土蜘蛛の火葬
高い金属音が絶え間無く響く。波打つフランベルジェの刀身は陽光を不規則に反射し、揺らめく炎さながらの輝きを見せる。
剣戟に体術を織り交ぜて、スーチェは縦横無尽に動き回る。その表情に余裕はない。
エマーユの補助魔法で強化してあるというのに、敵の爪はこちらの武器と互角以上に渡り合っているのだ。それだけではない。
スピードを身上とする彼女だが、人狼のそれとは比べ物にならない。何度背後をとられたかわからないほどだ。スーチェは内心で舌を巻くが、それでもこちらの間合いを維持できている。
「自分より速い敵と立ち合う時は、視覚に頼ってはだめだ」
ベルヴェルクの教えを胸に、神経を研ぎ澄ます。
「自分が相手より速ければ、どこを攻めるか考えろ。敵を見失った時は、自分が最も攻められると嫌な場所を警戒するんだ」
今回のように相手を見失う回数が多いと、戦闘が長引くほど加速度的に体力を奪われていく。
最小限の剣捌きで防御し、時に革鎧を浅く削られながらもスーチェは善戦を続けていた。
背に回した剣で爪を凌ぐと、身体を沈めながら回転し、伸ばした脚で敵の膝を刈る。
意表を衝かれて転倒した敵めがけ、剣先を突き込んだ。間一髪、人狼は転がってこれを躱し、剣の間合いの外で立ち上がると身構える。
すかさず正眼に構えるスーチェ。それに対し、左右に踏み込むかのようなフェイクで彼女の大振りを誘う人狼だったが、フランベルジェの剣先は揺らがない。
焦れて間合いを詰める人狼とすれ違いざま、体を回転させたスーチェが中段の蹴りを放つ。
爪先が背に炸裂し、もんどり打って倒れ込む。しかし人狼はすぐさま立ち上がり、爪と牙を誇示して唸った。そのまま天を仰ぎ、威嚇の遠吠え。
それを好機と見たスーチェ。迷わずダガーを投げる。が、難なく払いのけられる。
予想通りと言いたげに、スーチェは口の端を吊り上げた。続く動作で、がら空きの喉へと切っ先を突き入れる。手応えはない。
敵は体を沈めて躱したのだ。その姿勢から蹴りを放つ——空振り。
宙を舞って背後をとるスーチェ。同じタイミングで、人狼は素早く間合いから逃れてしまった。剣先が届かない。
再び正眼に構え、人狼の次撃を牽制する。乱れた呼吸を整えるも、肩が上下し始めた。
「ほう、大したもんだ。あの小娘を仕込んだのはお前か」
ハーディ——戦闘開始前に人狼自らそう名乗った——が呟く。
「余所見とはなめられたものだ」
言葉と同時、ベルヴェルクの姿が溶ける。
「っ————」
次の瞬間、両目を限界まで見開いたハーディは己の胸を見下ろす。
そこから、剣が生えていた。背後を取られたのだ。
ベルヴェルクは敵の体内へのダメージを倍加させるべく、渾身の握力で剣を直角に回す。
クレイモアの刀身が映すものはハーディの驚愕の表情——ではなく。
「ちっ」
ベルヴェルクは舌打ちし、人狼を蹴り飛ばす。それは、先ほど噛まれながらもリュウが斃した者。元は土蜘蛛だった男だ。
思わず黙祷すると、真横から爪を突き立てられた。
「知り合いか、土蜘蛛。……なにっ」
変わり身。ハーディの爪は等身大の木片に突き刺さっている。
「味な真似を」
木片を蹴り飛ばす。
爆発。
「うお、くっ、おのれ!」
木片に仕込まれた大量の釘。破裂と同時にハーディを襲う。
「お前。バネッサなみにえげつない攻撃を思いつく野郎だな」
目に刺さった釘を引き抜きながら笑う。抜くと同時に眼球は元通りとなったが、毛皮を濡らす血痕が凄惨な印象を醸し出す。
軽く身体を振ることで、全ての釘は地面に落ちた。
「効かねえけど、痛えよ。温厚な俺だってムカつくぜ。覚悟しろや、クソが」
牙を剥くハーディへと、今度は爆ぜる球体が殺到する。
「魔法だと? だが、無駄だぜ」
片手で軽く捌く。程なく、全ての球体が打ち消されてしまった。
「もう終わりか……あ?」
地面を濡らす赤い滴。頬と肩口に触れ、ようやく自分の怪我だと認識する。
