04.
食事を終えたトールは宛がわれた部屋のベッドに腰を下ろす。
部屋の中には簡素なベッドが置いてあるだけで、この部屋の住人はすでに〈龍牙団〉へと引っ越しを終えたのだという。
ならば気兼ねすることもないか、と装備を解いていく。
その装備は頭の先からつま先までその全てが秘法級以上という破格の品。
もっとも、それらは日本サーバ製のものであったり北米サーバ製のものであったりと様々なサーバのものを持ち寄っているために一つのサーバでしかプレイ経験の無いプレイヤーはそうとは気付かないだろう。
中でも別格である北米サーバ製幻想級武器〈ブラック・サムライ・ハットリ・ソードZ号〉。一見すると侍なのか忍なのかはっきりしてほしい頭の悪い銘を持っているが、性能は文字通り桁違いだ。
鞘から抜き、部屋に差し込む月光に照らすと刀身には無数の傷が見て取れる。
「うーん、やっぱ損耗度が限界近い……か」
この世界における装備品には耐久度が設定されている。設定されている以上、使用による損耗でその値が0になるとその装備品は破壊されてしまう。それを避けるためには武器屋や防具屋、またはサブ職業〈鍛冶屋〉や〈砥師〉〈裁縫師〉などの手を借りて修繕、つまり耐久度を回復する必要があるのだ。
「やっぱ春ちゃん助けたときに無理しすぎたかな。こいつ、使い減り凄いしなぁ」
幻想級〈ブラック・サムライ・ハットリ・ソードZ号〉。
高い基本性能に加えて常備化によって開放される三つの能力。
そして、その対価として平均的な秘法級武器の半分程度しかない耐久度と通常のニ倍の速さで蓄積される損耗度。すなわち、脆い。
通常のレイドコンテンツやフルレイドコンテンツならばそれでも合間に修繕を図ることで十二分に対応できるものだし、大体がプレイヤータウンに戻ってきたタイミングで修繕をするので問題は無かったのだ。
だが〈ブラック・サムライ・ハットリ・ソードZ号〉は〈大災害〉以降、一度も修繕を行なっていない。いや、行なえていない。
プレイヤータウンに店を構える大地人の〈武器屋〉ならば大地人の特殊技能として高額では有るもののあらゆる武器の損耗度を回復させることができた。だがビック・アップルにもサウス・エンジェルにも――この大都ですらも、そんな店を開いている〈大地人〉など既に存在しない。
サブ職業を持つ〈冒険者〉はというと、幻想級の装備を修繕できるまでにレベルの高い〈冒険者〉はほんの一握り。しかも〈ブラック・サムライ・ハットリ・ソードZ号〉に掛けられた制限により修繕はサブ職業の中ではレベル上限に達した〈刀匠〉などといったごく一部のサブ職業にしか行なえない。
そして実際に料理を作るにも『中の人』の腕が作用する(柳千から聞いた話では〈料理人〉でも自分が作れない料理は判定に失敗してしまうのだと言う)この現実化した世界で、刀の修繕が行なえる〈刀匠〉などおそらくいないだろう。
「いや、ちょいと違うか。メニューからなら修繕は出来るはずだよなぁ」
自らがレーションと呼ぶメニュー生産料理は正直、味と食感が無いだけで、その料理の効果はしっかりと存在している。つまり、既存のアイテムとしての効果は得る事が出来るという事だ。
だが、前述の通りに荒廃したプレイヤータウンでそれが出来る〈冒険者〉を探すのは至難の業だ。〈龍牙団〉にも尋ねてみたが、少なくとも大都には居ないだろう、との事だった。居たとしても、足元をとてつもなくみられるのがオチだ、とも。
「ヤマトなら〈大地人〉の店が機能してるかもしんねぇ。でもどうなんだろ。……あー、サーバー越えて〈念話〉使えれば一発なんだけどなぁ」
ため息を一つ吐き、トールは黒刃を鞘に納める。そして、柄とを紐で縛り封印する。
