09.
「そこを何とかならないだろうか、長老殿」
「そう言われてもじゃな。幾ら〈冒険者〉の方々の頼みといわれても用意できんものは用意できんのじゃ」
港町の顔役である〈大地人〉の老人は蓄えられた立派な髭をさすりながら重々しく言葉を続ける。
「確かに儂らの町に船はあった。あったのじゃが、壊れてしまっているのではどうしようもなかろうて。新たに造船しように様々な物資が不足しておる。特に竜骨に足る木材が手に入らん。それでも作れというのならば沖に漁に出かける程度の小船ぐらいが関の山じゃ。しかも、あなた方はヤマトまで行きたいと言う。儂ら海を生業とする者としてはあなた方が〈冒険者〉であったとしてもそのような自殺行為は止めざるを得んのでな」
「……では、竜骨に足る木材を手に入れればヤマトへの渡航に耐えうる船を造っていただけると?」
「いや、無理じゃろうな。〈蒼葉樹海〉も枯れ果てたというのが真実ならば、もうこの辺りで良質の木材は採れんよ」
あのあと。
『狂イ』の〈貧狼小鬼〉を倒し尽くしたトールを抱えて〈蒼葉樹海〉を脱出した三人は信じられないものを見た。〈蒼葉樹海〉が無くなったのだ。青々と茂っていた樹海は見るも無残に枯れ果て、朽ち果て、ただの荒野へと変貌を遂げた。
ダンジョンの消失。
その事実と薄気味悪さ。
原因はあの影だろう、と推測は容易だ。実験は一応成功だともいっていた。アレはなんだ。〈冒険者〉ではない。〈大地人〉でもない。〈古来種〉でもない……だろう。
思い当たるのはレイドボス。知らず知らずのうちにクエストの起点となるトリガーを引いてしまって始まってしまった高難度クエストに巻き込まれたと考えるのが妥当な線だ。だが『大都』周辺のクエストは全て攻略されてしまっていて、そのトリガー条件もすでに解明されている。中国サーバで〈ノウアスフィアの開墾〉が適用されていない以上、未知のクエストである可能性は極めて低い。
ならばアレは何だ。そもそも、あれはレイドボスなのか?
そう呼ぶには異質に過ぎる。
「……? ま、待ってくれ長老殿。〈紅葉樹海〉も、とは?」
思考に耽った黒兎は長老の言葉に違和感を覚える。
「その言葉通りですじゃ。〈紅葉樹海〉も枯れ果てた、と聞いております」
「な……っ!」
「……そこで〈狩人〉を生業としていた少年が命辛々この町まで辿り着いての。あぁ、今は臥せっておる。意識を失う前に一言二言会話したんじゃが、〈貧狼小鬼〉が森と村を平らげたと言っておった」
「…………」
黒兎は言葉を失う。
これだけの情報では〈蒼葉樹海〉の状況と全てが符合する訳ではない。
確かに〈貧狼小鬼〉は〈紅葉樹海〉に分布している。だからエンカウントしたところでおかしな点は一切ない。
だが〈貧狼小鬼〉。
この名前が出るだけで、関連性がない訳がない。
それに、思い返せばあの影は言っていた。
『彼女ではなく私が』
つまり、それは。
少なくとも、あれと同様か近しい眷属がもう一人はいるという事に他ならないのではないのか。
ならば〈紅葉樹海〉はその彼女とやらの仕業ではないのか。
いったい、この中国サーバに何が起きているのか。
それを判断するには情報が圧倒的に足りなすぎる。
「実際のところは確認は取れておらんがの。……その様子では〈冒険者〉殿は心当たりがあるのですかな?」
「……無くはない。だが、確証と言うほどではない。そうだな、出来ればその少年と会話をしたいのだが、目を覚ましたら連絡をもらえないだろうか」
「ふむ、では目を覚まして話せる状態になりましたらあなた方の逗留している宿に使いを出しましょう」
「忝い、感謝する」
「なに、遠洋漁船が無い現状、収入が減っておる儂らからすればあなた方は久方ぶりの上客じゃからのぅ。あなた方の望みに叶う船は造れなんだが、出来うる限りの協力はしましょう」
カッカッカ、と髭を震わしながら笑う長老はこの町の生命線とも言える漁船が無いというのに中々に性格がいいようだ。
確かに〈大災害〉以降、フィールドを散策している〈冒険者〉は中国サーバでは5%いるかいないかといった所であり、この港町からもっとも近いプレイヤータウンである『大都』との距離を鑑みても辿り着ける〈冒険者〉はそういないはずだ。
しかも『狂イ』の〈貧狼小鬼〉の存在から考えればその可能性はかなり落ち込む。
おそらく〈大災害〉後にここを訪れた冒険者は自分達が最初なのではないだろうか。
そして〈大地人〉にとって〈冒険者〉とは貴重な収入源の一つだ。〈大地人〉の一ヶ月の稼ぎを一回の買い物で消費する〈冒険者〉も少なくない。
