07.
そのダンジョンの名は〈蒼葉樹海〉。多種多様なモンスターが生息している為に中堅レベルの冒険者達にとって様々な戦闘パターンを覚えるのに適した場所として中国サーバではちょっとした戦闘訓練場所として有名なダンジョンである。
またゲーム内時間で三年に一度だけ最奥の泉でレイドボスである〈森の獣王〉とのイベントがあり、そのドロップアイテムも中の上クラスの代物でコアプレイヤーにとっては大したものではないがライトプレイヤーからは頑張れば手が届く上位アイテムとして人気があった。
だが、トールはその説明を聞いて笑うしかない。
「なぁ、黒兎。これが本当に〈蒼葉樹海〉なのか?」
中国サーバでは有名なダンジョンであっても、他サーバのプレイヤーから見れば有名でもなんでもない。それこそ〈シンジュク御苑〉のような廃人と称されるレベルのプレイヤーが入り浸るダンジョンならば世界的な知名度はある。
だから、トールの発した言葉はその言葉通りの意味でこの今立っている場所が〈蒼葉樹海〉だとは信じられなかったからだ。
黒兎たちはまだ、この場所が〈蒼葉樹海〉だったことを知っている。その面影をなんとか垣間見ることが出来る。
「モンスターの気配も無い。野生動物もいない。そもそも、普通はそこらへんに転がってるモンスターの骨も無い。なーんもない。こんなことってありえるのか?」
「無いだろうな」
「何かのイベントが発動しているというの可能性はありませんか?」
「えーっと、全部暗記してるわけじゃないけど〈蒼葉樹海〉での規模の大きいイベントって〈森の獣王〉ぐらいでしょ? そのイベントも前と同じサイクルならあと一年ぐらい……の猶予はあるはずだし」
柳千のその言葉に中国サーバの二人は首を縦に振る。
「んー、そうなると……やっぱ〈大災害〉からの異変って考えるのが妥当か」
「そうなるだろうな。もっとも〈大災害〉からの異変という言葉で現状を含めて全てを一括りに出来てしまうがな」
「確かにそれを言うとそうですけどね……」
異変が有るというのならば、この現状そのものが異変だという黒兎の言葉はその通りだ。しかし、その異変の中にも歪ながらのルールがある。四人がそこまでパニックに陥っていないのもそれが要因の一つではある。
だが、今回のこれはどうもその歪なルールすら無視しているように感じる。
「この森には〈貧狼小鬼〉がいるはず……だよね?」
「ん、推測が当たってればな。他のモンスターの逃げ出しっぷりを見れば、逃げ出すだけのナニカがここにあるって事だろ?」
嘆息交じりでトールは周囲を見渡す。
「けど、何もないよね」
「何も無いな」
「何もありませんね」
「そだな、何も無い」
目に映るのは森の木々。耳に届くのは風が木々を通り抜ける音と川のせせらぎ。平和といえば平和そのものだが、平和ではないはずの場所に平和が突如として現れればそれは異常だ。
「……この森に〈妖精の環〉は?」
「〈妖精の環〉? 確か、最奥の泉の近くにあったはずだ。だが、今の〈妖精の環〉は」
「何処に行くかわからないよ?」
〈妖精の環〉とはゾーン間テレポート装置の名前である。
〈大災害〉後もその機能は生きており、稼働することは確認出来ていたものの、誰もそれを利用しようとはしていなかった。
その理由は〈妖精の環〉が月の満ち欠けの影響を受けて転位先を変えるタイプのテレポート装置であるためだ。
転位先は月齢の28日周期に加えてさらに1時間ごとに変更される。つまり、ある一箇所の〈妖精の環〉だけでも含めて672の転移先が存在している。もっとも、転移先に重複があるので実際の転移先はもっと少ない。さらに、〈妖精の環〉の転移先は、他の場所にある〈妖精の環〉とはまったく別となる。
