違うなにか。

ただの人間ではない、別のなにか。


その男は、ユファレートのことを見ようとしない。


ハウザードだけを見つめている。

仄暗く、静かな怒りを感じた。


「ハウザード、その傷の修復にどれだけの時間が掛かるか、わかるか?」


「……」


ハウザードは、答えない。


余り表情を変えずに、現れた男を見つめ返している。


微かな感情の波が伝わってきた。

悔恨、畏怖、諦観、後ろめたさ。


「ハウザード……ああ、ハウザード。実に余計なことを考え、実践してくれたものだ。もっと早くに、お前を消しておくべきだった。ドラウ・パーターのためか。そして、ユファレート・パーターのためか」


初めて、男はユファレートに視線を向けてきた。


見下ろす眼に、底知れない恐怖を感じる。


「ズィニア・スティマが死んだ。きっとあの時から、狂い始めたのだろう。殺すだけの存在が、逆に殺された。なぜあの時に、君たちをもっと警戒しなかったのか。私は『最悪の殺し屋』を失い、君たちは命を拾った。後悔しているよ。気付くべきだった。すぐに消し去るべきだと」


ぶつぶつと、まるで熱に浮かされているかのようにも聞こえる。


だがそれは譫言などではなく、知性を感じさせる独白。


「邪魔だ。消えてくれ、ユファレート・パーター。君を見逃してきたことが、私の最大の過ちだったのかもしれない」


男が、ユファレートに掌を向ける。


動けない。

足には穴が空き、立ち上がれない。

体のあちこちが痛み、抗えない。

魔力も尽きた。


ユファレートはただ、男の掌とそこに宿る光を、見つめた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ユファレートとハウザードの魔法が衝突する余波で、ルーアたちは近付くことができなかった。


極限ともとれる魔法の応酬。

そして、おそらくは最後の一撃が、ハウザードを捉えた。


ユファレートが、制したということだろうか。


なにか違うような気がした。

ハウザードが、自ら敗北を望んだかのような。


遠くから見ているだけのルーアには、全ては理解できないが。


光に撃ち抜かれ、それでもハウザードは滅びることなく存在している。


ゆっくりとユファレートに歩み寄る。


魔法の撃ち合いは終わった。

余波もない。


今なら、ルーアたちが近付くこともできる。


満身創痍のハウザードを、叩き斬りとどめを刺すこともできる。


誰もが動けなかった。


ユファレートとハウザード。


二人の間に、割って入ることは許されないような気がした。


だが、現れた男。

易々と二人の間に割って入る。


それは、本能で悟ったのだろう。

あの男は、危険だ。

そして、ユファレートが危険だ。

駆け出していた。


みんなも、感じたのだろう。

後に続いている。


だが、なにかにぶつかり弾き飛ばされた。


なにかがある。

不可視で、巨大で、厚く頑丈な、どうしようもないなにか。


(力場の魔法……?)


それに近い気がする。

全く違う気もする。


同じく弾き飛ばされたテラントとデリフィスが即座に跳ね起き、壁へと向かう。


テラントは『カラドホルグ』とかいう銘があった魔法道具の刃を、デリフィスは剣を不可視の壁に叩き付けるが、びくともしない。


ティアも、『フラガラック』を突き立てている。


ルーアは魔力を掌に掻き集めて、解除の力へと変換して、壁に叩き込んだ。


それはまるで、そよ風で城を倒そうかというような虚しい行為であったかもしれないが。


それでも、壁が揺れる。


ルーアではない。

テラントやデリフィス、もちろんティアでもない。


「……時間……空間……封印……解放……」


シーパル。魔力を手に、壁を押している。


無様に跳ね返され後方に転がるルーアとは違い、壁にかじりついている。


「シーパル!」


叫び、跳ね起きる。


「死んでもぶち破れ!」


それは、シーパルにしかできない。


「できなかったら、後ろから蹴り倒す!」


本当にそのつもりで、ルーアはシーパルの背中に突っ込んだ。


解放。解放。解放。

シーパルの呟きが、大きくなる。


壁が動いた。

千年生きた木が倒れるように、崩れていく。

シーパルが、前に倒れる。


飛び越えるように、ルーアはその脇を駆け抜けた。


シーパルに手を差し延べる暇などない。


ユファレートを救う。

それが、シーパルに対する最大の報いになるはずだ。


ティアが続いている。

テラントとデリフィスが、ルーアを追い抜いていく。


男が、ユファレートに視線を向けた。

間に合わせてみせる。


だが、また弾き飛ばされた。

力場のようなものが、再発生している。


(魔法……いや、魔力か?)


