討伐隊の出発
客室に集まった八人は思い思いの姿勢で寛いでいる。紅茶を楽しむ者、書物を読む者、腕組みして瞑想する者。
相変わらず、武器の手入れに余念が無い者もいる。
「ケンさん、そんなに研いだら実戦ですぐに刃こぼれするんじゃないか?」
キースの声がしたので、バレグは書物から目を離した。そのタイミングでケンと目が合ってしまう。
「ふふふ、殿下。これは陛下から拝領した業物にございます。そう簡単に刃こぼれしないどころか、使い込めば使い込むほど斬れ味が増すのですよ」
「いや、あの。ケンさん? 殿下と言いつつ何故僕に向かって説明なさってるんですか」
「自慢したいんだよ、先輩は。なにせ、シグフェズル隊長ではなく、先輩が直々に陛下から拝領した剣なのだからな」
横から口を出したのはリュウだ。微かに羨む様子が見て取れる。
「みかけは無骨なバスターソードの一種ですが——」
そんな遣り取りに参加せず、
「この革鎧、なんだか小さくないか?」
とスーチェが声を上げ、場の全員が——メリクだけは腕組みして瞑目したままだったが——注目する。どうやら彼女は、ケンが語ろうとした薀蓄を断ち切ったことに気付いていないようだ。
バレグは苦笑気味に、ただし内心ではほっとしてそちらを見ると、壁際に三着の革鎧が立てかけられているのが目に入った。軽装鎧というより革のベストに近い外見からは、いかにも動きやすそうな半面、申し訳程度の強度しか感じられない。
「うーん」
ティーカップを置いたエマーユが革鎧に触れ、確かめるようになでる。警護隊の二人とベルヴェルクはそこそこ大柄で筋肉質な体躯だ。メリクは細身だがこの中では一番上背があり、ここに用意されている革鎧では寸足らずな印象である。
やがて彼女はキースの方を向いて言った。
「キースが着るにも小さいかも」
「当然だ。君ら三人が着るためのものだからな」
キースが即答した。
なんで僕たちが。バレグが疑問を口にするより早く、ベルヴェルクが話し始めた。だが、なんだか歯切れが悪い話し方だ。
「その、なんだ。オリカルクムと比べたら紙のようにしか思えない防具だが。その軽さならスーチェのスピードを阻害しないし、無いよりはいくらかマシだろう」
ここ数日、訓練中は鬼教官であり続けた彼が、まるで奥歯に物が詰まったように言う。防具着用を勧めているのかそうでないのか今一つ判らず、バレグは首を傾げる。その回答は、親友の口からもたらされた。
「呪符ケースを作ったドワーフの兄ちゃんがな、今日一日で作ってくれたのさ」
音を立てて床を踏み鳴らしたのはスーチェだ。
「何が狙いなんだ、あいつはっ」
抑えた声ながら、苛立ちを隠そうともしていない。
「どんな見返りを要求している」
「城下にドワーフの工房を建てたいってさ。親父——陛下には俺から頼んで、さっき了承してもらった」
その言葉に、ベルヴェルクは諦めたような表情で天を仰いだ。
「あの土地は工業ギルドからも商業ギルドからも施設建造の申請が来てたのですがね。それをドワーフに譲るとなると……。何を言われるかと思うと、今から頭が痛いですよ。まあ、両ギルドには別の面で便宜を図ることにしましょう」
そちらを振り向くと、キースは白い歯をみせてにかっと笑う。
「俺たちにとっても悪い話じゃないって。そのためにこっちからも条件出したんだからな」
「へえ、条件。どんな」
バレグは興味をひかれ、身を乗り出した。
「城下での商工業ギルドとの窓口係と、工房の技師見習いとして、このアーカンドルの人間を雇うこと」
「しかし、いますかね。ドワーフの下で働きたがる人間が」
ベルヴェルクが投げかける疑問には、バレグが答えた。
「いますよ、多分。クラスメイトなんですが、普段からドワーフの技術力に憧れと言えるほどの興味を示す奴が。あいつならきっと」
そのクラスメイトの顔を思い浮かべたバレグは、はっとしてキースを見つめた。
件の人物は、スーチェ同様に王室警護隊員を父にもつ男子生徒だった。父子家庭だったのだが、その父は過日、山賊との戦闘で命を落としている。
功労者の息子として、男子生徒の生活は王国が保障しているが、当の男子生徒は工芸技師を目指し、卒業後の保障を辞退していたのだ。
「まあそんなわけでだ。俺たち人間は異種族の長所を認め、これを積極的に取り込んでいくべきだ。今まで以上に活発に交流すれば、国は栄えるぞ」