それをかつての〈エルダー・テイル〉においては、攻略サイトを閲覧しながら目的とする転移先へと跳ぶものだった。帰りの際には〈妖精の環〉か〈帰還呪文〉を使用するのが一般的なものだった。
だが、それも攻略サイトの閲覧が不可能となった現状では難しい。
〈妖精の環〉の672のテーブルをすべて暗記している人物など存在しないというのもあるが、そもそも正確な時間というものが存在しないのだ。
そのために、現状で使用する者はほぼ皆無と言っていいほどにまで減少している。
もっとも『大都』のまだ活動的な〈冒険者〉の一部からはどこからか〈妖精の環〉を用いて転移してきたこの世界に順応したような風情の〈冒険者〉を見た、という話もあがってきてはいる。
「トールさんはもしかしてモンスターがそれを使用した、って考えてます?」
「可能性は無くはないかな、とはな。こうなってからまだ俺は使ってないけどモンスターでも起動できるようになってたとしたら『狂イ』の被害はそれこそ〈エルダー・テイル〉全世界に及ぶし」
もし〈妖精の環〉をモンスターが使用していたとしてもそこまでの脅威でもない。だが、今現在想定できる使用したモンスターは『狂イ』。それはもはや無差別テロに近い。
「そうなったらどうなるかってーとまぁ、篭城からの消耗戦だよな」
「しかし、そうなったら〈古来種〉の十三騎士団が動くのではないか?」
「どうだか。〈大地人〉が自我を持ったんだ。〈古来種〉だって自我を持つに決まってる。もしかしたら〈古来種〉が〈大地人〉を殺して歩く可能性だって否定できない。現に中国サーバと韓国サーバじゃ前例があるだろ」
「あれは、韓国の連中が悪いんだよ。エルダー・テイルにまで現実を持ち込んでさ」
「……まぁ、アルタヴァ社から通達が来た時点で両成敗だろう。中国サーバの住人としても忘れたい過去だ」
「けどま、忘れていい過去じゃねぇわけで。もし、あれで人を殺すことに価値を見出した〈古来種〉がいたとしたらアウトだ。そうしたら〈古来種〉は最強の敵になりうる」
〈古来種〉とはゲームを盛り上げる為の一種の装置のことだ。大規模コンテンツなどで〈冒険者〉と共に邪を祓い魔を討つノンプレイヤーキャラクター。それが彼らだ。
その彼らが、モンスターではなく〈冒険者〉や〈大地人〉に牙を剥くとなると、それは『狂イ』を超える脅威である。
「まぁ? 最強の敵は得てして好敵手になるわけだし? 俺としては願ったり叶ったりで戦ってみてぇんだけど」
だが、その脅威を事もあろうか好敵手と笑い飛ばす。
「戦闘狂の〈神祇官〉なんて聞いたこと無いよ……」
何度目か解らないほどの呆れ混じり柳千の言葉にトールは至って真面目に続ける。
「俺から言わせりゃ、他のプレイヤーはメイン職業に囚われすぎなんだよ。素手で殴りあう方が強い〈妖術師〉がいたっていいだろうし、魔法が使える〈暗殺者〉がいたっていい。もちろん、そういった類のサブ職業もあるわけで俺の〈剣客〉っつーサブ職業もどっちかってーとそれに属するんだけど」
もっともトールが〈剣客〉を得る前のサブ職業は〈辺境巡視〉であり、それでもプレイスタイルには一切の変化が無かったという事実も存在している。
「トール殿の規格外度合いについては今更、と言ったところだろう。話のネタに困りはせんが、今はそれよりも」
「やっぱり、最奥の泉に向かってみてはどうです? 少なくとも、ここがこうなった原因の痕跡ぐらいは残っているんじゃないですか?」
■
残っていた。
それはもう、ありありと。
実は〈蒼葉樹海〉で発生するイベントの始動場所はほとんどの場合が最奥の泉である。その為、最奥の泉には明確なゾーン区分がなされていて正確には〈蒼葉樹海〉というダンジョンではないのである。
今現在〈蒼葉樹海〉には『生きるもの』『死んでいるもの』『生まれてくるもの』その全てが無いという異常が起きている。