形を為さず、ただ術者が周囲に垂れ流している魔力。


それが、ただそれだけが壁となり、ルーアたちを跳ね退け近付かせない。


(なんだよ、これ!?)


力がのしかかり、地面に叩き付けられる。


この圧倒的な感じ。

まるで、ストラームやザイアムではないか。


男と壁を睨み上げる。


(あの野郎は……!)


近付いた分、男の姿がはっきり見えた。


過去の記憶、幻視のようになったそれの中で、見たことがある。


死んだ『コミュニティ』のボス。

その背後に、控えていた男だ。

クロイツ。


立ち上がろうとして、地面に押し付けられる。


(なんだよ、この力は……!?)


ザイアムやソフィア以外にも、こんな奴がいるのか。


ストラームやランディ、そしてドラウから与えられたものが、積み上げたものが崩されていく。


地に押し付けられたまま、ルーアはクロイツを睨み付けた。


届かない。遠い、姿。


クロイツは、ルーアたちを一瞥さえもしなかった。

掌を、ユファレートに向ける。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ユファレートに向けられた、クロイツの掌。


そこに宿った光は、ユファレートを消し飛ばすはずだ。


動いた。

皹割れた『器』が。

傷付いた体が。

ユファレートの前まで。


クロイツの掌から放たれた光が、ハウザードに突き刺さる。


胸を破り、内臓を潰し、だが背中は貫かず、止まる。


(……惜しいな)


よろけながら、思う。


あと一押しで、『器』は砕け散った。

クロイツはその手で、自身の最高傑作を破壊するところだった。

それは、この上ない皮肉だろう。


(いや、これでいいのか……)


