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覚醒の予兆

 半日が過ぎ、キースは正眼の構えが随分板に付いてきた。風になびく金髪以外は彫像のごとくに不動である。

「様になってるなぁ」

 先に訓練を終えたバレグたちは、遠巻きにキースの様子を眺めているのだ。

 白刃が夕日を反射して煌めく。

 ほとんど予備動作なく、その身体は真上へと移動した。キースの足下から、長剣が地面から生えるようにして現れたのだ。

 目を丸くするバレグたち。彼らの後ろに立って見守っていたベルヴェルクが口を開いた。

「これは驚いた。殿下はもう蜘蛛糸のコツを呑み込んだようだ」

 言葉ほどには驚いたふうではなく、感心したかのような落ち着いた口調である。

「それもですけど、地面の下から攻撃だなんて。土蜘蛛ってみんなあんなことできるんですかぁ」

 メリクの姿は見えない。土蜘蛛というのは土中でも行動できるのか。バレグは唾を飲み込んだ。

「地中に潜ることはできる。しかし目隠しして攻撃しているのと同じだ。あれほど精密な攻撃ができるのはメリクだけだろう」

 空振りに終わった長剣が地面に引っ込むと、今度は多量の石礫が飛び上がる。それらはキース目掛けて殺到した。

 迎え撃つ彼は頭を下にして上空に静止している。正眼に構えた姿勢を維持したまま動く気配がない。

 全ての石礫は彼に届くことなく弾き返された。

「なんと!」

 ベルヴェルクは今度こそ驚愕の声を張り上げた。

「蜘蛛糸は、ただ張っただけでは石礫のような小さなものは防ぎ切れない。それこそ手足のように操らなければ」

 信じられん、と呻くベルヴェルクの視線の先で、キースは鳥さながら空中を自由に移動しはじめた。

 大きく弧を描くように移動したキースは、瞬く間に地面すれすれまで迫っていく。

 ふっと息を吐き、長剣を地面に突き込んだ。エマーユの補助魔法により、事前に貫通属性を与えられている剣は、やすやすと柄の近くまで地中に沈み込む。

 一撃離脱。キースはすぐさま剣を引き抜いて上昇し、移動しながら剣を振る。

 高い金属音と共に手裏剣が弾かれた。

 なおも殺到する手裏剣やダガーに構わず、キースは再び地面へと接近していく。

「ひ、ひえぇ……」

 息つく暇のない攻防に、バレグは今にも目が回りそうだ。

 裂帛の気合。キースの大声が響き渡る。

 着地と同時に剣を突き立てた。両手で地面に突き刺すや、渾身の力で振り上げる。

 砂塵を撒き散らし、等身大の木片が地中から引き上げられた。

「————くっ!」

 何かに気付いたか、キースは目を剥いて木片に足をかけた。

 深々と刺さっていた切っ先を引き抜きざま、木片を勢い良く蹴り飛ばす。

 見守っていたバレグは思わず腰を浮かした。

「なんかヤバいっ!」

 ただならぬ事態が起こる。根拠のない予感に襲われ、いても立ってもいられない。だが、すぐに尻餅をついてしまう。

 強烈な閃光が視界を灼く。ほぼ同時に爆音が轟いたのだ。

 木片から紅蓮の炎が噴き上がり、キースもろとも灼熱の渦へと巻き込んでしまう。上空まで立ち上る火炎が蜘蛛糸を切ってしまったのか、彼が飛び上がる気配はない。

 絹を裂くような絶叫が迸った。エマーユの声だ。

「殿下!」

 数枚の呪符を投げつけながら、ベルヴェルクが炎の中へと飛び込んでゆく。

 一瞬遅れ、メリクが炎熱の範囲外から地上に姿を現した。彼も呪符を投げつけ、炎の中に突進した。

 二人の呪符が巻き起こす風は火炎を吹き散らし、人が一人ぎりぎり通り抜けられそうな道を確保する。

「メリクさんっ」

 僕も行かなきゃ——との想いとは裏腹に、バレグはなかなか立ち上がれずにいた。

