15.
その言葉を柳千は確かに耳にした。
疑問が言葉として漏れる。
「――知ら、ない?」
確かに黒兎のあの特技は知らない。
武器による単発強攻撃〈ヘビー・ストライク〉とジャンプ斬り上げ攻撃〈ブレイジング・フレイム〉の連携だろうか。いや、〈ヘビー・ストライク〉はその威力を出すために技後硬直が比較的長い。あんなにスムーズに〈ブレイジング・フレイム〉へと繋げる事は不可能だ。
なら、あの技そのものが黒兎の“切り札”かと思ったが、そもそもあんな技が〈守護戦士〉にあっただろうか。
(あぁ、もう。攻略サイトでも見れれば一発なのに……)
頭の中で愚痴りながら記憶を辿ってみても〈守護戦士〉の特技にあのようなものはなかった筈だ。なら、これは〈アンカー・ハウル〉と〈ウォー・クライ〉が重複した例のアレと同じものだ。
そうだ。
『〈アンカー・ハウル〉も〈ウォー・クライ〉も共通するのは声を発するという行為だ。なら、どちらかの手動発動で、効果が重複したとしても不思議じゃないんじゃないか』
思い返すのはトールとの会話。
『左手の突きが初動として設定されているスキルと左手の突きがラストアタックとして設定されているスキルを同期させて発動しようとしたらどうなる』
振り下ろしから跳躍と共に炎を纏った斬り上げ攻撃。
何処が同期している?
〈ブレイジング・フレイム〉は確定と見ていい。
炎を纏う。――違う。
跳躍する。――これも、違う。
斬り上げ攻撃。――これだ。
ならば、該当するのは〈ヘビー・ストライク〉ではなくて振り降しから斬り上げ攻撃へと繋がる二連撃〈パワーアンカー〉。
つまり今の攻撃は〈パワーアンカー〉+〈ブレイジング・フレイム〉。
完全なオリジナル連携。二連撃+単発攻撃で三連撃となる連携ではなく、二撃目を束ねた二連撃。
その事実に、自分の中で新しい可能性を感じる。
そして、それを知らないと言った〈闇を纏う少女〉の正体へと考えが及ぶ。
既知ではなく既存でもないモノを知らない。
未知だ、と口にした。
それはそうだ。実際問題、未知なのだから。
だが、無機質な言葉の中にあった動揺。それは、まるで知らないことは無い筈なのに、という感じだ。
全知者。
そんな者は、存在しない――訳ではない。
この世界は〈エルダー・テイル〉だ。
MMORPGだ。
――GMという存在がいる。
彼らならば、ステータスの隠蔽や『狂イ』といったシステムそのものの改竄も可能と――
「いやぁ、それは無いんじゃねぇかな」
と、刀を支えに立ち上がったトールに思ったことを否定された。
「なんで考えてる事が解るのさ」
「いやなに、俺もそうかなと思ってさ。それに、お前顔に結構出るし」
「で、でもさ。なんでアレがGMじゃないって言えるのさ」
自分としては、それしかないとたどり着いた答えだ。そうであるならば全てに納得できる。
トールも内部データの上書き、と言っていた。そんなことが出来るのは運営サイドぐらいのものだ。
いや、そうであって欲しいという願望だ。
ただ単純に納得できる理由、自分が望む答えが欲しかった。
「んー……勘だな」
だが、刀を握りなおしたトールはあっけらかんと言い放ち、続ける。
「たとえアレがGMだったとしても、俺達を排除しにきてる以上は敵だ。戦闘になってる以上は今ここで追及しなきゃいけないのはアイツの正体じゃなくてアイツの倒し方だ。敵なら倒す、これジョーシキだろ?」
それは確かにその通りだが、柳千には何故トールがそこまで戦う事を求めるのか分からない。聞けばおそらく『そこに敵がいるからだ』と、どこぞのアルピニスト同様の答えが返ってくるのは目に見えている。
だが、なんでそういう考えに至ったかまでは理解できない。
「倒すと言っても、どう倒すんですか? 攻撃が通じてないって言ってましたけど……」
春猫娘は不安げに口を開く。