この身が砕けていたら、背後のユファレートも死んでいた。


『器』に生まれた。

そのことを、ハウザードは初めて感謝した。


ユファレートを、守れた。


結局のところは、そこなのだ。


世界のため。そんなことではない。


『器』を破壊したい。それは、なんのためか。


死にたい。少し、違う。


ユファレートとドラウを生かすため。

結局、想いが行き着くところは、そこなのだ。


家族を守り死ねる。

これ以上の死はない。


「ハウザード! 貴様!」


クロイツの冷静さに、亀裂が走る。

表情を壊し、掴み掛かってくる。


「私に、『器』を傷付けさせたな……!」


拡がる魔法陣。

強制転移。


急がねばならないだろう、クロイツとしては。


一刻も早く『器』を修復しなければ、間に合わなくなる。


「お兄ちゃん……!」


背後から、ユファレートの声。


「お兄ちゃん……! お兄ちゃん……!」


まだ、兄と呼んでくれる。


振り返りたい。

頭を撫で、抱きしめ、名前を呼びたい。


振り返るな。


もう、消える。


犯罪者ハウザードとして、オーバ・レセンブラとして。

敵として、悪として。

ただ消えればいい。


ユファレートにとっての、兄として消える必要はない。


世界の歴史に名を残すであろう偉大なる魔法使いユファレート・パーターにとって、ハウザードなどただの路傍の石であればいい。


だから、振り返るな。


「お兄ちゃん……!」


聞こえた。


最後。

ユファレートの声。


クロイツが開発した強制転移の魔法が、発動された。


◇◆◇◆◇◆◇◆


拡がる魔法陣。

対象者を強制的に転移させる魔法が発動されようとしていると、ユファレートには理解できる。


傷付いたハウザード。

ユファレートを守ってくれた、兄の背中。


立ち上がれない。

たかが、足に四箇所穴が空いた程度で。


「お兄ちゃん……! お兄ちゃん……! お兄ちゃん……!」


這い、手を伸ばす。

兄の背中に。


ハウザードは、振り返らない。

どんな表情をしているのだろう。


「お兄ちゃん……!」


前に崩れながら体を伸ばし、手を伸ばす。


だが、触れることは叶わなかった。


魔法陣が一際強く輝き、ハウザードと男の姿が消える。

ユファレートだけを、残して。


地面に倒れ、なにかを呪いたくなるほど、悟ってしまう。


今のが、別れだと。

もう、会うことはないのだと。

ハウザードは、消えてしまうのだと。


とうに涸れ果てたはずの涙が溢れ出た。


止めることが、ユファレートにはできなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


敵に、振り回され続けた。


時折、魔法が放たれる。

かわし敵の姿を捜すが、その時にはもうすでに、そこにはいない。


反撃できず、姿を見ることもできず、ただ時間だけが経過していく。


思いきった行動に出ることもできなかった。


ドラウが東に走ろうとした時こそ、敵は本格的に攻撃してくるだろう。


ドラウには、隙ができる。

そしてこの魔法使いの実力は、ハウザードに匹敵する。


長い時間が流れた。


また、魔法が発動される。

だが、これまで牽制として放たれたような魔法ではない。


発動したのは、伝わる魔力の波動からして、長距離転移。


「……去ったか?」


足止めとして残った敵だった。

それが、去った。


なにを意味するかは、わかる。


終わってしまったのだ。


東に、眼を向けた。


ユファレートはどうなった。

ハウザードは。


結末を見ることが、できなかった。


そして、これがドラウ・パーター最後の戦いの結末か。


まともに戦ってもらえず、振り回され、反撃できず、姿を見ることもできなかった。


こんな無様な戦いは、記憶にない。


「……どうなった?」


東が気になって仕方ないが、ドラウは周囲を見渡した。


結末は、もう変えられない。

だから、今戦ったばかりの相手について調べるべきだ。


あの力は、必ず彼らの脅威となる。


何者なのか。

なにか、痕跡はないか。


「ユファレート・パーターは、生きている。無事とは、言えないかもしれないがね」


音もなく、エスが現れた。


「他の者も、一応は無事だ。ただ、ハウザードは連れていかれた」


「……クロイツ」


「彼も去った。だから、私は封印を破ることができた。相変わらずの力だよ、彼は」


エスを押さえ、その状態でドラウと戦闘した。

やはり、クロイツは危険過ぎる。


「さて、君を足止めした者についてだが、私のデータにもない。ただ、遺留品だ。唯一のな」


エスが、両手の指で端と端を摘むようにしてみせたのは、髪の毛のようだった。


十五センチほどの頭髪。

それは、緑色だった。


クロイツの、おそらくは切り札。

その正体へ至るための、一本の髪の毛は、一本の糸だった。

辿って行けば、正体を掴める。


「……ヨゥロ族、か」


重く、ドラウは呟いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


屋敷を、王立魔法学園の教職員が訪れた。


ユファレートに、通わないかと誘いにきたのだ。


一人の師だけでなく、多くの者の教えを受けるのは良いことだと、ハウザードは思った。


ただしそれは、師が並の者であった場合だ。


ユファレートの師は、ドラウ・パーターである。


ドラウ・パーターの教えを受けられる時間は、なにものにも代え難い。


一応、話を聞くだけは聞いてから、断るつもりのようだ。


居間のソファーでドラウとユファレートは並んで座り、教職員と話している。


お陰でやることがなくなり、ハウザードは庭に出た。


まだ弱々しく柔らかい、春の日差し。


何気に、足は花壇へと向かった。

これまた何気に座り込み、芽と芽の間に生えた雑草になんとなく手が伸びる。


ドラウの息子夫婦、ユファレートの両親が残した花壇である。


特に母親の方は、大事にしていたということだ。


ドラウにも、思い入れがあるだろう。


手入れをすれば、喜んでくれるかもしれない。


ユファレートは余り花に興味がないみたいだけど、ドラウが喜ぶ姿を見れば、きっと一緒に喜んでくれる。


二人が喜べば、ハウザードも嬉しい。


せっせと、雑草を抜いていく。


一際長い雑草を引き抜き、ハウザードは眼を丸めた。


雑草の根は、白かった。

というか、兎だった。

兎の、その耳を掴んで持っていた。


なぜ、眼を丸くするだけで済んだのだろう。


腰を抜かして奇声を上げてもおかしくないような、奇天烈なことだった。


「わあ、立派な大根!」


いつの間に後ろにいたのか、ユファレートが手を叩く。


(……大根?)


