ゴキ太郎の生い立ち
ここはハローワーク。男が履歴書に自分の事柄を書き込んでいる途中である。彼の姿は光り輝いていて清潔感もあり、さらに腕や脚は筋肉質で男らしい容姿をしていた。
(まずは、この用紙に記入すればいいんだな)
男は自分のことを事細かく記入していく。
名前 ゴキ太郎
性別 男
住所 田中正也(人間)の自宅。具体的には台所にある冷蔵庫の下。
学歴 藤井正樹(人間)の自宅で15年間食料を捕食してきた。
特技 人間の言葉理解可能(日本語)。脚力に自信があり。毒にも慣れています。
資格 捕食スキル1級。
動物言語検定 3級。
長所 僕はいつでも物事は計画的手順を決めてから行動するので、そのおかげで一度も人間に捕獲された経験はありません。
ゴキ太郎はすべての記入欄を埋めると、受付の係員に履歴書を渡すと代わりにカウンター1番に行くように促された。ゴキ太郎はその指示に従ってカウンター1番へと向かう。係員に席に腰掛けるように勧められたので、一礼してから席に腰掛けた。
「えーっと、ゴキ太郎さんはどのような職種がご希望ですか?」
「働ける場所があればどこでも……。」
「そうですか。おっと、人間の言葉が理解できるのは本当ですか?」
係員はゴキ太郎を疑う目で見つめながら質問してきた。ゴキブリの中でも人間の言葉が理解できるものはごくわずかでゴキブリの世界でもIQがずば抜けて高いものか英才教育を受けてきたゴキブリに限られていたからである。
「すべての言葉がわかるわけではないんですが、だいたい理解できます。」
係員は半信半疑という顔つきでゴキ太郎をみると、いくつかの書類をファイルから取り出すとぺらぺらとめくりゴキ太郎にマッチした職業を探しているらしい。その間ゴキ太郎は終始俯いており、係員から言葉が投げられるのをただじっとして待っていた。
「ゴキ太郎さん、あなたが人間の言葉を理解できているか不明ですが、それが本当だとすれば、あなたにお勧めのお仕事がありますがどうされますか?」
「どんな仕事でも構いませんのでお願いします。」
すると、係員はゴキ太郎に一枚の書類を目の前に差し出すと、その仕事内容について説明をはじめた。その仕事は、人間世界を監視してゴキブリの世界を住みやすい生活にするために情報を集めてくるものだった。つまり、その職種はスパイである。しかし、人間世界を監視することは人間に接近する必要がありそれは生命の危険行為である。自らの命を賭けてまで仕事をするわけだから、その分報酬は他の職種よりもはるかに高かった。それは、ただ人間の家に不法侵入してその日の食料を毎日リスクを賭けて捕食しなくてもこの報酬だけで一年分の食料が与えられるのだ。毎日捕獲される恐怖に駆られながら生きなくても衣食住が提供されているスパイは魅力的な職業だった。
「それでお願いします。」
ゴキ太郎は係員にそう告げると、企業の連絡先を渡され今日中に連絡してその場所に向かうように告げられた。ゴキ太郎はハローワークを後にすると前足ならぬ片手で手を振って何かを呼び寄せているようだった。すると、その合図に気が付いたのか一匹の鳩がゴキ太郎に向かって一直線に飛んでくる。そう、ゴキ太郎は鳩タクシーを呼んだのである。動物が生きる上で弱肉強食は避けられないものであるが、動物の中にはあらゆる動物と共存して生活を営むものもいる。ゴキ太郎もそのうちの一匹であり、目の前に立っている鳩もそれをあらわしているわけだが、これはだれでもできるわけではなく動物言語スキル3級を所持していなければ共存はできない。資格云々ではなく他の動物と必要最低限な会話ができなければどうすることもできないからである。
(父ちゃんに動物の言語教わってて良かった。)
今回の鳩タクシー運転鳥は短気な性格なのか予定があるのかわからないがゴキ太郎のもとへ到着するなり苛々している様子であった。ゴキ太郎がその態度に気圧されてしまい口元をもごもごとさせていると鳩はしびれを切らしたのかきつい口調で言い放つ。
「にいちゃん、どこ行きたいねんなぁ?」
