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怒涛の攻防

 メリクの手には今、オリカルクムのダガーが握られている。蜘蛛糸を使い、キースの懐から抜き取ったのだ。

「一国の王子に対し掏摸をしてしまった以上、最早私に帰る場所はない。バネッサ。貴様は必ずこの手で」

 瞬きするより僅かな時間、メリクの胸に去来するものは——。


 父はロレイン族に殺された。だが確実な証拠はない。

 では、祖母は。それについては確信している。バネッサが見せつけたブラウニーストーン。あの魔石を手の甲に埋め込むため、自ら肉を抉ったというのは嘘ではあるまい。問題は魔石周辺に刻まれた焦げ跡だ。あれはまさしく。

 屍反斬の名残。

 魔族の能力をもってしても癒えない傷を負ったからこそ、奴は躊躇いもなく自ら肉を抉ったのではないのか。

 理由はどうあれ、祖母があのバネッサに痛撃を加えたことは間違いない。客観的に見れば、奴こそが被害者とさえ言えるだろう。だが、たとえそうだとしても。

 祖母の仇。

 実際には、祖母は力で挑み、力に負けただけのこと。だが、彼女が屍反斬を使ってまで止めるべきと判断した相手なのだ。ならばその想い、受け継ぐまで。

 最後の迷いを断ち切った。


「この手で斃す」

 黒髪の青年が呟く低い声。それは風に掻き消され、間近にいても聞き取れない声量のはずだ。だが、バネッサには聞こえたのだろうか。声の主をまっすぐに振り返る。

「あぁーら、速いのねぇん。せっかちさんは嫌われるものよぉ」

 ファリヤ爆死まで時間がない。だからと言って、バネッサを斃せば爆発が止まるとは限らない。最早メリクは、他の選択肢を全て放棄した。

 天高くダガーを振り上げ——。

「うっ」

 迷わず自らの胸に突き込んだ。

「我が路を示すは雷神の光球」

 頬に血飛沫を浴びながら呪文を唱える。

「まーたそれえぇ? あたしぃ、そんなに暇じゃないのぉ。あっちで奮闘中のベルちゃんたちに絶望をプレゼントしなきゃなのぉ」

 空中で身をくねらせながら薄ら笑いを浮かべて言う。

 メリクの身体が点滅する光に包まれ、時折爆ぜる音とともに火花が散る。それを見てもバネッサの態度は変わらない。

「そんなに自殺したいのならぁ」

 固めた左手の拳を突き出すようにすると、ブラウニーストーンが強烈に輝く。

「独りで死にな」

 ゴミを見る目つき、低くドスの効いた声。本性を露わにし、魔力で出現させた光る鎖でメリクを襲う。

「道連れにする。必ず」

 上空へ飛び上がって鎖をかわし、雷霆と化す土蜘蛛。光速の破壊魔法からは何人たりとも逃れ得ない。

 何千倍、いや何万倍にも引き伸ばされた時間の中、メリクは敵がとり得る対抗策をことごとく潰すべく、脳をフル回転させる。

「貴様にとっては一度凌いだ技に過ぎん。だが、その油断が仇となる。何もかも同じだとは思わんことだ」

 荒野を突き刺す強烈な光柱。

 柱に押し潰されるかのように空中から地面へと落下するバネッサ。しかし、彼女が叩きつけられるはずだった地面は、唐突に陥没した。

 轟音が谺する。陥没した地面を取り囲むように、複数の岩がせりあがる。岩は細い柱となり、あっという間にゴーレムの倍ほども伸びて陥没地を包み込んだ。

 岩の柱に阻まれ、雷霆は急速に拡散してしまう。だが、それで終わりではなかった。

「逃すものか!」

 等身大の光と化したメリクが、手にしたダガーで岩の柱を打ち付ける。

 まるで砂の城のごとく、脆くも一撃で穴があいた。人一人が通れるほどの穴ではないが、メリクの形をした光はそこから侵入してしまう。

「おバカさん」

 いつのまにか岩柱の天辺に立っていたバネッサが呟く。次の瞬間、宙に浮いた彼女の足下で、陥没した地面を埋めるように岩の柱が崩れ出した。

 砂埃が荒野を覆う。

「もう。しぶといわね。流石にババアとは違うか」

 砂埃をかき分けて、一筋の光が彼女に向かって来る。それに対し、左手を翳す。

 間合い五〇セード。あと少しで手が届く。しかしそこで、メリクの形をした光は止まってしまった。

「知ってるわよ。あんたあのババアの孫なんでしょ。鬱陶しいのよ、個人的な復讐なんて」

 ドレン卿は、自分の母を殺した魔族を使い魔として利用している。そうだからこそ、彼女はあの男の誘いに乗ったのだ。