「そこなんだよなー。なんだろ、ダメージが通ってない感覚なんだよ。こう、属性攻撃が無効・吸収されてる感じが近いかな」
特定のモンスターには属性耐性値を有するものが存在している。一般的に外見的特長や名前、種族に生息フィールドといったものから判断出来るもので、たとえば赤熱する鱗を持つ〈ファイア・リザード〉には炎系の特技は効き辛く、スライム系のモンスターには魔法系特技が効き易いなどというものだ。
また、同様に防具にも属性耐性値を持つものが多く存在しており、秘宝級や幻想級の防具に至っては属性攻撃を完全に無効化どころか吸収してヒットポイントを回復してしまうという代物まであるという。
「? トールさんの武器って属性持ちじゃないです、よね?」
「そうなんよねー」
そうなると勿論武器にも属性が付与されたものも多い。だが、トールの〈月の鱗刀〉は無属性の武器であり無属性は属性的な弱点を突く事ができない代わりに耐性を持つ敵もいない、というものだ。希にいる無属性武器の攻撃を減衰するモンスターは物理攻撃か魔法攻撃に耐性を持つものであり、無属性そのものを減衰するモンスターは存在しない。……筈である。
物理攻撃に属する通常攻撃と、魔法攻撃に属する〈剣の神呪〉。そのどちらをにも手応えの無い相手にどう戦えばいいのか。
実際に戦い、それを実感した筈のトールはこのあとはどう戦おうというのか。
「まぁ、とりあえずちょっと今度は搦め手で仕掛けてみようと思うわ」
そう言い、歩みを進めたトールの横顔は心底楽しそうで新品の玩具を貰った子供のような顔をしていた。
「……なんでそんなに楽しそうなのさ、トールは」
「そりゃあ楽しいからな。俺はさ、出来る事をしたいんじゃなくて出来ない事をしたいんだわ。壁が大きければ大きいほどに登りがいもあれば壊しがいもあるだろ? ――未知だからこそ面白い」
その言葉の強さに息を飲む。
まさしく、その言葉は〈冒険者〉だ、と。
「……とは言っても、俺の攻撃が通じないっぽい以上は時間稼ぎしか出来ないわけだ。だから、柳千と春ちゃん、それと李天は俺がアレと戦ってるうちに黒兎の所に行ってくれ。そんで、あの技のからくりを聞いてみてくれ。黒兎の奴、ありゃあ意識して使ってる筈だ」
■
〈闇を纏う少女〉が黒兎に目を奪われ、行動を再開するのに要した時間はおよそ二十秒。
その間にトールは再び距離を詰めた。
闇槍を掻い潜りながら十メートルの距離を詰めるのは至難の業だが、相手が勝手に自分から視線を切っているのだからこんな馬鹿げた機会はない。
「――なら、知ってることを教えてくんない?」
「グ、ヌ……ッ!」
認識の外へと追いやっていたトールの接近に虚を突かれた様に目を見開いた〈闇を纏う少女〉目掛けて、一閃する。
黒兎によって身体能力が上昇しているが先ほどまでと同じく攻撃が通った手応えは一切返ってこない。だが、お構い無しにトールは二度三度と刀を振るう。
それは先程の再現、という訳ではなかった。
〈闇を纏う少女〉から闇槍が飛んでこない。
攻撃の手を休めているのか、そもそも攻撃する気が無いのか。ただ刃を受けるその姿は、トールの攻撃を受けることで自らの『ダメージを受け付けない』という優位性を確認する事で動揺を沈め、平静を取り戻そうとしているようにも見える。
「……は、あはははは! ドウヤラ貴方ハ、アノ光ヲ使エナイヨウデスネっ!」
五度目の斬撃を身に受け、何かを確信したのか〈闇を纏う少女〉はニィ、と口端を上げる。
『あの光』が指すのは「知らない」らしい黒兎のアレだ。
なら、その言葉は致命的。
言わなくてもいい事を口にするのは馬鹿のする事だ。
黒兎のアレならば、ダメージが通るかもしれないという事を自ら暴露しているのと同じ事。
だが、そんな事よりもトールにとってはもっと重要な事に気付く。
「どうしたよ。随分とまぁ――〈冒険者〉ららしい顔するじゃねぇか」
