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王室の余り物

 ヴァルファズル王の執務室には、王とベルヴェルク以外誰もいない。

「面目ありません。ご命令通りに事が運ばなかったばかりか、娘を攫われてしまいました」

 跪き、頭を垂れたベルヴェルクは、滴る汗で床に染みを作っている。

「面を上げよ、ベル。咎めはせぬ。奴らの言いなりにならず、お主は報告してくれたのだからな」

 見上げる視線の先で、王の横顔が燭台の灯りに照らされている。

 武に長けた英雄の愉悦。漲る力を奮わんとする獅子の猛々しさ。今その顔を彩る陰影は、物腰柔らかい賢帝の仮面を剥ぎ取った。冒険者だった若き日の面差しが浮き彫りとなっている。

 もしや、軍を動かして『真の土蜘蛛衆』なる連中を叩くつもりなのだろうか。

「畏れながら申し上げます。私ごとき者の娘ひとりのことで軍を動かすのはリスクが高すぎます」

 国内での犯罪や暴動の鎮圧なら問題ないが、それ以外の理由で軍が動けば他国への示威行動と受け取られ周辺国の警戒を呼ぶ。

 大陸北部の大国スカランジア帝国は強力な軍事力で周辺国を併呑し、大陸随一の国土を誇る国となった。その脅威はスカランジアを除く大陸全ての国にとっての共通認識である。領土拡大自体は珍しいことではない。だが、スカランジアのそれはあまりにも急速だった。今は特に、どの国も他国の領土拡大に対して鋭敏にアンテナを張り巡らせている情勢なのだ。

「土蜘蛛を名乗る輩に攫われた以上、あれの命は諦めております」

 どの道、軍に追われる事態になれば、奴らは人質を殺して逃げることだろう。

「そもそも私の娘として生まれた時点で、ニディアには運がなかったのでございます」

「何を言うかと思えば。お主の娘ならこの城に居るではないか」

「……は」

 理解が追いつかない。

 独自のマジックアイテムである呪符以外にも、手裏剣や蜘蛛糸などの暗器を持ち、さらには人間としての限界まで体術を鍛えているのが土蜘蛛である。ベルヴェルクが手合わせした連中は呪符も手裏剣も使いこなしていた。それらはいずれも土蜘蛛の秘匿技術である。

 断定してもいい。彼らの背後には、おそらく土蜘蛛の生き残りがいる。彼らに一度攫われたならば自力での脱出はおろか、軍の精鋭でさえ簡単に奪還できるとは思えない。

「お主の娘は姫としての器量を備えておる。我が娘に見習わせたいものだ」

「ま、さか」

 王が何を言っているのか、ようやく気付いた。

 入れ替わっていたのだ。娘が、王女と。

 しかし、王女と立場を交換するなど、イタズラの範囲を超えている。腰を浮かしかけたベルヴェルクだったが、今はそれどころではない。鋼の自制心を発揮して問う。

「では、攫われたのは——」

「さよう、ファリヤだ。ニディアのことは怒るでないぞ。立場の交換、可愛いイタズラではないか。言い出したのはファリヤに決まっておる。ニディアの立場では断る方が無理というもの。それに、娘の親友は余にとっても娘のようなものだ」

「もったいないお言葉です。それはひとまず置くとして、殿下の御身にもしものことがあれば——」

 今度こそ腰を浮かすベルヴェルクを手で制し、王は不敵に笑ってみせる。

「ときにベルよ。お主、『セイクリッドファイブ』なる言葉に心当たりはあるか」

「————っ」

 返事をするまでもなく、表情で答えてしまう。その言葉こそ『真の土蜘蛛衆』が彼に課した、娘の身柄と交換するための条件なのだ。

「此度の一連の事件、余は別件とは考えておらぬ。セイクリッドファイブの存在を突き止めた者が裏で糸を引いておるはず」

「一連……。キース殿下の件にも、奴らが関わっていると?」

 王の口端が吊り上がり、より深い陰影がその表情に刻まれる。

「奴らは、余が握っておるセイクリッドファイブの情報が欲しいのだろう。だがそこまで大げさに事を構える段階ではないと考えているはず。だからこそ、侍従の娘と『王室の余り物』を人質にとった」

 なるほど、王室に対しては直接圧力をかけず、侍従である自分を脅迫したのはそういう理由か。つまり、自分がこうして脅迫されていることを王に打ち明けることも奴らとしては織り込み済みなのだろう。

