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嫉妬の昇華

 雪と土塊が混じり合った塵芥が柱のようにそそり立つ。それはまるで火山の噴火の相似形のような噴煙だ。人の身長に倍する高さまで噴き上がっては塵芥を撒き散らした。

 早朝の雪山に似つかわしくない轟音は、昨日の地震が続く様を連想させる。

 そんな中、轟音の元凶たる巨人が鈍重な一歩を踏み出す。歩くたびに巨大な雪煙を巻き上げては山道を軽く振動させている。

 人の形を模していながらも、身体の全てのパーツが角材のような直方体で構成された巨人だ。生物の口にあたる器官を持たないにもかかわらず、ときおり威嚇の咆哮を上げる。そいつが腰を落とし、拳を下に向けたまま肘を振り上げ——、振り下ろした。

 もはや爆音の域に達する大音響と共に、柱のごとき噴煙が巨人の姿を覆う。

 巨人はいったん立ち止まり、噴煙の上に頭部を出そうとした。

 そこに新たな噴煙が突き上がる。巨人の攻撃によるものではない。

 意表を突かれたのか、巨人はよろめくように数歩後退した。

 巨人は左右を見回す様子を見せた。探し物が見つからないことに腹を立てているのか、両腕を振り上げ、天を仰いで咆哮を轟かせる。


「おのれ……。殿下をお救いすることもかなわぬまま、ここで果てるわけには……ごふっ」

 ベルヴェルクは絞り出すような声と共に血を吐いた。雪上に仰向けで倒れている。

「しゃべらないで。わたしが囮になります」

「よ……せ」

 制止する声に耳を貸さず、スーチェは彼の手から(クレイモア)を奪い取った。毅然とした表情を見せ、立ち去ろうとする彼女の腕を少年が掴む。

「僕のせいだ。だから囮は、僕の役目だ」

 流れる涙を拭うこともせず、バレグは少女に訴えた。

「適材適所という言葉を知っているか。バレグでは二秒ともたない。ベルヴェルクさんは重傷だが、なんとか森までひきずっていくんだ。身軽さと剣の腕は私が断然上だが、筋力だけなら互角だからな」

 声には出さず、男だろ、とでも言いたげに彼の肩を叩く。

「巨人は見ての通りのろまだ。それでも力は圧倒的。わたしたちが一箇所に集まっていたら絶対に助からない。だから分散する」

 作戦会議は終わり、とばかりに彼女は駆け出した。手を振り払われたバレグは泣きながら叫ぶ。

「スーチェ! 絶対に! 絶対に逃げ切れよっ」

 情けない。大量に持ってきたマジックアイテムが、ただのガラクタとなっている。〈幼竜の魔笛〉によるアイテム無効化がいつまで持続するのか不明だが、少なくとも今この時点において、バレグのアイテムはどれ一つとして魔法効果を発揮してくれないのだ。


 巨人の姿を見た直後、バレグは呪文を唱え続けた。〈白竜の門扉〉が効力を回復したらすぐに逃げられるように。一回だけ繰り返し、だめだとわかると〈土遁の鱗〉を唱えたが反応なし。別の呪文を次々に唱える。相手の足元に落とし穴を作る呪文、水をかける呪文、雷を落とす呪文。リュックの中に含まれていないアイテムの呪文も唱えていたかもしれない。そんな無駄な行為のため、巨人の腕から逃れるタイミングを逸してしまった。

 僕にはこれしかないのに。

 もう、何もできない——。

 バレグは自分の頬が濡れていることにさえ気づかないほど放心していた。スーチェが何か叫んでいるが、まるで耳に入らない。

 学校の成績は悪く、武術も苦手。その一方、マジックアイテムの知識は同世代の中ではかなり豊富だ。中堅どころの商人たる父親がマジックアイテム蒐集という趣味を持っており、その影響が強いのだろう。誰にも自慢したことはないが、それが唯一の取り柄だと思っていた。

「キースは王子様だし。スーチェは剣の腕前が凄いし」

 マジックアイテムが役に立たないのなら、僕なんて何の価値もないじゃないか。振り上げられた巨人の腕を呆然と眺めつつ、独り言を呟く。

 スーチェはあんなに必死だけど、誘拐されたのがキースでなく僕だったら? どうせ僕なんて——。

 急に視界が回転し、気付くと雪上に倒れこんでいた。バレグを助けるため、スーチェが飛びかかって覆い被さったのだ。

 ようやく我に返ったバレグは、スーチェを押しのけようともがいた。だが、スーチェは動かない。

 何してるんだ、スーチェ。このままじゃ二人とも潰されちゃう!

 ——しかし、衝撃が来ない。

 二人が恐る恐る顔を上げたとき、そこにはこちらに背を向けたベルヴェルクの姿があった。彼は何らかの手段で巨人の攻撃を防ぎ、さらには数歩の後退までさせるという離れ技をやってのけたのだ。

