劣勢の戦士
ゴーレムの腹の中にいても、外の物音は微かに聞こえてくる。どうやら、巨人の肩の上でバネッサが愉しげに笑っているようだ。
「さーすがっ、あのベルちゃんが連れてくるだけあって、こっちのお兄さんたちも活きがいいわねえ。ほらほら、もっとがんばってえん。お姉さん、ご褒美あげちゃうかもよぉん」
突如、扉が開いた。眩しい光に、ファリヤは再び目を細める。光に目が慣れた途端、兄と目が合った。
「いけないっ」
自分への流れ弾を心配しているのか、兄は攻撃の動作を止めてしまった。そんなキースへと、メイドが放つ光弾が殺到する。
「兄様!」
しかし着弾の瞬間、その身体は等身大の木片に変わってしまう。
「へえ、そのお兄さんも土蜘蛛。見事な変わり身よぉ。で、兄様? ベルちゃんの子供は一人娘よねえ。どういうことかしらあ」
あのバネッサのことだ。顎に手を当て考えるそぶりを見せる様子が目に浮かぶ。しかし、あっさり「まいっか」と呟いてバネッサは笑う。
「さしずめ、お姫様を取り返しに来た王子様ってところかしらぁ」
そう言うと舌舐めずりをする。わざとらしく音を立てるあたり、ニディアにもそれとわかるようにやっているのだ。悔しさに身悶えするが、縛られている現状を再認識するだけだった。
「うふふ。なんていたぶりがいのある状況かしらあ。ちょっとゴーレムのお腹開けっ放しにしておくわよぉ。さっきから光線撃ちまくってて暑いくらいだから丁度いいわよねぇん」
メリクが飛び上がりバネッサへと斬りかかるが、その剣は青白く光る壁に阻まれて彼女に届かない。
「あたしぃ、今ちょっと無敵かもぉ」
「な、なにっ?」
風を切る音がしたと思うが早いか、槍の群れが頭上から降り注ぐ。それらは兄とメリクの逃げ場を奪うように殺到する。
「ほぉら」
バネッサが左手を下ろし、ニディアからも見えるように翳してきた。
「書いてあったのよぉ、魔石の力を使いこなすには身体に埋め込めってぇ」
左手の甲に埋め込まれているのは褐色の魔石だ。鈍い輝きは時折彼女の全身を包む。
「さっき肉を抉って埋め込んだらぁ、好きに力を使えるようになっちゃったぁ」
大地を司る神竜の力。彼女が地震を起こしてみせたのは、その力によるものだ。今は、大地を揺らす力の一部を利用し、落とし穴の底に並べた槍を飛ばして見せたのである。
降り注ぐ槍を避け続けるキースの足下から、槍が地上へと出現して襲いかかった。
「ぐあっ」
脇腹を鋭い痛みが走る。押さえた指の隙間から鮮血が流れ出す。
「兄様、キース兄様! いやあっ」
「あっはぁーん、いい声よニディアちゃあーん。やだ、楽しすぎるわこれ、うっふーん」
膝を折る金髪少年を庇うように、黒髪の青年が立ちはだかった。彼はまだ無傷のようだ。
油断なく敵を睨みつつ、告げる。
「そのお怪我では動けますまい。治療します、ご辛抱を」
「待てメリク。まだ動ける。治療は、奴を斃した後だ」
バネッサは高らかに笑い出した。
「斃した後ぉ? なにこのお兄さんたち、可笑しいー! いい男たちなのに残念ねえ、頭が弱いみたあい」
二人めがけて手裏剣が降り注ぐ。
ファリヤは悲鳴を上げる暇もなく息を飲む。
だが、大量の手裏剣に突き刺されてその場に転がったのは、二つの等身大の木片だった。
バネッサとは反対側の肩からメイドが飛び降りた。彼女は無表情に横を向くと、その手から光弾を撃ち出した。
「そこです」
「ぐわっ」
光弾の直撃を受け、キースがうずくまった。
「もうやめて! お願い、もうやめてえ」
ファリヤの懇願を聞いても無表情のまま、メイドは助走もせずにもといた肩の上へと飛び上がる。バネッサはと言うと、いよいよからかうように笑う。
「ぞくぞくするわあ、もっともーっといたぶってあげるう」
