とある世界が終ったお話
時計に覆われた小さな世界。ぐるりと時計の壁に囲まれた世界。神さまのいる、完璧な秩序がある世界。
この世界に住む人々は生まれた時、神さまから二つの物をもらいます。
一つは命。脈打つ人生の原動力。それがなければ人は生きていけません。
一つはプロット。人生の予定表。それがなければ人は迷ってしまうのです。
生まれてから、死んでしまうまで、何が起こるか書いてあります。
生まれてから、死んでしまうまで、何をやるのか書いてあります。
プロットには全部が書いてあるのです。
みんなプロット通りに生きて、プロット通りに死ななくてはいけないのです。
もしそうしなかったのなら、人々は混乱し、世界は壊れてしまうからです。
コチコチコチ――
世界を囲む無数の時計が、人々に次の時間を知らせます。
人々の数だけある時計が、世界を次の工程へと進めます。
人々はセカセカと、あるいはノロノロと、プロット通りに動きます。
急ぎ急いで仕事に励むものも、やることもなくぶらぶらするものも、みんなプロット通りなのです。
コチコチコチ――
ある男もまた、プロット通りに生きてきました。
プロットの通りに笑い、プロットの通りに泣いて生きてきました。
誕生日のサプライズパーティで喜んだ時も、母親の急死で悲しんだ時も、プロットの通りに生きてきました。
高校へ入り、大学へ進み、会社は大きくはないけれどやりがいのある仕事。
ちょっとした趣味は宝くじ。外れて元々、当たった時はちょっとした贅沢を。
プロットに書いてある通りです。
小学校の頃の同級生。気の良い、笑顔の素敵な人。
偶然怪我をして入院した時、看護婦さんになっていた彼女に出会ったのがきっかけ。
喧嘩もしましたが、同じ数だけ仲直りもしました。
そうして男はめでたく結婚したのです。
30歳になる頃には、彼女はお腹に赤ちゃんを宿しました。
けれどもお医者さんは、難しそうに顔をしかめるのです。
男は奥さんと話し合って決めました。どんなことがあろうと赤ちゃんを産むと。
そして赤ん坊は無事に生まれることが出来たのです。
可愛い可愛い女の子。
お医者さんは奇跡だと言いました。
男は奥さんと手を取り合って喜びました。
全部全部プロット通り。
コチコチコチ――
可愛く小さな赤ちゃんは、可愛くて小柄な少女になりました。
今日から中学生になるのです。
朝から制服を着込んで、男に見せに来ました。
お父さん、どう? 似合うかなぁ……。そうと聞かれて、男は顔をくしゃくしゃにして笑います。
とっても似合うよ。そう言うと娘は喜んで奥さんのもとへ駆けていきます。
男は仕事があるので、娘の入学式にはいけません。
奥さんと娘が車に乗って、学校へ行くのを見送ります。
コチコチコチ――ボーンボーン――
時計は進みます。プロットの通りに。
人々は生きます。プロットの通りに。
男が会社に着くと、電話が鳴ります。
それは病院からでした。
なんでも学校へ向かう途中、交通事故に巻き込まれてしまったとのことです。
男は慌てて病院に行きます。
標識も無視して急いで行きます。
男が病院で見たのは、もう娘とも、奥さんとも見分けがつかない死体でした。
もちろんプロットにある通りです。
男は泣きました。プロット通りに。
男は悲しみました。プロット通りに。
コチ、コ……――
男は恨みます。
男は怒ります。
間違っていると嘆きます。
狂っていると叫びます。
あぁこんな世界ならば、どうしようもなく行き止まりな世界なら、消えてしまえ、壊れてしまえ。そう男は言うのです。
あぁこんな人生は嫌だ。どうする事も出来ない人生は嫌だ。縛られたくない、自由になりたい。そう男は願うのです。
男は走りだしました。何もかもを投げ出して、走って、走って、何もかもを振り切って、世界の果てまで走りました。
あるのは世界を囲む時計の壁。
男は壁を超えられません。どこまでも続いている時計の壁。男は先へ進めません。
困り果てた男の前に、神さまが現れました。
そんなにこの世界が嫌なのなら、お前に鍵をあげよう。外に出る鍵をあげよう。
こう言って神さまは、男に鍵を渡して消えてしまいました。
時計のゼンマイに似た形の鍵でした。
ふと見れば、時計の壁に一つだけ、小さな穴が空いているではありませんか。
きっとこのゼンマイで開けるのだと、男は差し込み回します。
ボーンボーンボーンボーン――
ボーンボーンボーンボーン――
ボーンボーンボーンボーン――
時計の壁が一斉に鳴り響きます。
時計の音が世界中に広がります。
崩れていきます。
音を立てて壊れていきます。
男は一人、世界の外に立っていました。
何もありません。そこには何もありませんでした。
あるのは男の背後に広がるがれきの山だけ。
時計の世界です。男が捨てた世界です。男が壊した世界です。
男の言葉は聞き届けられました。
けれども男の願いは叶いません。
男は手に取ったがれきの欠片を高々と掲げ、その胸へと突きたて、自ら命を絶ってしまいました。
――これまで全部、とある男のプロット通り。