18.
瞬間的に変更された攻撃方法。
その事実に対して、トールは辿り着いた答えを手放して対応せざるを得なかった。
全天へ無差別に射出された闇槍は今までのものより二回りほどサイズが小さく、その分だけ数が多い。正確な数は分からないが瞬間的に三百を超える数の闇槍が撒き散らされた、と認識する。
しかし、幾ら全天・全周への攻撃だとしてもそれは〈闇を纏う少女〉の視点であって、トールから見れば結局は前方から飛来する十三本の闇槍のみが自分への攻撃に該当する。それ以外の闇槍は防御も回避も必要としない自分にとっては無駄な攻撃だ。
だからこそ、厄介でもある。
李天だけを愚直なまでに狙ってくれていたように定めた攻撃目標にしか攻撃をしないのならば防ぐのも躱すのも容易い。防ぐ為にその射線に割り込めば自分の背後への攻撃も同時に遮断出来ていた。
それが、この攻撃では出来ない。李天への攻撃となる闇槍を防ごうと動けば無防備となったその横っ腹に闇槍が直撃するのは必至だ。〈ダメージ遮断〉が削られる感覚から、一本や二本が当たった所で即死するほどのダメージではないと思われるが、十数本全てとなれば辛うじてHPが残ったとしても虫の息に近い。この全天射出が一回きり、という攻撃だと断定できない以上はそんな選択をする事はできない。
自分には無意味な攻撃が仲間へは有効打となり、自分への有効打は仲間にとって無意味な攻撃となる。起こせるアクションは一つのものしかない以上、どちらかを選択しなければいけない。
〈蒼葉樹海〉で『狂イ』の〈貧狼小鬼〉との戦いもそうだった。いま、この世界で〈冒険者〉を倒す簡単な方法は物量による飽和攻撃だ、とトールは思い知る。
「くそっ!」
九本目までを叩き斬り、残り四本となった所で不意に視界に入ったその姿にほんの一瞬、トールは虚を突かれ、思考を割かれた。
彼女は飽和攻撃のスタート地点にまだ居た。
だが、その姿は始めて見るものだった。
蛇状の下半身をバネの様に折り曲げたその姿。
そこで気付く。この攻撃は、自分たちを倒さんとする類いのものなんかではなく、自らが駆ける為の溜めを作るための牽制に過ぎないのだという事を。
そして、十本目がトールの左肩を貫くと同時に霧散する。
焼き鏝を押し付けられたような焼き付く痛みが身体に広がり、その衝撃で体勢を崩したトールは十一本目、十二本目、十三本目と続けて飛来する闇槍に対応する為の時間を磨り減らしていく。
十一本目は左胸を。
十二本目は右脇腹を。
十三本目は右太股を。
このまま動かなければそこを貫かれる。左肩の一撃で減ったヒットポイントは二割。この状況で使える〈ダメージ遮断〉では一撃分の遮断も出来ない。〈闇を纏う少女〉を妨害する為には三本の闇槍に身を晒さなくてはいけない。ヒットポイントは残るか。一本に付き二割と考えれば二割は残る。いや、左胸の一本はクリティカルになりうる。
ただ、時間的に起こせる行動は一つだけ。
「――ぁぁあっ!」
右太股と右脇腹を犠牲にして胸へと飛来してきた十一本目を叩き斬る。続く二本に右脇腹と右太股を穿たれ、その衝撃で宙を舞い――そして視界の端で闇が爆ぜるのを捉える。
喉元まで上がってきた血の塊を飲み込み、後方にいる黒兎へと咄嗟に〈念話〉を通して叫ぶ。
「行ったぞ、黒兎!」
その声を出す為に身体の制御を手放したトールは数秒後の地面への激突を覚悟し、思う。
――ぶつかる、と。
そして、自分の認識違いに気付く。
――ぶつかるのか、と。
そんな逡巡もお構い無しに地面に転がったトールは先程辿り着いた答えに手を伸ばす。
この結果がどうなるかはわからない。だが、黒兎では〈闇を纏う少女〉を止められない。止められる筈がない。
地面に激突し、苦悶の声が反射的に漏れそうになるのを意地で押さえこみ、メニューを開く。
■
戟と盾を巧みに操り、自分の身と背後の二人を飛来する闇槍から護っていた黒兎はトールから届いた〈念話〉と共にソレを視認する。
周囲に纏う闇を置き去りにするほどの速度で、まだ射出点から到達点まで達していない闇槍をも蹴散らしながら這い駆けてくる蛇。
死に体、とまではないにせよ矢が身体に刺さったままの姿を見るに相応のダメージであることは見て取れる。
――特攻か。
血を撒き散らしながら〈闇を纏う少女〉のこの行動をそう判断した黒兎は僅かに膝を曲げて腰を落とし、身構える。