 振り向いて二人の無事を確かめた彼は、しかし口の端から血を流して雪上に倒れ込んでしまった。その身で巨人の攻撃を受け止めたとでもいうのだろうか。


「僕のせいだ。僕の……」

 涙が止まらないが、これ以上時間を浪費するわけにはいかない。スーチェはすでに動いている。大声で叫び、巨人の注意を引きつけている。

 バレグは両手で自分の頬を叩き、気合を入れた。

 歯を食い縛り、ベルヴェルクを引き摺っていく。彼の顔色はひどく悪い。なすがままに引き摺られており、意識もほとんどない状態である。

 マジックアイテムが使えないという条件は同じだ。なら彼はどうやって巨人を後退させたのだろう。全力で引き摺りながら、バレグは考えた。

 ふと、ベルヴェルクの上着に目がとまる。胸部に焦げ跡があるのだ。焦げ跡——爆発か。

 バレグの脳裏に、ある記憶が閃光のごとく再生される。

 カーム先生の授業だ。


 あの日、先生の余談で授業が脱線した。予定されていた脱線だ。前日、ある生徒が錬金術について質問したのを受け、授業時間を割いて回答してくれたのである。

「現時点において、錬金術として文書に記録されているものや口伝として伝わっているものは、全て根拠のないものばかりです。言ってしまえば、イカサマですね」

 生徒たちの失笑に穏やかな笑みを返し、カーム先生は話を続けた。

「すでに皆さんご存知の通り、道ばたの石ころを金に変えることなどできません。そのようなマジックアイテムも存在しません。幻影を見せるアイテムなら存在しますが、一時的に見かけを変化させるだけですね。……ですが」

 そう言って、あらかじめ教卓に用意しておいた容器を示す。容器は二つあり、どちらにも何らかの液体が入っていた。

「ある液体に、別の液体を混ぜることで、思いもよらない変化を与えることは可能です。そこには一定の法則があるのですが、それは今は省略します。……よく見ててくださいね」

 一方の容器を慎重に持ち上げ、もう一方の容器にゆっくりと近づける。さらに慎重に容器を傾けていく。何が起こるのだろう。教室内は水を打ったように静まりかえった。

 傾けられた容器内の液体が一滴、もう一方の容器内へと落とされた。その途端。

 炎が生じた。

 生徒達が驚きの叫びを上げた。

 赤い炎はカーム先生の白髯を焦がすかと思うほど噴き上がったが、それは一瞬で消えた。先生の髭も無事だった。

「これは魔法ではありません。この現象は仮に『化学変化』とでも名付けましょうか。いずれ新しい学問として立ち上がると思います。いや私が立ち上げます。『化学』。実にわくわくする学問だとは思いませんか。ヴァル——、陛下に認可していただきます。この分野で皆さんか、皆さんの弟さん、妹さんたちと一緒に勉強するのが私の夢です」


 そうだ、化学。

 この人はきっと『化学変化』を起こすような何かを使ったのだ。推測に過ぎないが、バレグはそうに違いないと思った。

 引き摺る作業を中断し、焦げ跡のついた上着を慎重にはがして怪我の程度を確認した。胸部には見た目ですぐわかるような怪我はない。

「ベルヴェルクさん、すみません。ちょっと失礼しますね」

 彼の懐を探ろうとすると、上着に引っかかってでもいたのか、バレグが手を差し込むまでもなく何かが転げ落ちた。

 雪上に落ちた二つの容器。拾い上げ、顔に近づける。焦げ臭い。

 轟音が響いた。はっとして巨人の方へと目を向ける。

 少女が雪上を滑るように走っていた。巨人が巻き上げる塵芥を隠れ蓑に、背後に回り込もうとしているようだ。彼女の視線は巨人の脚部を捉えている。

 そう言えばあの巨人は歩くたび、噴き上がる雪煙で視界が利かなくなっては立ち止まっていた。身体全体のバランスを考えるに、あの足はやや細い。つまり、山道の中で巨体を支えるには不十分なのだ。そこを突けば、撃破は無理としても転ばせるくらいはできるかも知れない。

 巨人の膝関節部分であれば、スーチェの身長でも問題なく攻撃可能な高さだ。恐らくそこを攻撃し、足止めするのが彼女の狙いに違いない。

 しかし、いくら塵芥を隠れ蓑にしていても、それを回り込んだ上で更に敵の背後にまで回り込むのは至難の業だ。それに、足元の雪はスーチェの疲労を誘う。彼女の体力は無尽蔵ではないのだ。

「スーチェ! こうしちゃいられない」

「だ……めだ」

 意外にも強い力。腕を掴まれ、振り返った。苦しげに白い息を吐きつつも半身を起こし、強い眼光を向けるベルヴェルクの姿がそこにあった。

「そいつ……は、扱いが、難し……い。使って……は、だめ……だ」

 バレグは涙を拭うと笑顔を見せた。

 ベルヴェルクは戸惑う表情を見せ、掴む力が緩くなる。その瞬間を見計らったかのように腕を振り払った。

「つまり、ベルヴェルクさんは扱いが難しいのを承知していながらあの場面で使ったということですか」

 捨て身の切り札。たぶん、普段の戦いでは使うことのないものを、後先考えず二人の子供を守るために使ったのだ、この人は。

 普段の戦い。そう、彼はバネッサと名乗った土蜘蛛の頭領と知り合いだった。剣を構え、静かに立った彼が纏う空気は一廉の武人。侍従を務める裏側で、日常的に戦いの中に身を置いてきたのに違いない。

 自分は臆病で、武術の心得もない。それでも、キースの友達のつもりだ。こんな時だからこそ、立ち上がらなきゃいけない。必要なのは魔法でもなければ武術でもないのだ。大切なものを守りたいなら、逃げずに立ち向かう気持ちこそが必要なのだ。

「なら、使い方を工夫するまでです。……怪我人は大人しくしててくださいね」

 苦しげに喘ぎつつ、だめだと繰り返す声が聞こえている。しかしバレグはもう振り返らない。

「これでもキースの親友なんです。共通の親友スーチェを見捨てて逃げるなんてできませんよ」

 せめて今まで通り、嫉妬くらいはできる立場でいたいから。

 彼は巨人めがけて歩き出し——、やがて駆け出した。

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