14.
それは自分たちの行き先を封じるように五メートルほど離れた箇所に立っている。
夜に映える深紅のローブに身を包んだ黒髪の少女。いや、少女に見えるそれは人の姿を取っていない。上半身は確かに人だが、下半身は蛇のそれだ。一般にラミア、と呼ばれるモンスターに近いだろうか。近い、としか言えないのは彼女の周囲に平面で構成された闇がゆらゆらと漂っているからだ。
それは、似ても似つかないのにあの影の男を彷彿とさせる。
「ココハ、わたくしノ造リアゲタ舞踏場。――サァ、わたくしト踊リマショウ?」
〈闇を纏う少女〉は抑揚の無い、言うなれば合成音声を彷彿とさせる不気味な声を持ってその右手をトールへと向けた。
「……その格好じゃ、ステップは踏めそうに無いんじゃないか?」
腰にぶら下げた刀の柄に油断無く右手を回しながら、トールは軽口で応じる。
「ソウ、デスカ? 案外、踊レルモノデスヨ?」
差し出した右手をゆらゆらと漂わせ〈闇を纏う少女〉は自らの胸の上に置き、その場で優雅とも言える所作で器用にターンを行う。
「――ネ?」
その光景はともすればとても可憐に見えるのだが、にこりともしない能面の如くの表情とその無機質な声色に背筋が冷たくなる。
「デスガ、ゴ安心ヲ〈神祇官〉。わたくしト踊ルノハソチラノ〈守護戦士〉ト〈盗剣士〉デス。〈回復職〉風情ガ舞台ニアガルノハ時期尚早デス」
「……なに?」
「エェ。アレダケノ数ノ〈貧狼小鬼〉ヲ倒シタいれぎゅらーハ〈守護戦士〉ト〈盗剣士〉デショウ?」
そう口にしながら向けられた視線の先には武器攻撃職〈盗剣士〉の柳千と李天を床に降ろした戦士職〈守護戦士〉の黒兎がいる。彼女の口ぶりからどう判別しているのかは解らないが『イレギュラー』とは『狂イ』の〈貧狼小鬼〉を倒した者を指すのだろうということは推測できた。〈守護戦士〉〈盗剣士〉〈神祇官〉〈施療神官〉の四人パーティならばダメージソースとなり、実際に倒すのは常識的に考えれば前者の二人だ。
「……アラ?」
しかし、その黒兎に向けられた視線が未だ〈睡眠〉状態の李天でピタリと止めて、嫌悪を顕わに呟く。
「……舞台ニ不釣合イナ、人形ガイマスネ」
ゾゾ、と形容し難い音と共に彼女の周りを揺らめいていた闇が折り重なり、一振りの槍へと変容する。
それが攻撃だと気付いた時にはガラスが砕ける音が響いていた。
その音が何によるものなのかを確認した〈闇を纏う少女〉は苛立たしげに舌打ちし、それの原因へと目を向けた。逆手に〈月の鱗刀〉を構えて戦闘態勢に移行していたトールがため息を一つ付き、少女の向けた視線に己の視線をぶつける。
「弱いもの虐め、ってのは感心しないな」
それは、李天への攻撃を『ダメージ遮断』にて遮断した音だ。
〈空蝉の障壁〉。
通常の一定量のダメージを完全に無効化する呪文とは異なる特殊ダメージ遮断呪文。ダメージの大小に関わらず一回だけあらゆるダメージを無効化するという、ただでさえ使いどころの難しい『ダメージ遮断』の中でもトップクラスに扱いづらい呪文である。それは「ダメージの大小に関わらず」という文言が示すとおりに例えば単体最高クラスのダメージを誇る〈暗殺者〉の〈アサシネイト〉ですら無効化するが、〈盗剣士〉の連撃系特技や〈付与術師〉による追加ダメージ付与などの場合では最初の一撃を無効化するだけに留まるからだ。
だが、今回はその一回限りのダメージ無効化が上手く働いた。
もとより、相手のレベルが不明とはいえ、受けて側はレベル20の〈大地人〉だ。おそらくはあらゆる攻撃が致死となる。一定量のダメージを無効化する通常のダメージ遮断ではほぼ確実に相手の攻撃でその上限を超えていただろう。
「……邪魔ヲスルト?」
冷たい目を向けられたトールは既に鞘から刀を抜き放つ。
自らを餌にしてこの得体の知れない存在を誘き出す腹心算ではあった。あったが、もう少し。あと少しでアレを理解出来そうだったのに、と悔やむ。
だが、既に戦いは始まっている。
