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土蜘蛛の魔窟

 エマーユは周囲を探る。やはり、自分たち以外に人の気配はない。

 ここは普通の民家のように思えるが、家具や調度品の類がない。ただ、壁には噂に聞く『ブラインド』と思しきものが備え付けられている。

 エマーユは、人間についての少ない知識を脳内で検索する。ブラインドとは、教会の鐘塔において雨をよけつつ風を取り入れるために作られたもの。ではここは教会か? いや、それにしては狭いし、そもそもここに鐘などない。

 背を触れ合っているキースを意識する。そういえば、彼から聞いたことがある。

 アーカンドル王国では、民家の多くがガラス窓とやらを採用しているという。窓の目隠しとしてカーテンを使う者が多いが、教会のブラインドを真似する者もいるらしい。

 すると、このブラインドの向こうにあるのはガラス窓だろうか。稀に、鳥が衝突してしまうほど透明な……。

 人間は興味深い。平均寿命こそ自分たちエルフ族より少し短いが、弛まぬ探究心と創意工夫に溢れている。マジックアイテムのレプリカしかり、ガラス窓しかり。ある一分野においては、ドワーフ族をも凌ぐ工芸品や美術品を作り上げることもある。

 暫くブラインドと、その向こうにあるかも知れないガラス窓に興味津々の視線を据えていた彼女だが、それどころではないと小さく首を振る。


 覆面男は自分たちのことを『土蜘蛛』と名乗った。そいつらに、キースは長剣を奪われた。持っていたマジックアイテム——全てレプリカだ——も。エマーユも、彼から託されたダガーを奪われた。

 残る武器は魔法だけ。しかし、使おうとすると魔法効果が発現する前に苦痛と痺れに苛まれて動けなくなる。これは先ほど経験済みだ。

 あの時、覆面男は言った。命の危険はないと。

 迂闊に信用するわけにはいかない。もしかしたら、ただ死なないだけのことかもしれないのだ。たとえば、痺れを無視することで魔法の発現に成功したとしよう。すると、それを最後に二度と魔法が使えなくなるかも知れない。どんなリスクがあるかわかったものではない。

 それでも。エマーユの口許には不敵な笑みが浮かぶ。

 ——キースを守るためならば。

 出会った日の大きな恩を、まだ返していないのだから。

 ぐっ、と拳を握る。

「あれ?」

 思わず、エマーユは声を出した。

 握り拳が胸の前にある。小首を傾げ、拳を開いては握ってみる。

 両手を顔の高さまで持ち上げると、縄は腕から滑り落ち、あっけなく床に落ちた。

「世界最硬の金属ってのが本当かどうかは知らないが」

「……はい?」

 キースの呟きが聞こえたので振り返った。彼の手にはダガーナイフが握られている。

「〈蒼竜の鱗〉って二つ名は伊達じゃないな」

「もう一本持ってたの?」

「こいつが本命。森で投げたのと取り上げられたのは普通の鋼で鍛造した劣化版というか……。マジックアイテム風に言えばレプリカだ」

 靴に隠しておいたのに、いざという時に素早く取り出せなくては意味がない。そう言って悔しがるキースは普段通りで、その様子を見つめるエマーユの頬は自然に緩む。

「連中のチェックが甘くて助かった。世の中には仕込み靴っていう、飛び出しナイフを内蔵した暗殺用武器もあるのにな」

 だが、と続けるキースの額に血管が浮く。突然雰囲気が変わった彼に声をかけられず、思わず半歩後ずさるエマーユ。そんな彼女に構わず、伏せた瞳に光を宿し、口の端を吊り上げて呪詛のごとき呟きを漏らす。

「俺には甘かったくせにあの覆面、エマーユには入念なボディチェックしやがった」

「……」

 薄着のエマーユの服に手を差し込んだ。その上、胸の谷間までまさぐった。それは確かに不快だったし、屈辱だった。それでも彼女は背を伸ばし、口を真一文字に結んで声一つ上げなかった。しかし、分厚いコート越しにキースが怒りの熱気を放射するのが感じられた。

