2 VANGER OPERATIONAL
『聞こえるか?』
パイロットたちのヘルメット内部に装着されたインターコムから武の声が流れる。
「ベース・タケシ、ラウド・アウンド・クリアだ。よく聞こえる。ゴー・アヘッド」
『ベクター・スリー・シックス・ゼロ。エンジェル・ワン・ゼロ・ゼロ・センチメートル。バイ・バスター。コンタクト・ベース・エコー・シエラ・ブラボー。オーバー』
「了解」
『ターゲットは伊良野沙智。ターゲットの状況は僕の席から十分に目視可能。現在、ターゲットは静止している。算数テストに集中しているようだ。以降、ターゲット・コールサインは『アイアン』とする』
「アイアンね。……硬そうな女で」
ハスキーが呟いた。
『全機、マスター・アーム・オン』
「了解」
ハスキーとブサ、両機の火器管制士官が兵器の安全装置を外した。筆箱内で暴発することないよう、眠らされていた兵器が目を覚ます。
ヴェンジャーの主翼の下の張り出し(パイロン)には、長射程のレーダー追尾式ミサイル二発。コールサインはフォックス1。
主翼の先端には、格闘専用の短射程赤外線追尾式ミサイルが二発。コールサインはフォックス2。
そして、フォックス3として、機首にバルカン砲が装備されていた。
胴体下には二発のスマート爆弾まで吊っている。まさに、どんな敵とも一戦できる構えであった。
「で、どう痛めつけるんで、大将? その女のホットな尻にミサイルぶち込みますかい?」
「そりゃ無理だ。テスト中だから、生徒はみんな椅子に座っている」
リードが冷静に指摘した。
『こちらベース・タケシ。リードの言うとおりだ。今回のミッションのプライオリティー・ターゲットはアイアンのテスト用紙である。これを攻撃して、あの女の回答を判読不能とする。奴が零点になるのが、最も望ましい』
「テスト用紙汚しね。……しょっぼいミッションですわ」
ハスキーがふてくされて言った。
ここしばらくの、ふでばこ航空団のミッションは、ウィスキー片手にこなせるレベルのものばかりだった。昼寝をしているガキ大将の耳元を飛んで安眠を妨害したり、教室の後ろの壁に貼られた書道の半紙を汚したりといったミッションばかりで、それは空飛ぶ狩人達の、戦いを求める衝動を鎮めてくれるものではなかった。
だが、ハスキーの言葉に対して、リードが硬い口調で言う。
「いや、そうとは限るまい。敵の眼前でテストを妨害するのだ。ありとあらゆる反撃が予想されるぞ。下手すれば、迎撃機すら飛ばしてくるかもな」
「迎撃機? 馬鹿言わないでください。女子が筆箱に戦闘機隠してたら怖いですよ」
ハスキーの笑い声が、酸素マスクの中で篭って響いた。
リードは目を細めて黙考していたが、大きく息を吐いた。後席の若いパイロットは、楽観的過ぎる気がしないでもないが、それでも彼の言うことには一理ある。ふでばこ航空団パイロットたちは、もっと凄まじい修羅場を潜り抜けてきている。
アイアンこと沙智がどれほど出来る生徒か、リードは知らないが、航空戦力を持っていない者がどれほど対抗できるというのだろう。
制空権確保という絶対的な優位に立ってしまえば、それ以外の強みが全て霞んでしまう。現代戦で空を制するということは、それほど大きかった。
『おまえ達がこのミッションを気に入ってくれるのかは分からない。でも、これは僕のパブリシティ・スタントの問題なんだ。分かってくれ。……僕は弱いと言うことを同級生に知られることは出来ないんだ』
タケシが言う。その口調には苦悩が滲んでいた。
「分かっている。おまえは命じればいい。我々が敵は撃滅する」
リードが言った。
「しかし、テスト用紙を汚して効果があるんですかね? タケシ本人は成績なんて興味ないじゃないですか」
ハスキーが問う。
「ああいう女子は、テストの点をひどく気にするんだ」
「ふうん……。理解不能です」
「ああ。理解不能だ」
リードは頷いた。
「学校での座学の点数など何の役にもたたん。重要なのはお勉強の知識じゃない。経験と感覚とカン。生きていくのにはそれが必要だ。娑婆でも、ふでばこ航空団でも同じだ」
この点で、武と航空団戦闘機パイロット達の哲学は完全に同意していた。
どちらも、学校のみならず、社会に蔓延する点数至上主義に従うのをよしとしていない。
だからといって、リードが敗北を受け入れる性質の人間であるわけではない。年に二度行われる戦競(ふでばこ航空団総隊競技会)に、彼ほど気合いを持って望む者はいない。そして、実戦となれば、彼と向かい合った敵は、その不運を天に嘆くのだ。
「百時間のお勉強より、一回の実戦の方が学べるものは多い。死地にてこそ、人間は己の限界を認め、それを乗り越えられる」