狙いは十中八九、李天だろう。
確かにこのパーティにおけるダメージソースは李天ただ一人。今までの攻撃では自分やトールに阻まれ彼に届かぬから、と手法を変えて攻めてくる事は理解できる。何かを変えなくては状況を打開できない、という点は先程までの自分たちと同じだ。だからこそ危険だ。絶対に身を挺してでも止めなくてはいけない。
現状で彼女が李天を目指す上での障害は自分だ。接触するタイミングで回避する動きを取るのは必定。ならば、その前。彼女が回避するタイミングを読んで機先を潰すのが最善。
だが、この場を離れる訳にいかないのも事実だ。闇槍は依然こちらへと飛来してきている。これを無視することは出来ない。盾で防いだ時の感触から察するに小さなサイズの闇槍の一刺ですら彼には致命傷。予測した攻撃を防ぐ為に、現在の攻撃を防げないなどとはいい笑い話だ。
ならば如何にして防ぐか。
右手の戟と左手の盾で賄える範囲は面として考えれば半径三メートルほど。ただ、機先を潰す為に動くにはその半径を一メートルほどにまで縮小せざるをえない。
この両手で守れる範囲には限界がある。
――ならば、この両手では守らない。
戟や盾、それに伴う〈グレート・ウォール〉でも防げるようにあの闇槍にはこちらの特技による相殺が可能だ。
一つ、大きく吼え膝を曲げたままの黒兎は先程のイメージを再現する。
呼応するかのようにその身体から炎が噴出し、その身を核とした炎の壁が広がり間断無く飛来してくる闇槍を捕え、消し炭へと変えていく。
「――」
〈闇を纏う少女〉との距離は目算で五メートルを切った。そのまま、自分に体当たりをするというのなら〈キャッスル・オブ・ストーン〉で完全に防ぐ。直前で切り返して自分を避けるというのなら、その急制動を掛けたタイミングで――どう、する。
黒兎の思考が一旦止まる。
先程、自分の攻撃は〈闇を纏う少女〉には通じなかった。
躱されたでもなく、属性値吸収されたでもなく、堅牢な防御故に通らなかった訳でもない。
四メートル。
無効化された。そう、無効化された。
こちらからの行動は無効化されたのだ。
三メートル。
〈闇を纏う少女〉は加速する。
彼女の機先を潰す為に先んじるの行動も、無効化されるのではないか。
二メートル。
彼女は止まらない。
このまま、自分へと突撃をしようというのか。
一メートル。
いや、だが相手が自分へ攻撃を加えようとするならば接触が必要であり、接触するということはこちらに干渉するという事で、それは必然、止める事ができる。
「〈キャッスル・オブ・ストーン〉!!」
〈闇を纏う少女〉の挙動を見逃すまい、と炎を纏ったまま鉄壁の守りを叫ぶ。
十秒間だけ許されるあらゆる攻撃から身を守る絶対不破の城壁。
だが。
零メートル。
彼女は止まらない。
逆を言えば。
あらゆる攻撃から身を守るという事は、攻撃でないのならば城壁を通過するという事だ。
そして〈闇を纏う少女〉は、黒兎の身体をすり抜けた。
ただの通過。
〈闇を纏う少女〉はただ、李天に反応させる間もなく捕える為に、ただ駆けたのだ。
「しまっ――」
自らの身体を通過されるというなんともいえない感覚に強烈な不快感を覚えながらも黒兎は〈闇を纏う少女〉へと振り向き、手を伸ばす。
だが、彼女を掴むなどという攻撃が通る訳がない。
霞を掴むが如くの手応えに絶望する。
守れない。
このままでは、李天を守れない。
視界の先では春猫娘が仁王立ちで李天の前に立ちふさがったが、それも通過されるだろう。
届く。
〈闇を纏う少女〉の攻撃の手が李天へと届く。届いてしまう。
■
「最初カラ、コウスレバヨカッタノデスネ!」
左腕に伝うものは〈大地人〉の血液。
左腕にぶら下がっているのは既に生気を失った表情の〈大地人〉。
たったの一撃で李天の胸を貫き、ヒットポイントの全てを奪い去った彼女はこの場での勝利を確信したかのように嬉々として笑う。
それもそうだ。
彼女は〈冒険者〉からの攻撃を無効化できる。いや、正確にはエルダー・テイルで生まれた存在からの攻撃しか受け付けない。
そして、この場に残るのはイレギュラーと判断している危険な存在であるものの〈冒険者〉が四人ほど。自身のヒットポイントを四割ほど減らしてはいるが、それ以上減る可能性が皆無となった今、そう笑い声を上げるのは無理もない事だ。
「〈ソウル・リバイブ〉!」