目の前の長老にしても、現在黒兎達が逗留している宿の主人でもあるために彼らが長逗留してくれれば長逗留してくれるだけ懐にお金が入ってくる寸法である。
「それはありがたい。船のほうは竜骨さえ手に入れば造っていただけるという認識で構わないか?」
「ま、まぁのぅ。船大工連中も暇を持て余しとるので竜骨さえあれば……。じゃが」
「そちらの方は私達で動いてみます。大陸全土を探せばどうにかなるでしょう」
その言葉は〈冒険者〉だから言える言葉だ。
中国サーバの管轄する大陸全土はかなり広く、森林カテゴリに類するダンジョンも相当の数に上る。
〈タウンゲート〉と〈妖精の環〉を使えない現状では難しくはあるが決して不可能ではない。
それにこの現状で『大都』に戻るのは色々と拙いものがあるが〈龍牙団〉のメンバーや元〈飛剣隊〉の仲間の倉庫に竜骨に耐えうる素材アイテムがストックされているかもしれない。
それを考えれば入手はそう不可能なことではないだろう。
少なくとも、彼の目が覚める前に自分に出来ることは全てしておかなくては。
「ほ、頼もしい言葉ですじゃ。それでは期待して待つとしましょう」
「あぁ。期待してくれて構わない」
黒兎は頭を下げ長老の家を後にし、借りている宿への道すがらフレンドリストを開く。黒兎のフレンドリストに登録されている人数はさすがに中国サーバでも有名なギルドのギルマスであった為にかなりの数に上るし、その中身も有名どころ――有名ギルドのギルマスが多い。
鼠算、という訳でもないがギルマスに連絡してその彼ら自身の人脈も利用できれば言葉通り大陸全土の〈冒険者〉の協力も夢ではない。
最初に選択するのは『大都』にいるはずの友。
「――あぁ、私だ。少し探して欲しい物があるのだがいいか?」
■
「春猫娘、トール起きた?」
「まだ眠ったままです」
春猫娘は宿屋の一室の簡素なベッドの上で眠り続けるトールに目を配り効果の程は定かではないが額に乗せた手拭を取り替えた。
トールがあの森で気を失ってから二日。
依然として目を覚ます気配の無いトールは熱にうなされているかのように額に大粒の汗を浮かべている。
「起きるんだよね?」
「ニ、三日は気を失う……と黒兎さんは聞いたそうですけど」
お盆を手に部屋に入ってきた柳千はそれをテーブルの上に置き、「そうだよねー」と口にしながら椅子に腰掛けた。
二、三日気を失うとトールから聞いたのは黒兎だがここまで辛そうだと聞いていないと言っていた。気を失うという事を予め知っていたのなら少なくとも以前にこうなったことがある筈で、その時はどうしていたのだろう、と考えずにはいられないがその時はその時で信頼できる仲間がいたのだろう。
自分たちがトールにとってそういう間柄になれたのならば嬉しくもある反面、結局また護られてしまった事に変わりは無く自分の力の無さに申し訳なくなると同時に悔しくもある。
「なんかもう色々ありすぎて頭おかしくなりそうだ……」
「……ですね」
戦闘という場でトールに負担を掛けてしまっている以上、それ以外の分野で彼を支えてあげなくては、と思う。早く自分が彼と同じレベルで戦えれば良いのだが、それには彼の実力は飛び抜けすぎている。同じく自分から見れば実力が抜けている黒兎やかつての仲間に対してならば回復職である〈施療術師〉としての力で戦闘面でもサポートできた。しかし、彼は自分と同じ回復職でありそのサポートを必要としていない。
だからこそ、彼が起きる前に少しでも自分に出来ることをやらなくては。そう意気込んだのだが、結局こうして彼の看病をしているだけだ。
考えなければならない事、やらなければいけない事はそれこそ山ほどある。
今この場にいない黒兎は〈大地人〉達から話を聞くなどして情報を集めている。柳千も同様に話を聞いて歩いたり、この宿の厨房で〈料理人〉のスキルを上げたりしている。
それなのに、自分は。
「……トールさんはどこまで考えてるんでしょうね」
ぼそりと漏れた言葉に柳千はお盆の上の茶器を弄りながら答えた。
「こう言っちゃなんだけど、結構何も考えてない気がするな。こう、その時その時を場当たり的に楽しむ……ような? フルレイドとかだと一番厄介なタイプじゃないかな。〈飛剣隊〉としてはフルレイドに参加したことは無かったけどさ、初めてのレイドクエストで連携が上手く取れなくて何回も『死に返り』したじゃん?」
懐かしむように発せられたそれは中国サーバでも有数のハイエンドコンテンツとして呼び声の高い『古皇帝の霊廟』の事だ。それまでレイドコンテンツの経験が無かった〈飛剣隊〉が初めて挑戦したレイドコンテンツであり、二十の失敗を経て攻略に成功した代物だ。攻略した時には全員のHP・MP共に枯渇寸前であり、黒兎に至ってはHPは一桁しか残っていなかった。
