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炎の学友

 王立リンベール学園には夏と冬に一か月ずつの長期休暇がある。今は後者、各学年の全課程が修了して間もない頃だった。王立学園は全寮制を採用しており、原則として全生徒が寮生活を送る。それがたとえ王族や貴族であっても。ただし、年二回の長期休暇中は自宅に帰るのが規則だ。

 今、リンベール学園寮は閑散としている。ただ一部屋の例外を除いて。特別な理由がある者は、申請が許可されれば長期休暇中にも寮を使用することができる。

 バレグ・ストンハグには、この休暇中に寮を使うべき特別な理由があった。自宅が火事に遭ったのだ。一部を除き、家具や調度品も一緒に焼失した。彼の父親はとりわけ意気消沈していたようだ。なんでも秘蔵のマジックアイテム、しかもオリジナルを失ったという。ただ、家族は全員無傷で、財産のうち現金なども無事。現在新居を建築中である。新居の収納スペースをマジックアイテムに占拠されずに済むためか、母親の機嫌は父親とは対照的だった。

 折り良くと言うべきか、進級ギリギリの成績だったバレグには調査隊への参加の他、休暇中にも補習を課されていた。散らかった仮住まいで新学年を迎えるよりも、補習ついでにこのまま寮で生活するよう親に言われたのである。

 そんな彼がユージュ山から下山したのは小一時間前のことだ。間も無く日没という頃合いである。

 報告のため王宮に参内するカームを、王宮より随分手前のリンベール学園付近で出迎えた者たちがいた。アーカンドル王室警護隊だ。

「お疲れ様でした、調査隊の皆様」

 隊長が野太い声をかけてきた。禿頭の大男、シグフェズル・サンダースだ。彼の実年齢は四八歳だが、見た目はそれより一〇歳くらい若く見える。

「ケン、リュウ。お前たちもご苦労だった」

「はっ」

 敬礼した護衛の二人は、速やかに他の警護隊員たちと合流した。カームたちへの挨拶もそこそこに、盗掘者どもを引っ立てて去って行く。

 バレグが隊長の様子を眺めていると、目が合った。親しげな笑顔を向けてくれる。普段通りの、クラスメイトの父親としての空気を感じたバレグは、軽く目礼すると歩み寄って行く。隊長はカームと言葉を交わしていた。

「陛下への迅速なご報告、感謝します。しかし今回の件、今しばらくは他言無用にお願いいたします」

「はい。わかっております」

 バレグが彼らのそばに立つと、隊長はその肩に手を置いて穏やかに言った。

「君はこの休み中、寮泊まりだったね。食事はしばらく我々警護隊が提供するよ。そのかわりと言ってはなんだが、許可が出るまでは寮から出るのを我慢してほしい」

 万が一にも情報が漏れるのを防ごうということなのだろう。そのくらいのことはバレグにもわかる。

「ええ、ええ、どのみちレポートや補習がたっぷりありますから……。出たくても出られませんよ」

 大人たちは、なるべく固有名詞を出さないように会話しているようだ。リンベール学園の近辺には自分たち以外の人間が見当たらないが、どこに耳があるかわからないということなのだろう。それでも、キースのことを聞きたい。そんなバレグの葛藤を理解したようで、隊長は囁くように潜めた声で告げる。

「先生から頂いた追加報告も分析した。どうやら陛下にはお心当たりがおありのようだ。少なくとも、問答無用で危害を加えるような連中ではあるまい」

 バレグは無言で小さく一息ついた。だが、隊長を見上げる瞳は微かに曇っている。

「任せておきたまえ。君たちはおとなしく待っていれば良い」

 素直に返事をして寮へと向かう途中、彼はふと気になって振り向いた。確か、『君たち』と言わなかったか。寮にはバレグただ一人だというのに。

「考えすぎかなぁ」

 きっとカームやメリクら教員も含めた上での複数形なのだろう。そう思うことにした。


 自分の部屋の前に立ったバレグは小首をかしげた。中から物音がする。

 きっとルームメイトだ。いや絶対そうだ。このイタズラ好きめっ。

「おいこらキース。いくら王子様だからって、イタズラには限度ってもんがあるんだぞっ」

 そもそも、イタズラなんてとっくに卒業してなきゃならない年齢だぞ。その言葉は、きちんと面と向かってから言ってやろう。

 帽子を脱いだバレグは少し癖のある髪をかく。苺のように赤い髪だ。

 一応ノックして、返事を待たず扉を開けた。

 よし、先制パンチだ。さっきの言葉で説教するぞ。大きく息を吸い込んで――。

「そもそもおっ!?」

 大きな彼の瞳がさらに大きく見開かれる。中にいたのは予想した人物ではなかったのだ。

「遅かったな、バレグ。もう日没だぞ。……調査隊、お疲れさん」

 まるで年下に話しかけるような口調だが、言葉の主は彼のクラスメイトだ。

「スーチェ? 隊長が食事を提供するって言ってたけど、配膳係は君なのぉ」

 スーチェ・サンダース、一七歳。シグフェズル隊長の娘である。バレグより顔半分ほど背が高い。長めの黒髪をポニーテールに結い上げ、黒い瞳は理知的な光をたたえている。身のこなしひとつひとつが機敏で隙がなく、見るからに活動的な印象だ。

