3 HOSTILE
「前方にアイアンを視認」
二機のヴェンジャーは降下を始める。
「アイアンに接近。ターゲットに変化はない。気付かれていないようだ。爆撃開始予定時刻(ETB)まで一分」
ハスキーは彼の前のレーダー・ディスプレイを注視している。レーダー波がヴェンジャー1の前方30°を絶え間なくスキャンしているが、怪しいものはない。
四時方向からリードはヴェンジャーを接近させる。アイアンこと沙智の顔が見えてくる。
なるほど、美人だ。ガキに過ぎないが、美人のガキだ。五年も経てば、ふるいたつような女に化けるだろう。タケシと同年代の男子が首ったけになるのも頷ける。リードは思った。
だが、同時に嫌悪感も覚えた。むかつく面つきだ。その顔の裏にある感情が嫌らしい。彼女は自信に満ちている。自分が出来る人間であることを自覚している顔だ。自分より下の存在を踏みつけるのになれきっているに違いない。
……空も飛べないくせによ。
手際よくテストを妨害して、そのご立派な成績に泥をつけてやる。リードは心に決めた。
「爆撃を開始する」
沙智の横顔を睨みながら、リードが告げた。
その時、ぎろりと沙智の目が動いて、リードを睨み返した。
気付かれた!? リードの背中を冷たいものが走った。
コクピットの計器が電子音を発する。
「レーダーに感! IFFトーンに反応なし!」
ハスキーが叫ぶ。敵味方識別装置(IFF)に反応がないということは――
「敵機!」
「どこだ!?」
ハスキーが素早く目を巡らせ、レーダー源を探す。
信じられない光景を目にした。沙智の髪をまとめている赤い髪飾りが分離した。それが加速しながら追ってくる。
擬態した戦闘機。
「タリー2、六時方向! 上から来ます!」
「兵装モードを空対空戦闘に切り替えろ!」
このアマ、牙を隠してやがる! リードは歯を食いしばる。
待ち伏せだった。
ハスキーの言った通り、女子生徒である彼女の筆箱に戦闘機はなかった。髪飾りがそれだった。出来る女子が無防備なはずがない。
擬態していた赤い戦闘機が迫る。敵は二機。ヴェンジャーの機上コンピューターは、それぞれをアイアン1、アイアン2と設定してHUDに表示する。
「レーダー!」
ハスキーが叫ぶ。甲高いアラート音が響く。敵がレーダー追尾式ミサイルをロックオンしようとしている。
「くそったれ!」
リードは機を反転させる。攻撃目標であるアイアンのテスト用紙を越え、ヴェンジャー1は机の下へと飛び込んだ。
追ってくるのは一機だけだ。もう一機はガイアの方へ回ったに違いない。
高所からの加速性能を生かして突進してくる。
すでに長距離射程を誇るレーダー追尾式ミサイルの最小射程距離は割っていた。ミサイルには、近すぎて撃つことが出来ない最小射程距離というものがある。高速で飛び合う空戦では、自分で撃ったミサイルの爆風や、飛散する破片に突っ込んでしまうからだ。
今のレーダー波は、ほんのジャブ。敵は近距離用の赤外線追尾式ミサイルでこちらを葬ろうとしている。よほど格闘戦に自信があるに違いない。
リードが敵を振り払おうと、激しい機動を行うが、ぴったりとついてくる。インターコムに、パイロット達の規則的で、早い呼吸音が響き渡る。
アイアンの腿の間をすり抜け、教室の床の上すれすれまで高度を落とす。それでも敵はついてくる。
敵は絶対的な優位に立っている。だが、そう簡単にこちらがやられることもない。
ミサイルの性能こそが戦いの帰趨を決するというミサイル神話というものがあるが、ミサイルというのは一般に思われているほど万能ではない。ミサイルの先端につけられた追尾装置が敵をロックオンできる角度は、360°中、たったの2°に過ぎない。結局の所、空戦を制するのは戦闘機乗りの才覚であって、ミサイルの追尾装置はそれを補助しているのに過ぎなかった。