この鳩は関西出身なのか流暢な関西弁で話しかけてくるのだ。ゴキ太郎は関西弁が実に苦手でこの鳩が短気なうえに関西弁なことにとてもがっかりしてしまう。なぜなら、この鳩と勤め先の企業まで同行しなければならないからである。企業がどの位置にあるかわからないが鳩で行っても時間はかかるだろうし苦痛の時間をさけることはできない。しかも、ここでタクシーを乗らなければ次のタクシーを探すまでにどれほど時間がかかるか考えただけでも無謀に近いことが安易に想像ができるし、この鳩に丁寧に断りを入れてもこの性格から見れば鋭い嘴で暴行を受けるに決まっているとゴキ太郎は刹那的に考え出した。
(仕方がない。ここだけ五月蠅い鳩と我慢すれば会うことなんてないだろう。)
しぶしぶではあるが、ゴキ太郎は仕方がないと自分に言いかけせると鳩タクシーにこう告げた。
「えーっと、人間研究所までお願いします。」
「にいちゃん、あんなところに何しに行くんだ?まぁ俺には関係ねぇか!!ポッポ!!」
ゴキ太郎は馴れ馴れしく干渉してくる関西鳥に嫌気がさしながらも必死に作り笑顔を浮かべその場を繕った。≪人間研究所≫はこの動物界では珍しく住所を伝えなくても鳩タクシーに企業名を伝えさえすれば居場所を知っているとハローワークの係員が言っていたのだ。ゴキ太郎はこの鳩の反応を見る限り企業にはたどり着くと安堵すると、鳩の背中によじ登り出発を待った。
「さぁ~いくでぇ~!ちゃんと、つかまっときやぁ。」
ゴキ太郎はいちいち五月蠅い鳩だなと心の中で毒づいていたが、その言葉を口に出すことは命の危機を感じるのでやめておくことにした。すると、鳩は大きく羽ばたくと勢いを付けるために走り出して一気に飛び上がった。
「にいちゃん、鳩タクシーは初めてかいな?」
「ええまぁ。」
「ほいか~。いろんなお客さん乗せるけどな、わいの乗り心地は抜群やて言われるから安心しぃ。」
「そうですか。良かったです。」
いちいち五月蠅い鳩が話しかけてくるので、無視することもできないゴキ太郎は淡々と応答した。しかし、鳩はそのゴキ太郎の態度をみてか自分の親切な態度をはぐらかされたようなやり切れない気持ちになり要は面白くなかったのである。だからか、鳩はゴキ太郎が嫌がること会話をしてやろうと目論み、さらに関西弁を全開におしだしゴキ太郎に話しかけた。
「そんで、にいちゃんなんであの企業に用事あんねんな~。」
「次の勤め先なんで。」
「へぇ~、にいちゃん平凡そうに見えて実はエリートかいな!」
「いえ、そんな身分のいいものじゃないです。」
「けどもやで、あそこは人間を監視する仕事やで?まず、人間の言葉が理解できな無理な仕事や。」
ゴキ太郎は鳩が自分に対して故意に会話を続けている理解したのか、鳩の捻くれた根性に根負けしはんば呆れかえりながらあきらめた様子で会話を続けていた。すでに、この根性の悪い鳩タクシーから飛び降りてでも離れてやりたいと思ったゴキ太郎であったが、せっかく生かされている命をわざわざこの鳩のために捨てるのは惜しいと感じぐっと堪えることができた。
(おいらは家族のために生きなくては。)
すると、鳩は会話を無視されて腹が立っているようでヒステリックな口調でまたもや話しかけてきたのである。
「にいちゃん。聞いとんか?」
「あっ、すみません。おいらは人間の言葉が理解できるんです。」
「へぇ~。やっぱりエリートさんやんけ。」
「いや、おいらは教育なんて大層なもの受けてません。前の職場で自然に覚えたんです。」
ゴキ太郎は藤井正樹(人間)の自宅で卵から羽化し、その場で15年間生きてきた。生きていく中で、人間の世界に溶け込む生活をしているうちに人間の言葉をじょじょに理解することができたのだ。両親はゴキ太郎だけを生んだわけではない100匹の子を卵として生み落しているのだが、人間の言葉を理解していたのは自分だけだった。ゴキ太郎は他の子よりも臆病で弱虫だったため、両親にも生き延びていくことは困難だと思われていたし、きょうだいからは性格でいじられていつも泣かされていた。けれども、その藤井宅で生き延びたのは両親と自分と数少ないきょうだいだけだった。毎日生きるために食料を調達しなければならず、人間の生活に足を運ばねばならなかった。