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雪原

夜明け前に再度奇襲を仕掛けた。

前回と同じく、反乱軍からすれば山とは逆方向の南からである。


朝日が出ると、デリフィスは傭兵たちと反乱軍の南東に移動した。


反乱軍は、北西にあるミムスローパを目指している。

つまり、背後に回ったのだ。


夜は明けた。

もう、闇を味方につけることはできない。


ならば、騎馬の割合の多さを活かす。


南東は 反乱軍二万以上の足跡で道ができあがっていた。


これなら、馬を思うさま駆け回らせることができる。


エスの宣伝が効いたのか、街にいた傭兵たちが合流してきた。


敵の多さを目の当たりにして、逃げ出した者もいる。


それでも、デリフィス率いる傭兵軍は二百ほどになった。


ただし、反乱軍も二万五千を超えている。


未だ、百倍以上の人数差がある。


敵が増えたことについて、驚きはなかった。


現在は、反乱軍が有利な状況である。


日和見している地方の豪族たちも、こぞって反乱軍に協力するようになるだろう。


いずれは、十万二十万の大軍にまで膨れ上がるかもしれない。


阻止するには、今の二万五千を崩すことだった。


攻撃を仕掛けることを告げると、ハンクは顔を強張らせた。


「……待てよ。さすがに特攻には頷けんぞ」


「勝算はある。いいか……」


ハンク以外にも何人かを集めて、デリフィスは雪の上に地図を描いていった。


ミムスローパの位置、反乱軍の陣立て、地形。


「反乱軍の指揮官の心情を考えてみろ」


二万五千の大軍を、乱れは出ているがそれなりに纏めている。


有能というほどではないが、まったくの無能という訳ではない。


状況を見る眼が、多少なりともあるということだった。


だからこそ、兵法に則る撹乱が功を奏するはず。


「もっとも警戒しているのは、ミムスローパ守備隊の動きだろう」


精鋭はホルン王国との国境に配置されているとはいえ、正規軍である。

装備なども整っているだろう。


まともに当たれば痛手を負うことは間違いなく、動向には注意しているはずだ。


「次に気にしているのは、この山だ」


反乱軍の陣の北に、山がある。

敵地の山は、驚異なはずだ。


自分たちは、迂闊に踏み入ることができない。


なぜなら、山は罠を仕掛けやすいからだ。


雪に覆われた今の時期は、特にである。


そして、敵は兵を埋伏しやすい。


山から勢い良く攻め降れば、圧力は二倍三倍にもなる。


「ここで、昨晩俺たちが仕掛けた夜襲が活きてくる。俺たちは敢えて、山とは逆方向から攻めた。敵の指揮官は、おかしいと感じたはずだ」


「そうか……」


ハンクが呟く。


戦場で敵の心理を読むくらいは、ハンクもできるはずだ。


夜襲を仕掛けた時にわかっていなかったのは、余りの人数差に悲壮感を持って突入したからだろう。

周りが見えていなかったのだ。


「数十人で奇襲を掛けても、二万を崩すことなどできない。ならば、囮なのではないかと考える。注意を向けさせ、なにかをしようとしているのではないか、と」


「それで、山の反対側から攻めたのか」


ハンクが言った。


「そうだ。山を元々意識していたはずだ。敵の指揮官は、奇襲の間に兵を山中に潜ませたと読む」


傭兵組合は、反乱軍の味方であるはずだ。

それが奇襲を仕掛けてきた。


ミムスローパの守備隊が、撹乱するために変装したのではないかと考える。


そういったことが、敵の指揮官に更なる深読みをさせる。


おそらく、山に兵の千や二千は埋伏させているだろうと考えたはずだ。


デリフィスの説明に、みなが聞き入っていた。


「……山は利用しないことにより利用するとは、そういうことか」


ハンクが唸る。


斥候が戻り、敵の陣立てを述べていく。


敵軍の主力の大半は、山からの襲撃に備えているようだ。

一万弱というところか。


装備の良い正規軍二千ほどが逆落としを仕掛けたら、混合の反乱軍の五千くらいは軽く撃ち破れる。


反乱軍の陣立ては、デリフィスの予想通りだった。


無人の山を、反乱軍の指揮官はもっとも警戒している。


ミムスローパへの街道は、雪で埋まっている。


それを排除し大軍が進む道を確保するためには、やはり人手がいるはずだ。