リードを追い詰めるには、性能と腕が必要なのだ。
もしミサイルを撃たれたら、フレアに身を任せるしかなかった。
フレアとはマグネシウムの詰まったパッケージを燃焼させながら投下するもので、エンジンの排熱に似た赤外線パターンを作り、ミサイルをそのダミーに突っ込ませようというソフト・キル防御手段だ。
ミサイルがそれに惑わされてくれれば生き延びることができる。運次第の防御手段だ。ミサイルは撃たれないに越したことはない。
「エネミー・ロック! 狙われています!」
ハスキーが叫ぶ。IRトーンが鳴り響く。敵の赤外線追尾ミサイルがロックオンしようとしている証だ。
性能と腕。アイアン1はその両方を持っていた。
リードはフェイントをかけて、一瞬で敵のキル・コーンを脱する。だが、敵の旋回性能は鋭い。すぐにヴェンジャー1の背後へと戻ってくる。
加えて、リードは床すれすれを飛んでいた。床に転がる学生の上履きを危うく避ける。
極めて危険な空だ。気を抜けば衝突する。だが、低空を飛ぶことにも利点はあった。
教室の天井付近の希薄な大気の空と比べ、床付近の濃密な空気の存在はミサイルの射程を減じる。さらに机の足だの、上履きだの、生徒の体だの、予測もつかないような障害物が存在する。
なにが起こるともわからない世界で、不利な戦況がひっくり返ることに一縷の望みを託す。
それにしても、敵機は何という性能を持っているのだ。軽々とこちらの機動に追随してくる。ヴェンジャーをここまで追い詰めてくるとは、空恐ろしいものを感じる。
敵の力量を推し量ろうと、リードはその猛禽のような目を巡らすが、背後の敵は見えない。戦闘機にはサイドミラーのようなものはついていなかった。
そんなものは必要ない。後席がパイロットの目の代わりだ。
「ハスキー!」
ハスキーはリードの意をくんで、体を支えながら腰をひねって敵を睨んだ。
「敵はブレンデッド・ウィング・ボディです。エアインテイクは二つ、恐らく3D可変式。凄い旋回性能です!」
リードは一瞬で敵のデータを分析、被我の戦力差を探る。
敵の機体は極端に滑らかな作りで、およそ兵器には見えない。ブレンデッド・ウィング・ボディと呼ばれ、空気抵抗を減じて、運動エネルギーを保存しやすいように設計されているのだ。
さらに優れたエンジン吸入口の位置のおかげで、急激な姿勢変化でも、エンジンに入る空気量が安定している。無茶な機動でもエンジンが停止することなどありえない。
そして、敵の運動量から推測するに、敵はフライ・バイ・ワイヤと呼ばれるシステムで、機体を極度に電子化しているのだろう。お利口なコンピューターが、複雑な機体制御でも手取り足取りサポートしてくれるので、常識を越えた運動が可能なのだ。それは格闘戦にて無数の利点を生み出すこととなる。
空飛ぶ優等生と呼ぶべき機体だ。それがドッグファイトでこちらを滅ぼそうと追ってくる。
ドッグファイトだと……なめやがって。
両機が互いの尻尾に噛みつこうと組み合う、空中の泥仕合だ。百年前から戦闘機乗りがやってきた伝統的なかち合いだ。コンピューターとミサイル誘導装置任せの清潔な戦いではない、互いに死力を尽くしたものになる。
いいだろう、乗ってやろう。犬のケンカだ。どっろどろの汚ねえ試合をしてやろうじゃねえか。そっちの方がふでばこ航空団には似合っている。
「掴まっていろよ!」
リードはアクロバット機動を始めた。敵を振り切り、さらに敵の背後につこうという肚だ。バレル・ロールと呼ばれる機動を行う。機首を上げながら横転する。ペットボトルの内側をなめるかのように、螺旋状に機体を回すのだ。
天井と床が逆さまになり、一瞬でそれが元に戻る。