それは、人間が寝静まってから動くのが一番食料確保には効果的だった。しかし、人間もいつも同じ時間で就寝するはずもなく夜遅くまで起きていることもあれば、夜中に突然起きだしてくることもたびたびあってゴキ太郎の家族は栄養不足に陥ることがあった。すると、本能的に動き食料を求めるきょうだいも少なくなく、人間に見つかっては捕獲されていた。ゴキ太郎はいつもきょうだいの残りかすをもらって生活していたが、そのきょうだいたちも食料が手に入らないので誰かが食料を調達してくると争いになった。また、空腹になったきょうだいの中には餓死したきょうだいを共食いして命を食い止める者までいた。そんなきょうだいの姿をみたゴキ太郎は自分を奮い立たせて自らの力で食料確保にむかった。ゴキ太郎は人間の言葉が理解できていたので、藤井宅の留守の日がだいたい予想はついていたのだ。ゴキ太郎はあたりをキョロキョロと見回すと、触角を使って人の足音の振動があるかどうか確かめた。この藤井宅には小さな子供がおり昼間は高確率で台所とつながってある部屋にいるのですぐにわかるのだ。また、その子供は泣き叫ぶことが多いので高音な声がでるため人間が近くにいることは把握できる。けれど、今日は足音もしなければ鳴き声もしないのだ。こういう日は藤井宅の人間たちは家には夜まで帰ってこないことをわかっていた。そして、それが確信にかわることは、今日朝早くに藤井の奥さんであろう女が旦那と話している会話を聞いたからである。
「あなた、今日も遅いのよね?」
「ああ、そうだよ。そうか、今日はお義父さんの家に行く日かい。」
「ええ。だから、帰ってくるのは夜だと思うしご飯は済ませて頂戴。」
「ああ。わかったよ。」
人間たちの会話から今日は夜まで確実に戻ってくることはない。それに絶大な確信を得たゴキ太郎は家族たちに説明したのだが、彼らは昼間よりも深夜動くことが本能的の安全だと植えつけられているせいかゴキ太郎の話に耳を傾けることはなかったが、唯一動物の会話を話せる父だけはゴキ太郎の言葉を信じ食料確保のために動いたのである。ゴキ太郎のよみとおり人間たちは夜まで帰ってくることはなく、安全に食料を確保することができたのである。
「ゴキ太郎すごい!」
「ゴキ太郎すごいよ。」
「ゴキ太郎って実はすごいんだね。見直したよ。」
きょうだいからさまざまな称賛をあびたゴキ太郎はとてもうれしかったし、なにより父だけでも自分のことを信じてついてきてくれたことが何よりうれしかった。それから、父はゴキ太郎に動物の言葉を教えていった。ゴキ太郎の家族はゴキ太郎が安全だという日時に狩りに出ていくと、高確率で食料を確保できたのでいつの間にかゴキ太郎はきょうだいの中でリーダーになっていた。
そんなあるお昼時、いつもと変わらないず安全だと判断したゴキ太郎はきょうだいに指示をだすときょうだいは食料確保にむかった。しかし、突然男の声がゴキ太郎の耳に入ってきたのだ。
「はいってはいって。妻はね夜まで帰ってこないんだ。」
「え~。本当に大丈夫?」
「大丈夫だって。」
ゴキ太郎は何がおこったかわからず戸惑っていたが、人間が戻ってきたのは確かだった。このままだと自分のきょうだいに危険が及んでしまうと判断したゴキ太郎はきょうだいのもとへダッシュで走って止めに行ったのだが一足遅かった。いつもと聞きなれない女の声が大雨ののように激しく降り注いでくるのだ。
「きゃぁー!!ゴキブリっ!!」
「うわっ!あいつは何してるんだ!こんなに繁殖させて!」
「退治して!はやくっ」
きょうだいたちは女の甲高い声に驚いたのか女の方に本能的に向かってしまった。すぐに女は自分のカバンできょうだいたちを振り落とすと履いていたスリッパのままきょうだいのうち一匹を何度も踏み潰して殺してしまった。そのきょうだいは形状がつぶれてしまい顔面は確認できないほど潰れてしまっており内部からは体液が染み出していた。そんなきょうだいの姿に驚愕と恐怖を覚えたゴキ太郎はすぐさまそこから逃げ去り住処にもどると両親に事情をはなした。外では、きょうだいが逃げまとう足音と人間がそのきょうだいを殺そうと躍起になっている音が聞こえてきた。
