国王の密偵
彫りの深い顔立ちをしており、金髪と青い瞳を持つ。成人男性の平均を頭ひとつ上回る身長と広い肩幅。五十代半ばを過ぎてなお、がっしりとした筋肉を誇る偉丈夫。その名をヴァルファズル・アーカンドルという。
アーカンドル王国。ラージアン大陸東側、中央やや北寄りに位置する小国だ。その初代国王たるヴァルファズルの英雄譚は、広く知られている。
かつてこの地は、魔族たる人狼の棲み処であり、そのために人間が国家を築くことができずにいた。それをヴァルファズルが剣一本で倒したという。
新興国にはよくある伝説なので真偽は定かではない。しかし、王になる前のヴァルファズルは諸国を旅した剣士であり、大変な剣豪であったことは事実である。
ヴァルファズルは今、悠然と玉座に背を預けている。その手に握っているのは白梟が届けた書簡だ。
「ベルヴェルク! 近くにおるか?」
大声を張り上げたわけではないが、活力に満ちた良く通る声が玉座の間に響く。
「は。ここに」
玉座の間には国王以外に人がいない。だというのに、返事はすぐに来た。
返事に続いて、その現象が始まる。影が一つ、さながら植物が急速に生長するかのように床から『生えて』きたのだ。影は人間一人分の大きさになると、払暁に駆逐される闇のごとく姿形が露わになる。
その男は四〇歳前後。黒目黒髪で、侍従の制服を身につけている。胸の前で奇妙な形に組み合わせていた指をほどき、額に貼り付けていた細長い紙切れ――呪符をはがすと懐にしまった。
玉座の正面で片膝をつく男に、ヴァルファズルは歩み寄って書簡を手渡した。
「読め、ベルヴェルク」
侍従は素早く文字に目を走らせる。その目はある一文でぴたりと止まると、大きく見開く。
「殿下のダガーが、欠けた……?」
そのままの表情で視線を合わせてくる彼に対し、ヴァルファズルは無言で顎を引くことによって意見を促した。
「あのダガーは私が殿下に献上したもの。ドワーフに依頼し、彼らの技術をもって鍛造させました。素材たるオリカルクムは〈蒼竜の鱗〉との異名を持つ金属。あれを欠けさせるとなると——」
物理的に実現するには、オリカルクムと同じか、もっと硬い物質でなければ不可能。
また、魔法的な手段でも——。
かつてこの大陸には蒼竜、赤竜、黄竜、白竜、黒竜の五聖竜が君臨したという。彼らがこの地を去った後、地上に遺した鱗こそがオリカルクム。世界最硬の金属であり、魔法攻撃さえも無効化する。
伝説の真偽はさておき、少なくとも現在アーカンドル王国が把握しているマジックアイテムや、王国周辺に棲む魔族の魔法ではオリカルクムに傷一つつけられないのは確かだ。
そうすると、『敵』はオリカルクムを持っていると考えるべきか。
「オリカルクムは極めて稀少な金属です。これを入手し、かつ実戦投入できる者……。その線で考えれば、殿下誘拐——いえ、そうと決まったわけではございませんが——に関わった者どもについて、ある程度候補を絞れるかと」
目を閉じて聞いていたヴァルファズルだが、口の端を歪めて笑う。
「あれはエルフと恋仲の四男坊だ。政治的な目的でさらう連中など、まずおらぬ」
その笑みがどんな意味を含むのか測りかね、ベルヴェルクは沈黙した。
「噂の類いでも構わぬ。オリカルクムに対抗しうる魔法について、知らぬか」
問われ、記憶を辿るベルヴェルク。やがて、一つの単語が思い当たる。
「は。マジックアイテム〈黒竜の魔盾〉なるものが実在するのであれば、あるいは」
