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族長の選択

 大きく揺れる小屋の中、慌てる者は一人もいない。

 揺れ始めてすぐ、土蜘蛛の一人は脱出口を確保するためにドアを開放した。フォレストスパイダーに破壊されたものを彼らが補修したのだが、この揺れで小屋が歪むとドアがドア枠に嵌まってしまい、簡単に開けられなくなる恐れがあるからだ。

 冷たい空気が室内に流れ込む。やがて、揺れが収まった。

「人生初の地震が連続で起きるとはね。珍しいこともあるもんだ」

「……うむ」

 軽い調子で言うキースとは対照的に、ドロシーの表情は真剣だ。エマーユは訝しげに彼女の様子を観察した。

 ふと気付くと、キースと目が合う。

「わりぃ、エマーユ。そういやお前ずっと縛られたままじゃん……、言えよな。……おい、いいだろばあちゃん。俺たちもう敵対する理由ないんだし」

「……うむ」

 ベッドから降りようとするキースを制し、黒ずくめの一人がエマーユの縄に触れる。すると縄は呪符に戻り、黒ずくめの手に収まった。

「あ」

 小さく声を漏らすエマーユに気付いたキースはベッドから降り、かがんで覗き込んできた。

「長から遠話よ。無事か、って。ユージュの森は無事だって。山から見下ろす限り、アーカンドル王国も建物が壊れたりとかはしていないらしいわ。……でもごめん、あたしからは生きてるってことしか伝えられないの」

 遠話とは、離れた場所にいる相手に声だけを届ける魔法である。一対一でしか通じないし、双方が遠話能力者でないと会話も一方通行となる。エルフ族においては族長グリズのみが遠話能力を持つ。そのグリズでさえ、一日につき一回しか使えないらしい。

「エマーユの無事がわかって、ひとまずじいちゃんも安心だな」

 キースは彼女の頭を優しく撫でた後、立ち上がってドロシーに顔を向けた。

「ばあちゃん。エマーユの胸触った奴、一発殴りたいんだけどいいか」

「……うむ」

「キース、このタイミングでそれ? もういいってば」

 黒ずくめの一人が、ドロシーの後ろに控えていた二人の肩を叩き「整列」と号令した。三人の黒ずくめが横に並ぶと、両手を後ろに組んで直立姿勢をとる。

「我々がその三人である。私がエマーユさんの胸を触った。あとの二人はそれを黙って見ていた。連帯責任として責めを受ける所存である。どうぞご遠慮なく」

「そうかい」

 拳を振りかぶったキースは、しかしすぐに掌を開くと黒ずくめの一人の腕を掴み、手を正面に回させた。戸惑う黒ずくめの手を自らの両手でがっちりと握りしめ、固い握手を交わす。

「触ったのはこの手か。その感触、このキースが貰い受けるッ!」

 今度やったら本気で殴るからな、と言いつつも、黒ずくめ三人に素敵な笑顔を向けている。

「なにやってんのよ、キースのばか」

「……うむ」

 ドロシーの様子がおかしい。心ここにあらずである。声をかけてみた。

 虚空に据えられていた視線がエマーユと交わる。

「この地震なんじゃが。わしにはどうにも、自然現象とは思えんのじゃ」

「はい?」

 自然現象でない地震。そう言われても全く想像がつかない。顎に指を当てて考え込んでいると、キースが割り込んできた。

「じゃ、魔法だってのか? 聞いたことないぞ、そんな途轍もない魔法」

 小屋の建材が軋み、まっすぐ立っていられない規模の揺れだった。ただし大揺れが続いたのは、砂時計の三分計をひっくり返してから砂が落ちきるまでとほぼ同等の時間だ。もし地面を揺らすマジックアイテムが実在するとして、魔法の作用点を地表に限定し、振動させる面積も狭く設定すれば不可能ではないだろう。だが——。

 夜明け間近の山の中、キースたち人間がどれだけ夜目が利くとしても外は真っ暗闇に見えることだろう。その点森の民たるエマーユは、魔力が充分にある状態ならば遠景の木々まではっきりと見渡せる。そんな彼女が見る限り、それら木々の揺れ具合も相当なものだった。この地震は山全体、おそらくは麓の王国にまで及んだものと見て間違いないだろう。