 覆面男は極めて事務的かつ躊躇なくボディチェックという「作業」をこなしただけ。エマーユ自身はそう感じた。それをキースに告げてみる。

「それってエマーユという『美』に関心を払っていないってことだ。それはそれで腹立たしい」

「あ、あはは……」

 再びヒートアップしたのか、彼は熱気を放射している。頭から湯気が出そうな勢いだ。

「必ずボコる。ただ見てただけの奴も同罪だ。絶対ボコる。三人ともだ」

「そんなことはいいから」

 彼の様子に頬をほんのりと朱に染めつつ、苦笑気味に微笑んだ。しかしすぐに表情を引き締めた彼女は、宥めるように彼の腕をとり提案する。

「見張りはいないみたいだし、ここで大人しくしてる義理はないわ。すぐに出ましょ」

 キースはその言葉にうなずき、ドアを調べ始めた。ややあって、背中を向けたままエマーユに告げる。

「どうやら外から鍵がかかってるようだな。それもかなり頑丈な」

 室内に風が巻き起こる。魔法の兆候に慌てたキースは素早く振り向くと彼女の肩を掴んだ。

「待て待て! 外に何がいるかわかったもんじゃない。せっかく窓があるんだ、そこから出ようぜ」

「ああ、ブラインドを壊せばいいのね」

「だから魔法はちょっと待て」

 窓際へ移動したキースは、ブラインド横の紐を引いた。すると、木製のブラインドはコンコンと小気味良い衝突音を立てながら窓枠上部へと巻き上げられていく。

 エマーユは小さく歓声を上げ、窓の正面へと駆け寄った。

「わあっ」

 再び上げた小さな叫びは、直前のそれとは明らかに温度の違うものだった。

「どうした……。うげっ」

 エマーユの肩越しに窓の外を見たキースは、嫌悪の声を漏らす。

「よりによってフォレストスパイダーの群れかよ」

 毒を持つ蜘蛛のモンスター。体長一〇〇セードを超えるその巨体は、脚まで含めるとその倍ほどだ。キースやエマーユの身長を上回る。そいつらが、窓から見えるだけでも十数体。

 魔力耐性が高く、エルフや人間を捕食することでも知られているが、結界をはじめ複数の手段で守られているユージュの森には棲んでいない。

 改めて、窓から見える範囲を注意深く観察した。冬とは言え快晴の日差しを受け、放射状に紡がれた蜘蛛の巣が不気味に光る。しかも、それらが幾重にも重なり合っている。凶兆を告げる闇属性の魔法陣さながらの不気味さだ。

「最悪ね。家ごとフォレストスパイダーの蜘蛛糸に取り囲まれているわ」

「窓と蜘蛛糸の間に隙間があるが……」

 どうやら蜘蛛の怪物どもは、その隙間の向こうからこちら側へは入って来られないようだ。

「ええ、きっと土蜘蛛の結界だわ。彼らの結界は、どうやら物理的な障壁タイプね」

 魔力結界に代表される、呪文詠唱者がいなくても半永久的に効果が継続する魔法は『永続魔法』と呼ばれるが、これはエルフ族のような魔族の専売特許だ。

「覆面してたけど、土蜘蛛って人間よね。でもこれ、どう見ても結界よ」

 迂闊に魔法をぶっ放していたら、この結界に穴を開けてしまっていたかも知れない。その先に待つ結果まで予想して、青ざめながら呟いた。

「どうして永続魔法を使えるのかしら」

「さあな。だがわかってることが一つある」

「そうね。土蜘蛛(あいつら)のような移動魔法がなければ、ここから逃げられない」

 そして、大抵のエルフ族がそうであるように、エマーユもまた瞬間移動の魔法など使えない。

 その時、金属同士をぶつけ合ったかのような甲高い音が響いた。

 一旦視線を合わせた彼らは、揃って音がした辺りを凝視する。そこでは、鋭い爪を備えた脚を持つフォレストスパイダーが、振り上げた脚を今まさに振り下ろさんとしている。

「結界を叩いてるの……⁉︎」

 甲高い音はあちこちで響き出した。他のスパイダーたちも結界を叩き始めたのだ。

「憎たらしいが、用意周到な黒もっこりどものことだ。おいそれと化け蜘蛛ごときに破られるような結界じゃないだろう」

 刀鍛冶が鉄を鍛える槌の音のように、甲高い音が間断なく響き渡る。時折、異質な音が混じり出した。砂を食む不快な音だ。

 エマーユはキースと顔を見合わせた。お互い頬がひくつき、笑ってでもいるかのように口の端が吊り上がる。

 ついに——。

 鋼鉄製の卵の殻を打ち破り、凶悪な化け蜘蛛がまずは一匹、生まれ出た。


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