今までの能面のような作り物の表情からではなく、自らの内から発する表情を浮かべた。それを確認したトールは笑う。
「ナ、ン――?」
その言葉に動揺したのか僅かに動きを止めた間隙を突いて刃を振るい、更に一閃。
指一本でも寺の鐘を揺らすことは出来る。それと同じだ。
一度感情が動いたのならば、後は丁寧に少しずつその揺れ幅を大きくしていく。
「いやいや、予期しない出来事を目の前にして自分を取り繕うのを忘れたか? それとも、自分ってものを見つけちまったか?」
「ナニ、ヲ、フザケタ、事ヲ――!」
怒り、だろうか。
強い言葉尻と共に三本の闇槍が噴出し、飛来する。
そのうちの二本は薄皮一枚を犠牲に回避し、直撃するコースの一本は〈月の鱗刀〉で打ち落とす。
簡単に対処できることからもやはり、実力そのものにそこまでの差は無い。いや、むしろ実力というだけならこちらの方が上だろう。
それを実感したトールは更に加速する。
「――あぁ、そろそろ行くぜ?」
すれ違い様に八度目の剣閃を見舞い、次の行動へと移行する為の足捌きは九閃目の為に切り返すのではなく、そのまま距離を離れる為に使用する。
「ヌ、――ム?」
刀を逆手に構えなおしたトールはそのまま詠唱を開始する。
瞬時に形成され射出された二本の闇槍。
近距離からではなく、離れた距離で見る闇槍の射出は破城槌とも言えるほどだが、今までのように紙一重で躱すのではなければ回避するのはそう難しい事ではない。
飛来する闇槍を悠々と回避し、詠唱を途切れさす事なく完了させる。
そしてトールはターゲットを指定するために空の左手を突き出した。
〈剣の神呪〉が通じなかった以上、他の特技も通じないだろうということは理解している。だが〈闇を纏う少女〉についてもこうして相対する事で解った点がある。
それは、五感に似た感覚器を持つということだ。
今の闇槍も彼女の視線の先へに寸分違わずに着弾していた。
ならば。
「――〈颶風の神呪〉ッ!」
風属性の神呪はそのまま左手で指定したターゲットへと向かう。
〈闇を纏う少女〉ではなく、二人の間の地面目掛けて暴風の塊を解き放つ。
その狙いは二つ。
特技による直接ダメージは通らなくても、間接的な。例えば、風に飛ばされた礫によるダメージはどうなのかを確認する事。
人の身ではなく、ラミア状の身で確かに地面に彼女は立っている。つまり、この世界――〈エルダー・テイル〉のオブジェクトとの接点は持っているということだ。ならば、礫による追加ダメージや落下ダメージなどは発生するのではないだろうか。
地面へと直撃した暴風の塊は轟音と共に礫を撒き散らし、同時に大量の砂埃を生み出し風を持って巻き上げる。
巻き上げられた砂埃が二人の周囲を包み込み互いの視界を埋め尽くしていく中、彼女が飛来してくる礫を避ける事無くその身に受けたのを見る。
〈颶風の神呪〉による暴風を受けて僅かに身動ぎしただけで表情一つ変化していない。
「避けもしないのか」
先程までの斬撃に対する反応とほとんど同じ。
それはつまり、推測通りにトールの扱う攻撃系特技は通用しないことを指す。
絶望的だ。
本当にいよいよ笑えない。
例え、実力が上でもダメージを与えられなければ手詰まりだ。
――トールが独りならば。
「幾度モ言ッテイルデショウ……。貴方ガ〈冒険者〉デアル限リ、わたくしニ勝ツ事ハ出来マセン」
無駄だ、と。
お前では私に勝てない、と。
互いを視認出来ないほどにまでなった砂埃の中、風の音を割いて〈闇を纏う少女〉の声が響く。
だが、やはりその声には苛立ちが含まれている。
「――あぁ、とりあえず俺は勝てなくてもいいんだわ」
それを、トールは〈闇を纏う少女〉の背後を注視しながら笑って言い返す。
勝つのは自分じゃなくて良いのだ、と。
「死ヲ受ケ入レルト?」
「いんや。俺達が勝ちゃあいいんだ」
〈颶風の神呪〉の狙いは二つ。
一つ目は前述の通り。
では、二つ目の狙いは?