高G機動だ。二人が纏うGスーツが強烈に体を締め付けくる。服が主を痛めつけているのだ。
きつすぎるGで、体の血液が足へと落ち込んでしまう。それを防ぐために、Gスーツが脚部の血管を締めて、血流の流れをくい止め、脳に少しでも血液をとどめようとしている。
内出血ができるなんていつものこと。だが、死と生の瀬戸際では構っている間もない。
汗が顔の凹凸に沿って流れて、酸素マスクの下に溜まった。HUDに表示されているレティクルの数字が素早く流れていく。
「どうだ?」
「着いてきます!」
敵機は瞬時にリードの意図を読むと、逆方向にバレル・ロールをとっている。キャノピー越しに、敵の背面が見えた。
驚きの運動性でくるりと回ると、再びヴェンジャー1の背後をとった。
「なっつう腕だ」
リードは思わず呟く。敵は怪物的だ。
「太陽に向かいましょう! ミサイルの防御に使えます!」
太陽は赤外線の塊だ。赤外線追尾ミサイルを相手取る場合、理論上は有効なダミーとなる。ミサイルの眼が太陽の熱源に気をとられてくれるかもしれない。
やってみるか。シンプルな手がうまくいくこともある。
ヴェンジャーは逃げている間に生徒達の足下をくぐり、教卓にまで接近していた。
「上がるぞ」
教卓に衝突しそうなタイミングで、リードは操縦桿を引き上げる。重い。空気が重しとなって翼を押さえつけている
リードの腕の筋肉が膨らみ、全身を操縦桿にかけるようにして、それを引いていく。高度計がどんどん回る。
ヴェンジャー1は垂直に機体を立てて高度を上げる。水平尾翼が教卓の表面を擦りそうになった。
強力なGが襲いかかってくる。酸素マスクが顔に食い込み、顔の形が変わる。瞼が眼球を押さえつけ、満足に見えない。視野の狭窄が進む。眼球から血液が後退している。
体の上にまんべんなく、何ミリグラムもの岩が乗せられるようなものだ。
パイロットの体を座席に縛り付けているハーネスが、楔のように体につき込まれてくる。呼吸が難しい。背筋でそれを押し上げるようにしながら空気を吸い、さらに操縦桿を強く握る。
教卓の縁を越え、古田先生の頭にまで達した。
そこでロールを打って、機を捻りながら180°方向を変える。インメルマンターンと呼ばれる機動だ。最前と打って変わったマイナスGがくる。
だが、リードはひるまずヴェンジャーを操った。
鍛えていない人間なら、それだけであの世逝きの機動だ。パイロットは、全身はもちろん、特に僧坊筋と胸鎖乳突筋を徹底的に鍛えている。それで頸椎をサポートしているのだ。空飛ぶハンターとして、パイロットは自分の体の弱さが飛行する際の足手まといにならないようにしている。
多少の苦痛など構っている場合ではない。この場を生き延びるには、全ての才覚を発揮するほかないのだ。
ヴェンジャー1は教室の横一面に張られた窓へと向かう。それを飛び越して太陽の下で戦うつもりだ。
が、リードは目を見開いた。窓は閉め切られている。
リードの顔つきが険悪な色を帯びた。罠に嵌められたことに気付いたのだ。
教室の窓は、全てが全て、締め切られている。伊良野沙智はクラス委員として、窓を自在に開け閉めする権限を持っていた。彼女はテスト前にそれを全て閉め切るように手配していたのだ。
「コックサッカー! なめやがって」
アイアンは、ここまで読んでふでばこ航空団への罠を張ったのだ。タケシのパンツはこれのための布石に過ぎなかった。タケシの持つ優れた航空戦力、ふでばこ航空団をこの場で殲滅するつもりだ。
タケシはまんまと敵の誘いに乗せられて戦闘機を出撃させた。敵は一枚も二枚も上手だったと言うことだ。
ふでばこ航空団に逃げ場はない。この教室そのものが罠なのだ。
