01.
〈エルダーテイル〉。
それは世界中で愛されているMMORPG。
そう、あの〈大災害〉が起こる前までは――。
■
「うーむ、一体全体どうしたもんかねぇ……」
一人の青年が海岸線を睨んで佇んでいる。
傍らには簡素な船(筏と呼んだほうが相応しい)が打ち揚げられ、海を渡ってきたのだろうということが見て取れる。
「まさか、ヤマトを通り過ぎてるとは思わなかった。うーん、いやホント海流ってすげぇわ」
彼はこの世界では〈冒険者〉と呼ばれる超人的な立場だ。
むしろそうでもなくては、いくらこの〈エルダー・テイル〉の世界が〈ハーフガイア・プロジェクト〉と呼ばれる計画によって現実世界の半分のサイズしかないにしても太平洋を筏に等しい船で横断するなんて事は不可能だ。
もっとも現実問題〈冒険者〉であってもそんなことをする人物がいるかどうかは全く別の話であるが。
「しかし、ここどこだろ。向こうで言うところの中国か韓国なんだろうけど……まさか、インドとかまでたどり着いてはいねーよな?」
青年は海岸線から視線を切り、反対側――陸地のほうに目を向けると何処にでもありそうな鬱蒼と生い茂った森が視界を支配していた。海と森の境界はありきたりな街道。これではただでさえ来た事の無い土地の特定など不可能に近い。
見ず知らずの場所への漂着。これだけで軽く失神しても文句は言われないレベルの出来事である。出来事であるが、見ず知らずの場所というならばこの世界――〈エルダー・テイル〉の世界そのものがそれに当たる。
オンラインゲーム〈エルダー・テイル〉。およそ二年振りになる大規模アップデート〈ノウアスフィアの開墾〉の導入と時を同じくしてログインしていたプレイヤーはその世界に取り込まれてしまったようだ。
それが俗に〈大災害〉――彼がその時に居た場所では〈アルマゲドン〉と呼ばれていた出来事である。
「ヤマトへ向かうにはやっぱ船だよなぁ。〈鷲獅子〉使っても多分途中で休憩できる孤島なんて無いだろうし、そもそも孤島ゾーンはレベル帯が高くて数も多いから、囲まれるといくらなんでもちょいと厳しいよなぁ?」
がしがしと頭を掻きながら青年は思考を呟きに変えて固めていく。
「〈妖精の輪〉を使うか? いや、現状何処に行くのか分からない代物を使うわけにはいかねぇよな。あぁ、いや、そもそもこの辺りの〈妖精の輪〉の場所がわかんねーか」
彼は現実世界での日本に当る〈ヤマト〉を目指していた。
その理由は大きく二つあり、〈大災害〉時にいた『ビッグ・アップル』は治安の悪化により見るも無残な――外に出ればレベル90の連中ですらPKに精を出すような世紀末ヒャッハー状態となってしまった。しかし、大震災でも店に並んで買い物をする日本人のある意味で閉鎖的で協調的な人間性ならばそれなりの秩序が構築されているのではないかというのが一つ目。
もしかしたら、時差の関係で日本サーバーのみが唯一〈ノウアスフィアの開墾〉のアップデートが行われているんじゃね? ずりぃ、俺にも遊ばせろ。と言うのが二つ目だ。
勿論、彼自身が日本人であるという事も理由の一つではあるが。
「まぁ、細かいことはヤマトに着いてからだな。いやー、懐かしいなぁ、日本。まさか、こんな形で里帰りになるとは思っても無かったけどなぁ」
昔を懐かしむように目を細めた後、青年はそこで思考をすっぱりと切り替えた。
今は、昔を懐かしんでいる時じゃない、と。
「よぅし、当面の目標はプレイヤータウン。人がいれば情報も集まるし、まぁなんとかなるだろ」
簡単に装備を点検し、どこも特に異常がない事を確認した青年は意気揚々と街道を進む。
とりあえず、なんとなく。
そう、なんとなく北っぽい方角へ。
「いやぁ、楽しくなってきたな、まったく!」
■
春猫娘は焦っていた。
リーダーである〈守護戦士〉を筆頭に〈侠客〉〈盗剣士〉〈道士〉〈森呪遣い〉に自分――〈施療神官〉という前衛と後衛のバランスがとれたパーティだった筈だ。全員のレベルは90で〈大災害〉前からパーティを組み何度も戦闘訓練を重ねてきた。
現実化してしまって以降も様変わりしてしまった戦闘に慣れるために訓練を積み重ねてきたこの辺りでは間違いなく精鋭に属するギルドだと自負している。
事実、春猫娘のパーティはギルド〈飛剣隊〉という中国サーバーでは少数精鋭型戦闘系ギルドとして名を馳せている。さらに、そのギルドマスターである『黒兎』はサーバーでも十指に入る〈守護戦士〉と言われるほどの実力の持ち主。
その彼らが〈施療神官〉である春猫娘を残してその姿を消している。
(嘘よ……。私たちが、こんなにもあっさり倒されるなんて……)
周囲をモンスターに包囲され、逃げ道はない。〈施療神官〉という職業はその名の通り、三種ある回復系職業の一つである。
その得意とするところは回復魔法や一部支援魔法による味方の援護であり、敵と戦うにはあまりにも心許ない。
その敵というのも十二ある職業の中でも最高位の防御力を誇る〈守護騎士〉をいとも容易く倒してしまうようなモンスターだ。
だが、それよりも恐ろしいモノを春猫娘は目にしていた。
彼女は何度も何度も何度も目の前のモンスターのステータスを確認する。
名前は〈貧狼小鬼〉。
これはこの辺りのゾーンに頻繁に出没するモンスターだ。様々な近接武器を使用し、簡単な戦術も使用する低レベル冒険者の壁となるモンスターではあるが、レベル90という彼女にとっては取るに足らないモンスターである。
職業欄には〈狂獣〉。自らの体力を省みずに防御を捨てて敵へと突撃するモノでこれも大した問題ではない。
問題はそのレベルにあった。
(なんで、なんでレベルが30にも満たないモンスターに……ッ!)
そう、今現在彼女を取り囲み、そして彼女の仲間を死に至らしめたモンスターのレベルは平均して28。レベル90である彼女らにとっては例え数十居ようが敵になりえない筈なのだ。
噂には聞いていた。
おかしなモンスターがいる、と。
なぜこんな事になっているのか。
どうしてこんな事になっているのか。
何がいったいどうなっているのか。
春猫娘の思考はぐるぐると空回りをし、それを自覚しているからこそ焦り、それが恐怖を生み出していた。
そして、その恐怖はフシュルフシュルという〈貧狼小鬼〉の息遣いを「もうお前に逃げ場はないぞ」「いますぐ仲間の元に送ってやる」と幻聴させる。
〈冒険者〉は例え死んだとしてもプレイヤータウンに存在する神殿で復活を遂げる。簡単に言うならば不死たる存在だ。
だが、それはこの〈エルダー・テイル〉に取り込まれたからに過ぎない。
現実的に考えれば死とは終わりだ。たとえ生き返るから死んでもいいなどととても許容できる話ではない。
だからこそ。
彼女は得体の知れないモンスターの群れを前にして言葉を失い、まるで生贄の様にその身を震わせることしか出来なかった。
2015.04.02 改訂