毒舌の青年
隣合わせに座り、肩を抱かれている。頭を肩に預けると、髪を撫でられた。
肩を抱いているのはスーチェ、頭を預けているのがエマーユだ。
「考えてみたら、笑っているところしか見たことがない気がする。額に青筋を浮かせたあなたを見るのは今日がはじめてだ」
「ありがと、スーチェ。あたし、よく我慢できたよね。自慢、していいよね」
肩に回していた手で背をさすりながら、スーチェは頷いてやった。
そんな二人の様子を眺めてそっと溜息を吐きながら、バレグは、この客室でのついさっきの出来事を思い返していた。
今日の訓練後のことだった。今夜は人数が少ない。キースのたっての希望で訓練を延長したらしく、彼とメリクの他、ケンとリュウも不在だったのだ。
ドワーフ族は約束通り一日で呪符ケース三個を仕上げ、王宮を訪ねてきていた。ベルヴェルクの案内で、この客室に通されたのだ。
ベルヴェルクと共に入室した青年は、背が低くがっしりとした体つきの平均的なドワーフ族だった。立派な髭をたくわえているが、精悍な顔つきの若者だ。彼はエマーユを見るなり、開口一番こう言い放った。
「ほ! 誰かと思えば人間の王子を誘惑した色ボケエルフじゃねえか!」
すかさず抗議しようとしたのはバレグだった。だが、エマーユ自身がそれを手で制し、笑顔で応じた。
「初めまして、ドワーフのお兄様。エマーユと申します。この度は大変素晴らしいお仕事をなさったとのこと、心から尊敬いたします」
「言葉を交わす気もねえし、そもそも同じ部屋の空気を吸うのも嫌だね」
エマーユのこめかみがぴくりと動く。黙っていられなくなったバレグが口を開くより早く、ベルヴェルクがやんわりと青年を窘めた。
「口を慎んでいただこう。王子殿下は誘惑などされておらぬ」
しかしドワーフは気が収まらぬ様子で、鼻息荒く言葉を叩きつける。
「箱はくれてやる。呪符を取り出しやすくするギミックを施したが、追加料金は要らねえ。だがな」
「なんだ」
聞き返すベルヴェルクの声色にも微かに不快感が滲んでいた。
「このお嬢ちゃんが王子と結婚でもしてエルフ族がいい目を見るってんならよ。俺たちドワーフ族も随分あんたらに協力してきたんだ、何か見返りってもんがよ。欲しいってわけよ」
「王室と血縁関係が欲しいとでも言うつもりか」
明らかにそれとわかるほど、ベルヴェルクの声の温度が冷えてきた。
冷気を放射するベルヴェルクと、頭上から湯気を立てているエマーユ。両者の間で交互に視線を彷徨わせ、バレグは落ち着いていられない。
「何を言うか。そんなことしたらエルフ族とも血縁関係になるじゃねえか。ドワーフとエルフが親戚だあ? へっ、笑えねえ冗談だぜ」
これを聞いたエマーユは、顔には笑顔を貼り付けたまま、握った拳を震わせ始めた。気付いたバレグがその手を握ってやると、彼女はすぐに握り返してきた。
少年たちの様子にはまるで頓着せず、青年は言葉を続ける。
「なに、俺たちの要望は人間との婚姻じゃねえ。そんな大したことじゃねえよ」
そもそもキースとエマーユは婚約すらしていないのだが、この場にそれを指摘するものはいない。
「城下にな、広めの工房を設置する空き地を用意してくれりゃそれでいい。俺たち専用のな」
「……約束はできんが、陛下のお耳には入れておこう」
自制の効いた静かな声でベルヴェルクが答えると、青年はにやりと笑った。目を吊り上げ、口の端を歪めた表情で告げる。
「俺たちにゃ繁殖力がねえからな。人間の雄に好まれる容姿をした魔族は得だねえ」
「…………っ」
ほとんど無意識に一歩踏み出したバレグ。しかし、その両肩を掴んで踏みとどまらせたのはスーチェだった。
「素晴らしいお仕事をなさるドワーフのお兄様」
先ほどのエマーユの言葉をなぞるように発言するスーチェ。しかしその声は低い。
「私たち人間は、言葉での交流を大切にします。逆に言えば」
相対する青年はいやらしい笑みをおさめると、無言で自らの髭を撫でつける。
「言葉の刃にはそれ相応の報復をする場合もあるとご承知おきください」
「ほう」
