囚われの王女
「もう、なんなのよ。目が覚めちゃったじゃない」
少女の高く澄んだ声が、盛大に不満を表明している。
その直後、木製のドアが軋む音がしたかと思うと、こちらに駆け込んでくる足音が聞こえた。
「無事か!」
「見ての通りよ。ベッドから落ちて、腰打っちゃったんだから。腰痛は女の子の大敵よ。子供産む時苦労したくないのに。……いざとなったら責任とってよ」
「勘弁してくれ。人質に手ぇ出したら姐さんに殺される。それに、俺はまだまだ身を固めるつもりはねえ」
本気で焦った声を出す男に対し、少女はころころと笑い飛ばす。
「あら、あたしは腕のいい治療師を紹介して、というつもりで言ったのだけれど。あなたはどう責任をとるつもりだったのかなあ?」
男は咳払いすると、ことさら悪ぶって告げる。
「今の揺れは姐さんの力だ。今頃アーカンドル王国の奴ら、慌てふためいているだろうぜ」
どうやら直前の遣り取りをなかったことにするらしい。しかし、少女はこの発言をも笑い飛ばした。
「神様じゃあるまいし、地震を起こせる人間なんているわけないじゃない」
男は鼻を鳴らす。
「姐さんは普通の人間じゃないのさ。特別なアイテムさえあれば、これだけの力が使える。でも姐さん、今ので寝込んじまってな」
「おじさん、あたし頭悪いの。どうせならもっとわかりやすく話してくれない?」
溜息を吐く音が聞こえた。
「おじさんじゃねえ、おにいさんだ。まだ三〇にもなってねえよ。……いいだろう、話してやる。どうせ暇だし」
男が話すには、彼らの頭領はバネッサという名の女性とのこと。特別なマジックアイテムを持っており、かつ、この場に集まる者たちの中では彼女だけがそれを扱えるという。
「こう、きれいな声でハミングっていうのか? 歌詞なしの鼻歌みたいなのを歌うだけで地面が揺れるのさ」
しかし、大量に魔力を消費するらしく、一度使うと寝込んでしまう。半日で回復したバネッサはつい今し方、二度目の『実験』を行ったのだが、想定した以上に大きな地震が起きてしまったとのことだ。
「なんでも、あのアイテムを扱えるのは世界でもごく限られた者しかいないって話だ。そして、そんなに疲れなくても制御できる方法ってのを、お嬢ちゃんの国の王様が知っているんだとよ」
「ふうん」
少女の興味なさそうな相槌に気を悪くした様子もなく、男は続ける。
「今だって制御こそできないものの起動はできる。ただし起動すれば力が暴走し、必ずでかい地震が起きちまうんだとよ」
今回みたいにな、と得意げに言った後、呟くように付け加えた言葉には謝罪の響きがこもっていた。
「お嬢ちゃんを人質にとったのは悪いと思うが、俺みたいな下っ端では家に帰してやるわけにもいかねえからな。一週間の期限が切れるまでには、王様が必ず制御方法を教える気になるだろうぜ。それまでの辛抱だ」
しかし、少女はそれにも興味を示さなかった。甘えるような声でねだる。
「ねーえー。そんなことよりお腹すいちゃったわ。夜食、いえ、早めの朝食でもいいから何か頂戴」
男は「はあ」と脱力した声で応じた。
「また食うのかよ。そのほっそい身体でよく食うなあ。太るぞ」
「お生憎様。あたしやせの大食いなの。だって他にすることないんだもん。それとも、あたしとお人形遊びでもしてくれる?」
「勘弁してくれ」
「お人形さんしか用意してないだなんて、一五歳を何だと思ってるのかしら。とっくに卒業してるわよ。ボードゲームくらい用意しておきなさいよね」
「俺たちだって、まさか女の子がチェスをやるとは思わなかったんだよ。全く、頭がいいんだか悪いんだか。侍従の娘って、みんなお前みたいな感じなのか?」
やれやれと声に出し、男が立ち上がる気配がした。
「夜食用の保存食、多めに用意してあるから。一つ持ってきてやるよ」
「二つよ。一つじゃ足らないわ」
本当に大食いだな、と呟く声には微かに笑みが含まれているようだった。
ドアが閉まる音。
ほどなく、何かがもぞもぞと動く気配。
「ぷふぁ」