教卓の向こうから、アイアン1が姿を現す。その先進的な空力学的デザインと、電子化された機体制御のおかげで、アイアン1の許容Gはヴェンジャーより一桁多いのだろう。軽々と高みまで機を持ち上げてくる。
リードは死を悟った獣のごとき眼で、敵機を見やる。
ふでばこ航空団を失えば、タケシは無力だ。力のない男というのは悲惨だ。これから先、タケシの人生はろくなものではないだろう。今日ここで死んでしまった方がマシだと思えるほどの転落が、タケシを待ち受けているに違いない。
そうだ。タケシとリード達は生死を共にしている。ここでリードが破れれば、主人たるタケシも死ぬ。
偽装のため赤色に塗装された敵の機体が、目に焼き付けられる。
こんなふざけた敵が俺を殺すのか。途端に怒りがこみ上げてくる。パイロットのクールな仮面の下、溶鉱炉のように心が燃える。
リードは唸ると、機を降下させた。
「リード! ビー・アドバイズ! 分が悪すぎます! アフターバーナーを炊いて、急降下でずらかりましょう。運がよければ見逃してくれるかもしれません!」
「いや、こいつらは仕留める」
リードは低い声で言った。
ふでばこ航空団も、タケシも、こけにする奴は許せない。
リードの怒りに呼応して、ヴェンジャー1の機体から殺意が吹き上がる。
テクノロジーの塊である戦闘機飛び交う空戦でも、結局の所、勝負を決めるのはパイロットの粘り強さだ。リードの行動選択肢に諦めるというオプションはない。
撃墜されるにしても、逃げる途中にではなく、戦いの途中でだ。
「掴まっていろよ! 荒れるぜ!」
操縦桿を前方に突いた。床へとダイブする。
マイナスGで横隔膜が持ち上がり、睾丸のあたりに異常な浮遊感を感じる。
一気に、脳に血液が叩きつけられる。ハンマーで殴られるような痛み。視界が赤く染まる。
レッド・アウトと呼ばれる現象だ。遠くに自分の心臓の鼓動がこだまする。
だが、リードは動じない。今や、彼は殺意を機体に伝えるインターフェースと化している。
今となっては分かるが、太陽に向かって飛ぶことはアイアン1相手に意味ある手ではない。
今時のミサイルは、ターゲットの発する赤外線波長の『形』を識別するという。太陽を背にしたところで、ミサイルは太陽と戦闘機を見分け
て、問題なくこちらを叩き落とせるわけだ。機体に最新テクノロジーを搭載している敵だ。ミサイルが最新式でないはずがなかった。
そんなミサイル相手に、フレアがどれほど有効なのだろうか。間もなく敵はそれを見せてくれるはずだ。
こちらが窓を目指して上昇したため無駄にした運動エネルギーは大きい。敵の優位は絶対的だ。
「エネミー・ロック!」
ハスキーからの声。
敵は好機を逃す気など無い。急降下しながらこちらを葬ろうとしている。アドレナリンが血の中で荒れ狂っている。
敵機のコクピットからの敵意の視線を背中に感じた。
「撃たれました!」
ハスキーの叫びと計器の悲鳴が重なった。
ミサイルがヴェンジャー1の後部で真っ赤に燃えているエンジン目がけて迫ってくる。逃げ切れるスピードではない。
ヴェンジャーの後部から次々とフレアが放出される。空中でそれは美しく花開いた。
死への恐怖はない。そんなものに浸る暇がない。
ミサイルは、ヴェンジャー1の上方を素通りした。
外れたか。
ミサイルは机の横にぶら下がる、学生の鞄に命中した。
直後、そこから黒い液体が吹き出る。リードはぎょっとした。さながら横向きの間欠泉だ。
墨汁だった。ミサイルは書道の鞄に穴を空けたのだ。
ヴェンジャー1は機体をひねってどうにか墨汁を避けた。墨汁なんてものがエンジンの空気取り入れ口に飛び込んだら、エンジンは爆発していたことだろう。
はっとする。強烈な敵意が迫っているのを感じる。
斜め上方から、燃えながら迫る死。
ミサイル……二発目!
