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背水の唄

「お前も俺と同じか」

 強い雨の降る道ばたの片隅で、ひっそりと根を張る芽を見つけた定道さだみちは、芽を見つめながらそうつぶやいた。

 定道は、この春に二五歳になった今もなお、夢を諦めきれずにミュージシャンを目指している。そのために、ギター片手にストリートライブをしながら、生きていくためにバイトで生計をつないでいる身だ。が、ついに親から愛想を尽かされた上に勘当を食らい、帰る居場所を失ってしまった。

「帰る居場所がないってつらいよな。でも、今日お前と出会えたから、もう少し頑張れそうな気がする」

 見た目は弱々しくも、生きるために必死で根を張っているその芽に心を動かされた定道は、芽を覆うように、持っているビニール傘を置いた。そして、傘が飛ばないように、近くの電柱に、ひもで傘の柄の部分をくくりつけ、固定した。

「じゃあな。お互い、今日を生き抜こうぜ。そんで、また明日会おうや」

 後日、定道はギターを持って芽の元へ向かった。

「お互い生き抜いたな。じゃあ、今日は俺の歌でも聴いてくれ」

 定道は、あまり人気の感じられない道ばたの片隅でギターを鳴らし、歌を歌い始めた。

 見物客もおらず、音のしない道ばたで音を奏でる。だが、定道の心は満足感に満ちていた。なぜだか、横で根を張っている芽が見守ってくれているようで心強かったのだ。

「おっ、もうこんな時間か」

 気づけば夕日が出ていた。時間を忘れて歌に熱中できたのは久しぶりのことだった。

「ありがとな。お前のおかげで気持ちよく歌えたぜ……あっ、そうだ」

 定道は、その芽に背水はいすいという名前を付けた。由来は単純に、崖っぷちという意味で「背水の陣」から来ている。そして、名前を付けると同時に、背水を覆っているビニール傘のビニール部分に、持っていたマジックペンで「背水の家」と書き込んだ。

「おめでとー。崖っぷちの俺たちに頼りない居場所ができた。崖っぷちにふさわしい、ぼろぼろの拠り所さ」

 定道は楽しそうにギターをかき鳴らしながら、そんな言葉を唄った。

「じゃあな背水! 明日を生きるためにバイトしてくるぜ。お互い、生きて明日を迎えような」

 どれだけ頼りない居場所でも、居場所を失っていた定道には心強い居場所だった。


 それから少し時の流れた夏の日。今日も、定道は背水の横でギターをかき鳴らしていた。春と違うのは、少しだけ見物客ができたこと。この近くで建設仕事をしている作業員たちが、休憩時間に定道の歌を聴きに来ているのだ。

「いいぞ定道! プロになったら教えてくれよな」

「へへっ。いつもあざっす!」

 初めは、芽に名前を付け、語りかけながら楽しそうに歌っている定道を気味悪く思っていた。だが、定道に興味本位で話しかけてみると、案外気が合った。今や、定道の歌を聴きに来る見物客にまでなったのだ。

「じゃあ、仕事があるから戻るぜ。また聴かせてくれよな」

「ええっ。いつでもどうぞ。俺と背水が両手を広げてお待ちしています!」

 作業員たちが、笑顔で仕事場へ戻っていく。そんな作業員たちを見て、定道の心は満たされていく。自分の力が、ほんの少しでも見に来てくれる作業員たちの活力になっているのならば、それは定道の活力にもなる。崖っぷちの状況でも、こういうことがあるから、今日を生きようと思えた。

 その後は、背水へ向けて楽しそうにギターを鳴らす。これは、崖っぷちを共に歩む友に向けた、定道なりの感謝の形だ。

「おい、うるせえんだよいつもよぉ」

 だが、そんな時間を邪魔する学生たちが現れる。

「ん? どちらさま?」

「どちらさまじゃねえよ。ここは俺たちの縄張りなんだよ」

 彼らは、夏休みを迎えた高校生の不良集団だ。夏休みの集合場所として、この道ばたの片隅を利用している。なのにも関わらず、見知らぬギター男がいることに腹を立てたのだ。

「あら、それはごめんな。でも、みんなの道じゃないか、仲良く使おうぜ。ほら、君たちも聴いていってくれよ。悪くはないと思うぜ」

 そう言うと、定道はギターを鳴らし始める。だが、彼らは黙って聴くような集団ではない。怒声を挙げながら、「背水の家」を蹴りあげた。その衝撃で傘を固定しているひもがほどけ、背水の姿が露わになる。

「おい、背水は関係ないだろ? 無闇な暴力はよくないぞ」

 背水に危害を加えられたことで、定道もギターを弾く手を止め、睨み付ける。だが、そんな定道を見て、彼らは大笑いを始めた。

「ひっ……ひひひ! 正気かよあんた。背水って、名前か? この雑草みたいな芽に名前付けて可愛がってますってか? あんた、頭おかしいんじゃねえの」

「そうかな? 俺は、君たちの言うような雑草みたいな芽のおかげで、明日も生きようと思えるんだけどな」

「ちっ……そういうすかした態度は好きじゃねえな。そんな関係壊してやるよ!」

 定道の態度に腹を立てた集団のリーダーが、足を上げて背水を踏みつけようとする。だが、リーダーの踏みつけを体でかばった定道のおかげで、背水が踏みつぶされることはなかった。