 ベルヴェルクは奥歯をぎしりと噛み締めた。

「良かろう、ならばくれてやる。ベルよ、お主に情報を託す。奴らに教えるが良い」

「よろしいのですか」

 思わず目を丸くして返すその言葉に、王は声を上げて笑い出した。獲物を前にした捕食者のごとき獰猛な笑みだ。

「人違いであろうとなかろうと、奴らがファリヤを誘拐したのは事実。『真の土蜘蛛衆』なる連中単独の犯行だろうと、その背後に何者が控えていようと、必ず相応の報いを受けさせてやる。与える情報は冥土の土産だ」

 では、王はやはり軍を動かすのだろうか。しかし、連中は王女のことをニディアだと思っている。下手に刺激したら彼女はあっさりと殺されてしまうのでは——。

 その考えを言葉にするのを憚っていると、王は別のことを言い始めた。

「余には切り札がある。もっとも、七つのときに片鱗を見せて以来鳴かず飛ばずで歯痒いことこの上ないのだがな。妹の窮地はあれにとってこれ以上無いきっかけになろう」

「陛下、愚かな私めをお許しください。話が見えないのですが」

「軍は動かさぬ。あれに——キースに任す。ファリヤ救出と『真の土蜘蛛衆』の退治をな」

 無茶な。驚きのあまり言葉を失ってしまう。

 王は表情を引き締め、ベルヴェルクを見据えて命じる口調で言う。

「お主が助力するのだ。まずはキースと接触せよ」

 命令である以上、ベルヴェルクに否やはない。王はさらに言葉を続ける。

「奴らがお主に与えた期限はいつだ」

「一週間です。それ以内に陛下から『セイクリッドファイブ』のことを聞き出さねば娘の命はないと」

「ならばお主は三日以内にあれを見つけよ。そして残りの期間で鍛えよ。その上で奴らを叩け」

「申し訳ありませんが、土蜘蛛の符呪法は常人の平均的な魔力量では身がもちません」

 さすがに口を挟まずにはいられなかった。しかし、王はその反論を意に介さない。

「なに、それなら心配無用だ。キースの中に眠る魔力量は常人の比ではない。あれには余の後継者程度では役不足だということ、この機会に自覚してもらわんとな。あれを余り物だと侮る連中にも一泡噴かせてくれる」

 さらに反論を重ねようとしたが、鋭い視線で制止された。

 王が顎でドアを示す。見ると、起動中のマジックアイテム〈蝙蝠の耳〉が光を放っている。

「こんな時間に客か」

 しばらく待つと、控え目なノックの音がした。

 王が入室を許可すると、開いたドアの向こうには金髪碧眼の少女の姿があった。

 彼女はいきなり平伏するや涙声で謝罪を始めた。

 嗚咽混じりのため要領を得ない言葉だが、ベルヴェルクにも王にも彼女が言わんとしていることは正確にわかっていた。

「立ちなさい、ニディア。そなたは余にとってファリヤと同様に娘のように思っておる」

 王に抱きしめられたニディアは目を大きく見開き、固まってしまった。戸惑うように視線を泳がせ、やがてこちらに視線が向く。

「良かったな、ニディア。陛下はお叱りはないと仰せだ」

「お、お父様!?」

 王は豪快な笑い声を立てた。

「これこれ、そなたの父は余だぞ。しばらくファリヤとして過ごしてもらうのだからな」

「え」

 戸惑う彼女に、ベルヴェルクが作り話を聞かせた。内容はこうだ。

 ファリヤは王の用事で隣国に出掛けたこと。お忍びのためお供はキースただひとりで、誰にも告げず夕方に出掛けたこと。

「そなたらが度々入れ替わっておったこと、気付いていたのはキースだけではないぞ。もっとも、他の兄たちや侍従長でさえ気付いておらぬ。余は妻に教えられたのだ。……安心せい、妻もそなたを娘のように思っておる」

 養子にしたい、とウインクする王に対し、ベルヴェルクとしては苦笑を返すことしか出来なかった。

「お陰で確信することができた。そなたならファリヤの代役、申し分なくこなすことができる」

 彼女をファリヤの居室に帰すと、王は再び冒険者の表情に戻った。

「余は奴らに情報を与えると言った。セイクリッドファイブとは世界に五人しかいない、竜騎士の資格を持つ者。その強大な力は、山をも動かすと伝えられておる」

 ふと和らげた視線は上を向き、遠くを見る表情になる。

「あれの母親は——キースの母親こそはセイクリッドファイブがひとり」

 王は最後にこう告げた。「【赤竜の乗り手グラウバーナ・ライダー】である」と。

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