それが爆ぜた。
近距離爆発だ。
ミサイルの破片が銃弾と同等の威力を持ってヴェンジャー1を襲う。
キャノピーがびんっ、と爆風に鳴った。だが、割れはしなかった。
瞬きを数回して、リードは空間識を取り戻す。
「ダメージレポート!」
ヴェンジャー1の広い翼の上、焼け焦げた痕が目に飛び込んでくる。
敵が絶妙なタイミングで放った二発目の打撃は、リードの愛機を痛めつけていた。
「エンジン、大丈夫です。油圧も正常」
ハスキーが報告する。エンジンは変わらず吠え続けている。それなら戦える。
ミサイル二本同時撃ち。確実にヴェンジャー1を葬るための手だ。ミサイルが直撃しなかったのは、リードを驚かせた墨汁に、ミサイルも惑わされたからに過ぎない。純粋に運の気まぐれで彼らは生き延びていた。
敵は絶好のチャンスで攻撃してきた。
こちらに傷を負わせたが、こちらを殺すには至らなかった。それが敵のミスだ。少々の手傷は、むしろ猛禽の戦意をかき立てる。
「反撃するぞ」
ヴェンジャー1は回避運動をしながらも、大きく弧を描くように飛んでいた。再び伊良野沙智の机へと接近しつつある。
レーダー上にガイア機が表示される。彼も敵に責め立てながら、必死に応戦中なのだ。
敵はいい戦闘機に乗っている。敵パイロットは、間違いなくエース級で、その腕前を自覚している。だからこそ、その慢心の隙もつきようがあるってものだ。
「ガイア! しつこくケツにくっついてくるスケを片付けたい。手を貸せ」
『了解』
機体性能で劣っている以上、チームメイトを信じて対抗するしかない。
机の下からガイアのヴェンジャー2が飛び出してきた。その後ろに敵のアイアン2がぴったりとくっついている。
ヴェンジャー2は強引な旋回運動を行って、どうにか撃たれないようにしている。機体の耐容Gぎりぎりの動きだ。パイロットの苦痛はいかほどだろう。
タフなガイアならではだ。後部座席のブサは悶絶していることだろう。
どうする? ゆっくり考える暇はない。
互いに互いの後ろに着いた敵機を撃てるように、大きな円を描いて飛ぶか? さながら自分の尾を食らうウロボロスのように。
いや、無理だ。加速性能に優れる敵が、それまで待ってくれるはずもない。自分か、ガイアか、どちらかがやられてこの策は破綻する。
では、今の高度で交差しながら、互いに互いの敵機にミサイルをかますのはどうだ?
無理だ。腕のいい敵がやすやすと撃たせてくれるはずがない。敵をロックオンするのだって途轍もない難事だ。
常識的に考えて、ヴェンジャーたちに勝ち目はなかった。
常識にとらわれるのはつまらない。リードは思う。
まず第一に、ロックオンしてから敵にミサイルを撃つという手順がまだるっこしい。これを除けば、問題はだいぶクリアになる。
多くの実戦を生き延びた人間に共通して備わる、単純な理論でリードは考えていた。
「ハスキー、おまえには俺の後席を任せた。これは大役だ。わかるな?」
「光栄に思ってます、サー!」
ハスキーが破れかぶれな口調で答えた。リードの言葉を、遺言と受け取ったらしい。
「俺に命を預けて、俺の命令どおりに動け。いいな?」
「ラジャー!」
攻撃選択用ジョイスティックを握りしめてハスキーが叫ぶ。
この後席。若いが、見所ある。いい戦闘機乗りになるだろう。ここで死なせてはならない。リードは心に決める。
「ガイア、アフターバナーを焚け!」
女房役に怒鳴る。
これは常識外の言葉だった。
『了解、ヴェンジャー2』
だが、ガイアはリードの言葉に疑問を挟むこともせずに従った。