 一方、エマーユは脱兎のごとく駆け出す。ベルヴェルクたちに続くつもりのようだ。だが、彼女の前に立ちはだかる者がいた。

「待ちなさい! あなたたちエルフ族は火が苦手なはずだろうっ」

 スーチェだ。彼女の顔を見たバレグは息が止まる。

 自覚があるのかどうか、滂沱の涙が彼女の頬を濡らしていたのだ。その涙は、非常事態に我を忘れているエマーユを躊躇わせ、頭を冷やすには充分な効果を発揮したようである。

「くそっ、腰を抜かしてる場合じゃないよね。僕のバカっ!」

 バレグは跳ねるような勢いで立ち上がると、年齢にそぐわぬボーイソプラノで呪文を詠唱した。

「アークルードの慈雨よ、大地に恵みを与えたまえ」

 その手にはマジックアイテム〈豊穣の雨滴〉が握られている。

 突如降り出した強い雨。それは呪符による効果を後押しし、紅蓮の炎を瞬く間に鎮火させていった。

 燻る煙を雨が洗い流すと、そこには金髪少年の姿があった。

 剣を収め、自然体で立っている。どうやら無傷のようだ。

 駆け寄り、彼の身体を確かめたメリク。二歩下がって傅くや、深々と頭を垂れた。

「申し訳ない、殿下。火薬の量を誤ったようです。お怪我がなくてなによりでした」

 その傍らを、エマーユが緑色の風となって駆け抜けた。

「お……っと」

 そのままの勢いでぶつかる彼女を、キースは上体を反らしながらもなんとか受け止めてみせた。

 遅れてバレグとスーチェが駆け寄っていく。彼はエマーユを抱きとめたまま、こちらに親指を立てて見せた。

 彼女の髪をなでながらも、声に出しては黒髪の青年に話しかける。

「謝らなくていいぞ」

 その言葉を受け、メリクが顔を上げるのを確認すると言葉を続ける。

「多分、火薬の量は間違ってなかったんじゃないかな」

「しかし、私が意図した火薬量であれば少し破裂する程度。音は派手でも炎まで噴き出るはずは——!」

 そこまで言うと、メリクは何かに気付いたのか息を止めて言葉を詰まらせた。瞠目し、キースを真っ直ぐに見つめる。

 その視線を正面から受け止めたキースは、エマーユの肩に優しく手を置いてゆっくりと引き離す。

「ちょっとこれ見てくれ」

 握った拳を突き出し、ゆっくり開きながら掌を上に向ける。

 キースをぐるりと取り囲む輪の中から、バレグが一歩進み出て興味深そうに覗き込んだ。

 彼が完全に開いた手の中から、音を立てて赤い炎が立ち上る。鼻先を焦がされそうになり、バレグは慌てて首をすくめた。

 次にキースは腕を頭上に掲げる。すると、その手から伸びる炎が長大な剣を形作った。

 それはすぐに揺らめき、形を失って消えてしまう。だが、その場には熱が残り、炎の剣が確かに在ったことを実感するには充分だった。

「まだ不安定だな。出来たと思った瞬間に集中が途切れちまう。だけど俺は」

 腕を下ろし、拳を握る。

「この力を使ってファリヤを助け出す。ついでにバネッサには灸を据えてやる」

 それまで固まっていたメリクが笑みを零した。

「〈グラウバーナ〉がないというのに覚醒してしまうとは。末恐ろしいことです」

 その肩に、ベルヴェルクが手を置いた。

「頼もしいの間違いだろう」

 頷き合う大人たちに向けて、キースは親指を立てて見せた。

「だけど、覚醒と言うには早すぎる。残り二日、ビシビシしごいてくれ」

「何が何だかよくわかんないけど、とにかく。やったね、キースっ」

 バレグは手を上げ、ハイタッチを求める。

 笑顔で応じるキースの手をめがけ、いい音を立てて打ち鳴らした。しかし、その途端。

「あちち」

「あっ、悪い! 少し火が出ちまった」

 掌を軽く火傷してしまうバレグであった。

「さあメリク。今の感じを忘れないうちにもう一本」

「いえ、殿下。過ぎたるは及ばざるが如し。休息も大事です。今日はここまでにしましょう」

