出会うべくした彼はただ
バーシェルン視点です。
誇り高き森の民。神樹の森の恵みを得て暮らす、それが俺達だ。森の民と言えば、エルフやコボルトを思い浮かべる者が多いだろう。確かにエルフの血を引く者も里には少なくない。かく言う俺の祖父もエルフと人のハーフだった。
ただ、それにより何か利点があるかと問われれば大したことはない、と皆が言うだろう。精々、容姿が整っていたり、少しばかり身体能力や五感が優れていたり、森へ入っても迷わない、など普通の人間より少し違うだけだ。
本気で努力した冒険者なら、里一番の猛者でも軽く力量を越えているだろう。
そんなエルフの血を引く里、メルニトラに住む俺の名はバーシェルン・エンドゥラ。弓で魔獣を狩るのを生業にしている。
何かが違う、と感じたのはいつものように神樹の森へ足を踏み入れてからだ。
普段は魔獣達の声以外、ただ静かな森だ。だが今日は、どこか木々がざわついている。
見た目に揺れたりしている訳ではなく、木々の意思とでもいうようなものが森に満ちていた。
神樹の森は古い。それだけに森の木々はただの木ではない。木々が魔力を持っているのは昔から知られている。意思のようなものも老人達はあるだろう、今は眠っておられる形に近いと言っていた。
「…気になるな、」
森に生息する魔獣は決して強いわけではない。油断さえしなければ子供でも倒せるものばかりだ。しかし、魔獣が突然変異を起こし、急に強くなった例はある。
「危険だが…行くしかないな」
愛用の弓を握る手に力を入れ、俺は森の中を突き進んでいった。
感じたのは、二つの気配。
咄嗟に藪へと道を変え、そのまま道なき道へ足を向けた。まだ遠くにある気配はそれでも俺の後を追っていた。
「しまった…足跡を消していない…!」
原因は間違いなくこれだろう。まだまだ自分は詰めが甘いことが分かる。
どれだけ歩きにくい進路を取ってもついてくる気配の根性は逆に褒めたいくらいだ。里の子供でもとうに音を上げる道を歩いていた。
かといって、このままついてこられても困る。いっそ気配を捕まえ、どこの者か問い質す方が早い。
一際通りにくい藪の中で後ろを振り替える。矢筒から二本抜き出し、一本をつがえて藪の向こうを凝視した。
息を整え、気配を殺してどれだけたっただろう。気配と共に、声を聞いた。
成人していない少年の声。声変わりはしているだろうが、少し長命な俺にしてみればまだまだ幼い。ただ、返事をするように吠える鳴き声に身を固くする。
ウルフ系の魔獣は森にいないはずだ!
(対話の余地なしと見たら、目を潰す。次に足を、人間の方は喉を)
葉の隙間からは気配が姿を現すのを待つ。ウルフ系の鳴き声に心臓が早鐘打つのを、一つ息を吐くことで宥めた。
(…っ!)
最悪だ。それしかない。
まず見えたのは黒の中でこちらを殺気混じりに睨み付ける藍色。ウルフ系魔獣でも俊足と凶悪な顎の一撃で有名な、ダークウルフだ。少年を庇うように半歩前で真っ直ぐ俺を射抜いている。
そして少年。脅威にはならないとすぐに判断出来るほどだ。筋肉もないし、まず俺が潜んでいることすら勘づいていない。
威嚇を込めて、少年の足をかするように矢を放つ。
「 」
ゆっくり見開く黒い瞳が矢を映した瞬間、ダークウルフに叩き潰された。流れるように弓を打ち起こす、が、ダークウルフの怒りに燃える瞳に手が止まる。
次に矢を放てば、その瞬間に身を隠す藪ごと八つ裂きにされるビジョンが浮かんた。
ダークウルフの全身にみなぎる力は単なるポーズではないことは、嫌でも理解出来た。
(…くそ、くそっ…!!)
ぶるぶると両手が震える。そのまま矢を乱暴に矢筒へ戻して立ち上がる。音が立つこともこの際どうでもいい。
背を這う悪寒を振り払うように、俺は藪へ踏み出した。
「バー、セルン」
「バーシェルン、だ」
「バーシェ、ルン」
「そうだ」
あれから少年が何者なのか問い質そうとして、言葉が通じないことが分かった。全く意志疎通が出来ないと危惧していたが、少年は交互に自分とダークウルフを指差しながら何かを言う。
何度も繰り返される内にそれが彼らの名前で少年はキエン、ダークウルフはインディゴというのが分かった。ダークウルフの方は、ディンとも呼ばれていたが恐らく略称だろう。キエンは俺の名を転がすように呟いて「…バース?」と首を傾げていた。
「お前は本当にどこから来たんだ…しかし、怪しいのは確かだ。ついてこい」
短時間の間で極々簡単なジェスチャーなら通じるようになった。大人しく俺の後ろを歩く姿をちらりと盗み見た。
会話していた時のような少し楽しげな雰囲気なんかどこにもない。強ばった顔は青ざめて、唇も固くする結ばれていた。
高い木々がまばらになってきた。もうそろそろ森を出る。
さぁっと陽光が柔らかく俺達を照らす。歩き詰めだったため疲労もあるし、焦ることもない。休憩を伝えようと足を止めて振り返り―――
絶句した。
ぽたぽたと太陽に反射した滴が草の隙間に転がり落ちる。何度も何度も。
何とも言えない激情に震える黒い瞳がを大きく見開いて、キエンは静かに泣いていた。
インディゴが小さく鼻を鳴らしながらすり寄っているのにも気付かずに、青く突き抜けるような空を見上げ、緑豊かな大地を見渡し、ただその光景を目に焼き付けるかのように、微笑みさえしながら泣いていた。
「…キエン?」
呆然とした自分の声がぼんやりと聞こえた。どこか他人事のように見つめる自分とキエンの目が合う。
「……――――――」
小さく呟くように溢れた言葉は、やはり俺には解らない。
ただ泣いているキエンは、それでも嬉しそうだから、そうか、と言った。
「……この世界の空と大地も一緒なんですね、」
いつか彼の操る言葉を理解したいと思いながら。
ちょっとインディゴ空気になってしまいました…まぁバースさんからしたら魔獣ですもんね。
季燕君はちょっと涙腺崩壊しかかってます、人間と会って会話出来て森を出れて。
お次からは季燕君の里での奮闘編です。