「つっても、現状じゃあ損耗度が回復するかどうかはわからん訳だ。俺の見た感じ、あと十回ぐらいは戦闘に耐えるだろうけどそれは十回だけだ。この先何があるかわからんこと考えると……攻撃力は落ちるけどこっちのほうが無難か」
〈魔法の鞄〉から取り出したのは〈月の鱗〉という秘宝級の武器。
ビッグアップルで手に入れた物理防御力に上昇補正を持ち、それにに加えて常備化することで〈メディシンマン〉固有の特技系列であるダメージ遮断の効果を高める能力が開放される。
〈メディシンマン〉専用装備として〈月の鱗〉は上位に食い込むスペックを誇る逸品であることに違いはない。勿論、〈メディシンマン〉のヤマト対応職である〈神祇官〉でも装備は可能である。
だが、この〈月の鱗〉で『狂イ』の〈貪狼小鬼〉を相手に出来るのか。
「〈剣客〉のスキルを使っても、攻撃力の低下は仕方がないか……。神呪系も使ってきながら戦うしかねぇな。いや、そもそも今回は俺だけじゃねぇよな」
ヤマトへの旅路を共にする事になった仲間を思い浮かべる。
黒兎。
彼は強い。会ってまだ三日しか経っていないがその端々から彼の底を窺い知る事が出来る。装備から鑑みるに〈守護戦士〉の中でも防御よりも攻撃に重きを置くタイプだろう。自分の知る有名どころで言えば〈魔人〉ベイダー・ザ・ブラックに近い。彼の実力から考えれば上位製作級の武器を使用していることに疑問を覚えるが、それでもその実力は中国サーバでも頭二つは抜けている筈だ。
柳千。
なんといっても料理が出来る。腹が空いては戦は出来ぬとはよく言うものだがそれは事実だろう。それだけで十分に過ぎるが、トリックスターの多い〈盗剣士〉の中でも一四〇センチという小柄な伸長から繰り出される速度と突剣と曲刀による間合いを掴ませないスタイルは異質。やはり、彼も黒兎ほどではないにせよその実力は高い。
春猫娘。
助けた時はとんだ地雷〈施療神官〉かと思ったが、実際に一緒に戦ってみると回復魔術使用のタイミングの上手さに驚く。会ったばかりでプレイスタイルも出鱈目な俺のHP管理もしていたようで、それは基本に忠実であり尚且つその上に研鑽を重ねた結果のものだろう。だがその反面、突発的で常識外の出来事――『狂イ』の〈貧狼小鬼〉の群れには対応し切れなかったのだろう。しかし、彼女の実力も疑う余地はない。
「――なんだ。魔法攻撃職がいないのがちょいとキツイけどなんとかなりそうじゃん」
最大で六人パーティまで組む事が出来るパーティ登録を四人で行なったのか昨日のこと。
もっとも四人でパーティを組めないと言うことでもないが、それは一人一人の負担が大きくなることを指す。単純計算で一人当たり一.五人分。
このパーティなら出来なくはない。
壁になる〈守護戦士〉に手数重視の〈盗剣士〉。そして〈施療神官〉に〈神祇官〉と回復職が二人。確かに魔法攻撃職が不在なために高い物理耐性を持ったモンスター相手にはやや手こずるかもしれないが、その分は自分が〈神祇官〉の特技で何とかすればいいだけの話。
――心躍る。
トールはこんな事態でもワクワクしている自分を楽しんでいた。
見知らぬ土地。
新たな仲間。
新たな敵。
目指すは丘の向こう。
それは、これでもかというぐらいのJRPGのテンプレート。
「前途はまぁまぁ多難、先行きも全く不透明、か」
〈月の鱗〉を〈魔法の鞄〉に収納しベッドへと寝転がる。
その顔はまるで遠足を翌日に迎えた子供のよう。
「はっ、なんだ。――いつもとなんも変わんねぇじゃんか」
トール=サコンジ。
彼は真の意味で〈冒険者〉だった。
■
「本当に行くのか?」
ギルドタワーの前で一人の男がアイテムの詰まった袋を差し出しながら不安げに言葉を投げかけた。