「生も死も。世界の法則も。全部あたしが決めるのさ。だから」

 死にな、と言葉を投げつける。血のように赤いバネッサの瞳が強烈に輝いた。

 腕を前方に伸ばしたまま固まっていたメリクの身体は、光の点滅が不規則になっている。その様子は、この大技の時間切れを連想させるものだった。

「が……はっ」

 地面から突き出た槍が、メリクの胴を貫く。点滅していた光は消え、伸ばしていた腕は力なく垂れる。

「まあでも、嫌いじゃないわよ。その執念」

 そう言ってウインクして見せた後、声を立てて笑い出した。狂気じみた笑い声だった。


 突如、頭上から赤い光が降り注ぐ。爆音が轟き、彼女の周囲に炎が渦巻いた。

「くそゴーレムが。どーこ狙ってくれてんのよ」

 刹那の爆炎は、彼女に傷一つ与えることなく微かな黒煙に変わる。腕の一振りで黒煙さえもかき消して、バネッサは先刻までと変わらぬ姿を現した。

「あら」

 目の前の槍はそのまま、メリクの姿がない。目を凝らすと、金髪少年が彼を抱えて飛んでいくのが見えた。その背には同じ色の髪をなびかせる少女。どうやら蜘蛛糸で結わえられているらしい。

「あの坊や、本当は王子様だったのかにゃーん。これ、もしかしてラッキー。たっぷりいたぶってあげなきゃねー」

 嗜虐的な笑みに彩られ、彼女の表情は醜く歪んでゆく。

「どうやったか知らないけど、〈炎竜の枷〉を外すなんて素敵じゃないの」

 腕を伸ばし、人狼と人間たちの戦闘地帯をまっすぐに指差す。

「ゴーレム! 射程距離に入り次第、まずはあの邪魔なエルフを集中的に撃ちな。思い知らせてやるよ、力の差ってやつをねえぇ」

 舌舐めずりをし、自らは次の獲物を金髪少年に定めてゆっくりと後を追い始めた。


*          *          *


 気絶した人間や、それに近い状態の人間は重い。ましてや、二人抱えての移動なのだ。いかに鍛えていようと、ろくにスピードが出るものではない。

 後方を気にしつつ、メリクに話しかける。火事場の馬鹿力と言うべきか、そんな状態でもキースは声を張り上げることができた。

「しっかりしろ! 刺し方さえ気をつければ、最終奥義を使っても死なないはずじゃなかったのかっ」

 対するメリクは弱々しい声で答える。

「殿下、あなたに伝えたのは奥義です。私のこれは最終奥義、命と引き換えの技です。祖母ドロシーの血をひく者だけが使えます」

 咳き込み、口の端から血を零す。それでも彼は言葉を続ける。

「殿下の御身にもしものことがあれば、このメリク、死んでも死にきれません。下ろしてください」

「許さん! 死ぬな、メリク。命令だっ」

 教師になるのではなかったのか。まだ何も教わってはいないぞ。言葉にしなかった呟きは、雫となって頬を伝う。

 メリクは覚束ない手つきで呪符ケースを取り出すと、後方へ向けて何枚も投げた。

 呪符は中空に輝く魔法陣を描く。ほぼ同時、魔法陣に何かが激突して青い火花を散らした。

「イイわイイわぁ〜! もっと抵抗してねぇん、期待してるわよぉー」

 バネッサが魔力弾を撃ってきたのだ。

「大人しくしてろ、メリク。すぐにエマーユのところへ連れて行く。治癒してもらうぞ」

 すでに蒼白な表情となっていたメリクだが、何とか聞き取れる声で答えた。

「いけません殿下、ゴーレムが狙っています。敵のどちらかを足止めしないと、エマーユも保たないっ」

「くそ……っ」

 キースは奥歯を噛み締めた。彼は自分の中で目覚めた未知なる力の胎動を感じている。その力を全て敵にぶつければ、あるいは活路が開けるかも知れない。だが、背にファリヤ、腕にメリクを抱えた状態で戦えば、二人は到底無事ではすまないだろう。とてもではないが、彼らの命を危険に晒してまで試す気にはなれなかった。

「殿下、私に最後のご奉公をする機会をお与えください。この胸に刺したオリカルクムのダガーを使い、必ずや一矢報いてご覧に入れます」

「嫌だっ」

「何卒」

 押し問答の間にも、彼らの後方では青い火花が弾けている。

 視界の隅を、赤い光線が横切った。着弾地点はエマーユの至近距離だ。

 轟音とともに爆炎の花が咲く。

 このまま逃げ続けても、その先に待つのは全滅だ。

「くそ、くそーっ」

 キースは足を止めぬまま、目をきつく閉じて天を仰いだ。

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