デリフィスたちが背後から突撃して実際に相手をしなければならないのは、反乱軍二万五千のうち四、五千というところか。


まだまだ厳しいが、敵の主力ではない。

弱兵ばかりだろう。


「進発する」


敵軍の背後から、少しずつ迫った。


まだ、無理に馬を駆けさせない。

馬が潰れてしまったら、元も子もない。


「こんな作戦、いつ思い付いた?」


馬を寄せてハンクが聞いてきた。


「夜襲前に、咄嗟に」


「……マジか」


敵の陣、地形、天候、味方の士気。


様々な事柄を考慮して、瞬間瞬間で作戦は立てる。


そして、無理矢理にでも欠点を見つけ、崩す。

また、作戦を組み直す。

更に崩す。


そういうことを繰り返し、その時ごとに最善の一手を打つ。


それが、デリフィスの戦争のやり方だった。


敵軍が見えてきた。


百ほどの騎兵のうち半分をハンクに預け、デリフィスは五十を率いた。


歩兵百は一つに固める。

その左右を、騎馬隊で挟んだ。


突撃の合図を出した。

騎馬隊が、槍のように突き出していく。


まともには戦えない。

敵の陣の脆いところを見極め、デリフィスは馬を突っ込ませた。


先頭で斬り込んでいく。

五人、六人と倒していった。


騎馬隊に突っ切られて、敵の陣に穴が空く。


そこに歩兵が突っ込み、穴を拡げていく。


押しつつまれる前に、騎馬隊で突き破った。


二十倍もの相手と戦うには、撹乱するしかない。


二つに分けた騎馬隊で、とにかく駆け回った。


歩兵の五十人は、地獄の中で戦っているようなものだろう。


何度も敵に包まれそうになっている。

その度に、騎馬隊で突撃した。


袋から水が漏れるように、歩兵がそこから逃げ出す。


完全に包囲されてしまえば、死ぬしかない。


馬を走らせながら、ひたすら敵の弱い部分を捜した。

そこを突き崩していく。


農民が武器を持っただけのような集団が多かった。


例え戦い方を知らない農民だろうと、女子供であろうとも、戦場に立ち向かい合う以上、敵である。

容赦する気はない。


デリフィスもハンクも他の傭兵たちも、全員が命を懸けているのだ。


敵として立つのならば、同等の覚悟があると見做す。


敵の馬は、できるだけ殺さずに奪った。


乗り替えるか、歩兵たちに回したりする。


一時間以上経過したか。

伝令が入った。


山に備えていた主力の一部が、こちらに向かいつつある。


そして、前軍がミムスローパまで続く道の除雪を終えようとしている。


迷わずデリフィスは、退却の命令を出した。


ミムスローパの防壁を攻略されたら、負けである。


こちらの戦いぶりは、充分に示した。


これで、敵は常に背後を警戒しなくてはならなくなる。


追撃の部隊には、一塊になった騎馬隊で二度突っ込み崩した。


デリフィスもハンクも、全身返り血塗れだった。

小さな手傷も無数に負っている。

全員、似たようなものだろう。


十人は死んだ。

特に、歩兵に死傷者が多い。


敵は、三百以上死んだはずだ。


今度は反乱軍の前に回り込むため、デリフィスは馬を走らせた。


行軍についていけず、脱落する者が現れ出した。


この寒さだ。

死ぬことになるだろう。


構う暇はなかった。

みな、覚悟をして従っている。


デリフィスたちが防壁の前に辿り着いた時、反乱軍はミムスローパまであと二キロというところまで迫っていた。


この辺りは、除雪対策で街から流れ出た水により、雪が溶かされている。


喰い止めなければ、ミムスローパに攻め寄せてくることになる。


ミムスローパ守備隊に出した使者の言葉の効果か、防壁からは矢は降ってこない。


エスが上手く噂を広めてくれているのか、更に傭兵たちが加わってきた。

全軍で、二百をかなり超えた。


反乱軍が前進してくる。


今度ぶつかるのは、前面に出ている敵の主力である。


だが、すべてが強兵という訳ではない。


はったりにまだ効果があるらしく、主力をいくらか備えとして山に向けている。


とにかく、騙されているうちに攻めることだ。


二万五千が本腰を入れて防壁の攻略に掛かれば、五千の守備隊は支えきれなくなる。


背後では、街で火の手が上がっている状態なのだ。


先程と同じく、騎馬隊を分けた。