未だ周囲に〈貧狼小鬼〉の気配は無い。気配は無いが、無視できる存在でもない。
左手で背後にハンドサインを送る。
もともと〈大災害〉以後にも戦闘訓練を行っていた〈飛剣隊〉には簡単ではあるもののハンドサインが存在していた。ならば、トールとしてみればそれを覚えれば新たに作り直す必要も無い。共に行動するようになってからはそれなりの戦闘回数を超えてきた。その時間は充分にあった。
“戦闘態勢”
“先行スル”
“援護頼ム”
示したサインは三つ。
「ふっ!」
反応を確認する事無く五メートルの距離を一足飛びに詰める。
あの闇槍は、その距離をほぼノータイムで詰めるだけの速度を持っている。どの程度の距離までを射程とするのかは解らないが、弓ビルドプレイヤーや〈妖術師〉がいない以上は中距離以上では自分たちが不利な事に変わりはない。
よって近距離。
構えた〈月の鱗刀〉を横に一閃し、
――その身体をものの見事に両断した。
「――え?」
あまりの不思議な手応えに驚く。攻撃が当たったという感触はその手に伝わっている。だが、肉を断つ感触も無ければ、ダメージを与えた手ごたえも無い。もちろん回避された訳でもない。
「アラ、貴方一人デわたくしト戦ウノデスカ?」
両断され、人と蛇に分かたれた身体の切断面から闇が染み出し再生していく。まるで、今の両断を巻き戻していくように彼女の上半身と下半身はラミア状の身体へと元通る。
そして〈闇を纏う少女〉は静かに笑う。その不気味さに僅かにトールはつい、次の手が止まってしまった。
「イイデショウ、先ズハ命狂イナ貴方カラ。エェ、多少ノ順序ノ前後デハわたくしノ勝チニ違イハ有リマセンカラ」
言葉と共に一息で先ほどの闇槍を生み出し、その矛先を黒兎へと向ける。
「デスガ、わたくしガ遊ンデイル間。エェ、わたくしガ〈神祇官〉ト遊ンデイルノニ介入サレテハ困リマス。サァ獣トデモ遊ンデイテ下サイナ、いれぎゅらー」
指揮棒のように振るわれたそれの先からじわりと染み出た影は六滴の雫となって大地へと染み込み、六つの影を立ち上がらせる。ぼやけた輪郭が徐々に実像を結んでいき、それぞれが見覚えのある姿を持つ。
「……〈貧狼小鬼〉」
落とされた雫の数だけの〈貧狼小鬼〉を前に黒兎は、自らの戟を取り出し握り締める。
「黒兎、柳千。そっち、任せるぞ」
〈闇を纏う少女〉と対峙したまま振り返る事無くトールは二人へと声を掛ける。
「あぁ、造作も無い」
「うん。大丈夫」
この局面で呼び出された〈貧狼小鬼〉だ。『狂イ』に決まっている。
だが『狂イ』と言えど、この数ならば黒兎一人でも対応は容易だ。
「先ず私が出る。柳千は李天を頼む」
「了解、隊長」
〈狼牙族〉特有の幻尾を発露させた黒兎は〈貧狼小鬼〉の注意を引く為に、自らを鼓舞する為に、その場を離れて吼えた。
「〈アンカー・ハウル〉ッ!」
それを合図に〈闇を纏う少女〉の闇槍の矛先がトールへと向けられる。
「――サァ、踊リノ時間デス」
■
打ち合いは既に三十合を超える。
いや、打ち合いとは呼べない。
一方的にトールが彼女を斬り刻み、彼女は見た目での再生を繰り返しながら気紛れに闇槍をトールへと投擲する。それをトールは〈冒険者〉の超人的な反射速度をもって回避していく。
それが可能なのは闇槍の一撃が点の攻撃である事とその攻撃パターンが解り易いという二点に尽きる。
線や面での攻撃ならば回避に要する動きは大きくなるが、点での攻撃ならば最小の攻撃で済む。〈闇を纏う少女〉は基本的にクリティカルが発生する部位――頭や心臓を狙っているため、その予測が容易であったし、冷たい瞳で必ずその攻撃点へと視線を向かわせる。それは漫画や小説でよく用いられる『拳銃の銃口の向きから弾道を予測し回避する』という超理論を実行しているようなものだ。
だからと言ってそれが万人の〈冒険者〉が可能か、と聞かれればそれは不可能だろう。
ダメージを恐れずに、この世界での恐怖を前にしてもなお一歩を踏み出すことが出来るからこその芸当だ。