「痛えなコラ」
出血は見る間に治まってゆく。しかし、怒りの波動とともに、ハーディの周囲に黒い靄が漂い始めた。
「派手な雷撃を隠れ蓑にした鎌鼬による攻撃だ。やっと本気になったか」
静かに言い放つベルヴェルク。彼を睨む人狼の目は、今や虹彩が反転している。身体も膨れ上がっていた。怒張した上腕の筋肉たるやスーチェの胴体を上回る太さになっている。
「あの世で後悔しやがれ」
疾風と化して襲いかかった。
ベルヴェルクはしなやかな体捌きでこれに対抗する。
人間の限界を超えたかのような動きでクレイモアを振り回す。
大きく飛び上がった土蜘蛛が着地して剣を構えた、次の瞬間——。
クレイモアが、その刀身の半ばほどで折れ、地面に落ちて冷たい音を立てた。
次いで、革鎧がベルヴェルクの身体から剥がれるように落ちる。彼の口端から零れる血が、顎の下へと長い筋を引いた。
喋る人狼の変化に気付いたスーチェではあるが、当然ながら目の前の敵で手一杯である。溜まる疲労のせいで、フランベルジェの重量が倍加したかのようだ。
とにかく厄介な相手なのだ。浅い傷などたちどころに治ってしまうので、ダメージを溜めて止めを刺す戦術が使えない。一撃必殺を狙うしかないが、接近戦ではこちらに分が悪い。
「どうすればいいんだ」
疲労が思考力を奪ってゆく。焦りから、無謀な突撃を決断しそうになる。だが、万が一自分が人狼になってしまったら。その牙で、キースやバレグを襲ってしまったら。
唇を噛み、突撃を思いとどまった。
そこへ疾風が襲いかかる。
「っ————」
対処が遅れた。何度か身を守ってくれた革鎧が弾け飛ぶ。
火がついたような痛みに顔を顰める。脇腹を抉られた。
「あっ」
のしかかられ、フランベルジェが手から離れた。
両腕に爪が食い込む痛みより、目の前の牙に恐怖する。あれに噛みつかれたら、人狼になってしまう。
誰か、助けて——。
人狼の息が吹きかけられる。今、スーチェの頬を濡らしているのは人狼の涎だろうか。
固く目を閉じ、精一杯顔を逸らす。
熱い空気が頬を撫でた。
「これまで……か」
すまない、みんな。ろくな覚悟もなく、全く役に立たないくせに同行した上、迷惑までかけてしまうなんて。熱い雫が頬を濡らし、敵の涎ではなかったか、と自嘲まじりに最期の時を待つ。
だが、その時はやって来ない。
恐る恐る目を開けると、長身の黒髪青年が立っていた。
「メリクさん」
ふと見ると、五アードも離れた地面に人狼が転がっている。立ち上がり、憎々しげに牙を剥いた。その視線はメリクに固定されている。
「人狼相手に生身でよくやった。後は任せろ」
人狼は疾風と化した。だが、メリクは最小限の動きで突進を躱す。
「捕まえた」
背後から首を絞める。人狼は爪で彼の腕を抉ろうとするが、硬質な音を立てるだけで全く歯が立たない。肉体強化の呪符を使っているのだろうか。
捕まえたのはいいが、この後どうするのか。援護しようにも、爪で抉られたスーチェの腕では剣を持ち上げることさえ難しい。
そう思っていると、メリクの瞳が輝いた。鮮やかなオレンジ色だ。
次の瞬間、人狼の身体が炎に包まれてしまう。
「この人は祖母の一番弟子。せめてこの手で葬ってさしあげる」
炎の中でもがく人狼の正面に回ると、メリクは腰を落として身構えた。
気合一閃。
真っ直ぐに突き出した拳は人狼の心臓を捉え、一際大きな炎の柱を噴き上げた。
灰と化し、風に吹き散らされる様子を背に、メリクは歩き出した。
「ここで待っていろ。……早まらないでください、ベルヴェルク」
最終奥義を使えるのはドロシーの直系のみ。だが、ベルヴェルクという男は、いつも何がしか奥の手を用意している。
オリジナルの人狼を相手に、彼が命がけの技を仕掛けないという保証はないのだ。
歩調はすぐに駆け足に変わり、隣の戦場へと向かう。