「あんた、本物の馬鹿だな。こんな汚え芽をかばって何になるよ?」

「……よし、お兄さんが命の大切さを教えてやる。君たちからすれば汚い芽かもしれないけど、そんな芽のためにこんなことをするやつもいるんだぜ?」

 そう言うと、ギターを思いっきり振りかぶり、リーダーの頭に叩きつけた。ギターを叩きつけられたリーダーは、意識を失い、地に倒れる。

 ちゅうちょなくギターを叩きつけた定道に恐怖した彼らは、リーダーを運びながらその場を去った。

「やっちまったぁ……」

 リーダーの頭にギターを叩きつけたことで、そのギターは見るも無残な姿になってしまった。家からも勘当され、バイトで生きていくのに精一杯な定道だ。新しいギターを買う金の余裕などない。

「でも、おかげで今日も生き抜けそうだぞ。生きてりゃいいこともあるよな」

 リーダーにつぶされずに済んだ背水を見ながら、優しい笑みで定道がそう言う。新しいギターを買う金のない定道は、当分の間ギターを弾くことができない。だが、後悔はしなかった。むしろ、背水を守れた自分を誇りに感じているくらいだった。

「何があった?」

 騒ぎを聞きつけた作業員たちが、仕事を中断してまで定道の下に集まってくれた。初めは特に傷のない定道を見て安心したが、道路に放り出されているビニール傘と壊れたギターを見て、ある程度の状況を把握する。

「いやぁ、ちょっと背水を守ったらこうなっちゃいました。すいません。当分、ここでギター弾けません」

 作業員たちに心配をかけないように、定道はすべてを話そうとはしない。だが、それだけで作業員たちには定道の心意気が伝わった。だから、定道に向けて手を差し伸べる。

「さぁ、汗水流そうぜ。みっちりしごいてやるよ。そうすりゃ……早くギターが買えるだろ?」

「……はい。よろしくっす!!」


 季節は冬になり、今日はクリスマス。聖なる日だというのに、定道は相変わらず背水の横でストリートライブをしている。雪が降る道ばたの片隅を背景にギターをかき鳴らすのも、存外悪くはなかった。

「おっ、今日も変わらず背水とデートか。焼けるねえ」

「あっ、どうもっす。友也ともやさんはこんな日に一人っすか。寂しいっすねえ」

「うっせえ! 一人じゃねえだろ。俺も混ぜろよ」

「へへっ。了解っす」

 友也は、夏に知り合った建設会社の作業員の一人だ。この場所での建設作業が終わった後も、定道の歌を聴きに来てくれる常連である。

「それにしても不思議だよな。いつも思うが、どういう原理なんだこれ?」

「そうっすねえ、愛じゃないっすか?」

「……本当にそうかもしれねえな」

「でしょう。そうだよな、背水」

 友也は毎回のようにその話を定道に振る。というのも、夏の終わりごろから背水の芽が伸び始めた。そして、秋ごろに大きな変化が訪れた。なんと、背水の芽から小さな実が生ったのである。その実は日に日に成長し、冬の初めごろには、それが苺だということが分かった。

 そして今、背水から生った苺の実は、順調に赤く大きく成長している。このペースだと、春ごろには成熟するだろう。春を迎えれば、定道と背水の出会いからちょうど一年が経過する。

 友也との談笑が一段落ついたら、また雪を背景にギターをかき鳴らす。こうして、定道たちのクリスマスは過ぎていく。いつもと変わらない日常だけど、それでも定道には人生で忘れられないクリスマスに思えた。


 背水と出会ってから一年が経った春のころ。背水は、きれいな赤色の苺を生らす。だがそれは、背水とお別れをする日が来たことも意味する。

 この日は、友也も呼んで、背水に生った苺を食べようということになった。この苺を食べれば、背水は命の役割を果たして枯れてしまう。だが、定道も友也も、それを泣いて喜んだ。

「よく生き抜いたな背水。俺はお前を誇りに思うよ」

「俺もだぞ背水。今までこいつをありがとうな」

 二人は、崖っぷちの状況を生き抜き、立派な苺を生らした背水に、温かい言葉を投げかけた。そして、背水に生った赤い苺を取り、同時に口に含む。

 正直、その苺の味は顔をしかめるほどに苦かった。が、苺そのものの味とはまた違う、体を包み込むような温かみを、その苺に感じた。

「美味しいっすね」

「あぁ。美味しいな」

「背水の感謝の気持ちが体に流れ込んでくるみたいっすよ」

「そうだな。強く生き抜こうって気にさせてくれるな」

 強く生き抜いた背水を感じて、定道は背水に負けないくらい強く生き抜こうと決めた。

 背水と過ごした一年は、確実に定道の心を強くした。これからの定道の人生にどんな困難が訪れても、定道は前を向いて立ち向かうだろう。

「ねえ、友也さん」

「なんだ?」

「バンド組みません?」

 こんな風に強く、前を向いて。

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