 彼女はバレグとともにキースの幼馴染みであり、幼い頃からよく遊んだ仲である。

「ここは男子寮だよ。あとで隊長に怒られるんじゃないの」

「父が怒る? 人畜無害なお前の部屋に来ることをか」

 何故か鼻で笑われてしまった。

「父はな、逆にお前の無事を心配してたぞ。わたしに手を出して、返り討ちに遭うんじゃないかってな」

「はぁ、君に手を出す? 有り得ないね、そんな恐ろしいこと」

「うふふ」

 そこに第三の声。女の子だ。バレグはゆっくりと首を動かした。そして、部屋の奥にいる笑い声の主と目が合う。

 首を戻す。スーチェと目が合う。

 ——錯覚だ。うん。もう一度部屋の奥を見れば誰もいないはず。

 再び部屋の奥を見る。目が合う。にっこりと微笑む少女。

「んなー!?」

 アゴが外れたかも知れない。バレグは限界まで口を広げてしまった。

 右手を頭の上、左手をアゴの下に当ててなんとか口を閉じたバレグは、どもりながら言った。

「ふふふぁふぁ……ファリヤ殿下! 王女様がこんなむさ苦しい場所に……。ははははしたな……いや、ももももったいのう……えと、なんだっけ」

 ファリヤ・アーカンドル、一五歳。キースの妹で、彼女も金髪碧眼だ。背はバレグより顔半分ほど低いが、バレグに輪をかけて大きな愛らしい瞳の持ち主で、学園内どころか国民からの人気もたいそう高い。

 たしかに、ここはキースの部屋でもある。しかし、男子寮だ。いかなる理由があろうと、今この場所に王女がいるというのは異常事態に他ならない。

「ええい面倒臭い。プライベートだしいつもの口調で失礼するよ、ファリヤ。こんな時間に王宮を抜け出してきたら、大騒ぎになるんじゃない?」

 バレグは気が気でない。

「ごめんなさい、バレグ先輩。ファリヤ殿下ではありません。あたし、ニディアです」

 ニディア・シャーレイ。ファリヤ王女のクラスメイトである。彼女の父親は王族付きの侍従であり、王宮内での居住が許されている。

 ニディアの容姿には特筆すべき点がある。ファリヤとは他人の空似ながら、まるで双子なみに瓜二つなのだ。

 そこで、ニディアは自主的に自分の外見を固定してきた。即ち、頭髪はいつでもお下げ髪。服装はたいていリンベール学園の制服。さもなくば、王宮の女官の制服と良く似たデザインのエプロンドレス。今となっては、彼女らの容姿が似ていることを覚えている者の方が少ないかも知れない。

「なあんだ。ニディアかあ。お下げにしてないし、制服でもないからわからなかったよ」

 彼は大きく息を吐くと笑顔になったが、すぐに眉根を寄せて虚空を見上げる。

「……って、その私服、もしかして」

「はい、多分先輩のご想像通りです。今夜も殿下と交換しました」

 やはりそうか。天を仰いだバレグだったが、勢い良くニディアへと向き直る。

「今夜『も』? いつもやってんの……」

 スーチェが割り込むように口を開いた。

「今までに見抜いたのはキースだけだそうだ」

「他のご家族や侍従長がおそばにいらっしゃる時には交替しませんもの」

 苦笑気味にそう言うニディアの言葉遣いも立ち居振る舞いも上品で繊細。お姫様としての風格を漂わせる直前の可憐さに溢れている。そして、はにかむような笑みとともに、先の言葉にそっと追加する。

「……滅多に」

「おい」

 バレグの二度見を誘う呟きだった。

「しっかし、キースはよく気付いたなぁ。さすが兄妹」

 彼はまじまじと凝視するが、違いがわからない。ニディアは顔を俯かせ、頬を紅潮させてしまう。やがて、彼の目を上目遣いにちらちらと見ては伏せるのを繰り返し始めた。

 彼女の様子に気付いているのかいないのか、バレグは視線を据えたままだ。

「むしろ、本物よりもお姫様らしいっていぅぐおうぁっ!」

 ニディアはバレグの語尾に肩を跳ねさせた。素っ頓狂な語尾はスーチェによる肘鉄の影響である。

「見過ぎだ馬鹿者。穴があくからとっととやめろ」

 そんな鋭い視線じゃないだろう、との反論は言葉にならない。

 すぐに気を取り直したのか、ニディアは小さく咳払いすると話を続けた。

「交替の時間になったので部屋に戻ったのに、殿下のお姿がなくて。厨房かとも思いましたが、そこにもいらっしゃいませんでした」

「厨房?」

 バレグは首を傾げる。日没間際と言えば、厨房は夕餉の支度等でそこそこ忙しい。将来、女官として働くことが決まっているニディアなら、申し出れば厨房の手伝いをすることもできるだろう。しかし、王女たるファリヤがそんなことを……。