モンスターを如何に〈冒険者〉が倒しつくしたとしてもモンスターが滅びるということは特別なコンテンツの為だけに用意されたモンスターで無い限りはありえない。何故なら〈エルダー・テイル〉のゲーム上、モンスターの存在を消すことは許されないからだ。
さらに付け加えると〈蒼葉樹海〉から消えているものはモンスターだけではない。探索アイテムや復活式ドロップアイテムなど、いうなればこのダンジョンで発生するべき『フラグ』が全て無くなっているのだ。
だが、最奥の泉はそれから外れていたのか。
それとも、これが全ての元凶なのか。
そこには一つの影が立っていた。
「――やはり、好奇心は旺盛か」
影は四人を認識すると球体状の形から人の姿へと緩やかに形を変え、言葉を投げかける。
「そら、好奇心こそが〈冒険者〉の本懐だからな。で、あんた何者だ?」
その光景に驚きと戸惑いを表しながらもトールは言葉を返した。相手の存在が何であれ、言葉を投げかけてきたのだから会話を成立させるために。
「――お前たちに名乗る名は持ち合わせていない。そもそも、お前たちならば見れるのだろう?」
口――のようなモノの端を歪に上げながら影が言葉を返す。それは表情など無いのにも拘らずどこか楽しげだ。
「――っ、なに言ってるんだよ! 何も見えないじゃないか!」
「そう、です。ステータスの一切が読み取れないなんて、貴方本当に何者なんですか?」
「なるほど。見えないとなれば実験は一応の成功か。だが、その代償がこれではあまりにも割に合わないな」
「貴様、なにを言っている?」
「――知らずとも良い」
影は明らかに笑いながら、徐々に人としての輪郭を得ていく。
蒼白の顔に銀髪。全身が黒いボディースーツで覆われ、その上にはまた黒いローブを羽織った壮年の男――へと変貌する。
「わりーけど、俺らは今知らないことだらけでね。知らないからいいやって訳にもいかねーんだ。それに、どうやらあんたは俺たちの疑問に対する答えをもってそうだ」
「ほぅ?」
「いま、あんたが口にしたその実験とやらは〈貧狼小鬼〉にも関係するのか?」
「今の私にそれを問うとは、なるほどお前たちこそがイレギュラーか」
「なんだと?」
「彼女ではなく私が先に遭遇するというのも不思議なものだが、これも因果か。綻びの修繕は早い方がいいとは彼女の言でもあるしな。だがまぁ、この私ではイレギュラーに勝てぬのは自明の理」
空気が緊張し
「――しかしイレギュラーは正すが世の理。ならば、確認も兼ねて彼奴らを呼び起こすが最善。眠り給え、愚かなる〈冒険者〉よ」
その言葉で異常が蓋を開く。
その始まりは影が空中へと投げ捨てたローブ。
宙を舞うローブが地面に作り出した影から、あるモンスターが沸いて出てくる。
それは、狼のような顔をして。
汚らしく涎を垂らして。
薄汚れた体毛を撒き散らし。
赤く充血した眼を見開いて。
「! 〈貧狼小鬼〉だとっ!!」
「退け、黒兎! そいつら、全員がたぶん『狂イ』だ!」
出現した〈貧狼小鬼〉の数は百八十。
予測の一つではあったが、その事実にトールは驚く。
ゲーム時代にも僕となるモンスターを『召喚』するレイドボスの類は存在した。存在したが、一度に百を超える数の召喚などエルダー・テイル暦十年を超え、しかもさまざまなサーバーのハイエンドコンテンツに参加したことのあるトールですら聞いたことがない。
その中で〈貧狼小鬼〉によって包囲される前に咄嗟に影へと向かって技を繰り出した黒兎の状況判断力は優れたものだ。
もしこれがプレイヤーによる『召喚』ならば術者のMP切れを待つ方法もあるのだが、召喚主がレイドボスである場合はMP回復力が高い場合が多く、そのケースでは『召喚』されたものをいくら倒したとしても供給が追いついてしまう為に大元を絶たない限り無駄に近い。このことを知っているだけでもやはり、彼の実力は相当に高いことが窺い知れる。