「初耳のアイテムだな。お主以外に、それを知る者は?」
気楽に問い返す国王の瞳が刃の輝きを宿す。
「は……」
我知らず目を見開き、引きつって半開きとなった口を無理やり閉じる。逡巡の時間はわずか数秒、彼は観念したかのように静かに答えた。
「現存するかどうかも定かでない〈黒竜の魔盾〉に関する知識を持つのは土蜘蛛のみ。此度の件、あるいは……」
そこで言葉を切り、国王の眼光を真正面から受け止める。
「土蜘蛛の生き残り。もしくは、土蜘蛛から何らかの手ほどきを受けた者がからんでいるかもしれません。この私と同じような」
「ふむ。どうやら、余と同じ意見のようだな」
穏やかなヴァルファズルの声の中に、満足したような響きが混じった。
「して、余の言いたいことがわかるか?」
「は。早速、心当たりを探って参りま――」
「たわけ!」
みなまで言わせず、国王が遮った。
「も、申し訳ございません」
「お主に頼みたいことはな、……」
* * *
ここは酒場――裏通りの酒場だ。店外に最小限の明かりしか灯さぬ店構えは、そうと知る者でなければ酒場だと気付くのは難しい。客層は、一目でそれとわかるスジ者らしき男たちや、そうでなくてもぎらついた目付きをした一癖ありそうな男たちばかり。時折、わざとらしく豪快な笑い声を立てる者はいるが、多くの者は小声で話す。決して楽しげな談笑はない。
店に入ると、店主は人懐っこい笑みを向けてきた。穏やかな笑みだが、大柄な全身を鎧う筋肉と、その筋肉が秘める破壊力を連想させる物腰。そして何より、笑みを浮かべてはいても鋭さを宿したままの眼光が、店主の過去を雄弁に物語っている。
「いらっしゃい」
普通の店ならば客に対して当然かけられるべき挨拶は、ここでは馴染みの客に限られるようだ。事実、その客に前後して入ってきた者は、店主はあっさりと無視をした。
「久しぶりですね。ベルヴェルクの旦那」
短く刈り込んだ黒髪と、細いが切れ長の黒い瞳。三十九歳という年齢以上に年輪を感じさせる男。私服のベルヴェルクは、そんな店に違和感なく溶け込む雰囲気を身に纏っていた。
「いつもの奴を」
「へい。……人探しですかい?」
ベルヴェルクは店主と真向かいの位置にあたるカウンター席に座り、意外そうに店主を見た。
「ほう……、なぜわかった」
「いえね、旦那はここんとこ、用事がないといらっしゃらないし。店に入る時、店内をひと回りご覧になったでしょ」
店主のこの言葉に、ベルヴェルクは苦笑を返した。
「かなわないな。オヤジも、足を洗わなければあっちの世界じゃかなりの地位に就いていただろうに」
「今だってカタギと言えるかどうかぎりぎりですがね」
商売をやっている方が性に合っています、と言う店主の笑顔に偽りはなさそうだった。
わずかに目を細めたベルヴェルクは、受け取った飲み物で喉を湿らせると本題に入る。
「ところで最近、この街に流れてきた賞金稼ぎの中に、オヤジと互角に渡り合えそうな奴はいないか」
「あっしが見たところ、二人ですね。いつも黒っぽい服を着て、うちの店で飲んだ後、帰る時になっても足音ひとつ立てない連中がいますぜ。スカウトですかい」
「そんなところだ」
その時、店の奥で飲んでいた男たちがふたり、カウンター席へ近付いてきた。長身の男と小柄で眼帯をした男だ。
「一人で飲みながら俺たちの陰口かい? ……兄さん、そいつはちと暗いぜ」
眼帯の男がベルヴェルクに声を掛けた。
――こいつらか?