剣を構えたメリクが、バネッサの乗っている肩へと飛び上がっていく。しかし。
「させません」
やはり無表情に、メイドが光弾を放つ。
それはメリクに着弾し、彼は地面に叩きつけられた。
「くっ」
すぐさま起き上がった彼が手裏剣を投げるも、それらもファリヤの目の前で、青白く光る壁に阻まれてしまう。
「あらぁん、それだけぇ」
せせら笑うバネッサ。青白い壁が消える瞬間、一枚の呪符が風に乗って流れて行く。それには特に注意を払っていないバネッサ。呪符は彼女に近付いていったようだ。
「主っ」
メイドは弾かれたように反応を示した。空中へとその身を投げ出した彼女は、呪符を掴んで腹に寄せ、身体を丸める。
光を放つ呪符とともに、メイドの身体が地面へと落ちていく。
完全に地面に届く寸前、強烈な爆発が大地を揺らした。
四散するロレイン族の肉片。それは直接ファリヤに当たることはなかったものの、肉片のいくつかは巨人の腹部へ飛び込んできた。
「い、いやあ……っ」
「うーん、奴隷が壊れちゃったか。でぇも、よかったわねぇ。少なくとも、ニディアちゃんは泣いてくれたわよん。うふふぅ」
地面を踏みしめる音が響く。
「それだけか。身を挺して守った仲間に対して」
キースはゆらりと立ち上がる。その手は怪我を押さえることもしていない。
「だめです、キース。ここは一度引くべきです」
メリクが悔しげに告げた。こめかみと口の端から血を流しながら、キースを守るべく駆け寄っていく。
バネッサはマイペースに笑いながら気楽に言う。
「セイクリッドファイブは世界に君臨する存在よぉ。全部手に入れるんだものぉ。今持ってる物なんてひとっつもいらないわねーぇ」
「ふざけるな」
キースが怒声を張り上げる。
「その写本のどこを読んだ。セイクリッドファイブは世界とともにある存在だ。壊すことしかしないのなら、俺は貴様の手からそのブラウニーストーンを取り外す」
耳障りな笑い声が響く。だが、バネッサは唐突に笑うのをやめると無愛想に告げる。
「なーんか興が殺がれたわね。世界とともにあるだぁ? 御立派だことぉ。お坊っちゃますぎて反吐が出るわぁ。あたしはね、坊や。ロレイン族も。人間も。世界そのものも。全部手に入れる。そして握り潰してやるの」
言い終えると再び、あの耳障りな笑い声を立て始めた。
「お兄さんたち手応えなさすぎよぉ。もう少し愉しませてよおぉ。そうねぇ」
一つ手を叩いて告げる。
「ニディアちゃんの〈炎竜の枷〉を五分後に爆発するように再設定ぃ」
そう言った途端、巨人の腹にバネッサが飛び込んできた。
「あぁん、いつ見ても魅力的よニディアちゃんっ」
そんな必要もないだろうに身体中を撫で回され、不快感に身を捩る。
「くうっ」
そうこうするうちに、手足の枷に何事か操作をされてしまったようだ。
「よせっ」
キースの声にはウインク一つを返し、馬車の向こうへと目を凝らす。
「あっちで戦ってる人たち、そこそこ手応えありそうだからちょっかいかけてくるわあん。うふん、愉しそうー」
「行かせるかっ!」
メリクの叫びには蔑むような笑みを返した。
「追いかけられるのは嫌いじゃないけどぉ、五分以内に助けないとぉ、ニディアちゃん爆発よぉ。それこそ、さっきのあたしの奴隷みたいにぃ」
言い終えた途端、空へと飛び上がってしまう。
「追え、メリク」
「しかし」
「こっちは任せろ」
一礼して飛び去るメリクを振り返ることもせず、キースはゴーレムの腹へと向かってくる。
「兄様。あたしよりみんなを! みんなを助けてっ」
「莫迦。みんなの中にどうしてお前が入っていないと思うんだ」
そのとき、巨人の目から光線が放射された。視界が真っ赤に染まり、爆風が巨人の腹部をも蹂躙する。
爆音さえも引き裂くように、ファリヤの悲鳴が響き渡った。