「そんなもんなんですかね。まあ、我らがエースの貴方のフライトを楽しませていただきますわ」
『お嬢さんがた、お喋りが多いぜ。耳元でさえずられるこっちの身にもなれ』
僚機のガイアから文句が来る。通信はオープン状態なので、二人の会話はそのままガイア機でも流れているのだ。
ハスキーは大人しく黙った。
リードの女房役を務めるガイアだ。ハスキーも一目を置いていた。
戦闘機は二機一組で戦うのが基本。単独で飛ぶ戦闘機など、空飛ぶネギ背負ったカモでしかない。弱点である背後に着かれて、たちまち撃ち墜とされてしまう。
リードが敵に襲われたとき、それを守り、反撃するのがガイアの仕事なのだ。並みのパイロットに務まる仕事ではない。
ガイアの飛行経験は時間にして、リードの半分にも満たないが、この男は異色の才覚を身につけていた。
彼は空挺出身なのだ。パラシュート降下を五百回は経験している。散歩に行くように気軽に高高度降下低高度開傘(HALO)でも高高度降下高高度開傘(HAHO)でもこなし、敵地に降り立つことが出来る空挺部隊は、超人的な空間把握能力と、エア・ナビゲーション能力を身につけていた。なぜその道を捨て、戦闘機に乗ろうと思ったのか知る者はいない。が、ガイアもまた、ふでばこ航空団の空飛ぶ狩人だった。
彼が黙れというのなら、ハスキーは黙る。戦闘機乗りは概して多弁だが、状況次第で寡黙になれる。
「少し気流が不安定だ。テストの緊張のせいかな」
リードが言って、操縦桿を引いた。テスト中の生徒の頭を掠め飛ぶ。みんな、鶴亀算やニュートン算を相手取るのに忙しくて、小さな戦闘機に気付く者はいない。
多少の気流変化などものともせず、ヴェンジャーは勇ましくエンジン轟かせ、飛び続けた。
ヴェンジャーは優秀な戦闘機だ。
これほど、このストライク・ミッションに向いた機をリードは思い浮かべることができない。
ヴェンジャーの主翼面積は広大だ。『消しゴム一面分』と揶揄される、その主翼の大きさのおかげで、同サイズの戦闘機と比べて、優れた機動性を発揮することができる。
機体内部には強力なターボファンエンジンを二機も積んでいて、その推力は絶大だ。
大きな翼に大きなエンジン。堅実でストイックなデザインで、それが格闘戦だろうが、ミサイル戦だろうが、確実な戦果をもたらしてくれる。大きな翼の下に豊富なオプションを装備することで、制空戦闘から縦深爆撃まで、なんでもこなせる。
そして、機体の周囲にはコンフォーマル・タンクという機体に密着する燃料タンクを備えていた。おかげで、増槽なしでもその航続距離は二百五十メートルにも及ぶ。
二百五十メートル! リードは誇らしく思った。どんな戦闘機パイロットでも、その航続距離には嫉妬することだろう。
もちろん、弱点は存在する。その巨大な翼面積のおかげで遠くから発見されやすい。空戦でそれは大きなディス・アドバンテージである。
ヴェンジャーの堅実なコンセプトという長所は、裏を返せば地味な戦闘機ということとなる。最新軍用テクノロジーを用いた新機軸など搭載していない。巷で流行のステルス性なんて皆無である。
そんな女々しいものは必要ない、とリードは常々思っていた。強力な武装で敵の反撃を圧倒して、瞬時に撃滅する。それを意図してヴェンジャーは作られているし、それで十分だった。
「リード、曲芸飛行を見せてくださいよ」
ハスキーが後ろから言ってくる。
リードは、その飛行技量で、ある種の生きた伝説となっていた。このエースの手にかかると、無骨な空飛ぶ殺し屋は、その一段上の存在、ふでばこ航空団の守護天使のようなものへと格が上がるのだ。
「いい覚悟だ。前にアクロバット飛行を味わった後席は、酸素マスクの中にゲロして窒息しかけたぞ」
リードが言うと、ハスキーが笑った。法螺だと思っているのだろう。
「なにか、やって欲しいアクロバットのリクエストはあるか?」
「クルピットとか、できます?」
クルピットとは、飛行中に急に機首を引き上げ、その場で一回転するテクニックである。その間、機は空中で一時停止するような形となり、背後から敵に追われているような場面で敵を振り切るのに非常に効果的である。しかしながら、回転時にエンジン空気取り入れ口にて空気の乱流が起こり、空気が入らなくなってエンジン停止、そのまま墜落というトラブルも起こりえる。
素人がほいほい手を出すべき技ではなかった。
「まあ、帰り道のお楽しみだ」
リードは言った。
今は、翼の下に爆弾とミサイルを満載していて、アクロバットなんて不可能だ。そんなことをすれば、ミサイルの精密照準装置がイカれかねない。