「いい加減に……ッ!」
だが、避けているといっても無傷という訳ではない。あくまで、致死となるダメージを避けているに過ぎず、トールの身に着けている防具には幾本もの線が刻まれているし、所々からは肌が露出して血が流れている。その僅かに蓄積したダメージが一定量を超えると回復呪文が春猫娘から飛んでくる。
回復を春猫娘に任せ、回避と攻撃に専念する。
それをもっての現状。
しかしそれだけでは彼女を倒す事はできない。
幾度斬っても攻撃が通らない。
避けられているのならば解る。
だが、確実に攻撃はヒットしている。
それなのに、刀を握る手には攻撃が通ったときの手応えが一切存在しない。
この手応えに心当たりはあるものの、それは今現在のトールの攻撃手段からすればほぼあり得ないに等しい事柄だ。
もう何回目か解らないが、破壊を振りまく闇槍による斬撃を掻い潜り、一太刀を穿つ。
そして、当たり前のようにダメージを与えた手応えは皆無。
「足掻キマスネ〈神祇官〉。貴方ノ攻撃デハわたくしハ傷ヲ負イマセン」
「ほざけよッ!」
半ば感心したような口調と共に心臓目掛けて飛んできた闇槍を身を捻る事で回避し、大きく息を吸う。
鞘を握る手に力を込め、脳内からメニューを想起し選択。
「〈剣の神呪〉ッ!!」
そしてトールによって放たれた特技。
幻想級〈ブラック・サムライ・ハットリ・ソードZ号〉による一撃では無いにせよ秘宝級〈月の鱗刀〉による一撃。
だが、やはりその一撃も〈闇を纏う少女〉の身体に触れた瞬間に手応えの全てを失った。
「何度モ何度モ無駄ナ足掻キヲ」
歪に開かれた口から漏れた言葉と共に、術技後硬直中のトールの身体を二本目の闇槍が突く。
「しまっ――」
勝手に闇槍が一本しかないと想定していた自分を罵りながらその衝撃で宙を舞う。パキィン、と甲高い音が周囲に響き渡りトールを覆っていたダメージ遮断の障壁が砕け散った音と共に淡い光がその身体を包み込んだ。
春猫娘の「反応起動型回復呪文」の一つである〈キュア・ブライト〉。
反応回数は少ないものの、一回の回復量が大きい即効性の高い反応起動型回復呪文だ。
その光を受けたトールは空中で体勢を立て直し、そのままの勢いで春猫娘や柳千の元へと着地し、膝を突いた。
「――サン、キュ」
「大丈夫ですか、トールさん」
荒くなっている呼吸を落ち着かせるために数度の深呼吸を行う。肉体的にはまだまだ戦えるのだが、やはり精神的な疲労の大きさは否めない。
「まぁ、なんとか。如何せん、攻撃が通じないのはなんともしがたい。っつーか、いよいよ笑えんぞ」
「じっとしていて下さいね」
〈即時回復呪文〉を唱える春猫娘の傍には弓矢を手にしながらも顔面が蒼白となっている李天がいる。
レベル90台の〈冒険者〉の戦いを間近で見ればそうもなるだろう。なまじ、自らも戦えるからこそのモノだと判断できた。
柳千は突剣と曲刀を構えたまま、周囲の警戒に神経を注いでいる。
「……どっちにせよ、また距離を詰めなきゃな」
視線の先の〈闇を纏う少女〉との距離は今度は十メートル近くまで開いてしまった。この距離は一方的に攻め込まれる距離であるし、四人が纏めて攻撃範囲に収まるだろう結構致命的な距離だ。
だが〈闇を纏う少女〉はトールを追ってくる素振りはせず、動きを止めたままある一点に目を奪われている。
その先では黒兎が鳳凰の如く炎を纏った身体で最後の〈貧狼小鬼〉を燃やし尽くしていた。
■
揺らいだ。
〈アンカー・ハウル〉が確かに〈ウォー・クライ〉の効果を伴った。
(本番に限って成功するとはなっ……)
黒兎は右手に構えた〈黒鉄馬戟〉を力任せにその身を硬直させた〈貧狼小鬼〉へと叩き込む。相手の頭蓋が割れる感触を確かに、春猫娘らから距離を取る為に特技を発動する。
「〈アバランシュ〉ッ!」
雪崩のような前方への突進系連続攻撃をその後方に居たもう一匹へと見舞いながらも、黒兎は何故、アレが発動したのかを考える。