これと歩兵の部隊の三隊で、敵陣を駆け回る。


陣形の継ぎ目を狙って、突撃した。

掻き回し、弱いところを捜す。


何度も敵に包み込まれた。

その度に、他の二つの部隊で包囲を貫いた。


耐えきれなくなったら、防壁の方へ逃げた。

敵は、追撃に躊躇するはずだ。


地上からの矢と防壁からの矢では、勢いも飛距離もまるで違う。


不用意に追撃を掛ければ、いい的になる、と考えてしまうはずだ。


ミムスローパ守備隊とは、共闘の約束をしてはいない。


せめて、はったりとして使わせてもらう。


態勢を整えると、また敵中に躍り込んだ。


矢避けの盾を前面に出して防壁攻略に取り掛かろうとしている部隊を、横から崩す。


固い部分は避けて、弱いところだけを執拗に狙っているのだ。


押し包もうとすると逃げる。

無視して防壁を攻撃しようとすると、横や背後から突っ込んでくる。


敵の指揮官からしたら、顔の近くを虫が飛び回っているような煩わしさだろう。


だが、抵抗にも限度がある。

すでに半数以上が手負いだった。


「デリフィス! 次の作戦はないのか!」


合流したハンクに聞かれた。


「本陣を崩すしかない。だが、まだ無理だ」


後方に、三千ほどで陣形を組んでいる。


崩すには、一千は必要だろう。

そして、二百しかいない。


「とにかく今は、掻き回せ」


時間の経過と共に、敵の陣形も変わる。


こちらの動きに苛立ち、本陣の兵を割いて攻撃してくるかもしれない。


それは、本陣が手薄になるということである。


駆け回った。


山への警戒が解かれたら、一万ほどの敵の精鋭が攻囲に加わってくることになる。


そうなる前に、本陣を衝く必要があった。


地鳴りがした。

空が、遠くからの轟音で震えている。


何事かはっきりしないが、何度か聞いたことがある音だった。


防壁の門が開き、四百ほどのミムスローパ守備隊が出撃する。


前面に出ている敵の主力部隊の中でも、もっとも強固な部隊に、真っ直ぐに突っ込んでいく。

自殺行為に思えた。


いくら正規軍といえども、相手は二千ほどで纏まっている。

四百では破れない。


「援護をする!」


デリフィスは決断した。


ここで敵の主力を崩すのは大きい。


ミムスローパ守備隊の後方から、歩兵で押させる。


空隙を、ハンクの騎馬隊と共に衝いた。


ここは、多少の犠牲に構わず全力で攻撃する。


デリフィスが率いる騎馬隊が、敵の陣を抜いた。


後続の部隊に囲まれる前に隊を反転させ、また敵中を突破する。


二度突っ切られて、敵の主力で構成されていた前軍が崩れた。


遮二無二押した。


主力が崩れたのだ。

他の部隊も引き気味になっている。


六百で、敵の崩れた前軍を押せるだけ押した。


そして、痛烈な反撃が来る前に速やかに退却させた。


二百の傭兵軍の後に、ミムスローパ守備隊四百も続いている。


敵は陣形を組み直しているため、追撃には移れないようだ。


防壁の前で傭兵たちに陣を組ませ、デリフィスは出撃した守備隊の指揮をしている者のところへと向かった。


「助かりました。私は、ノクセ・ラドス。みなを代表し、礼を申し上げます」


「私は、デリフィス・デュラムと申します。なぜ、あのような無茶を?」


傭兵軍が援護をしなければ、敵の主力を崩す前に、他の部隊から左右から攻撃され、全滅に近い被害を出していただろう。


「……死ぬつもりで、突撃したのですよ、デュラム殿」


「……なぜ?」


「……わからなくなったのです」


ノクセは、防壁の向こう、城がある方へ眼をやった。


「陛下は、城にある『ジグリード・ハウル』を起動させました。確かに暴徒たちに大きな打撃を与えましたが、街は目茶苦茶です。どれだけの無関係な民が巻き込まれたか……」


先程の地鳴りと轟音が、それだろう。


グリア・モートの仕業だと、デリフィスは読んだ。


さすがに、嫌らしく効果的なところを衝いてくる。


防壁を守る者たちには、街が壊れる様が良く見えたはずだ。

心を折るには、充分だろう。


「まさか陛下が、あのようなことを為されるとは……。私は、なんのために陛下を信じて戦ってきたのか、わからなくなったのです。それでも、陛下を裏切ることはできそうにありません。そして、私に従うという部下たちと、敵へ突撃したのです」