 そう言って足元を見たメリク。その眉が微かにひそめられるのを見て、バレグは声をかけてみた。

「どうかしたんですかぁ」

「ああ、いや。靴が破れてね。もう、随分使い込んだからな」

「激しい訓練でしたもんねぇ」

 相槌を打ち、それ以上の詮索はやめておいた。だが、今のバレグは気付いてしまうのだ。その目は、大切なのにこの場にいない人を想う時のもの。メリクは、この場にいない誰かの事を考えているようだ。

 もしくは……。

 バレグは目を閉じ、束の間の物思いに耽る。その目は、この場にいても心がこちらに向いていない人を想う時のもの。

 たとえば今のスーチェの目。肩を組んで笑い合うキースとエマーユを見つめている。

 たとえば今の僕の目。そんな苦しそうなスーチェを見つめている。

 努めて明るい声を出す。

「さっきの魔法で濡れちゃったんで冷えましたね。とっとと風呂に入りたいですぅ」

 メリクは何かを抱えている。キースだって何かを抱えている。それに比べたら、自分なんて何も抱えていないに等しいのだ。

 ならば、自分は彼らを支えてあげたい。

 首を振り、空を仰いだ。日が沈んだアーカンドルの空には、一番星が輝いていた。


*          *          *


 すっかり夜の帳が落ちた。漆黒の闇に包まれた湖畔には人の気配がない。

 小石が転がる微かな音がした。それは数回連続し、何度目かには大きな音が響く。大きめの石がいくつかまとめて転がったような音だ。

 地面で何かが蠢いている。

 月明かり程度でははっきりと視認できないが、それは黒い装束に身を包んだ男たちだった。彼らが地中から這い出してきたのである。

「残ったのはこの五人か。情けないことだ」

「反省は後だ。長の遺志を継がねばならぬ。若とキース殿下に合流するぞ」

 音もなく移動しはじめる土蜘蛛一族の生き残りたちだったが、すぐにその足を止める。

 何の前触れもなく、風に乗って女の歌声が聞こえてきたのだ。

「なんだ」

 周囲を警戒して見回す土蜘蛛一族の五人。

 しかし、間もなく五人とも、糸の切れた操り人形のようにその場にくずおれてしまうのだった。

 歌声が止むと、月明かりを受けて女の姿が浮かび上がる。バネッサだ。

「とんだ隠し玉だったわぁ。さすがのあたしも驚いたわよぉ。でもぉ。あーんな自殺技につきあってあげるほどお人好しじゃないのぉ、あたしぃ」

 ゴーレムはやられちゃったけどね、と独りごちる。

「ふむ。こやつらを戦力として補充するのかね」

 いつこの場に現れたものか、片眼鏡の紳士が物でも見るような目で土蜘蛛一族を見下ろして告げた。

「どーかしらぁ。洗脳が効くようなやわな連中じゃないでしょうしぃ。あの婆さんみたいな自殺技使われたらたまんないしぃ」

「もったいないことだ。正直、戦力としてはこやつらの方がお前の部下より見所があるというのに」

 ああーら、とバネッサは愉しそうに笑う。

「はっきり言うわねぇ、フィムちゃん。でもぉ、蜘蛛ちゃんたちはあたしの側近、貸し出さないぞぉ。ロレイン族で我慢しなさいな、一応魔族なんだからぁ、アイテムなしで魔法使えるしぃ」

 いいだろう、と呟く紳士。彼は底冷えのする声で言葉を続けた。

「狂戦士というのを知っておるか」

 バネッサにしては珍しく、否定も肯定もせずに沈黙する。

「人としての意志を失い、死ぬまで戦う戦闘人形。ベルヴェルクとやらが噛み付いてきた場合の備えとして、こやつらを」

「使い捨てとして利用するのなら、あたしに異存はないわぁん」

 凍てつく風が湖畔を吹き抜けていった。

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