修錬では一回も発動しなかったのだから何かが足りなかったのだ。
では、今、足りているものは。
――本当の戦闘。
いや、それではなくこの幻耳と幻尾。――すなわち〈狼牙族〉としての特性か。
自らに注意をひきつける為の理性の叫びと、威嚇し自らを鼓舞する為の本能の叫び。
人と狼の混成種としての〈狼牙族〉であるが故に生まれた意図せぬ二つの意味。
〈アンカー・ハウル〉と〈ウォー・クライ〉。
援護の為に敵へとぶつける裂帛と、援護しか出来ない自分へぶつける怒り。
それ故にその名は〈憤怒の咆哮〉。
「――〈カッティングイントゥー〉!」
戟を横に構え、広範囲を一息で薙ぐ。
先端の刃物にしか斬撃ダメージは見込めないが、その柄もまた鉄である以上は凶器と同意。バフの掛かった一撃は容易く範囲内に居た三匹もの『狂イ』の〈貧狼小鬼〉の命を刈り取っていく。
黒兎のあまりの強さに怖気づいたのか残り一匹となった〈貧狼小鬼〉が僅かに後ずさり、背を向けて逃げ出そうとする。
技後硬直に陥っているものの、もとより攻撃射程の長い戟ならば硬直解除後でも十分に届くし、黒兎は逃走するモンスターを逃すほど優しい戦士ではない。それに、的が有るのならばこそ試したい事がある。
〈アンカー・ハウル〉と〈ウォー・クライ〉の重複効果については推論が立った。だが、それはこれだけによるものなのか。
思えば、何故〈料理人〉が手動で〈料理〉を行えば『味』が生まれる?
一つ一つの行動、調理の過程に意味が有るからこそではないか?
ならば、攻撃の特技にも一つ一つの行動に意味を持たせればその特技以上の何かが生まれるのではないか?
硬直が解けるや否や身体を浅く沈め、戟を最上段に構える。
選択する特技は体重を乗せて振り下ろし、返す刃を振り上げる〈パワーアンカー〉。
「オオオォォォ――――」
咆哮と共に振り下ろされた戟が背を向けて逃げようとしていた〈貧狼小鬼〉の左腕を容易く斬り落とす。
本来ならばこのまま刃を返して振り上げ攻撃へと移行する。だが、振り下ろされた戟が振り上げへと切り替わるその瞬間に脳内にもう一つの特技を思い描き、曲げられた膝を更に溜める。
「――――ォォオオ――――」
返す刃を強引に振り上げるのと共に、溜めた脚を全身のバネと合わせて解き放つ。
視界が紅く染まっていく。
その強引な挙動で身体の節々がまさに燃える様に熱を帯びる。
いや、黒兎の身体は真実、炎の中にある。
「――――オオオオッ!!」
炎を纏った身体から〈黒鉄馬戟〉へと炎が燃え移り、振り上げられた刃が〈貧狼小鬼〉を縦に下から両断し、鮮血を奔らせながらその切断面を燃やし尽くす。
〈ブレイジング・フレイム〉。
本来ならば、炎を全身に纏うジャンプ斬り上げ単発攻撃。
切断面から炎が燃え広がった〈貧狼小鬼〉はそのままその断末魔を上げる暇さえなく全身を炎に包まれていく。
身体に纏った炎が陽炎となって収まるのと同時に地面へと着地した黒兎は、その衝撃で
「――痛ッ、」
びきり、と芯に響くような音を脚から感じる。更に筋繊維が断裂するような痛みが全身を走破し、溜まらず膝を突いた。
それと同時に、技後硬直とは異なる倦怠感が身体を覆い視界を黒く染めていく。
上手く出来たが、強引過ぎたのだろう。
「ぐ、ぬ……」
もともと、どちらかと言えば特技同士の連携は同じ戦士職の〈武闘家〉の領分だ。俗にコンボと呼ばれる彼らの特技連携ほどスムーズに繋ぎが出来ないのはそもそもの求めるものが違うのだから仕方のないことだ。
しかし、それでも異なる二つの特技の融合は果たせた。
それだけで十分。
もう一つ上の段階の強さに手が届いた事に満足した黒兎は悲鳴を上げている身体を無視して立ち上がり、吼える。
〈憤怒の咆哮〉。
腹の底からのその遠吠えにも似た叫びは空気そのものを振るわせる。
身に湧く高揚感に奮えながら、黒兎はそこで〈闇を纏う少女〉から向けられている視線に気付いた。
「知ラ、ナイ。知ラナイ、ソンナ光ハ知ラナイ――」




