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冷血の宰相

 その国の王は、二〇歳で王位を継承した。

 彼がこの世に生を享けるより少し前、この国は北の小国に過ぎなかった。一年のうち雪に閉ざされる期間が長く、貧しい土地である。国の内外を問わず水利権や香辛料の利権争いが激しく、諍いは絶えなかった。

 前王は軍事力整備を最優先し、武力をもって周辺諸国を併呑することを決断する。軍の指揮を辺境伯に任せたところ、瞬く間に大陸北部一帯に版図を広げるに至った。

 領土拡大の過程でその国は、もともとの国名を捨ててスカランジア帝国を名乗る。武力に長けた帝国は、猛禽のごとき存在として大陸全土の人々から恐れられた。やがてスカランジア帝国を除く大陸中の国家が帝国を共通の脅威と見なす結果を招き、今日に至る。

 国王は皇帝となり、辺境伯だった軍の指揮官を宰相に取り立てた。王の血族たる公爵家よりも上位の扱いとしたのだ。誰もが辺境伯の功績を認めていたためか、少なくとも表向き異を唱える者はいなかった。

 大きくなった帝国はひとまずの落ち着きを見せ、それ以上国土を拡大する動きは見せていない。大陸東側にはサワムー湖、中央には大陸を縦断するユグドール山脈、西側には広大なアーカシサン砂漠。こうした厳しい地理的条件のため、国境を越えて武装集団を派兵するのは容易ではないのだ。帝国とそれ以外の国家群との武力衝突が勃発する可能性は極めて低い。

 そこで、皇帝は政治の中心を対外的なものから国内施策へと切り替えた。その上で、国土拡大の頃から聞こえるようになった『冷血帝』という己の渾名を、なんとか払拭しようと動き始めた。しかしその矢先、彼は急逝してしまう。

 皇帝には息子が一人しかいなかった。その年齢も二〇歳に達していたため、後継者争いもなければ摂政が置かれることもなく、すんなりと王子が跡を継いだ。

 しかし、新しい皇帝は無能だった。

 地方領主との折衝や小規模な反乱の平定、それら一切の執務を宰相に任せ、予定がなければ食べて寝るだけの毎日を送った。そんな彼が宰相の傀儡となり果てたのは当然の成り行きと言えよう。

 王子が即位するより少し前、大陸の東部に新たな国が建国された。それ自体は帝国にとって特に興味を惹く話題ではない。しかし、その土地の先住者たるワーウルフどもが北へ逃れたらしく、帝国領内に入り込んで潜伏しているとの噂が飛び交い始めると、国民の一部に動揺する者たちが現れた。

 その噂を聞きつけたか、件の新興国たるアーカンドル王国が使者を寄越し、ワーウルフ退治のための戦士を常駐させることを提案してきた。

 しかし、小国に借りを作ることをよしとしなかった宰相はこれを断る。小国の戦力ごときに追い払われたワーウルフどもである。帝国の軍事力にとって敵ではないと考えたのだ。


 ある日のこと、伯爵家の馬車が襲われた。ワーウルフの噂が飛び交う折も折、十数人の人狼の群れに囲まれたのだ。

 しかし違和感があった。彼ら人狼はいずれも、顔こそ狼のようであったものの、首筋まで毛に覆われている者などいなかった。

 狼の面をつけているのに過ぎない。おおかた山賊の類いなのだろう。貴族の馬車を見て追い剥ぎに来たのだ。

 当主たる宰相は王城で仕事中であり、馬車には伯爵夫人と七歳の令息だけが乗っていた。

「ら、乱暴はおやめください! 金品が目当てであれば提供しますから!」

 夫人と子どもを守ろうという責任感からだろうか、御者が命乞いをしている。

「いいだろう。大人しくしていれば、危害は加えない」

 追い剥ぎに襲われた——。貴族の少年は、事態を把握していた。激しい動悸に苛まれ、脂汗をかきながら、母親にぎゅっと抱きついて、悪い大人たちがいなくなるのを泣き声も立てずに待ち続けた。