布団を押しのけて現れたのはバレグだ。ようやく彼の視界が開け、部屋の様子が見渡せるようになった。隣にはスーチェの姿もある。
地割れから落ちた彼らは、意識を手離す直前まで叫び続けた。
「土の竜よ、その鱗で我らを包み給え!」
バレグは、ほぼ白目を剥いた状態でやけくそ気味に唱えた。リュックに入っているマジックアイテムの一つ〈土遁の鱗〉の起動を願って。土の中に隠れるためのアイテムであり、多少の障害物ならすり抜ける効果が得られる。ただし、岩などにぶつからずに済むわけではない。
また、アイテムを手に持たない状態では起動するかどうか不安なこともあり、唱えた直後、一時的に失神してしまったのだ。
次に気付いた時、彼らは狭い部屋にあるベッドの上に乗っていた。
先に気付いたのはベッドの本来の使用主である。彼女は二人に声をかけつつも咄嗟に布団でくるみ、見張りの入室に備えたのであった。
「異性との初のベッドインがバレグとだなんて、人生の汚点だ」
「地味に傷つくからやめて。それにベッドインじゃないからね?」
「しっ、見張りはすぐに戻るわ。声出さないで」
小さく鋭い声で先輩たちを窘めたのは金髪碧眼の少女だ。お下げ髪でエプロンドレスを身にまとっているが、よく見るまでもなくニディアと瓜二つ。ファリヤ王女その人である。
「来てくれたのは本当に嬉しいわ。でも先輩たちだけで逃げて。幸い、あたしの〈白竜の門扉〉は奪われていないから」
その真剣な口調は、直前まで男性と会話していた時の雰囲気とはがらりと変わっている。
「何故だファリヤ。あなたがここに留まることにどんな意味がある」
スーチェの質問に対し、彼女は微笑む。次いで、手首と足首に嵌められた金属製の輪を示した。
「まさか……」
目を見開くスーチェ。置いてきぼりにされたバレグが目で問うと、ファリヤは静かな声で告げた。
「マジックアイテムよ。逃げたら爆発すると聞いたわ」
「な——」
大声を上げかけたバレグの口を、スーチェがすかさず手で塞ぐ。
「解除する方法は?」
「わからない。今はそれより、ここから〈白竜の門扉〉で脱出して。お父様と兄様——キース兄様に知らせて欲しいの。あたしは諦めずに、ここで待つ」
気丈に告げるファリヤを見つめ、スーチェは唇を噛んでいる。
バレグは彼女の手を口から押しのけると、リュックから何やら取り出した。
「〈白竜の門扉〉は魔力消費がでかい。その分残留魔力も多くなる。身内ならいいけど、敵の懐で使えば気付かれるかも。だから、ここは堂々と出て行くよ」
そう言ってスーチェの手を取り、その掌の上に錠剤を乗せた。自分の手にも同じ物を乗せ、口に含んで見せた。
スーチェがそれに倣い、口に含むのを確認すると呪文を唱える。
「森の守護神エメリーフに請う。我は木。我を覆う森よ、御身に我を抱き給え」
途端、彼らの姿は消えてしまった。
「〈バニシングタブレット〉。オリジナルにもかかわらず使い捨てアイテムなんだけどね。三〇分は姿を消していられる」
「すまん、ファリヤ。陛下と……、キースに伝える。必ず助け出してくださるから、安心して待ってろ」
動くものはファリヤだけとなった部屋の中で、バレグとスーチェの声がする。
「わかってる」
その時、部屋の扉が開いた。
「ほらよ、お嬢ちゃん。くどいけど、本当に二つ食うんだな?」
「なーに言ってんのよおにいさん。一人で食べても味気ないじゃない。一緒に食べましょ?」
わずかに首を傾けて微笑むファリヤからは、眩い光が放射されたようだ。そう感じるのはバレグだけではなかったようで、男は覆面を取るとにやけた笑みを見せた。
眩しそうに目を逸らしつつ、言う。
「姐さん、ぐっすりだからな。この位の役得は許されるよな。茶、淹れるぜ。あ、俺が覆面取ったのは内緒な」
「おー。本当におじさんじゃなくておにいさんだったー」
男ががしがしと頭を掻いている隙に、バレグとスーチェの気配が部屋を出て行く。
ファリヤは腰の後ろに手を回し、男から見えないように扉へ向けて振って見せる。やがて気配が完全に遠ざかると、ぐっと拳を握った。