「やけになる必要はありません、ラドス殿。『ジグリード・ハウル』を起動させたのは、陛下ではなく宮廷魔術師のグリア・モートだからです」


「なんと!? まさか、モート殿が……」


「私は、ドラウ・パーターの元で客人をしておりました。そして、ドラウ・パーターはこの国のことと、グリア・モートのことを調査していました。陛下を陥れるような噂を長年に渡り流したのも、反乱を起こさせたのも、すべてグリア・モートの仕業です」


「だが、そのようなことが……」


「私の言葉を信じられないのも、無理はありません。ですが、ドラウ・パーターと、なによりピサロス陛下のことを信じてはいかがでしょう?」


「……」


ドラウ・パーターは、ドニック王国だけでなく世界中で『英雄』とされている人物である。


ピサロスは、いくつもの国内勢力と上手く付き合ってきた。

軋轢や争いを避けてきた。


それがいきなり多くの市民を巻き込むようなことをするのは、不自然だろう。


だからこそ、ノクセは混乱して出撃したのだ。


「仮にピサロス陛下が玉座に相応しくない人物だとしても、反乱などという力尽くで引きずり落とす必要はありますまい。まずは反乱を鎮圧し、それから王たるに相応しいかどうか見極めても遅くはない、と私は思います」


「なるほど、そうかもしれません……」


ピサロス王の悪い噂は、他国ではまったく聞かない。


ドニック王国だけに蔓延している噂なのだ。


ピサロスの側にいてグリア・モートの野望を知らない者は、不思議でならなかっただろう。


ピサロスは、それなりに王の務めを果たしていたのだから。


元々、ピサロスのことを信じていた男たちである。


ドラウ・パーターの存在が背後にあるというのも、大きい。


デリフィスの言葉を、信じてくれたようだ。


「……デュラム殿、何故あなた方は、わずかな人数で反乱軍に立ち向かうのですか?」


「お伝えした通り、無論、陛下を理不尽な反乱からお守りするためです」


「……」


ノクセは、天を仰いだ。


「あなた方の戦いを、私は感服して眺めておりました。これからは、私たちにも協力させてください」


「勿論ですとも。陛下のため、このドニック王国のため、反乱を止めましょう」


我ながら、舌が上手く回るようになったと、デリフィスは内心苦笑していた。


アスハレムでの一件が影響しているのかもしれない。


シーパルやユファレート、サン・オースターのために弁舌を奮ったのだ。


元々は百人だった。

それが二百となり、今、六百となった。


敵は、二万五千。

それでも勝ち目が見えてきたと、デリフィスは思った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


グリアは、笑みを浮かべ玉座の間へ戻った。


『ジグリード・ハウル』を起動させた。


多くの民草が、光と熱の中に消えていった。


ピサロスを信じていた警官隊の者や軍人たちも、絶望する間もなく死んだ。


怒り狂った民衆たちが、城へ乗り込んでくる。


城内に待機していた部隊だけでは、止められないだろう。


もうピサロスは用済みだった。

その首を掲げ、民衆たちの前で宣言してやればいい。


悪逆非道のピサロスは、このグリア・モートが討ち滅ぼしたと。


ピサロスは、玉座にいた。

放心した表情で、宙に視線をさ迷わせている。


床に座らされ、玉座と父にもたれるように王子であるキオエラがいた。


ピサロスを、そのまま若返らせたような容貌である。


身動きせず眼を閉じているが、死んではいない。


呼吸をしているのが窺える。

薬でも盛られたのだろう。


傍らには、ルインがいた。

つまらなさそうに、だがピサロスとキオエラの親子を観察している。

それが、奇妙なことに思えた。


観察は、興味があるからこそする行為である。


そして、人間など見飽きているはずだ。


今更、観察する必要などないだろう。


まともな感覚で、このルインを見ないことだ。


『中身』を理解できるなどと、考えない方が良い。


「外はどうなっている、グリア・モート?」


「順調と言っていいかと」


一瞥するルインに、グリアは頭を下げた。


「そうか」


ルインは呟くと、なにか考えている顔をしてみせた。


やがて、こちらに歩を向けた。

グリアにではなく、玉座の間から出る扉に用があるのだろう。


「……どちらに?」


「少し、外を歩く」


「御随意に」


きっと、飽きたのだ。

絶望する人間を眺めることに。

横を通り過ぎるルインに、グリアはそう思った。


「ああ、そうだ……」


扉が軋む音とルインの声が、冷たく玉座の間に響いた。


「昼頃、クロイツが来る」


「クロイツが……」


その意味を、グリアはわかっていた。