 馬車には金の燭台や銀の食器、母親のアクセサリーなど、追い剥ぎどもを喜ばす品々がたくさんあり、約束通り危害を加えられずに済みそうだった。

「なんだこの石は。宝石か」

 馬車の片隅に青く光る石を見つけた追い剥ぎが、石に手を伸ばす。

「うわっ」

 意志とは無関係に、手が弾かれた。

「ほう、珍しいアイテムのようだな。ご婦人、これも頂いていく。保護魔法をかけているなら解除してくれ」

「ま、魔法などかけておりませぬ。必要ならば袋に入れてお渡しいたしますので」

 狼の面をつけた男は僅かに唸った後、「いいだろう」と呟く。

「仮に俺たちにはさわれないものだったとしても、買い手はつくだろうからな」

 少年は腑に落ちなかった。というのも、その石には保護魔法などかけられておらず、彼には普通にさわれるものだったからだ。

 しかし、少年は恐怖に震えるのみで、思ったことを声に出すことはできなかった。

 その時。

 狼の遠吠え。いや、似ているが、もっと禍々しい遠吠えが響き渡った。

「まさか」

 狼の面をつけた男が声を絞り出す。

 本物のワーウルフか。

 その場の全員が凍り付いた。

 逃げなければならない。急げ急げ急げ。

 脳が命令する。

 それなのに、足が凍り付いたように動かない。動こうとしてくれない。

 それからの数分間、少年は恐怖で震えながら目を見開き、全てを見た。

 あっという間だった。

 首まで、いや胸元まで毛に覆われた本物の人狼が、面をかぶっただけの人狼もどきを生きたまま食べている。

 十数人の偽物が食べられている。たった二頭の本物に。

 一頭が視界から消えた。

 間近でくちゃくちゃと音がする。

 見た。

 喉を噛まれ、声も出せなくなった母を。

 腹を噛み千切られて、内臓を囓られて——、血を啜られて。

 赤いな。そう思ったきり、頭の中が真っ白になった。

 正面から一頭が近付いてくる。

 そいつがしゃべった。

「おいてめえ! 一番美味そうなところをひとりで喰ってるんじゃねえ」

 母親を喰っている方が答えた。

「わかってる。だからガキは残してやっているじゃねえか」

 ふん、と鼻を鳴らした人狼が少年の間近で立ち止まる。

 後は無言で、腕を振り下ろす。

 鋭い爪を備えた手。どんどん左目に近付いてくる。

 少年は見た。目を閉じることもできず——。

 刺さった。他人事のように感じる。そして激痛に襲われるまでの一刹那、何故か青い光で視界が塗り潰された。

 激痛などという生易しいものではない。煉獄で身を焼かれるような、これまでに経験のない苦痛に苛まれるも一瞬、意識はあっさりと闇に堕ちた。


 少年にとっては後で聞いた話だが、追い剥ぎに襲われている伯爵家の馬車を目撃した村人が王室に知らせに走り、弓矢と剣、それにマジックアイテムで武装した軍隊が駆け付けたとのことだった。

 人狼どもは軍隊には抵抗せず、その場から逃げ出したらしい。

 そして、左目を失った少年だけが一命をとりとめた。


 少年はゆっくりと目を開けた。

 心配そうに覗き込む父親の顔が見える。

 左目が開かない。包帯が巻かれている。

 少年は不思議に思った。全く痛みを感じないのに、何故包帯を巻かれているのだろう。

 包帯を外そうとしたら、父親に止められた。

 そこで、父親がよそ見している隙に外した。

 ほらね。やっぱり左目でも見える。むしろ、前よりもっとよく見えるようだ。

 その目で父親を見た。すると——。

 彼は声を上げて驚いた。

「父上、どう……したの?」

 冷血帝と呼ばれた前王に勝るとも劣らないほどの冷徹さで知られる辣腕の宰相が、ろくに言葉も出せないでいる。

「僕ね、怖い夢を見たんだ。母上がワーウルフに食べられちゃうの」

 父親が身体を小刻みに震わせ始めたので「寒いの?」と尋ねたが、彼は無言で首を横に振る。

「それでね、僕まで食べようとしたんだよ。だから、言ってやったんだ」

 得意げに笑い、胸を張る。

「僕の父上は王様の次に偉いんだぞ。だから僕の言うことを聞け、ってね。そしたらワーウルフたち、本当に大人しくなったの」

 父親は何か声を漏らしているようだが言葉になっていない。少年は気にせず話し続けた。

「なんであんな夢、見たんだろうね。ねえ、変な夢だよね」

 残念ながら夢ではなかった。

 そして彼の左目には、どういうわけか馬車の中に転がっていた魔石が埋めこまれていたのだ。


 それから十年後、亡くなった当主の跡を継いだ少年は一七歳で軍師となる。亡父同様に宰相をも兼務した彼は、父を上回る辣腕をふるった。地方領主との折衝には厳しく臨んで不満を抑え込み、国内に反乱の兆候があればそのほとんどを未然に潰す。

 フィムブチュール・ドレン伯爵、三〇歳。彼こそがスカランジア帝国の実質的な皇帝である。


 ドレン卿は身を起こすと舌打ちした。

「貴様とは二度と寝ない。どうやら相性が悪いようだ」

 その肩に手を置いて、一糸纏わぬバネッサがしなだれかかる。

「あぁら、あたしはそうでもなかったわよん。それともニディアちゃんみたいなお子ちゃまがお望みかなぁ」

「興味ない。貴様の側近どもの慰みものにでもすればよかろう」

 バネッサは鼻で笑う。

「蜘蛛ちゃんたちを上手く操縦するにはテクニックがいるのよぉ。ベルちゃんの首を獲ったらニディアちゃんと一番にヤれるとかぁ。ベルちゃんが降伏しちゃったらフィムちゃんの物になっちゃうとかねぇん」

「くだらん」

 バネッサを見もせずに言う。

「だが、貴様のやり方は嫌いではないぞ。参考にさせてもらおう」

 彼女の腕を振り払い、さっさと服を着ながら言葉を続ける。

「貴様も私も、この先は相手を従わせ、全てを奪う側だ」

 そのために、母親を奪ったワーウルフをわざわざ手元に置いている。

「互いに好きにやるためには、互いに求め合わないことだ。今日はそれだけを確認したかった」

 そのまま部屋を出て行くドレン卿の背中に、バネッサの「つれないわねぇ」という声がかけられた。

 酷く愉しげな声だった。

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