「そっちにいったわ!」
「そうだ。掃除機で吸おう。」
掃除機とはごみを吸い上げるための道具でここの奥さんが掃除をするときによく使っていたから知っていたが、それを使ってきょうだいを吸い上げるなんてなんて人間は恐ろしいことを考え付く生き物なんだとゴキ太郎は思っていた。そして、遠くの方から何かを吸い上げる音が振動とともに音までも感じることができた。そして、その吸引音のあいだに聞こえるかすかな音はパンパンと何かをたたきつけている音が聞こえてきたのである。ゴキ太郎は音だけでも恐ろしくてその場所から出ることさえできなくて、その場にぶるぶると震えていたのである。やっと、吸引音が鳴りやみあたりが静かになると、人間の会話が聞こえてきたのである。
「そうだ、家庭用の殺虫剤があるわ。一匹出たら100匹いると思えっていうしな。」
「そうね。しといたほうがいいわ。」
ゴキ太郎は耳をうたがい、目をぱちぱちさせていた。家庭用殺虫剤という単語はわからなかったので、どう判断していいのかわからなかったのだ。
「あったぞ。よし、部屋の真ん中において、火をつければいいな。」
「でも、私たちはどうするのよ。」
「どうするって、上の階で楽しめばいいだろ?」
「もう、何言ってるのよ~。」
人間の会話がおわると、人間たちがどこかに移動する音が聞こえてきた。両親に人間がこの場から離れたことを伝えると、すぐさまこの家から逃げ出そうと提案されたのでその指示に従うことにした直後どこからか変なにおいが嗅覚を襲ってきたのだ。ゴキ太郎たちはその痛みに耐えながらも逃げる場所を探したが、どこも出口がないのだ。逃げまとう中、きょうだいの無慚な亡骸がころがっていて、ゴキ太郎は胸が強く傷んみ今にも泣いてしまいたかったが命を優先して逃げ場所を詮索した。けれども、さがしてもさがしても隙間などなく時間がたってくると目がかすみ始めてきた。それでも、懸命に探していた途中両親が仰向けになって倒れているのを発見したので、すぐさま駆け寄ろうとすると父は最後の言葉を振り絞りゴキ太郎に告げた。
「生きろっ!」
ゴキ太郎は父の言葉に衝撃を覚えすぐさま悲しみの気持ちをきれかえ生き延びることを最優先に考えた。最後の言葉を振り絞った父はピクリとも動いていないのをみると、天国に召されたのだとゴキ太郎は思った。ゴキ太郎は目がかすみ頭がズキズキと痛み呼吸することも困難な状態で一生懸命頭を働かせて考えた。
(ここに出口はない。人間がここにいないのはおいらたちがいるわけじゃないこの煙がやつらにも毒だからいないんだ。じゃあ、上の階に行けば必ず開いている場所があるはずだ。)
ゴキ太郎は懸命に考えた結果だったが、二階に行くことは人間がいる場所に自分が向かうことを指しているため絶対に安全とはいえない。だから、ゴキ太郎は自分の仮定に命を賭けて上の階へ飛んでいった。上の階にようやく上がるとたまたま人間がある部屋から出てくるのが見えたゴキ太郎はその部屋に向かって素早く羽を振るわせて向かうと、その部屋には女の人間が横臥しながら眠りについているようだった。そして、飛びながら周りを見回すとその部屋の窓が少しだけ開いているのを確認すると、それに向かって飛んでいった。
「とうちゃん、かぁちゃん、みんなさようなら。おいらみんなの分まで生きるよ!」
ゴキ太郎は自分の経緯を思いだしうっすらと涙を流さずにはいられなかった。その姿を関西鳩に見られるとさらにめんどくさくなると思ったゴキ太郎はすぐにその涙を前脚を使って拭った。そうすると、鳩は飛行していたのをやめ空中で留まるとゴキ太郎に目的地に到着したことを伝えた。
「ほら、この下に見えるんが≪人間研究所≫やで。」
ゴキ太郎はここで新しい人生を迎えようとひていく決心をしたが、ゴキ太郎の人生はゴキ太郎が想像するほど過酷なものになっていくとはこの時のゴキ太郎は思いもしなかった。そして、その苦痛の一つに関西鳩と切っては切れぬ関係になることが含まれることも知る由もなかったのである。ここからゴキ太郎の大冒険がはじまる。