 先ほどグリズから受けた遠話も、エマーユの推測を裏付ける何よりの証拠だ。

「ありえない。狭い範囲に雨を降らせたり、雷もどきを一発落としたりするのとはわけが違う」

 そう呟くキースの声には、ドロシーの懸念をはね返すほどの力がこもっていない。

「盗まれた〈ブラウニーストーン〉は土属性の最古かつ最上位アイテムにあたる。むろん、わしの知る限りにおいてじゃがな」

 マジックアイテムに疎いエマーユもようやく察した。ドロシーが何を気にしているのかを。〈ブラウニーストーン〉を盗んだ連中は既に、それを攻撃兵器として利用しているのかもしれない。

「この地震が〈ブラウニーストーン〉の攻撃魔法だというの」

 声に出してみたが、あまりの非現実感に目眩がしそうだ。エルフ族の結界魔法に換算して、一体何倍のエネルギーに相当するのだろう。彼女らの結界には永続性というアドバンテージがあるし、物理現象を遮断する性質のものでもないので単純な比較は難しいのだけれども。

五大竜騎士(セイクリッドファイブ)の力、山をも動かす」

 厳かに言い放つドロシー。しかしその顔は苦虫を噛み潰したかのようだ。エマーユには何のことだかわからない。キースも同様だったらしく、互いに顔を見合わせた。誰からも補足説明がないので、エマーユは詳しく尋ねようと口を開きかけた。しかし、声を出すには至らない。ドロシーが身振りでそれを制したからだ。

 扉に一番近い場所にいた黒ずくめが身構えている。ドロシーの目が険しくなり、懐から呪符を取り出すやキースたちを背に庇う位置へと移動する。

 扉の死角から男の声が届いた。

「土蜘蛛の族長にお目通り願いたい」

 キースの横に駆け寄ったエマーユは、彼の表情が緩むのを見た。

「この声」

 知り合いなのか。エマーユがそう訊くより早く、声の主が室内を覗き込んできた。黒髪の青年だ。

 意外にも黒ずくめは身体をずらし、青年が室内を覗きやすいよう脇に退く。先ほどの呼びかけと同じ声が青年の口から発せられた。

「殿下! ご無事でし——」

「誰が会うと言ったか。とっとと帰れ」

 青年の声に被せ、ドロシーが冷たく告げる。

「まあまあ、ばあちゃん。その人は俺が通ってる学校の先生見習いだよ」

「知っておる。メリク・カンターじゃ。言い忘れておったが、わしはドロシー・カンター」

 目を点のようにしたキースがドロシーとメリクを見比べている。

「族長。私は殿下をお迎えに参りました」

「よりによってヴァルファズルにへつらうとは恩知らずめ。お前など孫ではない。とっくに勘当したはずじゃぞ」

「はい。ただ今申し上げた通りこのメリク、アーカンドル王国よりの使者として参じました。族長の殿下への御用事がお済みであれば、このまま黙って帰ります。ときに」

 顔を上げたメリクの目元が刃の輝きを帯びた。

 王立学園の先生といえば、キースたちの世代を上限とした少年少女を相手に講義を行う職業だ。生徒は貴族の子弟が多く、平民は富裕層に限られる。ごく少数の例外を除き、軍人育成を目的とした教育機関ではない。エマーユもそのくらいは知っている。

 だからこそ、職業に似つかわしくないメリクの様子を訝しく感じた。しかしキースは気付いているのかいないのか、あまり気にしていないようだ。

「なんじゃ。聞くだけなら聞いてやってもよい。言いたいことがあるならとっとと言え」

「我が王から伝言がございます」

 鋭い眼光のまま、メリクが告げる。

「アーカンドル第四王子キースに『真の土蜘蛛衆』討伐を一任する。『土蜘蛛一族』が当任務に協力するならば、これを拒まない。その意思がなくとも当任務を妨害しないのであれば、王子誘拐の件は不問に付す」