だが、黒兎の〈クロス・ラッシュ〉は空を斬った。
影は避けたのではない。
浮いたのだ。
それも〈冒険者〉の跳躍力をもってしても届かないほどの高みに。
「なんでもありじゃんかよ!」
背中から翼の生えたその影を半ば呆然とトール達は見上げる。
ゲーム時代にも形態変化をするレイドボスやモンスターの存在はあった。だが、ごく一連の動作でここまでの形態変化を行なうモンスターもまた、知らない。
そして、さらにその影が姿をぼやかして翼の映えた人の形を崩していく。
「届くか……っ! 〈顕火の神呪〉!」
逆手に構えた神刀をその影へと向けて唱えられた神呪は焔の矢となって空を翔る。〈神祇官〉の数少ない攻撃系特技の一つであり、属性攻撃でもあるこの特技はトールの所有する特技の中では最大の射程を誇る。『届くか』の言葉通り、この攻撃が当たらなければトールらに影を攻撃する術はない。
アレは既知の外側にいるナニカだ。
ここで手を打たないと、拙い事になる。
だが〈顕火の神呪〉が影に当たることは無く、空中で霧散する。
影は霧となって空中に掻き消えたのだ。
「――逃げ、られ……た?」
「トール! 逃げられたのは抛っておいて! まずはこいつらを倒さないとっ!」
「トール殿!」
「トールさん!」
呆然と呟いたトールを叱咤するように双剣を振るいながら柳千が、黒兎が、春猫娘が背中を預ける。まさに、この〈貧狼小鬼〉が包囲する光景は四面楚歌。
トールは一つ深呼吸をして頭の中のスイッチを切り替える。
「そう、だな。こいつらに殺されるのは御免だ」
逃げられたのならば仕方が無い。あの言い方――自分達がイレギュラーだというのならば、これを切り抜ければ、あの影が言ったとおりにその綻びを修繕するナニカがまた接触してくるだろう。
だから、今の敵は目の前の『狂イ』。
「――〈剣の神呪〉!」
〈月の鱗刀〉を構え直し、発動した特技が〈貧狼小鬼〉の包囲網を直撃する。
手にする武器が〈ブラック・サムライ・ハットリ・ソードZ号〉では無い為に攻撃力の低下は否めない。ならば、技。自分の習得しているスキル全てをもってこれを突破するしかない。
「トール殿! 突破口は私が開く! 〈アンカー・ハウル〉!!!」
〈狼牙族〉である黒兎は幻耳と幻尾を発露させ、その裂帛の気合をトリガーとして闘争心を剥き出しにする。そのとき、まるで狼の遠吠えにも似た〈アンカー・ハウル〉という特技が僅かに揺らいだ。
通常の〈アンカー・ハウル〉とは『範囲内の敵対存在全てを自分に引きつけるもので、ひとたび〈守護戦士〉の裂帛の気合いを耳にした敵は、〈守護戦士〉を無視することが出来なくなり、無視しようとした瞬間に、強烈な反撃を無防備な体勢にたたき込まれることになる』ものだ。
だが、黒兎の放った〈アンカー・ハウル〉は明らかに違う効果を発動した。
範囲内の敵対存在全てを引き付け、そして、黒兎、柳千、トール、春猫娘のステータスを上昇させた。
「え? ちょ、黒兎、今の――」
なんだ、と問いかけようとしたトールは、襲い掛かってくる〈貧狼小鬼〉への反応が遅れる。
「〈ウルブス・ファング〉!!」
襲い掛かってきた〈貧狼小鬼〉は、柳千の一撃――正確には二撃だが――で光へと消える。
「なに余所見してんのさ!」
「あ、いや。――すまん。そんな余裕は無かったな。――〈顕火の神呪〉!!」
柳千の背後に迫っていた〈貧狼小鬼〉を炎の矢で貫く。
「ま、これで貸し借りチャラだ」
「――遊んでる暇は無いですよ! 〈聖者の衣〉!!」
春猫娘が杖を天へと掲げ、光が四人を包み込み、最大HPの増加と耐性付与を獲得させる。
四人対一七八体。
死闘の幕が斬って落とされた。
2015.04.20 改訂