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陰謀の蜘蛛女

 上から下まで全身を舐めるかのように眺め回されている。視線の主はバネッサだ。時折、息がかかるほど顔を近づけては身体のあちこちを凝視する。

 バネッサは立ち上がると、長い銀髪を勢い良く背に払って艶然と微笑んだ。

「堂々としてるのねぇん。さすがはあのベルちゃんの娘ってところかしらぁ」

 話しかけられても答えない。ベッドが一つ置かれただけの殺風景な部屋の中、ファリヤはそれを椅子がわりに腰掛けて毅然と胸を張っている。バネッサはそんな彼女の隣に座ると、金髪へと手を伸ばしてきた。

「綺麗なブロンド。身体の方はまだ細くて未発達だけど、出るところは出ているのよねぇん」

 三つ編みを解かれていく。ファリヤはされるがままだ。

「あらあら。野暮ったい三つ編みを解くだけでどこぞの貴族のお嬢様みたいじゃなぁい。まるで、アーカンドルの王女様みたいよぉ」

 それに、と言葉を続けながら赤い瞳をすっと細める。

「あたしの部下どもの好みだと思うわぁ」

 初めて少女の表情が動いた。眉を吊り上げて唇を噛みつつも、やはり黙っている。

「あらぁん。あなたも好きなんでしょ。うちの下っ端に、色仕掛けで覆面脱がせたくらいなんだからぁ」

 一緒に弁当を食べた土蜘蛛の青年。すでに彼の末路を聞かされているファリヤは、辛そうに目を閉じる。

「あいつは新入りだけどぉ。他の連中はもっとずっと好き者よおぉ」

 バネッサは声を立てて笑うとベッドから離れ、ファリヤの正面に立った。懐から取り出した布切れをひらひらと振る。手拭い程度の大きさのものが二枚だ。

「準備しておいたから、湯浴ゆあみしていらっしゃいな。ああ、あなたの手足に嵌めた〈炎竜の枷〉ならいくら濡らしても大丈夫よぉ。むしろごしごし洗っちゃいなさぁい」

 そう言うと手を叩いた。

「失礼いたします」

 すぐに入室したのはエプロンドレスを身に着けた妙齢の女性。現在のファリヤの服装とよく似ている。土蜘蛛の仲間というより、王城で働く女官のような出で立ちだ。

「あらん? この服に見覚えでもあるのかしらん」

 図星だ。ファリヤには見覚えがあった。メイドが着ているのはスカランジア帝国王室付きのものに酷似している。あの国との交流は少ないものの、ファリヤは二回だけ父王と共に表敬訪問をし、その折にメイドを見ている。なぜ、北の大国のメイドがここにいるのか——。

 しかし、その詮索は彼女の正体を敵に悟らせてしまうだろう。仮にバネッサがスカランジアと繋がりがあるとするならば、尚更慎重にニディアのふりを続けるべきだ。

 そう判断し、ファリヤはメイドの髪とバネッサのそれを見較べた。メイドも銀髪と赤い瞳の持ち主だったのだ。

「なんだ、そっちか」

 バネッサは自分の髪を指で弄ると、メイドの側に寄りそうように立って馴れ馴れしく肩を抱く。

「彼女は魔族。水の民、ロレイン族よ。そう、純潔のね」

 そして今は、と吐息まじりに囁きながら腰に手を回して抱き寄せる。

「あたしの奴隷」

 ぞくり、と身を震わせた。奴隷の単語にもう一つ、『部下たちの』との語が冠されているように感じたからだ。

「ニディアちゃんが想像したこと、合ってると思うわぁ。多分」

 楽しげに言いながら、布切れをメイドの身体にあてがった。先程振っていた手拭い大の布だ。一枚は胸に、もう一枚は腰に。

 バネッサの意図を理解して、ファリヤは思わず眉根を寄せた。

「うふ。着替えよん。この部屋は暖かくしておくからぁ、風邪ひく心配はないわよぉん」

「必要ありません。お湯をいただいた後も同じものを着ますのでお構いなく」

 さすがに黙っていられなくなり、ファリヤは硬い声で拒絶した。

 にやにやするだけで反応しないバネッサに代わり、メイドが抑揚のない声で答える。

「お召し物は洗濯いたします。乾くまではこちらをお召しください」

 喉の奥で笑うバネッサに対し、ファリヤはきつい目で睨み付けた。

「おお、怖い怖ぁい。可愛い顔が台無しよぉ。あなたなら高級娼婦でも通用するのにぃ」

 再び声を出して笑う。やがて笑いをおさめ、顎を上げてファリヤを見下ろした。

「ベルちゃんとは、娘の貞操の無事まで約束した覚えはないんだけどぉ。口約束とは言え、大切に預かるのが契約内容だものねぇ」

 暫しの沈黙。またしても、舐めるような視線で全身を眺め回される。

「その枷をつけてる以上逃げる心配なんてしてないからぁ、アジトのどこを歩き回ってもらっても構わないんだけどぉ。メイドはどこにでもついていくわよん。それとぉ。裸同然の若い娘を見て我慢できるような男どもじゃないからねぇん。湯浴みが済んだら、あんまり部屋から出ない方が賢いと思うわぁん」