青年は短く唸るような声を発するだけの応えを寄越した。そのままふいと横を向き、三つの箱をベルヴェルクに押し付けるが早いか一同に背を向けた。
「今日はこれで帰るけどよ。今後も俺に仕事を頼みたければ」
そこまで言うと歩き出し、「もっと下手に出る態度ってのを覚えることだな」と言い捨てて去って行った。
「すまなかった。君たちに会わせるべきではなかったな」
そう言って、ベルヴェルクもドワーフの後を追った。
優しく髪を撫でられて、エマーユの様子は随分落ち着いてきた。
「すまない、エマーユ」
ポニーテールの少女が発した唐突な謝罪に、緑の髪の少女は声にならない息を吐いて怪訝に見上げる。
「少し前の私も、あのドワーフと似たような言葉をあなたにぶつけていた」
この先は二人の空間にいるべきではないだろう。そう思い、バレグは扉へと向かった。
ふふっ、とエマーユの朗らかな笑い声がした。
「なんだか、謝られてばっかり。スーチェ、大好きだよ」
口許を綻ばせながら扉に手を触れたとき、バレグの背中にも声がかけられた。
「バレグも大好き。ありがとね」
振り向かず、手だけを上げて部屋を出た。こういう仕草はキースでなければ似合わないよな、と思いつつ。
* * *
地面を蹴る音が絶え間無く続く。
ケンとリュウ、そしてメリク。彼らは三方に分かれ、ただ一人を相手に攻撃を加えている。
受けて立つのはキース。きつく目隠しをした状態だ。
リュウによる疾風の刺突が繰り出される。
まるで見えているかのように身体を回転させて避ける。
避けた先へ、袈裟斬りに振り下ろされる剣。
ケンによる本気の攻撃だ。充分に体重を乗せた鋭い太刀筋の豪剣である。
高い金属音が余韻を引く。
「ぐうっ」
キースの蹴りがケンの腹に炸裂し、身体をくの字にした剣士が後ろへ飛ばされる。
直後、音もなく飛び上がるキース。
空中で複数の金属音が谺した。
二人が着地。
片や、すかさず剣を振る。
連続する金属音と共に、手裏剣やダガーが地面に突き刺さる。
片や、正眼に構える。しかし、彼の剣は柄の付け根から折れ、音を立てて地面に落ちた。
「お見事」
そう言ってリュウが膝をつく。どうやら空中で何らかのダメージを負っていたようだ。
「そこっ」
キースは地面に剣を突き刺した。
力づくで剣を引き揚げると、両手を合わせて白刃どりをしたメリクが姿を現した。
「っ————」
キースが己の剣から手を離した瞬間、全身を蜘蛛糸に絡め取られてしまう。
「チェックメ——」
「まだだ」
夜闇を切り裂く赤い焔。
次の瞬間、メリクの背後に回っていたキース。彼の喉にダガーをあてがっていた。
「参りました」
その声を聞き、キースは尻餅をついた。
「ふう。中級者コースは卒業か。明日は最終日、上級者コースで頼むな」
彼のそばに集まってきた大人たちは互いに顔を見合わせた。ケンが告げる。
「殿下、今のが上級者コースです」
その言葉に、金髪の少年は固まってしまった。ややあって口を開く。
「またまた。自信をつけさせようって気持ちは有難いが」
言いながらも満面の笑みを浮かべる。そこに、無遠慮に声をかけてくる者がいた。
「おお、あんたがエルフに誑かされた王子かい」
「控えろ!」
ベルヴェルクの怒声を聞き、キースは声の主の正体を察した。
「おお、そういうあんたは呪符ケースを作ってくれた兄ちゃんか」
気さくに笑う少年に、ドワーフの青年は何の躊躇いもなく近づいていく。
「アイテムもなしに炎の能力を使う人間がいるとはな」
制止しようと手を伸ばすベルヴェルクだったが、キースがそれを止めた。
「俺の他にはいないのか? 聞いた話だと母親譲りの能力らしいんだが」
「いない。少なくとも俺は知らねえな」
青年は即答すると、にやりと笑う。
「炎ってのは、土をかけても水をかけても消えちまう。誰とやりあうつもりで訓練してんのか聞かねえが、相性ってもんも考慮に入れることだぁな」
それだけ言うと、青年は挨拶もせずに去って行った。
「忠告、あんがとな」
その背に、キースは朗らかに声をかけるのだった。