ドクン、と左腕に突き刺さったままの李天の身体がその言葉に呼応するように跳ねる。〈闇を纏う少女〉がその声の主に視線を移すとイレギュラーの一人、春猫娘が杖を構えている。
〈ソウル・リバイブ〉は〈施療術師〉の扱うヒットポイントを完全回復させる蘇生呪文であり、蘇生呪文の最高峰の一つだ。パーティの仲間が死んだのだから、蘇生呪文を掛けるのは当たり前といえば当たり前の行為だ。
「無駄ナ事ヲ」
だが、李天の身体は一度跳ねただけで蘇生の兆しは見て取れない。現状、まだ腕に貫かれていることから蘇生した端から死んでいるのかとも思うが、一瞬でもヒットポイントがゼロより大きくなる事がない。
「なん、で……?」
信じられない、と春猫娘の口から漏れる。死亡したプレイヤーに対する救済呪文である蘇生呪文であるが、ヒットポイントがゼロになってから本当に死亡として処理され大神殿に送還されるまでのタイムラグには余裕がある。少なくとも、今の春猫娘の蘇生呪文はそのタイムラグの間に収まって余りあるものだ。
「……〈大地人〉だから、か」
悔しげに、蒼白となった顔で黒兎はそう答える。
その、死んでも容易く蘇生するというのは〈冒険者〉に許された特権だ、と。考えてみれば数々のクエストで〈大地人〉に回復呪文を行使する事はあっても、蘇生呪文を行使する事は無かった。
ある〈大地人〉を護衛して目的地まで運ぶというクエストであれば護衛対象の〈大地人〉がヒットポイントを減らした程度では回復が許されたが、死亡した場合は即座にそのクエストは失敗と見做されていた。それもそうだ。
本来、死とはそういうものだ。
『死んでも復活する』などというのは〈冒険者〉にのみ適応されるルール、価値観であって〈大地人〉にとっては死とは生の終わりだ。それは絶対的な決まりだ。
「人形ノ蘇生ナド、不可能ナノダト知リナサイナ」
〈闇を纏う少女〉は無造作に左腕を振って李天の身体を投げ棄て、自らの背後、最も遠い所にいる柳千を見る。彼女にとって死んだ〈大地人〉にこれ以上時間を割くわけにもいかない。
イレギュラーの数は四人。殆ど無いことではあるが、この地を別の〈大地人〉が通らないとは限らない。牙を捥いだのならば、爪を剥いだのならば、その場ですぐに処分しなくてはいけない。この中で一番危険なのは〈盗剣士〉だ、と〈闇を纏う少女〉は判断していた。
彼女は相手からの攻撃を無効化出来るが、自らの攻撃を無効化することは出来ない。そうなると、攻撃を跳ね返す術を持つ存在をもっとも危険と判断してもおかしくは無い。
彼女に許されている攻撃方法は実の所、闇槍の射出と〈貧狼小鬼〉の召喚、それと素手での格闘だ。それ以外は削ぎ落とされている。
遠距離からの闇槍の射出ではタイミングを計られる可能性が高い。〈貧狼小鬼〉ではイレギュラーには歯が立たない。素手での攻撃は接触する必要があり、される危険性が高い。ならば、と蛇の下半身を曲げ、彼女はすぐ側にいる黒兎と春猫娘を無視して柳千目掛けて駆ける。狙うは近距離からの闇槍の射出。対応する時間を削ぐ。
向ってくる〈闇を纏う少女〉に答えるかのように、柳千は口を開く。
「……二分、持てば良いほうかな」
先程の全天射出を無傷で裁ききれたわけではない。大きな命中は無いものの、全身には朱線が走り、防具の布部分は千切れ肌が露出している。ヒットポイントの減りは三割に及ぶ。
〈因果応報〉のタイミングも掴めていない以上、他の三人を無視して全天射出の物量を集中して放たれたら持つわけが無いとの判断からだ。事実、それは間違っていない。
しかし、だからと言って柳千は逃げる素振りを見せない。逃げる訳にはいかない。
なぜなら、大前提としてまだ諦めていないからだ。
そして、〈闇を纏う少女〉は勘違いしている、と確信しているからだ。
彼女は『狂イ』の〈貧狼小鬼〉を倒す彼ら四人のことをイレギュラーだと呼んだ。いや、厳密には前衛で武器を振るう職業の黒兎と柳千をイレギュラーとして呼び、後衛で回復職であるトールと春猫娘をイレギュラーとして含んでいない。その二人とパーティを組んでいる為の、一つの単位としてイレギュラーと呼んでいた。
だから、彼女は勘違いしている。
柳千は一度だけ、未だに地面に突っ伏したままのトールを見て、そして構える。
「――まぁ、頼まれたんだ。持ちこたえるよ、あと残り五分」
待ち受けるのではなく、自ら走り出した。