キースの動機はクラスメイト個人への好意に根差すものだろう。それに気付いているバレグは親指を立てて見せるが、大人たちの反応は少し違っていた。
「殿下、成長なさいましたな。王国の未来をそこまでお考えだったとは。このケン、殿下の露払いとして御身にかかる火の粉を振り払ってみせますぞ」
「いやいやケンさん、火の粉ならむしろ歓迎だし、露払いなら露を払って欲しいな、どちらかと言うと」
そんなことより、と言ってバレグたちの方を向いたキースは、エマーユとスーチェを視界におさめて告げる。
「鎧の素材はリザードマンの革だ」
リザードマンはトカゲを等身大にしたようなモンスターで、川や湖など水辺に棲んでいる。その革は軽い割に硬度が高く、槍や弓矢での刺突に耐性がある。
「これを三着、昨日会って目で見ただけの君たちにサイズを合わせ、たった一日で作ったんだ。すげえよ、あの兄ちゃん」
「そう……」
あまりに嬉しそうな彼の様子に、エマーユはあのドワーフに対する悪印象を飲み込むことにしたようだ。それをバレグが気遣わしげに眺めていると、キースが言葉を続けた。
「伝言があるんだ。聞いた通りに言うぞ」
少し間を開けて悪戯っぽく笑うと、胸を反らしてから告げる。
「あんまり戦いと縁のなさそうなガキどもだったが、俺との口喧嘩はまだ終わってねえ。誰と戦うか知らねえが、無事に帰ってきやがれ」
親指を立てるキースを見つめ、少女たちとバレグの三人は開いた口を閉じるのも忘れて固まってしまった。
話題が途切れ、それぞれ思い思いの時間を過ごし始めて暫く経った。
ずっと瞑目していたメリクは目を開き、告げる。
「今から明日のフォーメーションについてブリーフィングを行います。その前に一つご報告が」
全員が手を止め、武器や本、ティーカップなどを脇に置くとメリクを取り囲むように移動して座る。
「土蜘蛛の連絡手段を使っても祖母と連絡が取れません。おそらくは、我々より一足早くバネッサに仕掛けたのでしょう。彼女は——、いえ、一族ごと、既にこの世の人ではないかと」
客室は水を打ったように静まり返る。厳しく細められた青年の眼差しは、この場にいない銀髪女性を射貫くがごとき光を放っていた。
「彼女は。いえ、ロレイン族は、おそらくは父の仇でした。今、バネッサは紛れもなく祖母の仇となりました。……殿下」
お尋ねします、と静かに呟くと視線をキースに固定する。
「殿下はこのパーティのリーダーを私めに任命してくださいました。自分では冷静なつもりですが、私怨に駆られて判断を曇らせる場面もないとは限りません。なので、この場で皆さんに問います。リーダーを変更すべきではないかと」
キースは手を上げ、一同の発言を遮った。
「変更はないよ、メリク。土蜘蛛としての能力と知識は、この中であなたが一番なんだ。もし本当に婆さんがやられたってんなら」
そう告げると、彼の瞳が赤く燃える。
「俺にとっても、バネッサは仇だ」
バレグはドロシーを知らない。だが、キースと馬が合う人物であろうことは容易に想像できる。心の中で冥福を祈った。
「ありがとうございます。それではフォーメーションを確認します」
* * *
馬車に乗るのはキース以下少年たち四人だ。索敵担当はバレグ、その護衛がエマーユ。
遊撃はスーチェ、持ち前のスピードで戦場をかき回す役目だ。彼女のバックアップを、それぞれ単騎として馬に乗るケンとリュウが務める。
馬車の御者はメリク。司令塔たる彼とバレグはいつでも会話できるよう、予めマジックアイテム〈蒼竜の長耳〉を起動しておく。こうすることで、たとえメリクが地中に潜っていてもバレグとの会話が可能だ。一対一でしか機能しない魔法であるため、メリクと誰を中継するかについては議論が重ねられた。結果、メリクが地中に潜っている間は索敵オペレータたるバレグが指示を代行することになったのだ。
隊の先頭に立つベルヴェルクも単騎だが、人質と写本交換のため丸腰をアピールする必要がある。そこで、王子として容姿を知られている可能性のあるキースが黒髪かつらをかぶり、王室侍従の外套を着てその中に入る限りの装備を隠すのだ。そして、指定場所に到着後はベルヴェルクに付き従う。この二人が前衛である。
「最早バネッサとの和解はありません。打ち合わせ通り、派手に行きます」
メンバー全員の決意の視線を浴び、メリクは落ち着いた口調で告げた。
今、討伐隊が王宮を後にした。