5 文面の嘘
ましょう【魔性】
……悪魔の持っているような、人をたぶらかし迷わせる性質。「――の女」
「吉村さんが、魔性の女……」
電子辞書の言葉と噂話をしていた彼女たちが正しいならば、吉村里枝は「悪魔の持っているような、人をたぶらかし迷わせる性質のある女」ということになる。
そんな性質のある女子高生ってどうなんだろうかと思う。だが、それを肯定することも否定することも由里には出来ない。女子の世間話にもっと耳を傾けておけばよかったと思っても後の祭りだ。
ふぅと息をついて開いていた電子辞書を閉じる。英語の予習をしていたが、どうもそんな気分じゃない。
しばらく自分の部屋で扇風機に向かってボーっとしていると、視界の隅で光の点滅が見えた。
「…………」
携帯のメール受信。送り主は恵理子。
『どーせ休み暇なら、週末遊びに行かない? 最近体育祭の準備ばっかりだし、ここらでパーッと』
帰宅途中の会社員じゃあるまいし。
外見美女の完璧人間からのメール文が結構はっちゃけていると言うことは、彼女も大分溜まっているということか。
由里も疲れているとはいえ、家でダラダラと過ごすのも勿体なく感じる。放っておいたら頭が腐りきってしまいそうだったので丁度いい気分転換になりそうだ。
そう考えて了承のメールを送る。送信した途端に点滅する携帯。見たらすでに返信が来ていた。今どきの女子高生の指はどうなってんだと考える「今どきの女子高生」は携帯を開く。
そして、メールの本文で踊る言葉に絶句した。
『そう、よかった。ついでに佐藤くん誘っといたから』
ついでって何だ! しかもお誘い済みですか。
由里はイスの上で縮こまり、頭を抱えた。恵理子は未だに『佐藤彼氏説』を信じているようだ。あれだけ否定したと言うのに。しまった。まんまと恵理子の策にはまってしまった。
今日は木曜日。幸い、まだ時間はある。
これは明日、なんとかしないと。気分転換にしに行くつもりだったのに、と嘆いても今頃遅かった。
***
「お、浅野おはよー」
「佐藤……おはよ」
「名前とあいさつの間はなんだよ」
しかも朝からテンション低いし、とこちらを伺ってくる翔に由里はぎこちない笑みを浮かべた。
君が原因だよとは当然言えない。
「別に。…………あの、聞きたいことが」
「ん? なに」
「もしかして昨日、週末遊びに行きませんかーなんてお誘いとかって……」
あった? そう尋ねようとしたのだが、それはガシッと由里の手を掴んだ翔に阻まれた。
それに驚いてのけ反った由里の体を元の位置へ戻した彼の眼を見て、いつかも感じた嫌な予感が駆け巡った。
「なに、もしかして遊びに行きたい!?」
「え、ちょっと、どうしてそうなるの!」
「大丈夫だよ俺は」
「ぶ、部活は? バスケ部って練習あるでしょう?」
「午前中だけだから大丈夫」
「いや、疲れてるでしょう? ただでさえ体育祭の練習とか準備で大変だし」
「運動部で鍛えてるから全然平気」
「だって、だって……えぇと」
ここまで言い返されると何も言えなくなる。それになんで翔が必死になっているのかも分からず、視線をウロウロさせる。
(あれ、なんでこうなったんだろ。私は何を言いたかったんだっけ?)
そもそもの原因、それは恵理子からのメール。息抜きに遊びに行くメンバーに翔を誘ったと、そう、書いてあった。
「あのね、私が聞きたいのはエリからメールがあったかってこと!」
「エリ? あぁ、藤原さんか」
「うん。藤原さんから」
「来てないよ。そもそもメルアド交換してないし」
「そ、そっか……なんだぁ」
恵理子の奴、ハッタリだったな。
由里の口から思わず、ほぅと安堵の息が出た。恵理子と翔はあまり接点がないということを失念していた。いや、顔の広い恵理子だったらもしかしたら……という考えがあった。
だが、これでメールの件は解決。
「確かに藤原さんは美人だけど、俺も改心したからね。だから週末遊びに行こう」
あぁ、まだ解決してなかった。
ニコリと爽やかに笑う翔はさっきから一向に引かない。由里が握られたままの手をひっこ抜こうとしても、笑顔で封じられた。
さっきのメールの話でうやむやに出来たかと期待したが無理だったらしい。
「まだ行くって言ってないよ」
「じゃあいつなら行ける?」
「いつって……そんなに私と遊びに行きたいの」
「うん。普段からお世話になってるだろ? だから日頃の感謝をこめて」
「感謝されるほどのことしてないよ」
「ここ一ヶ月の携帯の履歴を確認してみたら? ついでにメール内容も」
「…………あれは、まぁ」
履歴はすでに佐藤翔でいっぱいになっている。もちろん内容は恋愛相談という真面目かと言われれば微妙な内容で。
「本音を言うと俺が浅野と遊びに行きたいんだよ」
「……本音って」
「な、俺の為だと思って。半日付き合ってくれよ」
由里の目からそらすことなく真正面から真顔でそんなことを言う翔に、由里の顔に血がのぼった。そんなのだから恵理子に勘違いされるんじゃないか! と叫びたい気分だ。
真剣に言う翔に由里は折れた…………訳ではなく、ただ単に徐々に集まり始めた周囲の視線から逃れるために、仕方なく折れた。こんな場面を恵理子に見られたらことだ。
「わ、わかった。いいよ」
「よっしゃ! 浅野の週末は俺がいただいた!」
「なにそれ」
小さく小さく抑えた音量で「いいよ」と言えば、本人の表情はますます輝く。分かりやす過ぎて音量を抑えた意味がないじゃないかと由里は思うが、翔はすでに週末の予定で頭がいっぱいなようだった。