ヴェンジャー2がアフターバナーを全開にする。ジェットエンジンの排気に火が投じられて燃え上がった。大量の燃料を食らいながらそのエンジンが吠える。エンジンの排気口が瞳孔のように開いて、炎が覗いた。ヴェンジャー2が猛加速する。推力は二倍に達している。
エンジン排気口からは当然、ものすごい量の熱が生まれている。
弱点をもろにさらしていた。バナーを炊いても、ミサイルはそれより速い。火を噴いて逃げるヴェンジャー2は赤外線追尾式ミサイルにとって格好なエサだ。
ヴェンジャー2の後方、アイアン2は嬉々としてロックオンしようとする。
しかし、それより早くヴェンジャー2をロックオンした機がいた。ヴェンジャー1である。
「撃て!」
リードは命じた。
「ヴェンジャー1、ホット! フォックス2!」
赤外線追尾ミサイルがレールから外れ、わずかに落下する。そこでミサイルのロケットモーターが点火した。
ミサイルはヴェンジャー1を追い越し、あっという間に点になる。
ハスキーは無言だ。
味方へのミサイル攻撃。客観的には裏切り行為か、発狂しての誤射に見えることだろう。だが、これは相手への信頼に裏打ちされた大胆な反撃だ。
ガイアはリードの意図を読んでいた。伊達に女房役はやってない。
ミサイル接近のアラートが鳴り響く中、彼は動じずに機体を操る。パニックほどパイロットに縁遠い感情もない。
ガイアは自身に備わる超人的な空間把握能力で、自機をヴェンジャー1とアイアン2の直線上へと持って行く。当然、腕のいいアイアン2はやすやすと着いてきた。そこへミサイルが迫る。
驚いたのはアイアン2。
ミサイルとヴェンジャー2の間に割り込む形になってしまった。
ミサイルがさらに近づいてくる。アイアン2はロックオンされてもいないのに、ミサイルがすぐそこまで迫っていた。
ガラガラ蛇の霊に憑依されでもしたように、ジグザグに震えながら猛スピードで負ってくる。どのようなパイロットだって、ぞっとせずにはいられない。
アイアン2は堪らずフレアを撒いて、緊急回避をとった。同時にガイア機もエンジンを絞ると、フレアを放って反対方向へと緊急回避する。
大量にばら撒かれたフレアに、ミサイルは大いに戸惑う。そして、適当なところで爆発した。
好機だった。
リードはスロットルを倒して、アイアン2に襲いかかる。アイアン1が阻止しようにも、もう遅い。エース同士の鍔競り合いで、一瞬のひるみは勝敗へと直結する。
運動エネルギーを失ったアイアン2は、必死の回避運動を試みる。その旋回性能でリード機を振りほどこうとする。
リードは敵のフェイントに乗らなかった。まったく勢いを落とさない。殺気あふれながら、敵に肉薄する。すでにミサイルの最小射程距離を割っていた。できる攻撃は一種類しかない。
「兵装をバルカンにしろ」
ハスキーに命じる。
「ラジャー」
彼の呼吸が速まるのがインターコム越しにわかるが、リードは構わない。愛機を最適なポジションに導くことに専念している。
敵機がHUDからはみ出そうなほど大きくなった。
「撃て」
「ヴェンジャー1、フォックス・スリー!」
ハスキーが撃った。ブーン、と足元から身を震わす振動。輝く曳光弾混じりの、鉛の雨が迸る。
ハスキーは軽く引き金を引いていたが、それでもバルカン砲は九百発の鉛弾を発射していた。
そのうち敵機に命中したのは、ほんの百発程度だった。敵は粉々になった。ジェラルミンと航空燃料が超新星爆発のように拡散した。
ヴェンジャー1はその中を突破する。
「アイアン2、ダウン」
「グッドショット。グッドキル」
リードが言う。直後、警報がコクピット内の空気を切り裂く。
「気を抜くな、来るぞ」
アイアン1が追いすがってくる。たちまちロックオン警報が響き渡る。相棒を殺されて怒り狂っているに違いない。復讐を遂げるまで、止まることはないだろう。