ベルヴェルクは店主に視線で問う。店主も目でうなずいた。
「耳がいいのは褒めてやる。だが、人の会話に聞き耳を立てる奴らに暗いと言われるのは心外だな」
ベルヴェルクは眼帯の男に答えた後、店主に言った。
「どうやら、ここに来た甲斐があったようだ。お勘定」
ベルヴェルクと男たちは店の外に出ると、申し合わせたように人通りのない真っ暗な路地へと歩いていく。三人もの男が歩いているのに、足音は全く聞こえない。
眼帯男が口を開いた。
「この街にはろくな賞金首がいなくて退屈してたんだ。兄さんはどうやら賞金首ではなさそうだが、只者って訳でもなさそうだな。金にはならないが、久々に思い切り戦れそうだぜ」
言い終わらぬうちに長身男が仕掛けてきた。
闇に溶け込むように移動する。同時に、風を切り裂く鋭い音。
直後、小刻みな音と共にベルヴェルクの身体に何かが突き刺さった。
それは十字型で、十字のそれぞれの先端が四つとも鋭利な刃となった武器――手裏剣だ。
重い音をたてて倒れたのは……、ベルヴェルクではなく木片だった。手裏剣が四つ突き刺さっている。
「なに!? 変わり身だとっ」
焦る長身男の背後で、闇を切り裂く一筋の光がきらめいた。
光の正体は刃物。長身男を目がけて飛んでくる。
「ぬん!」
長身男の背後に回り込んだ眼帯男が、刃物を打ち落とすべく手刀を繰り出す。
甲高い音を立て、投擲用ダガーが地面に転がった。
油断なく周囲を探る長身男が鋭く声を上げる。
「そこだっ!」
長身男は眼帯男の手首を掴むと、彼の身体を武器のように振り回す。
空振り。
だが、手応えあり。長身男の耳は、敵と思しき者が地面を転がる音を捉えていた。
戦闘中に転がって移動するのは、回転の初動において相手の目をくらまし、的を絞らせにくくするのに有効だ。しかしその反面、慣性を殺しにくく移動の到達点が予測されやすくなる。
奴め、俺の膂力に恐れを為して音を消すのを忘れたか。口の端を吊り上げ、予測される移動先に手裏剣を投げる。
手応えあり。
しかし、彼の手裏剣が突き刺さったのは、またしても木片だった。
「なっ?」
背後をとられていた。膝の裏を痛撃された長身男は尻餅をついてしまう。
ただ転んだだけでは済まず、しばらく呼吸ができない。ベルヴェルクは膝裏だけでなく、一瞬の内に背中の急所も蹴っていたのだ。
「俺を忘れてんじゃねえぞ」
眼帯男は空中で回転しつつ、ベルヴェルク目掛けて手裏剣を投げる。
しかし、手裏剣はベルヴェルクに届くことなく空中で静止した。
「ちぃっ! 蜘蛛糸かっ」
眼帯男はちらとその隻眼の視界の隅に長身男の姿を捉えた。相棒は既に行動不能に陥っていた。糸のようなものでぐるぐる巻きにされている。
「やはり……。蜘蛛糸のこと、知っていたか」
眼帯男はぞくっとした。着地した彼のすぐ後ろから、ベルヴェルクの声が聞こえたのだ。いつの間に移動したものか、さきほど眼帯男の手裏剣を止めた蜘蛛糸の向こうには今は長身男しかいない。
眼帯男は振り向きざま短剣を一閃――しかし空を切るのみ。
「なにっ……、しまった!」
真上から降り注ぐ糸に絡め取られ、眼帯男もまた行動不能となってしまった。
倒れた眼帯男の頭上に、あたかも倒立しているかのような格好で宙に浮いていたベルヴェルクは、ゆっくりと地面に降り立った。
「やや未熟だが、貴様たちが使ったのは土蜘蛛の戦闘術」
「……」
眼帯男と長身男は険しい顔でベルヴェルクを睨む。
「私はアーカンドル王に仕える者だ。貴様たちには聞きたいことがある。こちらが土蜘蛛の尋問術を使う前に洗いざらい吐いてしまうのが身のためだ」
しかし、これを聞いた二人の男は薄く笑った。
「そうか。強そうな奴だから訓練になると思ってちょっかいを出したが、あんたが……」
長身男が言うと、眼帯男が続けた。
「はじめまして。ベルヴェルクさんよぉ」
ベルヴェルクは片眉を上げ、「ほう」と応じる。その眼光から放出する冷気は、冬の夜気をさらに凍てつかせた。
「私を知っているということは、誘拐犯は貴様たちか……」
「ほほう。お預かりしてからまだそんなに時間が経っていないのにもうご存知か。……その通り、娘さんの身柄は我々『真の土蜘蛛衆』が預かった」
眼帯男が放った予想外の言葉に理解が追いつかず、いったん眉根を寄せ、次いで大きく目を見張る。
「な……っ」
寝耳に水だった。言葉を失ったベルヴェルクに対し、眼帯男がさらに続ける。
「わかったら俺たちを解放して話を聞くことだな。もっとも、娘の命が惜しければ、の話だが」
縛めを解かれた男たちが、耳打ちでもするかのようにベルヴェルクに話をする。彼はそれを一方的に聞くばかりだ。
やがて、眼帯男と長身男は、呪符を額に貼ると消えてしまった。
最後にひとり残ったベルヴェルクは、苦い表情を凍りつかせたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。