これは、新種の大根なのか。


「今夜は御馳走だな」


豚の口から肛門までを通した棒を焚火の上で回しながら、ドラウが笑った。


(……御馳走?)


豚の丸焼き以上の御馳走に、大根がなるのだろうか。

そもそも、これは兎だろう。


兎が鳴いた。


「メェー」


(……山羊?)


そこで、眼が覚めた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


縦に置かれた容器の中に、ハウザードはいた。


材質はガラスのように透明なものだが、ガラスではないだろう。


容器にはなにかの液体で満たされ、ハウザードは頭まで浸った状態だったが、苦しくはない。


呼吸ができるし、眼を開くこともできる。


傷は、塞がっていた。

少なくとも、表面上は。


だが、もっと奥深く、存在の深淵のようなところが皹割れているように、ハウザードには感じられた。


ここは、どこだ。


薄暗い室内。

並ぶ机に、詰まれた資料。

見たこともない機器が、いくつも置かれている。


窓はなく、だから地下ではないかとハウザードに思わせた。


人影がある。


「……クロイツ」


口を動かした。

言葉も出せたような気がする。


聞こえただろうか。


クロイツも、口を動かす。


「……まだ、目覚められたか」


目覚め。

眠っていたのか。

ならば、先程見たのは、夢か。


笑い出しそうになった。

笑うだけの体力があったならば、笑っていただろう。


酷い夢だ。

兎にも、大根にも、豚の丸焼きにも、山羊にも、なんら思い入れはない。

なぜ、あんな夢を見たのか。


最後に見る夢だったかもしれないのに。


支離滅裂とは、あの夢のことだろう。


「驚いた……が、目覚めるのも、これが最後だろう」


「……そうですか。私は、消えるのですね」


装置の効果によるものだろうか、体の中にいる自分が希薄になっていた。


この液体に、溶かされているかのようだった。


「そうだ。消える」


クロイツの表情にも、眼にも、感情は見えない。


いつもの、冷静なクロイツだった。


結局は、この男を出し抜くことはできなかった。


ハウザードは消えて、『器』はクロイツの手に渡る。


ドラウとユファレートの未来を、守れなかった。


「私の失敗だ」


クロイツが、呟く。


「お前は素晴らしい、ハウザード。お前が中にいることで、『器』の完成は早まった。より強力になった。私は、それで欲を出してしまった。もっと早くに、お前を消し去るべきだった」


語る言葉は静かで、優し気ですらある。


「私の失敗だ。今後の命題となりそうだ。もっと慎重に、堅実にいくべきなのか。それとも、大胆さを捨てずに残しておくべきなのか」


ハウザードがいなくなった後のことを、淡々と話している。


(……私は、消える)


「そう、消える。それについては、特に掛ける言葉もない」


「そうですか……」


内心、ハウザードは苦笑していた。


廃棄する道具に心を残すのは馬鹿らしい、そんなふうにクロイツは思うのだろう。


「さらばです、師クロイツよ」


紛れも無く、師だった。

だから、ハウザードはそう言った。


「ああ。さらばだ、ハウザード」


クロイツが応え、あっさりと背中を向ける。


特に心残りなどは感じさせず、部屋を出ていく。

足音だけが、しばらく響いた。


(私は、消える……)


意識が、薄れていく。


これが、死か。

眠りに、どことなく似ている。


同じようなものなのだろう。

まず眠りがあり、その先に死がある。


ならば、死ぬ前にもう一度だけ夢を見れないだろうか。


最後に見る夢は、なんだろう。

また、支離滅裂な夢だろうか。


(……もしも……叶う……ならば……)


あの時の、夢を。


短い春。

緑の芝生が広がる庭。

日溜まり。

日差しは柔らかく、優しくて。

花壇には、花が咲き誇る。


三人で過ごした時間を。

穏やかに流れた、あの時間を。


(……語るドラウは……どこか……したり顔で……そして……)


そして。


(……私の……隣……には……)


意識が、暗くなっていく。


夢を見るために。

抗わず、ハウザードは意識を閉ざした。

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