春は遠く
反乱は終わったと考えていいだろう。
まだ地方には不穏な雰囲気があるようだが、それも長続きはしない。
核であるグリア・モートが死んだのだ。
打倒ピサロスの声は、やがて聞かれなくなる。
帰還した魔法兵団により、ピサロスやキオエラの身辺は厳重に警護されていた。
グリア・モートに味方した政府関係者は、幽閉されている状態だった。
やがて、粛清を受けることになるはずだ。
商人組合と傭兵組合の組合長、及び側近といえる者たちは捕らえられた。
はっきりとした反逆である。
処刑はまず免れない。
ドラウの脅しが余程効いたのか、魔術師組合は途中から暴動を鎮静させるように動いていた。
魔術師組合組合長であるカイロ・ゲレムは、その地位を失うが命だけは助かる。
三大組合は、大きく力を落とすことになるだろう。
これまで各組合に気を遣い法令を出していたピサロスも、少しは楽に政治を行えるようになる。
政府から、『コミュニティ』の影は取り払われた。
弟をグリア・モートに殺害された魔法兵団指揮官ザジ・エスリナが、悪鬼の如き形相で、政府内だけでなく街中の『コミュニティ』関係者を狩り出している。
これからは、彼が力を持つことになるだろう。
代々王家に仕えてきた家柄であり、ピサロスへの忠義心に篤い。
グリア・モートが政権を掌握していた時のような、悲惨な事態にはならないはずだ。
他にも、力を持ちそうな者たちがいる。
その最たるが、デリフィスに従い共に戦った二百人の傭兵たちだった。
デリフィスの強い要望もあり、ドラウは彼らの活躍を事細かにピサロスに報告した。
民衆にも二百人の傭兵たちの戦いぶりは広まっており、痛快な出来事として話題になっていた。
反乱を望まない民も、多かったのである。
二百人のリーダー格であるハンクという男の元には、すでに何度かピサロスからの使者が訪れているはずだった。
状況が落ち着いたら、いずれ公式の場で表彰されるだろう。
それらのことから、ドラウは遠いところにいた。
ハンクが度々屋敷を訪れてくるが、ドラウに用がある訳ではない。
デリフィスを仲間に引き込みたがっていた。
傭兵たちは、特別な部隊として国家に仕えないかという話がきているらしい。
デリフィスは、まったく興味を示さなかった。
ここでハンクの話に乗れば、ドニック王国に仕えることになる。
城で幅を効かせることができるようになるはずだが、そんなものをデリフィスは望んでいないようだ。
それは、いかにもデリフィスらしい。
「……つまり、ルインは『中身』ではなかった、ということかな?」
調査を一段落終えたエスが、ドラウの部屋に現れた。
「……元々は、『中身』だっただろう。だが『中身』は、出ていったようだ。ルインの中からだけでなく、『コミュニティ』の中からも。ルインは、言ってみれば残り滓のようなものだ」
「……クロイツの作戦かな? それとも『中身』の意思か……」
思いきったことをする、とドラウは呟いた。
もっと早い段階でエスやストラームに事実を掴まれていたら、ライア・ネクタスの手で消滅させられていた。
あっさりと、システムは破壊されることになっていた。
呟きが聞こえたか、エスが頷く。
「確かに思いきったことだ。クロイツにしてみれば、心臓を赤の他人に預けているような心境だっただろう。有り得ないことだ。『コミュニティ』の外側にあるなど、私も君もストラームも、まったく考えなかった」
「そしてクロイツは、その状況を利用した……」
抜け殻となったルインを囮としてドニック王国の宮中に置き、更にハウザードの性根を探ることにも利用した。
エスの報告によると、ハウザードの手によりルインは消滅させられたという。
クロイツは、見ていただろう。
『器』が完成したら、ハウザードの存在は消し去られる。
そして、どこかにいる『中身』が入り込む。
『コミュニティ』の外側に出ることは、『中身』にとってこの上ない賭だったはずだ。
それに、勝とうとしている。
「……『中身』は、どこにいると思う、エス?」
「候補と思われる所が、三箇所」
エスは、壁の方へ眼をくれた。
壁ではなく、壁の向こう、どこか遠くを眺める眼つきだった。
「まずは、ホルン王国北部。『百人部隊』隊長ウェイン・ローシュが向かった。単独でな」
「……彼の単独行動は、いつものことだ」
隊長の立場にあるが、部下を伴うことは余りない。
剣も魔法も超能力も使い熟す、言わば万能型である。
総合力だけでいえば、死神と呼ばれるソフィアに次いで、『コミュニティ』第二位にあると言っていいだろう。
そして、同じ万能型といっても、ストラームやソフィアには大きく劣る。
ある意味、ルーアに非常に近い。
「他の『百人部隊』のメンバーは?」
「ホルン王国北部にはいない。いるのは、ノエルだ。単独でな。これがおかしい」
ノエル。
ザイアムの、唯一である真の弟子。
ザイアムの命令以外は受け付けず、ザイアムの側にいることが多い。
それが単独行動をしているということは、ザイアムから特別な命令を受けたということだった。
ノエルとウェイン・ローシュ。
二人の目的が、ドラウには微かに見えるような気がした。