 傾げていた首が真っ直ぐに戻った。苦笑しながらも納得顔でつぶやく。

「手伝いたがるだろうな、彼女なら」

「わたしもそう思った。なんと言ってもキースの妹だ」

 しかし、王女はいなかった。厨房だけでなく、王宮内でニディアが捜索できる範囲には見当たらなかったという。ただし、ファリヤをよく知る他の王族や侍従長の目があるので、隅々まで探し回れたわけではないらしい。

「でもさ、王宮内でニディアが探しにくいところって、ニディアの格好をしたファリヤだって近寄りにくいところだよね。……ああ、ややこしい」

「はい。ですから王宮内にはいらっしゃらない可能性が高いのではないかと……」

 そこで彼女は、予めファリヤから指示を受けていた『緊急事態マニュアル』に従い、体調不良を装って食事を部屋で済ませたという。

「王妃殿下がお見舞いにいらっしゃれば、さすがに隠し通すのは無理だと思ってました」

 ところが、そうはならなかった。近衛兵団のトップたる王室警護隊は日没前に外に出掛け、残りの近衛兵は廊下を慌ただしく移動。侍従長も、ファリヤが部屋から出ないのなら好都合と言わんばかりの対応だったらしい。

 なにか不測の事態が起きたのではないか。侍従の娘にすぎないニディアでさえ、その空気を感じ取れるほどの。

「そう言えば、今日はキース殿下にお目にかかれていません。殿下がいらっしゃる時は、色々とお助けくださるのですが」

 バレグは無意識に右の頬を掻いた。動きかけた表情筋を、意志の力で制御。よし、上手くいった。

「君達の入れ替わりをしっかりサポートしてるわけね。あんのイタズラ王子めっ」

「おや?」

 スーチェが短く声を発した。その瞳に獲物を狙う猛禽の輝きが宿るのを見て、バレグは己の失態を悟る。

「バレグ。今、右頬を掻いたね」

 両手を腰の後ろに回して口笛を吹いて見た。

 が、スーチェは追求を緩めない。

「ふうん。心配事か。それもキースに関すること」

 いけない、どうやら逆効果だ。ここは落ち着いて。

「ファリヤ、どこほっつき歩いてんだろうね。心配だけど、ニディアはそろそろ王宮に戻った方がいい。ほらスーチェ、送ってってあげなよ」

 スーチェの瞳の光はいよいよ強まる。

「さてバレグ。ここに弁当が二つある。警護隊仕様の保存食だから、結構な歯応えだぞ。ゆっくり食べながら、じっくり聞かせてもらおうか」

 なにを、と聞き返すのは無意味だ。スーチェはここで一緒に弁当を食べつつ、洗いざらい聞きだすつもりのようだ。もう誤魔化せない。彼は観念し、嘆息した。

「わかったよ。知ってることは話す。でも、ニディアがいつまでもここにいるのはまずいだろ」

「ご心配なく。これがあれば、王宮までは一瞬です」

 ニディアはそう言って、掌に乗せた白い玉を掲げる。彼女の小さな手でもすっぽり隠せるサイズの玉だ。

「マジックアイテム〈白竜の門扉〉。王国の端から端まででも一瞬で移動できます。ファリヤ殿下も同じものをお持ちなので、いざとなればこれでお戻りになる……はずです」

 王女が〈白竜の門扉〉を使うべき事態——。よくない想像ばかりが脳内を駆け巡る。折角持っていても、取り上げられているとか。

 誘拐。まさか、兄妹そろって? 欠けたダガーを思い出し、バレグの表情が強張った。

 ふと、スーチェの視線に気付く。もう隠し事はしない。目で頷くと、彼女はニディアへと話しかけた。

「ファリヤのことはわたしに任せろ。だからニディア。悪いが暫くファリヤを演じて待っていてくれ」

「が、がんばります」

 胸の前で拳を握り、ニディアは呪文の詠唱を始めた。

「門扉の番人よ、白き竜に従え。我が意を汲み、解錠せよ」

 虚空に出現した豪華な扉。光を放ち、向こう側が透けて見える。そこは間違いなく王宮内のファリヤの居室。

「……無事に戻ったな。ん、バレグ?」

 魔法の効果が消え、向こう側が見えなくなるまで見送っていたスーチェ。バレグは彼女のそばを離れ、紅茶を用意していた。

「飲むだろ?」

「ああ、当然だ」

 答えるスーチェの頬は心なしか赤らんでいた。

 彼女のことだ。たとえ行き先がわからずとも、キースを助けに行くと言い出すはず。

 付き合う覚悟を決めつつも、今はスーチェ好みの紅茶を淹れる作業に集中するバレグであった。




 部屋の外に黒い影。

 部屋の中から漏れ聞こえる少年と少女の声に余さず聞き耳を立てている。やがてドアから離れると、闇に包まれた廊下の奥へと溶けるように去って行く。

 実体を持たぬ影そのものであるかのように、足音は全く立たなかった。

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