 それを聞くや、ドロシーは握りしめた拳を震わせる。

「ふ、ざける、な」

 両目をかっと見開き、唾を飛ばして激昂した。

「ふざけるな! 喧嘩を売られたのはわしらじゃ。横から手を出すな! メリクよ、お前は王子を連れ帰り、ヴァルの奴にそう伝えるのじゃ」

「なあ、ばあちゃん」

 黒ずくめ達を含め、他人が割り込む隙のなさそうな流れの中、キースが気軽に割り込む。その表情を盗み見たエマーユは息を飲んだ。彼の目は、全く笑ってはいなかったのだ。

「親父とばあちゃんの間に何があったのか、今は聞かないよ。でも、俺とばあちゃんなら気が合いそうじゃないか? 悪いけど、協力してくんないかな」

 少し気分が冷えたのか、幾分落ち着いた様子になったドロシーの視線がキースへと向く。その視線を正面から受けて、キースが続ける。

「喧嘩を売られたのは俺も同じさ。そいつらに攫われたのはニディアかも知れないが、ファリヤの可能性もある。二人はよく似ててな、どちらも俺にとっては大事な妹なんだ」

 ドロシーは身体ごとキースに向き直った。会話に割り込むことはしないものの、エマーユもキースを見た。メリクは目を伏せ、沈んだ声でキースに言う。

「お伝えします、殿下。攫われたのはニディアではなくファリヤ殿下です。当時、お二人は入れ替わっておられました」

 予想していたのか、キースはその言葉に軽く頷いた。続いてドロシーに頭を下げる。

「悔しいが、今の俺では土蜘蛛を相手に何ほども戦えない。それでも、どうしてもこの手で妹を取り戻したい。頼む。俺に戦い方を」

 更に深く頭を下げた後、姿勢を正して彼女の瞳を覗き込む。

「教えてください」

 まんじりともせず視線をぶつけ合う両者。静寂が重くのしかかる部屋の中、発言するものは誰もいない。

 しばらくして、ドロシーが軽く息を吐いた。

「ヴァルの息子とは思えないね。いい男だよお前は」

 そう言うと彼女はメリクを見据えた。

「それに引き換え、わしの『元』孫ときたら。どうせヴァルにも正体を隠しておるのじゃろう。その伝言も、本来ならばベルヴェルクが託されたものに相違ない」

 冷たい視線をものともせず、メリクは平然と答えた。

「あの方が使者では、ここへ辿り着くのに時間がかかると思いまして。あの方はこの場所をご存知ないでしょうし、もちろん私も誰にも告げておりません。それと、僭越ながらご忠告を」

 ドロシーは視線の温度をさらに下げる。黒ずくめの一人が割って入り、メリクと正面に向き合った。

「若。これ以上は」

「勘当したと言っておろうが!」

 今までで一番の大声に、エマーユは肩をぴくりと上下させた。黒ずくめは二歩下がって平伏する。

 ドロシーの怒声は、黒ずくめの言葉に対するものだったようだ。

 しかし、何事もなかったかのようにメリクは話を続ける。

「此度の〈ブラウニーストーン〉盗難の件、疑うべきはお身内。そのお考えに異を唱えるつもりはございません。しかし『犯人』は、必ずしも元土蜘蛛とは限らないかと」

「なんじゃと」

 ドロシーはごく短い時間、視線を彷徨わせた。

「その昔、『クノイチ』部隊を作る目的でおなごを引き入れたことがあったのう。じゃがあのおなご、声だけはやたら綺麗で歌ってばかりおったわい」

 修行はおろか下働きさえ全くしなかったものじゃ、と振り返る。

「ただ使えないだけならまだしも、下働きの若造どもと情事を繰り返しておった。それでも、街に繰り出して遊び呆けるよりはマシだと思って黙認しておったのだがな。それが毎晩ともなれば、わしの我慢も限界じゃ」

 どうせ『クノイチ』を育てるならお主くらい気高い心を持ったおなごが……などと呟くドロシーと目が合ってしまい、エマーユは慌てて首を左右に振った。

「当時の色ボケどもはまとめて放り出した。土蜘蛛としての技術はおろか、家宝〈ブラウニーストーン〉のことすら知る機会を与えなかったはずじゃ」

 その言葉に対し、メリクは静かに首を左右に振る。

「何も出来ないふりをして、しっかり我々の——失礼。あなた方の技術と情報を盗み出していたのです。あの女——」

 そして再び、あの刃のような光を目に宿す。

「——人間と魔族のハーフである、バネッサ・レライが」

「魔族じゃと」

「はい。水の民、ロレイン族です」

 ドロシーは目を見開いた。それっきり、何も言わない。

 沈黙が耳に痛い。そんな状況が実在するのだと、エマーユはこのとき初めて知った。事情こそわからないものの、重苦しい空気が部屋に澱む。

 何秒過ぎただろうか。気になったエマーユがドロシーを覗き込むと、彼女はちょうど長考を終えたところだった。

「王子。キースよ。悪いがこの喧嘩、やはり我々『土蜘蛛一族』のものだ。お主にはメリクとベルヴェルクがついておる。わしらの呪符もいくらか提供しよう。妹君の救出はそれで賄ってくれ。じゃが、申し訳ないが『真の土蜘蛛衆』の、いやバネッサの討伐については——」

 そう言うと場の全ての者に背を向けて歩いて行き、

「——わしらが行う」

 ドアの際で立ち止まった。

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