「あぁ、もちろんだ翠鉄。こんな状況の大都から旅立つのは逃げ出すようで心が痛むが、トール殿が来たのは良い契機だ」
黒兎は袋を受け取りながら即答する。
「私は、この謎を突き止めたい。いや、この謎を突き止められるような人間だとは思わないが、ここで停滞し続けるぐらいならば先へ進みたい。進もうと思う」
「――怖くないのかよ、あいつらが。あの、おかしな〈貧狼小鬼〉が」
翠鉄は元〈飛剣隊〉のメンバーであの時に〈貧狼小鬼〉によって殺害された〈道士〉でもある。
あの恐怖は忘れない。忘れられない。忘れる事などできはしない。
そして、心が折れた。
だから、問うのだ。
怖くないのか、と。
「怖いか怖くないかで言えば怖いな、さすがに」
「なら、なんで――」
戦い続ける事が出来るんだ。
翠鉄は悔しげに、自分の弱さを吐き出す。
「トール殿がいる」
「……アイツ、そんなに強いのか?」
「あぁ、強い。その実力も然る事ながら、彼は心が強い。――いや、何も考えてないだけかもしれんが」
翠鉄もトールが春猫娘を連れて大都へと帰ってきた姿を見ている。
確かにその姿や立ち振る舞いからは歴戦の戦士であることを感じさせた。
しかし、それなら黒兎もまた歴戦の戦士だ。いや、大都の英雄と言っても過言ではない。その、元〈飛剣隊〉ギルドマスターである黒兎をしてそこまで言わせる人物に興味が湧かなかったわけではない。
それでも、翠鉄はその身を縛る恐怖に打ち勝てなかった。
「気に病むな、翠鉄。君の、君たちの想いは受け取った」
受け取った袋の中身を確認した黒兎は翠鉄を見つめ返す。
その中身は貴重な高レベルの回復アイテムや消費アイテムにEXPポーションなどが詰められている。戦うことを恐れてしまった元〈飛剣隊〉のメンバー、そして〈龍牙団〉からの餞別だ。
「そっか……。そういや、〈龍牙団〉のギルマスからトール含めてうちに所属しておけってよ。もし、本当にサーバを超えれたら――ヤマトへ行けたならギルドサーチがないと念話が通じなくなるだろ、確か」
「そう言えば、そうだったな。出立前に加入しに行こう」
「そうしろそうしろ。……本当なら〈鷲獅子〉の召喚笛なんかも渡したいんだけどな」
どうせ使うことは無いしな、と続けた翠鉄に大して黒兎は頭を振る。
「いや、それはこちらで入用だろう? 大都が完全に平和だ、というわけでもないしモンスターが攻め込んでこないとも限らない」
「まさか、大都はプレイヤータウンだぞ?」
「それこそまさか、だ。翠鉄、忘れたのか? 私たちは〈貧狼小鬼〉に殺されたのだぞ?」
「……プレイヤータウンが襲われるって言うのか、黒」
「何が起こるかわからない以上、最悪の想定をしておいた方がいい」
翠鉄は息を飲む。
アレが、もしプレイヤータウンを襲うほどの軍勢なったとしたら大都の全滅は必至だ。
いや〈冒険者〉は死なない。死んでも大神殿で蘇生する。それを繰り返せばいつかは勝つことができるだろう。そう考えれば〈冒険者〉の全滅などありえない。
だが、それはつまり。
勝つまで死に続けるということに他ならない。
「私には無理して『戦え』とは言えない。だが戦闘訓練だけは怠るなよ、翠鉄」
「……わかった。〈龍牙団〉のギルマスにも伝えておく」
一度だけギルドタワーを見上げた翠鉄はそのまま踵を返す。
「……死ぬなよ、黒」
「あぁ、私は生きて必ず道を拓く」
その言葉に答えるように、だが振り向かずに翠鉄は右腕を上げた。
去っていく翠鉄の背中を見送る。
かつて、共に戦場を駆けた戦友。
そして、今では牙を折られた戦友。
「……」
黒兎がギルドタワーの中へと戻っていったのは、それから一時間後の事だった。
2015.04.02 改訂