「奴が私を見失うことはないだろうが、もしお前の所を訪れることがあれば、伝えよ。散歩をしている、と」


「はっ……」


扉が閉ざされる。

玉座の間が、静まり返ったような気がした。


厚い壁と重い扉で閉ざされているため、廊下を歩く足音など届かない。


遠く猛る民衆の叫びは、微かに聞こえるが。


「さて……」


ピサロスは、虚ろな表情のままだった。


「もう、生かしておく必要もないな」


言いながら、グリアはピサロスに数歩近付いた。


玉座にいるピサロスに、聞こえないような気がしたのだ。


独り言ではあるが、聞かせるつもりで口にした。


ピサロスを殺し、その遺骸を民衆に見せ付ける。


グリア・モートが国民のために、ピサロス王を討ったと思わせる。


腕を上げた。


「長い付き合いだったが、さらばだ、ピサロス」


「そういう訳にはいかないね」


「!?」


背後。声。

長々と言葉を交わしたことはない。

だが、忘れられない声。


反射的に振り返り、扉へ掌を向けた。


しかし、予想したドラウ・パーターの姿はない。


確かにドラウ・パーターの声が聞こえたはず。


「ふむ」


また背後から、つまり玉座の方から声がした。


振り返る。


ピサロスとキオエラの姿が見えなくなっていた。


代わりに、玉座の前に佇む者がいた。


「やはり、君にとってドラウ・パーターは特別な存在のようだな」


「……エス」


『リーザイの亡霊』。


歴史の表舞台に立つことのなかった存在が、ドニック王国の歴史が変わる瞬間に現れた。


「貴様の仕業か」


グリアは察した。


ドラウ・パーターの声に近いものを聞かせて、こちらの意識をピサロスから外す。


そのわずかな時間に、ピサロスとキオエラの姿を隠す。


二人の姿を透過させているのか、認識できないようにしているのか。


ピサロスがぼんやりして見えたのは、エスの声を聞いていたからなのかもしれない。


「この国を、『コミュニティ』の国にする訳にはいかなくてね」


「それででしゃばってきたか。だが、知っているぞ、エスよ」


クロイツにより、能力の大半を封じられているはずだった。


「本来の力を奮えない貴様が、いつまで二人を隠せるかな?」


ピサロスは、キオエラを背負い逃亡したのだろうか。


半端なエスの援助で、どこまで逃げられるか。


エスのことだから、こちらの心情も読んでいるだろう。


勝利は目前だった。

だからこそ、無茶をする必要はない。


ピサロスだけ殺害し、キオエラはグリアの傀儡として生かす。


つまり、城を破壊してキオエラ共々ピサロスを殺すという手段は使えない。


もっとも、最悪キオエラが死んでも構わない。


代わりとなる傀儡の王を見付けるか、グリア自身が国の頂点に立ってもいい。


まだ、焦る段階ではない。


今のエスでは、いつまでも力を持続させることはできない。


やがて、ピサロスとキオエラを捕らえられる。


「少し、貴様の悪あがきに付き合ってやろうか、エス」


「……」


無言。そして、エスは姿を消した。


「無駄だな。無駄な抵抗だ」


ルインは言った。

クロイツが来ると。


ルインを迎えに来るということだろう。


それはつまり、『器』の完成を示唆していた。


「もう手遅れだ、エス、ドラウ・パーター……」


ピサロスとキオエラを隠し続けることも、この国を救うことも、『ルインクロード』の完成を阻むことも、彼らにはできない。


グリアは、人を呼んだ。

息のかかった者たちを集めるためである。


ピサロスは、どこに隠れたか。


城内を、隈無く捜させる。


臣下であるはずの者たちに捕らえられ、グリアの前に引きずり出される。


それが、ピサロスの運命だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


なにかが、隙間なく埋まった。

そんな感じがした。


自分の体を、ハウザードは見下ろした。


腐った空気に澱む雪原。

瘴気に当たり続けた、この体。

なにかが、これまでと違う。


ハウザードという名前の者の体。

『器』と呼ばれる入れ物。

完成してしまったのだろうか。


圧迫してくるものがある。

心の外側から、肉体が、『器』が、ハウザードという男の精神を踏み潰そうと締め付けてくる。


クロイツが、いた。


眼を細め、薄く笑みを浮かべている。


ドラウもユファレートも、間に合わなかった。


ストラーム・レイルは、動くこともできなかった。


クロイツが、視線を別方向へやった。

ミムスローパがある方角である。


『中身』を連れてくるつもりだと、ハウザードは悟った。

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