「? フフ、負ケ惜シミデスカ?」
〈闇を纏う少女〉に視覚があるだろうことは判明している。
だからこそ、砂埃を巻き上げた。
副次的なダメージが有ろうが無かろうが、風で地面を吹き飛ばせば砂塵は闇夜なら視界を覆う壁には十分。
〈闇を纏う少女〉にもしかしたら嗅覚も備わっているかもしれない。
だからこそ、風で吹き飛ばした。
風下からの匂いを断つために。
〈闇を纏う少女〉に聴覚があるのは確定だ。
だからこそ、風を地面にぶつけた。
その轟音と風音で周囲の音を掻き消す。
つまり、外部からの簡易的な遮断。
もとより、一つ目の狙いなどあってないようなものであり、こちらこそが本命。
「いや、なに」
その遮断は合図だ。
まず、注意を自分へと向けさせる。
次に、向けられた注意を固定する。
あとは、それを引き伸ばすだけだ。
そして、引き伸ばした時間も十分だと連絡はあった。
だから、その遮断は合図だ。
そして、言う。
「……ほーら、出番だぜ黒兎」
次第に晴れていく砂埃の中で〈闇を纏う少女〉の背後に一つの影が現れたのがその答え。
砂埃を散らしながら現れた影が流星の如き速さで刃を振り下ろす。
「ハアアァァァァアッ!!」
咆哮と共に振り下ろされる淡い燐光を纏った不可避とも言える背面からの一撃。
タイミングは完璧に近い。
――だが、それを。
「――ソンナ事ダロウト思ッテイマシタ」
その行動は読んでいたとばかりに、器用に蛇の下半身をうねらせることで最小限の動きで横に回避する。
そして、振り向き、刃が空を斬った影の正体に目を見張り、驚きで僅かに硬直した。
「――残念、はずれ」
にやり、と笑いながら柳千は〈盗剣士〉独特のステップで瞬時にその間合いから離脱する。もとより速さによる撹乱を身上とする柳千のヒットアンドアウェイは〈盗剣士〉の中でも最小サイズを持つという事もあり、見かけの速さは実際のそれよりも速い。
追撃しよう、ではなく追撃は無理だ、と思わせるヒットアンドアウェイこそが柳千の戦い方だ。
そして、柳千がいなくなる事で振り向いたばかりの〈闇を纏う少女〉の前に、ぽっかりと空間が出来上がる。
「オオオオオォォォォォッッ!!」
咆哮と共に振り下ろされた攻撃。そして、流れるように紅蓮の炎と共に舞い上がった巨躯。
その間隙を縫うように突撃してきた黒兎による二連撃が〈闇を纏う少女〉の体躯を紙くずの様に斬り裂いた。
「――あ、あぁぁぁぁぁああああっ!」
そして、断末魔にも似た咆哮が空を射抜き砂埃を完全に払い除ける。
空気が焦げた臭いが鼻を突く。
月明かりに晒され、その姿を現す。
左の肩口から綺麗に二つに両断され、さらにその顔が右眼を縦に切り裂かれている。なまじ〈闇を纏う少女〉の容姿は美しい部類に属する為に、痛々しく目に映る。
だが、その切断面。
そこからは、先ほどまでと同じく闇が滲み出し、分かたれた身体を繋いでいく。
それを確認したトール、黒兎、柳千の表情が強張る。
「き――ひ」
つまり、無効化された。
知らない、と言っていた光を持つ攻撃を無効化された。
「きひひひひひひひひ! 無駄! 無駄ナノデス! 今、わたくしハいれぎゅらーノ攻撃スラ凌駕シタ! 〈冒険者〉ナド恐レルニ足リヌト、ソノ証明ヲコノ身ヲ持ッテ!」
破顔している。
大声を出して、笑っている。
月明かりをステージライトのように浴びて。
切断された身体はラミア状へと戻っていく。
「わたくしノ舞台。――エェ、わたくしノ舞台ノ幕開ケデス」
そして、〈闇を纏う少女〉目掛けて飛来してきた一本の矢を、手の甲で払い落とした。