自分たちの力を過信していたといえばそれまでだが〈飛剣隊〉の面々に連携の必要性を強く認識させるターニングポイントであり、メンバー全員が一つ上の強さ――レベル90以上の強さへ到達したと実感させた出来事だ。
「あー……。そうかもしれませんね」
それを考えればトールの強さは確かに一騎当千であり重宝されこそ、あの奔放さはレイドやフルレイドなどの統率と連携が必須となるコンテンツでは足かせにしかならないかもしれない。
「でもまぁ、下手すると一人でレイド並じゃないかって思う戦力だからいいのかもしれないけど。はい、お茶」
「そうですね……。これは?」
差し出された湯飲には仄かな湯気と共に薄い茶色の液体が注がれていて、どこか懐かしい匂いが鼻をつく。
「んー、烏龍茶……みたいな? さっき下の厨房で茶葉分けてもらえたから試飲も兼ねて試してみて。茶葉を作るのはまだ〈料理人〉スキル足りなくて無理だけど、お茶を煎れるのは大丈夫みたいだからさ。気に入ったならもっと分けてもらおうかと思ってさ」
そう口にしながらちびちびと湯飲の中のお茶を舐める柳千の姿は身長も相まってまるで小さな子供(実際は二十代前半と聞いている)のようだ。
その光景がどうにも可笑しく見えて不意に笑みが零れる。
「わ、笑うなよ春猫娘。僕、熱いのダメなんだから仕方ないだろ! ……別に猫舌まで再現されなくてもいいのに」
恨みがましい目を向けながらもやはりちびちびとお茶を舐めるその姿は犬や猫を髣髴とさせ、保護欲をそそられるものがある。そういえばその小柄なキャラクターと愛嬌のある声からゲーム時代は『お姉さま』達から可愛がられていたことを思い出す。もっとも彼自身がそれをかなり嫌がっていたのでそのことに関しては禁句である。
「な、なにさ」
自分に向けられた視線に含まれた何かを敏感に察したらしい柳千は再度恨みがましい視線を向けてくる。
「美味しいですね、これ」
その視線を誤魔化すために発した言葉ではあるが、ほのかな苦みと甘みが程よく共存していて
美味しいと感じるのだから嘘じゃない。
冷やせば日本のメーカーが販売しているペットボトル入りの烏龍茶に近いんじゃないかと感じる味だ。
これならトールも多分馴染み深いんじゃないかな、と視線を寝たままのトールに移す。
「ほんと? じゃあ交渉してみるかな――。へぇ……ほぉ――。ふーん……」
「? ど、どうしたの柳千」
不意にニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべた柳千に今度は自分が不穏な何かを感じ取りながら身構える。
「いやぁ、随分とトールにぞっこんだと思ってさー。黄の奴が見たらへこむなーって」
「べ、別にそういうんじゃありません!」
予想外の柳千の言葉に、つい声が大きくなってしまう。
「えー? 嘘だー、トールの事大好きじゃんかー。見てればわかるよ、それぐらい」
「いや、そのあの……」
自分でも分かる位に顔が真っ赤になっているのがわかる。
とりあえず、とりあえず否定しないと。
今トールが目を覚ましたら色々ともう顔を合わせられないし、だから、その。
「それに黄は春猫娘のこと大好きって公言してたし、告白も何回だっけ……5回?」
「えと、あのその、確かに黄燕さんからは告白……その……7回されましたけど」
「うわ、そんなにしてたの? まー、黄燕がログインしてなくてよかった……というか……うーん、不幸中の幸い? 幸い中の不幸? どっちなんだろこれ」
「どっちでもいいです! それに不謹慎で――」
「えー、でも春猫娘はトールのこと好きでしょ?」
変わらずニヤニヤと笑いながら、飲める程度まで冷めたらしいお茶を一気に呷る。
「あ……う、その、だから……」
「だから?」
自分でももはや答えを言っているかのようなしどろもどろっぷりに、顔が更に赤く染まっていくのを自覚する。頭の中ではぐるぐると好きとか嫌いとかトールとか好きとか嫌いとかトールとかが回転し、その熱でどんどん顔が熱くなってきている。
「……もう、柳千の回復は絶対しない」
苦し紛れに出た言葉は〈施療神官〉としてはありえない役割放棄だが、そんな事はもう知らない。
「ちょ、それは無しだってば!」
「……自業自得です」
「からかいすぎたのは謝るから!」
「知りません」
「いやいや、ごめん、悪かったって」
「ぜーったい許しません」
このやり取りは一時間以上続き、結果として帰ってきた黒兎に呆れられながらも怒られ事で(子細は隠して事情を説明した)終息を向かえたのだった。