第四十六章
そして今。
勇輝子は、ドレイクの目前に立っていた。
「……また同じことを繰り返す気なのかよ、このわからんちん」
声が震える。
「安道に、あたしたちと同じ思いをさせる気か!」
一歩、詰め寄る。
「あの子を泣かすような真似、あたしが絶対に許さねぇかんな!」
ドレイクはその巨体をゆっくりと沈め、床に膝をついた。
「……百年前の不義理を、まだ詫びていなかった」
頭を垂れたまま、言う。
「だが――どうか、行かせてほしい」
勇輝子の声が、崩れる。
「百年経っても……まだあたし達は、お前の居場所にはなれないのかよ……!」
沈黙。
ドレイクは、ゆっくりと首を振る。
「お前たちと暮らした日々は何よりも幸福で、穏やかな時間だった。......勇輝子、お前は......アイリーナと同じくらい優しかった」
言葉は詰まらせたままだが、何とか息を整える。
「アンドロニコスが言った。お前たちの成そうとしていることの、一助になりたいと」
静かに続ける。
「……あいつがそう願う相手なら、おれも、そうしたいんだ」
「ふざけんな!表へ出ろ!」
勇輝子の怒声が、空気を裂いた。
「あのときみたいにはいかせねえぞ。……また勝手に終わらせられてたまるか」
ドレイクは苦しげに眉を寄せた。 だが、何も言わずに立ち上がる。
ゆっくりと歩み、バルコニーへ出た。眼下には、断崖に切り拓かれた放牧地が広がっている。
並の人間ならば、落ちればただでは済まぬ高さだった。だが勇輝子は躊躇しない。
手すりに足をかけ、そのまま飛び越えようとする。ドレイクも続こうとした、その背後から。
「――お待ちください」
声がかかった。振り返る。そこに立っていたのは、アンドロニコスだった。
一歩、進み出て 勇輝子へ短く一礼する。
「俺に、やらせてください」
その声は穏やかながら、決意を固めた闘志の煌めきを含んでいた。
「彼は、俺の副官で――」
そしてドレイクを笑顔で正面から見る。
「俺の、父さんですから」
勇輝子の眉が歪む。何か言い返しかけて、しかし言葉を呑み込んだ。
歯を食いしばりながら、わずかに退く。
アンドロニコスは頷いて、ドレイクの前へと進み出た。
対峙は不思議なほど、心穏やかだった。
「父さん。俺、貴方に会えて……本当に嬉しかったです」
ドレイクの瞳が、わずかに揺れる。
「……おれもだ」
短く、答えた。
次の瞬間。ドレイクの身体が膨れ上がる。骨が軋み、筋肉が裂ける音とともに、竜へと変じた。
咆哮が空気を震わせる。
アンドロニコスは、即座に動いた。呼子を鋭く吹き鳴らす。緊迫した甲高い音が王都に響き渡る。
「――総員、緊急出動!暴虐竜、襲来!」
そのまま、手すりを蹴る。躊躇なく、空へと身を投げた。
僅かな浮遊感の後、肩を掴まれ一気に空へと運ばれた。
碧斗が羽ばたく。
その碧い翼を背負って、アンドロニコスは一気に上昇する。空には百羽の航空騎禽大隊が、円陣を描いて展開していた。
影が地を走る。
放牧地でも、すでに準備が整えられた。引き出されてきたのは、超大型の弩。
番えられているのは、槍の形に削り出された巨大な氷塊だった。
「――氷弩、撃て!」
号令とともに氷の槍が、一斉に放たれる。
空気を裂き、白い軌跡を引いてドレイクへと殺到する。
直撃、砕け散る氷片。だがその瞬間、急激な冷気が竜の身体を覆う。
ドレイクが、低く唸った。
さらに――
「投下!」
上空から、騎禽が一斉に荷を落とす。
雹夷弾が着弾と同時に砕け、冷気を撒き散らす。
地面が、瞬く間に凍りついた。足場が奪われる。
「続けろ! 間を空けるな!」
地上では、投擲機が軋みを上げ、氷水の入った水桶が、放たれる。空中で弾け、細かな水滴となって降り注ぐ。
それが即座に凍りつき、竜の身体を覆っていく。
積み重なる冷撃にドレイクはたまらず、咆哮を上げた。
一歩、後退する。その瞬間を逃さない。
アンドロニコスは、愛用の重剣を抜いた。
碧斗が一気に高度を落とす。
「放せ碧斗!」
掴まれていた肢から肩が離れ、アンドロニコスは空中に躍り出た。
落ちていく先には、牙の並んだ口を開ける暴虐竜ドレイク。
落下の勢いそのままに、重力を味方につけ振り下ろされた重剣が、暴虐竜の牙を砕く。
破砕音と共に砕け散った牙片が宙に舞う。そのまま刃は滑り込み顎を切り裂いたのだった。
悲鳴にも似た咆哮が大気を震わせ、巨体が大きく仰け反って地を揺らして倒れ伏した。
アンドロニコスは着地し、ゆっくりと歩み寄った。
誰の目にも、それは敵を討ち取った将の姿に映る。
だが――
アンドロニコスは膝を折り、頭を寄せる。誰にも聞かれぬほどの、吐息のように囁いた。
「……行ってください。たまには……こっそり帰ってきてくださいね」
わずかに、笑う。
「俺たち、いつでも待ってますから」
ドレイクの瞳が、細くなる。彼もかすかに――笑ったように見えた。
気力を奮い起こし、暴虐竜は翼を開いた。
「総員!風に備えろ!」
アンドロニコスの号令が飛ぶ。叩きつけるような突風が吹き荒れ、兵たちは思わず身を伏せる。
巨体が浮かび上がり西へ進路を取った。燃えるような赤い空に溶け込むようにして――やがて、その姿は見えなくなった。
そして――
「勇敢なるイミリーシャの兵どもよ!」
アンドロニコスの大音声が、夕日に染まる空を貫いた。
「我らの剣は決して折れぬ!」
剣を掲げる。
「暴虐竜だろうと――恐るるに足らぬ!」
爆発するような歓声が上がった。
誰もが顔を上げ、誇りに満ちた声を重ねて勝鬨をあげる。
大勝利だった。そう、誰の目にも。