 バネッサが顎を軽く振る。メイドにやんわりと促され、ファリヤは抵抗もせずに風呂場へと向かった。


 部屋の中にはバネッサただ一人。

 ほどなく、音もなく男が入室してきた。

「あぁら、ドレン卿。あたしとやりにきたのぉ?」

 振り向きもせず、バネッサが艶っぽい声をかける。

「迂闊にその名を呼ぶな。それと、メイドに着せている服のデザインを変えておけ」

 答えた男も銀髪だ。総髪にし、仕立ての良いコートに身を包んでいる。右目は茶色だが、左目は隠している。レンズに濃い色が入った片眼鏡をかけているのだ。視力矯正用レンズは大変に高価であり、それに色を入れるとなるとさらに金額が跳ね上がる。片眼鏡一つで、男の身分の高さが知れた。

 おそらくは三〇歳前後と思われるが、太い眉と頑丈そうな顎をしており巌のような外見だ。落ち着いた所作といい、その目に宿した光といい、人に命令することに慣れた立場であることが見てとれる。そんな印象も合俟って、年齢以上の貫禄を醸していた。

「はぁい、フィム様。仰せのままにぃ。でぇも」

 妖しく微笑むバネッサ。

「ベルちゃんと娘に何を知られてもぉ、生きて帰さなければ問題ないでしょ。娘の方はあれだけの器量だからぁ、うちの男どもにあてがってあげればきっと喜ぶしぃ」

 期限までは娘を大切に預かるとは言ったが、期限後にどうするかについては約束していない。言外にそう告げるバネッサの意図は男にも伝わったようだが、特に関心なさげに鼻を鳴らすのみだった。

「ねぇ。スカランジア帝国の宰相、ドレン閣下」

「…………」

 視線の温度を下げる男に対し、バネッサはどこ吹く風とばかりに微笑み続けている。

 男の正体はフィムブチュール・ドレン卿。スカランジア帝国の宰相にして帝国軍の軍師を兼務している。爵位こそ高くないが、帝国ナンバー2の立場に上り詰めた人物である。しかも帝国軍を掌握しているので、実質的な権力は国王ユック・ダクをも凌ぐ勢いだ。

 スカランジア帝国において、彼の視線の圧力を受けてなお笑っていられる者など皆無である。しかし、バネッサにはどうやら効果がなさそうだ。

 ドレン卿は権力者ではあるが実務における実力者でもある。バネッサの不遜な態度に触れても、一時の感情で時間を浪費するの愚を犯さず、あっさりと本題に入った。

「それで、ベルヴェルク・シャーレイとやらは素直に情報を提供する気になっているのか」

 その質問に、バネッサは口角を上げた。

「ちゃんと中間報告はもらってるわよん。土蜘蛛の連絡方法でね」

 そう言って懐から取り出した羊皮紙をドレン卿に差し出す。彼はそこに書かれた文字に素早く目を走らせる。

「ほう。ヴァルファズル王め、やはり文献を所有しておったか。して、期限日に写本で提供とな」

 ようやくドレン卿の口許が緩んだ。

「ねぇ、いいでしょう? あたし、欲しいのぉ」

 好機とばかりに甘やかな声でねだるバネッサ。しかし、ドレン卿は口を引き締めると冷たい声で告げる。

「まだだ。〈粛清の鉄槌〉と〈氷竜の凍土〉を貴様にくれてやるのは写本と引き換えだ。貴様とて、人魔混在の王国、最初の女帝になろうというのだろう。多少の辛抱は身に付けておくことだ」

「わーかってるわよぉ。でぇも。あたしがロレイン族を掌握したらぁ、帝国の軍隊に組み込むつもりなんでしょ」

 バネッサの言葉を受け、ドレン卿は低いながらも声を出して笑った。

「持ちつ持たれつだ。我が国は広大な土地を手に入れた一方、様々な面で動きが鈍ったからな」

 大陸の全てを手に入れよう。私と、貴様で。

 バネッサはほんの一瞬だけ、斜に構えた笑みを消した。すぐに元の表情に戻し、歌うような調子で宣言する。

「セイクリッドファイブに不可能はないわよぉん」

 ドレン卿は背を向け、部屋を出て行こうとする。ドア際で立ち止まると、明日の天気でも占うかのように呟いた。

「天井裏に鼠が住み着いておるようだ。掃除しておいてはどうかね。必要なら、掃除屋を寄越すが?」

「いらないわぁん。鼠なら掃除するまでもないけどー。大きな蜘蛛さんだしぃ。勘違いしてるみたいだから格の違いを教えてあ・げ・る」

「ふん。掃除程度でみだりに〈ブラウニーストーン〉を使わぬことだ」

 それだけ言い残すと、ドレン卿は扉の向こうへと消えて行った。


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