「ザイアムは?」
「ニウレ大河を上る船にいる。のんびりとしたものだ」
ニウレ大河は、ドニック王国やホルン王国の東、そしてリーザイ王国やザッファー王国の西を通る。
「……ザイアムの目的地は、ラグマ王国か」
ザイアムは、俗に言うところの面倒臭がり屋である。
オースター孤児院のリンダに対する時は複雑な動き方をしていたが、それは例外といっていい。
移動さえも面倒臭がる。
だから、できるだけ直線に動く。
ニウレ大河は、ラグマ王国の山中から始まる。
このまま河を上れば、辿り着くのはそこだった。
「ラグマ王国の東部で、『百人部隊』が拠点を一つ築こうとしている。ザイアムは、それと合流するつもりだろう」
ラグマ王国東部には、砂漠が広がる。
そんな場所で、なにをしようというのか。
「そこが、第二の候補地かな?」
「そうだ」
「第三の候補地は?」
「ザッファー王国。ソフィアの足取りが、そこで途絶えた」
「ホルン王国に、ラグマ王国に、ザッファー王国か……」
「もっとも、それら全ての候補地も、まやかしかもしれない。『中身』を外へ出すなどといった手段を用いたのだ。どんな手を打ってきても、驚嘆に値しない」
「……」
『中身』の居場所は、はっきりとしない。
候補地三箇所を回る時間もない。
少なくとも、ドラウにはない。
間もなく、ハウザードが完成する。
『中身』が入ってしまえば、『ルインクロード』以上の『ルインクロード』の完成だった。
誰にも、ライア・ネクタスの手にも負えない存在の誕生となる。
それだけは阻止しなければならない。
『中身』は、どこにあるのかわからない。
「……ハウザードを、倒すしかないね」
「それが、最も安易で堅実な手段ではある。君以上の魔法使いを破壊することが最も安易であるというのも、おかしな話だがね」
それだけ、追い込まれているということだった。
「……陛下にお願いして、東への道を開いてもらっている」
わざわざ言う必要もないだろうが、ドラウは口にした。
エスは、当然把握しているはずだ。
言葉にしたのは、決心のようなものを付けたかったからかもしれない。
兵を借りて、除雪してもらっている。
東には、ハウザードとクロイツがいる。
彼らの元へ、ドラウは向かう。
ユファレートも、ついて来るだろう。
ハウザードを倒すことになれば、多分ユファレートはドラウ以上に傷付く。
それでも、ついて来る。
ハウザードが、ズターエ王国アスハレムで街並みを破壊した姿を見てしまったのだから。
ハウザードが完成してしまえば、それを何度も繰り返すことになるだろう。
ハウザードの意思とは無関係に。
いや、そこにはすでにハウザードの意思などない。
ハウザードが、望む訳がない。
だから、ドラウとユファレートで阻む。
それは、家族として暮らしたドラウたちの義務であるといえた。
ユファレートの仲間たちは、どうするのか。
全ての事情を、今の時点では話せない。
それでも、ついて来てくれるだろうか。
屋敷へ、送られてくる物があった。
知人である服の仕立て屋が準備した、魔法や魔法に準ずる力に抵抗力のある衣服である。
ユファレートたち六人のために注文した物であり、それぞれにミスリル銀の糸で魔法陣が縫い込まれていた。
更に、ドラウが準備した魔法道具も与える。
指輪や腕輪、ネックレスやベルトの形状をしており、これらも魔法に対する抵抗力がある。
そういった物を幾つも身に付けなければ、ハウザードの元へは行き着けない。
常に瘴気が渦巻いており、生身で挑めばすぐに精神に異常をきたしてしまう。
テラントの魔法道具の解析も終えた。
『カラドホルグ』という銘であり、使用者の意思を読み取り剣を創りだす魔法道具。
使用者の負担を考慮してか、機能に制限が掛けられていた。
解除したのは、エスである。
説明を求めたが、教えてはくれなかった。
魔法道具を利用するのは構わないが、理解されることをエスは嫌う。
それは、彼の過去を考えれば仕方のないことだった。
もし『ヴァトムの塔』が移動式だったならば、ホルン王国に情報を譲ることはなかっただろう。
ヴァトムの地に固定された兵器であるため、『ヴァトムの塔』では周辺一帯しか支配することはできない。
ハウザードを倒すための準備は整いつつあった。
デリフィスの剣だけは、間に合わない。
鋼とミスリル銀の合成には、やや時間が掛かる。
もう出発しなければならない。
ドラウにとっての、真実最後の戦いが始まろうとしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ハウザードは敵。
だから、倒さなければならない。
それ以上の説明を、ユファレートは仲間たちにできなかった。
それでも、みんなついて来てくれる。
ただ、ティアだけは難色を示していた。
ルーアやテラントは、ハウザードと直接の面識はない。
デリフィスとシーパルは、アスハレムでハウザードが破壊の魔法を振り撒いたところを見ている。
彼らは、ユファレートに何かしらの事情があると察しながらも、ハウザードは敵だと思い定めることができるだろう。