怒り狂っている敵というのは、むしろ与しやすいものだ。パイロットにとって激情は不注意のもとだ。
曲芸じみた飛行で両機を殺されたのが気に入らないか。じゃあ、もっとすごい曲芸を見せてやるとしよう。
「ハスキー、クルピットを見たいと言ってたな?」
「イ、イエッサー!」
「それよりすごいのを見せてやるよ!」
敵がミサイルを撃った。高い確率でこちらを撃墜する必殺の攻撃が迫る。
これをやり過ごすには、正気な機動では不可能。
リードはレバーを引いて、エンジン推力を落としてアイドリングへ持って行く。同時にラダーペダルを踏み込む。過去の飛行経験を一点に集約する。
エアブレーキが作動する。ラダーが、フラップが、スロットが、エルロンが、エレベーターが、ヴェンジャー1に存在するすべての空力学的要素が、ヴェンジャー1の飛ぼうという力と拮抗した。機首を真上に向け、予備動作なしでの方向転換をしようと、あがく。
目に映る世界が回っている。脳が頭蓋骨の中ではね回っている。毛細血管がちぎれる音が連続した。
人間はこのような空中機動に耐えるほど強くはないのだろうか。
だが、自分の体が壊れる音よりも、愛機の上げる悲鳴がリードの注意を引く。
ヴェンジャー1の翼がたわむ。まるで、本物の鳥のように。機体の物性の限界だ。破断する。金属がねじ切れるおぞましい音がした。
空がヴェンジャー1を引き裂こうとしている。
リードは決死の形相で手に力を込める。
ヴェンジャー1。貴様は戦うために飛ぶ狩人だ。この程度で音を上げてどうする。空の覇者ならば、常識を越える機動をやって見せろ!
ヴェンジャー1は強引に身をくねらし、己を苛む分厚い風を突き破った。空気に孔が空く。
「フレア!」
リードの叫び。ハスキーは苦悶の表情でフレアを放出した。
ヴェンジャー1は空中で回転しながら、フレアを撒き散らす。360°に広がりながら、燃えるフレア。遠目には鮮やかな花火にしか見えない。
戸惑ったのは迫るミサイルだ。ヴェンジャー1の熱源があらゆる方向へと散らばっていく。いかに賢いミサイルといえども、こんな熱源は想定していなかった。
フレアの花が咲き乱れているその中を、ミサイルは降参して落ちていく。
「これぞ、リード式クルピット・花火」
リードが潰れた声で誇らしげに言った。
ヴェンジャー1は戦闘機動中にフレアを撒きながらその場で一回転したのだ。ひるんだのは、ミサイルだけではない。アイアン1も、なすすべなくその下を通過していた。
いま、敵は無防備な背中をこちらに曝している。
リードは操縦桿を滑らし、奥まで押し込んだ。アフターバーナー、点火。ヴェンジャー1の排気口が瞳孔のように広がる。
アイドリング中、エンジン内部に蓄積した可燃性のガスが燃えた。さながら、爆炎を吐いているようなものだ。
ゼロになっていたヴェンジャー1の推力が、出し抜けにマックスへと跳ね上がる。
機体がバリバリと震える。ヴェンジャー1のエンジンはその真の力を発揮した。
「こちらの番だ」
リードは敵を睨む。ヴェンジャー1は血に飢えた雄叫びを上げつつ、獲物を追う。
追う側と追われる側の立場は逆転した。敵もすぐさま、持ちうる全てのトリックを放つ。逃れようと、荒れ狂っている。
さすがに狩るのがうまいやつは、逃げるのもうまい。イカれたような機動でこちらを振り切るつもりだ。
だが、すでに流れはこちらに向いている。厳然たるルールのある空の下、こちらの優位は動かない。
リードは敵の機動を先読みして、キル・コーンに収めた。
「ハスキー、やれ」
ハスキーの武器制御システムから電子音が断続的に響いている。
その感覚がせばまり、連続した音となった。ロックオン成功だ。
