終章
”暴虐竜対策の為にドレイクは龍乃国に戻った”と発表したので、近衛兵団長の副官を新たに任命することになったのだが、これを聞きつけた龍たちが大騒ぎだった。
「ぜぇーったいオレがやる!泳ぎだって教え終わってねえもん!」
「ばっかじゃないの、泳ぎなんかより戦闘力の高さよ。私が適任でしょ」
「近衛兵団長付の副官ともなれば様々な立場の者と渡り合う政治力がいるだろう。わたし以外に誰がそれをやれるというんだ」
亜爪、天角、牙野がやいやいとやりあっているのを当の近衛兵団長は完全に置いてきぼりで、蚊帳の外から眺めるのみである。
「副官というのは結構な激務なのですが、本当に龍の方々にお願いしてもよいのでしょうか。それにイミリーシャは寒すぎるのではありませんか」
傍らには、議論に参加すら許されなかった勇輝子が不満げな顔で菓子を頬張っている。
「大丈夫。こないだ、ここの近くで見つけた草水、あれを早いとこ採取地として整備して実用化しよ。そうすればあたし達もここで暮らしてけるよ」
摘まんだ甘味がみるみる口のなかに吸い込まれていく。
「どいつもこいつも、あわよくば安道と手合わせする機会を狙ってんだよね。君、もうあたしより強くなっちゃったもんね。ホントだったら龍皇の座を譲りたいんだけど」
アンドロニコスも手を休めずに勇輝子の皿を減っていくそばから満たしてやる。
「皆様方のお頼みなら、お手合わせだろうと何だろうと、お受けします。ただし次期龍皇は、龍の方々の中からお選びください」
勇輝子は以前にも断られたその提案を再びほのめかしてみせたが、アンドロニコスの返答は変わらなかった。
腹いせなのか、菓子を食べる速度に衰えは一切見られない。
一方のアンドロニコスはというと、辛うじて曇り空にとどまっているイミリスノープル上空を警戒するようにちらちらと見上げながら、必死の手つきで勇輝子の皿へ菓子を補充し続けていた。
なお鰐尾は百騎に増えた近衛兵団航空騎禽大隊の檻舎監督官にしれっと収まっており、今も隊員達と仲良く業務に励んでいるのだった。
「ねえ! もうさ、安道が選んだらいいんじゃん? 自分の副官なんだし」
菓子を食べ終えて手を払った勇輝子が終わりの見えない議論を続ける龍三頭に声をかける。そして無邪気な顔で安道を振り返った。
「安道、あたしたちの中で誰が一番好き?」
「は!?」
アンドロニコスは硬直した。
いや――むしろ彼の脳は、生存本能に基づき、その質問を理解すること自体を拒否したと言うべきだった。
「敬愛申し上げる皆様……お、俺が皆様へ抱いております親愛の念は、とても優劣など付けられるものではなく、そのような方々に順位を付けるなどという不遜を、この未熟者が行うことは極めて不適切であり、従ってまずこの問いそのものに対して慎重な再考をお願いしたく――」
「誰でもいいから」
勇輝子が即座に遮る。
「で、誰が一番好き?」
「い、いえ、その……まず“好き”という言葉の定義について、より厳密な基準設定が必要でありまして、現在の議題との関連性を整理した上で――」
三頭の龍の視線が、凄まじい圧で彼へ突き刺さる。アンドロニコスは隕石でも丸呑みしたような重量を胃の中に感じ「なぜ、こんなことに」と絶望的な気分で呟く。
その時――
「皆様。どうかその辺に」
穏やかな声が入口から響いた。
微笑を浮かべたアントニウスが部屋へ入ってくる。
「我が弟の一番は、考えるまでもなく私でしょうに」
「兄上!」
救援が来た。
――そう思ったのも束の間だった。
アントニウスは穏やかな表情のまま、弟へ向き直る。
「アンドロニコス。どなた様でもお前の力になって下さる。ありがたくお一方お越し頂け」
「お心遣い、感謝の言葉もございません」
命綱に縋りつく気分でアンドロニコスは即座に答えた。
「兄上……近衛兵団長副官にどなた様をご指名なさいますか」
アントニウスは微笑み、死刑宣告に等しい命令を、実に楽しげに下すのだった。
「近衛兵団長、副官任命は貴殿の仕事だ。自分でお願いしなさい」
アンドロニコスは完全に停止した。
(兄上……どうか冗談だと仰ってください……)
近衛兵団長の任を引き受けた時にも感じなかった耐えがたいほどの重責に押しつぶされそうになりながら、息も絶え絶えに三頭のうちの一頭を、か細く指名した。
その後、王宮上空には、歓喜と悲嘆が入り混じった雷雲が渦巻き、怒りの雷鳴が轟くことになる。
――そしてやがて、東の断崖の向こうには、まるで空が微笑んだかのように、美しい虹が大空へ見事な弧を描いたのだった。