ティアだけは、見たことがある。
以前、ティアの実家であるといえるオースター孤児院で、ユファレートとドラウ、そしてハウザードの三人で、世話になったことがある。
まだあの時、ハウザードはユファレートの兄だった。
ティアだけは、ユファレートとハウザードが兄妹として過ごした時間を知っている。
ユファレートがハウザードに向けている想いも、知っている。
部屋に押しかけてきた。
「ねえ、本当にいいの、ユファ?」
「……うん。もう決めたから」
散々泣いた。
涙が涸れ果てるまで泣いた。
だからもう、涙は出ない。
「……おかしいよ、そんなの。だって、ユファはハウザードさんのこと……。それなのに、なんで……」
「ティア……」
代わりに、ティアが泣き出しそうだった。
「あたしにも話せない事情ってなによ? なんでユファやドラウさんが、ハウザードさんと戦わなくちゃいけないの……?」
「……ごめんね」
ティアとルーアにも関わることだった。
今はまだ、語ることはできない。
「ティア。アスハレムで起きたこと、知ってるでしょ?」
炎に焼ける人々。
光に呑まれる家屋。
駆け付けた警官たちは、大地の裂け目へ転落していった。
あの日、たくさんの人がハウザードにより殺された。
「お兄ちゃんはね、同じことを繰り返そうとしてるの。そんなこと、望んでなんかいないのに……」
「ユファ……」
「わたしは……わたしは知ってるから……」
ハウザードは、優しかった。
一緒にいて、楽しかった。
自然と笑顔になれた。
ハウザードも、笑ってくれた。
少し寒がりで、だから居間で一番日当たりの良い席は、ハウザードのものだった。
みんなにも、そこに座ることは遠慮してもらっている。
「お兄ちゃんは、わたしが止めないと……」
ユファレートは、窓から白い街並みを見遣った。
「今日も寒いね……すごく……」
雪が降り続けている。
風も強い。
ハウザードは平気だろうか。
早く春になればいいと、ユファレートは思った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ドラウは、朝から城へと向かった。
偉大なる魔法使いである彼は、多方面の人々から必要とされている。
一日二日帰ってこないことも、珍しくなかった。
そんな時は、幼いユファレートと二人で留守番しなくてはならなくなる。
ハウザードは、居間にいた。
最も日当たりが良い、冷え症であるハウザードに与えられた席。
「ねえ、お兄ちゃん。これ、なんて読むの?」
ユファレートが手にしているのは、古代語の本だった。
そんな物を読む幼い子供は、稀だろう。
「えっと……」
ユファレートが指す単語に、ハウザードは眉根を寄せた。
読めない。
共通語さえ理解しておけば、世界の九割以上の人々と意思の疎通ができる現代とは違い、旧人類の時代には様々な言語があった。
数千年の時間の中で、いくつもの国が興り、そして滅んだ。
それだけ、言語もあった。
旧人類が滅亡した時にも、何十という国があったらしい。
全ての言語を知っている訳などなく、ハウザードはドラウの書斎からいくつかのそれらしい辞書を持ち出した。
ユファレートと一緒に、頁をめくっていく。
やがて、その単語を見つけた。
「あったよ、ユファ」
頁を開いたまま渡した。
頷きながら、二冊の本を見比べるユファレート。
「じゃあさ、これは?」
また、別の単語を指す。
「これは、多分……」
説明していく。
ユファレートが、唸るような声を出した。
「でもそしたら、文章の意味がおかしくならない?」
「……そうかな? そうかもね……」
また、辞書をめくっていく。
読書というよりも、解読である。
不意に、ハウザードは小さく笑ってしまった。
気付いたユファレートが、不思議そうな顔をする。
「いや、なんでもない」
なんだか恥ずかしくなり、ハウザードは口許を隠した。
なぜだろう。
妹と一緒に本を読む。
ちょっとしたことを話す。
そんな些細なことが、楽しくてしかたない。
長く伸ばしたユファレートの髪を、ハウザードは撫でた。
ユファレートが、今度は驚いたような顔をする。
「ありがとう、ユファ」
「……え? なにが? なんで?」
「……さあ、なんでだろう?」
家族として、迎え入れてくれて。
妹になってくれて。
言葉を交わしてくれて。
隣にいてくれて。
一緒に本を読んでくれて。
満たしてくれて。
「……うん……ありがとう」
風雪に叩かれ、窓が音を立てている。
寒いのは、昔から苦手だった。
「……春は、まだかな」
暖かくなれば、庭で過ごせる。
それは、楽しい思い出がまた増えるということだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「……春は、まだかな……か」
ハウザードは、空を見上げた。
瘴気に覆われた空。
太陽は見えない。
春は遠い。
ドニック王国の冬は長い。
どうでもいいことであるはずだった。
もうこの体は、寒さを感じることもないのだから。
「……それでも……私は……」
春を待ち侘びる。
冬は長い。
春は遠く、そして、もう来ることはない。