直後、アイアン1が、ぱっとフレアを撒いてセンサーを狂わせる。
「ふん。嫌だとよ」
「逃がしません」
ハスキーが落ち着いた声で言った。
フレアが散るのを待ってから、冷静にロックオンして、引き金を引いた。
「ヴェンジャー1、ホット! フォックス2!」
ミサイルが敵へと吸い込まれていく。アイアン1は狂ったようにフレアを吐いたが、ミサイルは目もくれない。アイアン1のエンジン排気口に突っ込み、その中で爆発した。
「エネミーダウン」
アイアン1は燃えながら床へと墜ちていく。
「グッドショット。グッドキル。よくやった」
リードはねぎらった。
実際、よくやってくれた。なかなかできることではない。こいつは死地にて成長したのだ。
戦いを生き抜いたことを実感してか、ハスキーの声に震えが混じった。
「け……健康的な職場を求めて飛んでるわけじゃありませんが……ここまで痛いフライトは初めてです」
「慣れれば快感になる」
「あと……この機体でクルピットはできないと習いましたけどね」
「学校のお勉強がアテにならない証明だな」
アイアン1は教室の床に墜落する。大爆発を起こして、ぼんっ、と音をたてた。それは生徒たちが咳をしたり、シャー芯折ったりする音にかき消されて、誰の注意も引かなかった。
だが、唯一、沙智の顔面は蒼白となって、腕がわなわなと震えていた。
「エリア・スイープ成功。ターゲット空域の制空権を確保した。これより爆撃を開始する」
二機のヴェンジャーは高度を上げて、編隊を組む。時間がない。テストは間もなく終わってしまう。今すぐ爆撃を仕掛けねばならない。
二機の周囲で爆発が生じた。対空砲火だ。
アイアンのテスト用紙を守るように設置されたカラフルな文具が、砲を突き出して撃ってくる。機体ががたがたと揺れる。
「ヴェンジャー2、対空砲を排除できるか?」
『ネガティブ! 格闘中に爆弾も照準ポッドも破棄した。爆撃は無理だ。すまない』
「問題ない。こっちはまだ持っている。支援頼む」
『了解』
「ヴェンジャー1、兵装モードを精密爆撃に設定」
ヴェンジャー1は対空攻撃に耐えつつ、アイアンのテスト用紙上空へと進入していく。
「照準ポッド、オンライン」
ハスキーがディスプレイを切り替えた。ターゲットを俯瞰した映像が表示される。高価値標的が略示される中、ハスキーはそれに照準カーソルを合わせ、引き金を引いた。
途端に、計器が一斉に真っ赤なライトを灯す。ディスプレイはブラックアウトを起こした。
「くそっ! リード! 爆撃不能です! 爆撃照準ポッドが損傷しています!」
リードは喉の奥で唸る。先ほどの格闘戦の際、ミサイルの至近弾を浴びた。そのせいに違いない。ヴェンジャー1は爆撃に必要な眼を潰されていた。
タケシへと通信を送る。
「ヴェンジャー1も2も爆撃能力を喪失した。ベース・タケシ、精密爆撃は不可能だ」
「じゃあ、僕が自ら照準する」
武はランドセルにつけたレーザーポインターを手に取る。それを慎重な手つきで構えた。目標である沙智のテスト用紙はここから見えている。
レーザー誘導が可能だった。武の照射するレーザーに導かれて、ヴェンジャー1のスマート爆弾は目標を撃破できる。
伊良野沙智の机できらりと光るものがあった。武は眼を細める。
次の瞬間、武は照射しているレーザーが、自分の胸を指しているのに気付いて、凍り付いた。どういうことだ!?
沙智は手に鏡を隠し持ち、武のレーザーを反射しているのだ。沙智は自分のテスト用紙が狙われていることを知っている。
鏡はそれに対するシンプルにして、完璧な防御だった。
「畜生……レーザー誘導が出来ない!」
武は呆然としながら言った。




